September 2013

September 29, 2013

『 だから 《 こそ 》』 昨日は姫路での集い

「 今度は姫路でやろうと思うとんねんけど、どないや ?」

そんな電話を神戸の W 氏から受けたのは昨秋だったろうか。

「 集う場所はどこでもええけど、姫路城は保存修理中で天守閣の外観は見られへんで。」

私の言葉に対し、彼は 「 そやさかい 」 とか 「 だからこそ 」 というような返事をしたように思う。
「 That's why we gather in Himeji. 」 とでも言うか、英語だと
「 That's why ~ 」 の表現・・・・・かな?
pict-姫路城-2
「 そやさかい 」 とか 「 だからこそ 」 という言葉は前文を受ける接続詞で、「 さかい 」 とか 「 こそ 」 という言葉は前の言葉に付く係助詞で前の言葉を一層強める働きをする。

つまり天守閣が保存修理中ゆえ、工事していない時には間近で見ることの出来ない天守閣の屋根や漆喰壁の補修などを見学する絶好の機会であると、言わばネガティブな言葉をポジティブな言葉に、マイナスをプラスに読pict-姫路城-1み替えるという、この神戸の W 氏の学生時代からの物に対する見方を久し振りに見たような気がしたのだった。

しかしその後、私自身が救急入院して手術を受け、以後ハッキリ目途の立たないリハビリに取り組む入院生活が続き、正直に言えば姫路での集いのことなど、とても思うゆとりなど無かったのだ。

それが完治したわけでもないのに退院させられ、アレやコレやと放ったらかしにしていたことを順に片付けていく過程で姫路での集いの出欠の返事を神戸の W 氏にせ午前6時6分-2日の出Aねばならないことを思い出し、以来ずっと 9 月 28 日( 土 ) のことを気にしていたのである。

だから、今年は誰が出席するのだろうか、お天気はどうだろうか、晴れるだろうか、暑くないだろうかなど、自宅で自主トレ ( リハビリ ) に励まざるを得ない身の上ながら気になって仕方がなかったのだ。

昨日の朝も天気はどうかと暗いうちから気にしていたのだが、雲一つ無い快晴の空で、6 時 6 分に顔を出した太陽を見て安堵したものだった。

しかし、気になることは最後まで見届けないと気が済まないものだ。( 何もかも全てではないが・・・)
で、今日神戸の W 氏に電話をかけて昨日の様子を尋ねてみた。

家の事情で来れなかった者もいたが、名古屋、福井、山口の遠方組を入れて 11 人が出席したと。
そして、私が最も W 氏に問いたかったこと。
「 みなさん、喜んで帰ってくれはったか ?」

彼の返答を聞いて、満足、満足。
来年は・・・・・  来年 《 こそ 》 は・・・・・  言うまい。 
言えまい、私ごときには。


※ 姫路城の写真は、下記 URL より引用。
http://www.himejijo-syuri.jp/photo/externals/


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September 25, 2013

美味しいもの

9月21日、『鮨一』の大将 I 氏が差し入れを持って我が家を訪れてくれた。
久し振りに顔を見せてもらったが元気そうで何よりである。
入院中には何度も病室に見舞って頂き、退院してからも七夕の日に来て頂いた。
 I 氏にはその都度差し入れを頂戴しているが、歩けるようになれば行かねばならんと私たちが思っている第一の店であり、生ものを好まない家内が喜んで私にくっついて来る数少ない店の筆頭格の店でもある。
差し入れは写真の通り、私の大好物である『柿の葉寿司』にタコとイカの刺身、それと明かに家内向けの『山ごjpgぼう』と『海老マヨ』の細巻きに『海ぶどう』。
ホンマ、いつも細かい心遣いに感謝・感謝。
おっと、今ひとつ刺身が・・・
脂の乗ったイワシ、と思ったけどサンマやったやろか。
私としたことが・・・
魚の新鮮さと下ろし生姜の味わいで・・・
むむむむむ
イワシやったと思うんやが、間違ってたらゴメン。

いずれにせよ外食から遠ざかっている私たちにとって嬉しい夕食になった。深謝。

ちょっと一献と、少しのお酒があれば、もっともっと楽しい夕食になったと思うのだが、別にアルコール断ちをしているわけではないが、昨年 12 月 15 日以来一滴のお酒も口にしてはいない。
退院して以降、私の全生活は家内によって管理されており、当然に食材の調達・調理に栄養素やカロリー計算に至るまで全て家内の『専決』的事項であり、家内は我が家の管理栄養士なのである。

何もかも頼らