July 2013
July 26, 2013
近頃・・・(3)
このところ毎日『近頃』のテーマでブログを書いているのだが、退院してからの生活をどう過ごしているのかとか、リハビリは進んでいるのか、或いはどの程度回復出来てきているのかといったことを尋ねられたりするので、まあそうした問いかけに対する応答の意味合いを込めて書き綴っているのだ。
昨日は天神祭の本宮であった。
朝からカンカン照りという天気ではなかったが深夜まで暑さが持続する一日であった。
今朝も昨朝と同様上の写真の通り ( 午前 5 時 33 分撮影 ) 薄曇りの中での日の出となった。
息子は早朝ゴルフだとか言って 4 時半すぎに出て行ったが、多分今日も暑い一日になるのだろう。
【 写真はピックアップ・ウォーカーという歩行器とロフストランド・クラッチ 】
退院して10日ばかりは家内に体を拭いてもらうという毎日を過ごしていたが、シャワー浴だけでも出来るようになって本当に良かったと、連日の猛暑を感じるにつけ感謝の思いに浸っている。
病院では看護助手の皆さんにお世話頂いたが、とりわけシャワー浴では T さんや N さんの世話になった。
単にシャワー浴と言っても衣服の着脱が完全に出来ない、つかまり立ちが何とか出来る程度で、とても歩いて動ける状態でない者を車椅子から浴室用の椅子に移動させ、シャワー浴が終われば体を拭いて服を着せて車椅子に乗せ換えて病室へ帰すという大変な労働なのである。
【 写真がロフストランド・クラッチという杖で、私は左右2本の手それぞれに1本ずつ持つ 】
その頃に比べれば私の行動も自立性が増した、とは言うものの2本の杖を用いないと歩行出来ない状態で狭い我が家を浴室まで移動するのだから不安や恐れは当然にあった。 移動することだけではない。 どのように湯を浴び石鹸を使うのか。 湯上りの体を何処でどのように拭うのか等々、退院して我が家へ帰ってから何度も何度も情景を思い描いたがシャワー浴を実行することは難しかった。
シャワー浴を実行する上で私にとって最も大事なことは些細な危険性をも除去して最大限の安全を確保することであった。
【 写真はサイド・ケーンという杖で、私は右手にロフストランド・クラッチ、左手にサイド・ケーンを携えて家の中を移動している・・・接地面が4点あるので安定度が高い 】
ケアマネはアレやコレやと介助や介護の器具購入や工事を勧めてくれる。
工事は一度に発注すれば費用が安くなるからとの配慮からなのか、ケアマネは幾つものケースに精通しているからなのか次々と助言してくれるのだが私の方は何もかもが初めてのことで頭が混乱するばかり。
先ず自分が何をするのか、しなければならないのか、そのために何が必要となるのか、そうしたことをイメージングし、納得出来れば受け容れるが納得出来なければ受け入れるわけにはいかない。 このためケアマネ氏は少しばかり心証を害したようだが、これは止むを得まい。
ともかく写真のような浴室用の椅子を購入し、家内が浴槽に入った状態で私のシャワー浴を介助するというようにしているのである。
介助・介護を考慮して設計・建築した住居ではない。 設計当時は今日の身体障害など考えてもみなかったのだが、何十年も住居として使用する我が家だったのだから将来を見越してという観点から考慮すべきであったと反省しきりである。
浴室はユニットバス ( bath module ) で一体成型のため手すりを取り付けるなど新たな加工が出来ないので、私の方が如何に浴室仕様に合わせた入浴スタイルにするかを勘案しなければならなかったのだが、写真のように玄関には手すりを取り付けてもらった。
トイレットも壁面と便座に手すりを取り付けてもらった。
眠るためのベッドは病院で使っていたものと機能的に似たのをリース品として使用している。
ベッド下部に2つの電動モーターが備えられており、ベッド全体の高さを変えることが出来る機能と腰から上部のベッドの角度を変える機能を有しているものである。
こうして週に 2 回 ( 各 1 時間 ) は病院から来てもらう理学療法士にマッサージをしてもらったり、杖を使っての歩行訓練、それに廊下にセッティングした平行棒を使っての歩行や平衡感覚訓練のほか、筋力アップのトレーニングなどの指導を受けているのだ。
また週に 2 回 は通所リハビリとして迎えに来てくれる自動車で介護施設へ出向き、そこで理学療法士によるマッサージのほか、杖を使っての歩行や階段昇降など機能回復のための指導を受けている。
こうした訓練の結果は直ぐに目に見えるわけではないが着実に回復していっているものだと信じている。
ちなみに今朝の食事は小さ目のバターロールが2個であり、フルーツは小っちゃい小っちゃいブドウ 1 房 ( デラウェア ) であった。
海藻入りのコンソメ、柚子マーマレード、野菜サラダは昨日と同じ。
朝食後に服用する薬 ( 左側 ) と右側にガラス瓶が写っているが、ガラス瓶には今夏の新生姜を漬け込んでいる。 寿司屋のガリと同じ作り方だが、砂糖の分量は少な目で甘さ大いに控えめ。 それに鷹の爪を入れているのでピリリピリリとこれがなかなかウマイのである。
これで日々の生活について、ほぼ紹介したことになるだろうか。
『近頃』と題しての私の現況紹介を一応終わりとしておきたい。
昨日は天神祭の本宮であった。
朝からカンカン照りという天気ではなかったが深夜まで暑さが持続する一日であった。
今朝も昨朝と同様上の写真の通り ( 午前 5 時 33 分撮影 ) 薄曇りの中での日の出となった。
息子は早朝ゴルフだとか言って 4 時半すぎに出て行ったが、多分今日も暑い一日になるのだろう。
【 写真はピックアップ・ウォーカーという歩行器とロフストランド・クラッチ 】
退院して10日ばかりは家内に体を拭いてもらうという毎日を過ごしていたが、シャワー浴だけでも出来るようになって本当に良かったと、連日の猛暑を感じるにつけ感謝の思いに浸っている。
病院では看護助手の皆さんにお世話頂いたが、とりわけシャワー浴では T さんや N さんの世話になった。
単にシャワー浴と言っても衣服の着脱が完全に出来ない、つかまり立ちが何とか出来る程度で、とても歩いて動ける状態でない者を車椅子から浴室用の椅子に移動させ、シャワー浴が終われば体を拭いて服を着せて車椅子に乗せ換えて病室へ帰すという大変な労働なのである。
【 写真がロフストランド・クラッチという杖で、私は左右2本の手それぞれに1本ずつ持つ 】
その頃に比べれば私の行動も自立性が増した、とは言うものの2本の杖を用いないと歩行出来ない状態で狭い我が家を浴室まで移動するのだから不安や恐れは当然にあった。 移動することだけではない。 どのように湯を浴び石鹸を使うのか。 湯上りの体を何処でどのように拭うのか等々、退院して我が家へ帰ってから何度も何度も情景を思い描いたがシャワー浴を実行することは難しかった。
シャワー浴を実行する上で私にとって最も大事なことは些細な危険性をも除去して最大限の安全を確保することであった。
【 写真はサイド・ケーンという杖で、私は右手にロフストランド・クラッチ、左手にサイド・ケーンを携えて家の中を移動している・・・接地面が4点あるので安定度が高い 】
ケアマネはアレやコレやと介助や介護の器具購入や工事を勧めてくれる。
工事は一度に発注すれば費用が安くなるからとの配慮からなのか、ケアマネは幾つものケースに精通しているからなのか次々と助言してくれるのだが私の方は何もかもが初めてのことで頭が混乱するばかり。
先ず自分が何をするのか、しなければならないのか、そのために何が必要となるのか、そうしたことをイメージングし、納得出来れば受け容れるが納得出来なければ受け入れるわけにはいかない。 このためケアマネ氏は少しばかり心証を害したようだが、これは止むを得まい。
ともかく写真のような浴室用の椅子を購入し、家内が浴槽に入った状態で私のシャワー浴を介助するというようにしているのである。
介助・介護を考慮して設計・建築した住居ではない。 設計当時は今日の身体障害など考えてもみなかったのだが、何十年も住居として使用する我が家だったのだから将来を見越してという観点から考慮すべきであったと反省しきりである。
浴室はユニットバス ( bath module ) で一体成型のため手すりを取り付けるなど新たな加工が出来ないので、私の方が如何に浴室仕様に合わせた入浴スタイルにするかを勘案しなければならなかったのだが、写真のように玄関には手すりを取り付けてもらった。
トイレットも壁面と便座に手すりを取り付けてもらった。
眠るためのベッドは病院で使っていたものと機能的に似たのをリース品として使用している。
ベッド下部に2つの電動モーターが備えられており、ベッド全体の高さを変えることが出来る機能と腰から上部のベッドの角度を変える機能を有しているものである。
こうして週に 2 回 ( 各 1 時間 ) は病院から来てもらう理学療法士にマッサージをしてもらったり、杖を使っての歩行訓練、それに廊下にセッティングした平行棒を使っての歩行や平衡感覚訓練のほか、筋力アップのトレーニングなどの指導を受けているのだ。
また週に 2 回 は通所リハビリとして迎えに来てくれる自動車で介護施設へ出向き、そこで理学療法士によるマッサージのほか、杖を使っての歩行や階段昇降など機能回復のための指導を受けている。
こうした訓練の結果は直ぐに目に見えるわけではないが着実に回復していっているものだと信じている。
ちなみに今朝の食事は小さ目のバターロールが2個であり、フルーツは小っちゃい小っちゃいブドウ 1 房 ( デラウェア ) であった。
海藻入りのコンソメ、柚子マーマレード、野菜サラダは昨日と同じ。
朝食後に服用する薬 ( 左側 ) と右側にガラス瓶が写っているが、ガラス瓶には今夏の新生姜を漬け込んでいる。 寿司屋のガリと同じ作り方だが、砂糖の分量は少な目で甘さ大いに控えめ。 それに鷹の爪を入れているのでピリリピリリとこれがなかなかウマイのである。
これで日々の生活について、ほぼ紹介したことになるだろうか。
『近頃』と題しての私の現況紹介を一応終わりとしておきたい。
July 25, 2013
暑中お見舞い申し上げます
暑中お見舞い申し上げます
下の写真は今朝 ( 7 月25日 ) の日の出の様子。
時刻は午前 5 時 21分。
下の写真は午前 5 時 22分に撮影のもの。
昨朝は曇天から雨天へと太陽を見ることは出来なかったが、今朝は写真の通り薄雲が出ているものの日の出を確認することが出来た。
全く雲が無い快晴の状態だとフィルターをかけずに上のような写真を撮ることは出来ないのだが、夏至以来全くの快晴状態で日の出を迎えたことが無く、ほぼ毎朝写真のような日の出を眺めてきた。
昨日は天神祭りの宵宮。 今日は天神祭りの本宮祭であり、陸渡御、船渡御が執り行われる。
例年なら大阪 ・ 関西では天神祭で梅雨が明けて猛暑の夏が始まるのだが、今年は梅雨明けが早かった。
果たしてどんな夏になるのか・・・
時計は 8 時45分を示している。
9 時には病院から派遣の I 理学療法士が来てくれるので
1 時間のリハビリ訓練に入る。
日差しが随分きつくなっているが、我が家の座敷は扇風機 1 台で十分に涼しい。
23日が大暑であった。
気付かぬうちに熱中症に罹ることもあるのだとか。
暑さはまだまだこれからである。
皆さん方には健康第一に酷暑の時季を過ごされるよう切に願うものである。
下の写真は今朝 ( 7 月25日 ) の日の出の様子。
時刻は午前 5 時 21分。
下の写真は午前 5 時 22分に撮影のもの。
昨朝は曇天から雨天へと太陽を見ることは出来なかったが、今朝は写真の通り薄雲が出ているものの日の出を確認することが出来た。
全く雲が無い快晴の状態だとフィルターをかけずに上のような写真を撮ることは出来ないのだが、夏至以来全くの快晴状態で日の出を迎えたことが無く、ほぼ毎朝写真のような日の出を眺めてきた。
昨日は天神祭りの宵宮。 今日は天神祭りの本宮祭であり、陸渡御、船渡御が執り行われる。
例年なら大阪 ・ 関西では天神祭で梅雨が明けて猛暑の夏が始まるのだが、今年は梅雨明けが早かった。
果たしてどんな夏になるのか・・・
時計は 8 時45分を示している。
9 時には病院から派遣の I 理学療法士が来てくれるので
1 時間のリハビリ訓練に入る。
日差しが随分きつくなっているが、我が家の座敷は扇風機 1 台で十分に涼しい。
23日が大暑であった。
気付かぬうちに熱中症に罹ることもあるのだとか。
暑さはまだまだこれからである。
皆さん方には健康第一に酷暑の時季を過ごされるよう切に願うものである。
July 24, 2013
近頃・・・(2)の続き
今朝は厚い雲に覆われた曇天と前ページに書いたが食事を始めた頃より雨降りとなってしまった。
暑い折だから夜通し網戸にして風通しを良くした状態で眠っているのだが、急いで家内にガラス戸を閉めに行ってもらった。
今年は早くから随分暑い夏だと言われているが、丘の上に建つ我が家は窓や戸を開けている限り結構涼しく、これまで扇風機で風を送ることは何度もあるがエアコンを動かすことは殆ど無かった。
話題は変わるが下の写真が今朝の朝食である。
食パン 1 枚。 コンソメ・スープ。 オレンジ 1 個。 マーマレード。
マーマレードは国産柚子で作られたもので、柚子湯として飲むために兄から頂戴した物である。
しかし、甘さがほどほど、つまり甘過ぎないし、柚子の皮の食感と味、香りがしっかりしているので私の好みにピッタリ。
だからパンに付けて食べているのだ。 ( これは美味いよ )
野菜サラダは、キュウリ、パプリカ ( 赤・黄 )、玉ねぎ、レタスをいずれも細く千切り状にして粗挽きの黒胡椒を振りかけてもらっている。
千切り状になっているのは普段私が食べやすいと言っているからで、これに食酢が瓶ごと出てくるのだ。
食酢も別に銘柄にこだわらない。 日常的に家に置いてあるミツカン酢を私好みの量だけかけるのである。
以前には大豆がサラダに乗っていたこともあったが、このところは無い。
雨が少し小降りに・・・・・
と、仲良しの、多分ツガイ ( 番 ) のキジバトが、いつものように、いつものテレビアンテナに飛んで来てくれた。
このキジバトは昔々私がヤマバト と呼んでいた鳥であり、長い間ヤマバトとキジバトが同種の鳥であるということを私は知らなかったのだ。
濡れた羽を繕っているのか、羽を立てたり翼を広げたり、時に隣の仲間の羽を口ばしで繕ってやったり。
ほんに仲の良いキジバト 2 羽であり、長い時は 30 分ばかりもアンテナ上に留まっている。
ガアとかギャアとか鳴くカラスが飛んで来ると仲良し 2 羽もどこかへ飛んで行ってしまうのだが、ガアとかギャアとか汚い声で鳴くカラスはハシボソガラスという奴らしい。 それに対してカアと濁らずに鳴くのはハシブトガラスという奴なんだと。
ゴミ荒らしに来とるのはハシボソガラスのような。
いずれにせよカラスはスカンなあ。
暑い折だから夜通し網戸にして風通しを良くした状態で眠っているのだが、急いで家内にガラス戸を閉めに行ってもらった。
今年は早くから随分暑い夏だと言われているが、丘の上に建つ我が家は窓や戸を開けている限り結構涼しく、これまで扇風機で風を送ることは何度もあるがエアコンを動かすことは殆ど無かった。
話題は変わるが下の写真が今朝の朝食である。
食パン 1 枚。 コンソメ・スープ。 オレンジ 1 個。 マーマレード。
マーマレードは国産柚子で作られたもので、柚子湯として飲むために兄から頂戴した物である。
しかし、甘さがほどほど、つまり甘過ぎないし、柚子の皮の食感と味、香りがしっかりしているので私の好みにピッタリ。
だからパンに付けて食べているのだ。 ( これは美味いよ )
野菜サラダは、キュウリ、パプリカ ( 赤・黄 )、玉ねぎ、レタスをいずれも細く千切り状にして粗挽きの黒胡椒を振りかけてもらっている。
千切り状になっているのは普段私が食べやすいと言っているからで、これに食酢が瓶ごと出てくるのだ。
食酢も別に銘柄にこだわらない。 日常的に家に置いてあるミツカン酢を私好みの量だけかけるのである。
以前には大豆がサラダに乗っていたこともあったが、このところは無い。
雨が少し小降りに・・・・・
と、仲良しの、多分ツガイ ( 番 ) のキジバトが、いつものように、いつものテレビアンテナに飛んで来てくれた。
このキジバトは昔々私がヤマバト と呼んでいた鳥であり、長い間ヤマバトとキジバトが同種の鳥であるということを私は知らなかったのだ。
濡れた羽を繕っているのか、羽を立てたり翼を広げたり、時に隣の仲間の羽を口ばしで繕ってやったり。
ほんに仲の良いキジバト 2 羽であり、長い時は 30 分ばかりもアンテナ上に留まっている。
ガアとかギャアとか鳴くカラスが飛んで来ると仲良し 2 羽もどこかへ飛んで行ってしまうのだが、ガアとかギャアとか汚い声で鳴くカラスはハシボソガラスという奴らしい。 それに対してカアと濁らずに鳴くのはハシブトガラスという奴なんだと。
ゴミ荒らしに来とるのはハシボソガラスのような。
いずれにせよカラスはスカンなあ。
近頃・・・(2)
丑の刻が終わろうとする午前 3 時頃になると空が白み始め、時折り新聞配達のバイクのエンジン音が谷間に響くようになる。
昔の時の表し方の基本は干支 ( 十二支 ) に依っているので、丑の刻の次、つまり寅の刻 ( 午前 3 時~ 5 時 ) の頃の私の目は既に覚めているのだが、体を、とりわけ足を休めておきたいので暫く横たわっているようにしている。
健常であった頃に比べ、現在は運動量に対する疲労の度合いが比べものにならないほどにキツイのである。
歩行に杖を2本使用するため腕と肩、それに脇腹から背中にかけて酷いコリと筋肉痛が起きるのだが、加えて歩行機能回復のためにベッドや平行棒を使用して筋力鍛錬や平衡感覚訓練を行っているため、足の浮腫みに筋肉痛と、考えられないほどの疲労感と痛みが生じているのである。
まあそれはええとして、
4 時前後に家内が安楽の処理に来てくれるのだ。
安楽というのは尿瓶のことである。
私の歩行がおぼつかないものだから、夜間にトイレへ移動する際の危険性を無くそうと病院での生活様式をそのままに我が家でも行っているのである。
この頃に私は食堂兼居間の椅子に座るのだ。
テーブルには病院で使っていたNECのノートパソコンLaVie、デジカメ、ほとんど使わない携帯電話、テレビと照明のコントローラーがセットで、それらと並んでお湯が入ったポット、インスタントコーヒーの瓶、私専用のマグカップ、ティッシュペーパー、それに顔拭き用のおしぼりが置いてあるのだ。
お湯、おしぼり、コーヒーなどは私が起きた時のため家内が眠る前に用意しておいてくれるのだ。
このコーヒーを飲みながらバッハのオルガン曲やヴェルディの歌劇全集を聴いたりしながら夜明けを迎えるのである。
4 時半頃になると家並みが見える程度に明るくなり、スズメが騒がしく囀り始め、時々シジュウカラやセグロセキレイの鳴き声が交じって聞こえる。
やがて 5 時をまわる頃、空全体は既に明るく、東の丘の上が橙色 ( だいだい・いろ ) に染まり始める。 夏至以来ほぼ毎日のように東の丘の上の空を雲が覆っているので、完全なる昇陽の姿を見たことはない。 今朝は厚い雲に覆われた曇天なので東の丘の上が赤く染まることもない。
下の写真は 7 月22日 ( 一昨日 ) の午前 5 時24分。
既に東の丘の上に太陽が昇っているが、毎朝をこのようにして迎えている私である。
何とも優雅なものだと思うが、残念で情けなく思うのは自由に動かすことの出来ない我が2本の脚のことである。
今は脚を自由に動かすことが出来るということをアキラメているが、明日も明後日もと将来的に諦めているわけではない。 自由な歩行機能回復が不可能との診断が下されたわけではない。 回復の可能性が全く無いと客観的にも認めざるを得ない状況でない限り、つまり現在私が置かれている境遇のことだが、回復のスピードが牛歩のようなもので、舐めても舐めても図柄が変わらない金太郎飴のように回復の兆候や変化が目に見えなくとも私は日々のリハビリに励む。
昨年の12月の発症以前、この夜明けを待つ時間帯は本を読んで過ごすことが多かった。 ところが今は音を聴くことだけで時を送っている。
書物を読みたいという欲求が湧いてこないという、
コレハ 意欲 ノ 欠如 デアリ、リハビリ ニ 励ム トイフ 気持トハ 反比例ノ関係ニ アル が、ひとつやふたつマイナス要因が生じても仕方がない。
むしろ我がココロの有り様を冷静に見ることが出来ていて、プラスとマイナスの要因を相殺し、全体として上り調子の意欲と行動に欠損がなければ現状としては最良の途と心得ている。
もう直ぐ6時になろうとしている。
ここでテレビのニュースを見る。 以前なら朝刊を取って来てということになるのだが、今は新聞を取りに門まで出て行けないので仕方がないのだ。
そして7時になれば家内が朝食を運んできてくれる。 『今日は七夕 (July 7.2013) 』で紹介したのと同様の朝食である。
半年の入院期間中、毎朝パンと牛乳は変わらなかった。 パンが食パン1枚であるかバターロールになるかの変化はあったが。 付いてくるのはマーガリンかイチゴ・ジャム、或いはオレンジ・マーマレードであり、時に小さなチーズが出された。あとは少しの野菜サラダかフルーツが出されていた。
家内が作る朝食も牛乳がコンソメ・スープに変わっただけで基本的に変更はない。 野菜サラダの量は増えたけれど。
ただ、長年、それも半世紀以上も私の朝ご飯の『三種の神器』としていた『ごはん・味噌汁・玉子焼き』が、もう半年以上も途切れてしまって・・・・・これはとても残念なこと。
しかし、私の歩行機能回復と健康を考慮しての家内の料理である。 文句を言えようはずもない。
体調・体質・体重、いずれも入院中と変わりはない・・・・・ハズ。
お酒は飲みたいし、食パンは2枚に、ご飯も2膳に。
そんな願いを常に持っているけれど、1日24時間の全てを世話してもらっている私なのだ。
相手が家内と言えど言えまい。
言うまい。
昔の時の表し方の基本は干支 ( 十二支 ) に依っているので、丑の刻の次、つまり寅の刻 ( 午前 3 時~ 5 時 ) の頃の私の目は既に覚めているのだが、体を、とりわけ足を休めておきたいので暫く横たわっているようにしている。
健常であった頃に比べ、現在は運動量に対する疲労の度合いが比べものにならないほどにキツイのである。
歩行に杖を2本使用するため腕と肩、それに脇腹から背中にかけて酷いコリと筋肉痛が起きるのだが、加えて歩行機能回復のためにベッドや平行棒を使用して筋力鍛錬や平衡感覚訓練を行っているため、足の浮腫みに筋肉痛と、考えられないほどの疲労感と痛みが生じているのである。
まあそれはええとして、
4 時前後に家内が安楽の処理に来てくれるのだ。
安楽というのは尿瓶のことである。
私の歩行がおぼつかないものだから、夜間にトイレへ移動する際の危険性を無くそうと病院での生活様式をそのままに我が家でも行っているのである。
この頃に私は食堂兼居間の椅子に座るのだ。
テーブルには病院で使っていたNECのノートパソコンLaVie、デジカメ、ほとんど使わない携帯電話、テレビと照明のコントローラーがセットで、それらと並んでお湯が入ったポット、インスタントコーヒーの瓶、私専用のマグカップ、ティッシュペーパー、それに顔拭き用のおしぼりが置いてあるのだ。
お湯、おしぼり、コーヒーなどは私が起きた時のため家内が眠る前に用意しておいてくれるのだ。
このコーヒーを飲みながらバッハのオルガン曲やヴェルディの歌劇全集を聴いたりしながら夜明けを迎えるのである。
4 時半頃になると家並みが見える程度に明るくなり、スズメが騒がしく囀り始め、時々シジュウカラやセグロセキレイの鳴き声が交じって聞こえる。
やがて 5 時をまわる頃、空全体は既に明るく、東の丘の上が橙色 ( だいだい・いろ ) に染まり始める。 夏至以来ほぼ毎日のように東の丘の上の空を雲が覆っているので、完全なる昇陽の姿を見たことはない。 今朝は厚い雲に覆われた曇天なので東の丘の上が赤く染まることもない。
下の写真は 7 月22日 ( 一昨日 ) の午前 5 時24分。
既に東の丘の上に太陽が昇っているが、毎朝をこのようにして迎えている私である。
何とも優雅なものだと思うが、残念で情けなく思うのは自由に動かすことの出来ない我が2本の脚のことである。
今は脚を自由に動かすことが出来るということをアキラメているが、明日も明後日もと将来的に諦めているわけではない。 自由な歩行機能回復が不可能との診断が下されたわけではない。 回復の可能性が全く無いと客観的にも認めざるを得ない状況でない限り、つまり現在私が置かれている境遇のことだが、回復のスピードが牛歩のようなもので、舐めても舐めても図柄が変わらない金太郎飴のように回復の兆候や変化が目に見えなくとも私は日々のリハビリに励む。
昨年の12月の発症以前、この夜明けを待つ時間帯は本を読んで過ごすことが多かった。 ところが今は音を聴くことだけで時を送っている。
書物を読みたいという欲求が湧いてこないという、
コレハ 意欲 ノ 欠如 デアリ、リハビリ ニ 励ム トイフ 気持トハ 反比例ノ関係ニ アル が、ひとつやふたつマイナス要因が生じても仕方がない。
むしろ我がココロの有り様を冷静に見ることが出来ていて、プラスとマイナスの要因を相殺し、全体として上り調子の意欲と行動に欠損がなければ現状としては最良の途と心得ている。
もう直ぐ6時になろうとしている。
ここでテレビのニュースを見る。 以前なら朝刊を取って来てということになるのだが、今は新聞を取りに門まで出て行けないので仕方がないのだ。
そして7時になれば家内が朝食を運んできてくれる。 『今日は七夕 (July 7.2013) 』で紹介したのと同様の朝食である。
半年の入院期間中、毎朝パンと牛乳は変わらなかった。 パンが食パン1枚であるかバターロールになるかの変化はあったが。 付いてくるのはマーガリンかイチゴ・ジャム、或いはオレンジ・マーマレードであり、時に小さなチーズが出された。あとは少しの野菜サラダかフルーツが出されていた。
家内が作る朝食も牛乳がコンソメ・スープに変わっただけで基本的に変更はない。 野菜サラダの量は増えたけれど。
ただ、長年、それも半世紀以上も私の朝ご飯の『三種の神器』としていた『ごはん・味噌汁・玉子焼き』が、もう半年以上も途切れてしまって・・・・・これはとても残念なこと。
しかし、私の歩行機能回復と健康を考慮しての家内の料理である。 文句を言えようはずもない。
体調・体質・体重、いずれも入院中と変わりはない・・・・・ハズ。
お酒は飲みたいし、食パンは2枚に、ご飯も2膳に。
そんな願いを常に持っているけれど、1日24時間の全てを世話してもらっている私なのだ。
相手が家内と言えど言えまい。
言うまい。
July 23, 2013
近頃・・・(1)
ゲロゲロゲロゲロゲだろうか、ギギギギギギギだろうか、或いはガッガッガッガッとかジッジッジッジッジッのような・・・・・
鳴き声を明瞭に表現するのは難しく、私が鳴いている姿を実際に見たわけではないので思い込みと言われても仕方がないのだが、長い人生経験上からカエルの集団によるものに違いないと断言できるのである。 それもモオーッモオーッっと特徴ある鳴き声でなく、日中の生息状況を考え合わせると、どうもトノサマガエルのように思うのだ。
奴らは午前 1 時過ぎまで合唱を行い、その練習が終わる時には不思議なくらい一斉にピタリと終わってしまうのだ。
それから後は夜のしじまが広がる。
我が家辺りでは時折、ホーホケキョとウグイスが鳴くぐらいで、まさに丑の刻である。
夏の夜、ヒュードロドロドロという効果音とともにお出ましになる幽霊や妖怪のたぐいが闊歩する時間帯は丑三つ刻。
丑の刻は午前 1 時~3 時の2時間であり、それを四等分した中の三つ目、つまり午前 2 時~ 2 時半が丑三つ刻ということになる。
カーン、カーンと藁人形に五寸釘を打ち込む呪詛の音が響く丑の刻参りもこの時間帯である。
子どもの頃は幽霊の実態を知らないままに何だか恐ろしく怖いものとの思いを抱いたまま、夜中に目を覚ますことも便所に行くことも、ひたすら我慢するか避けるようにしていたことを思い出す。
近頃の私は何をしているのだろうか。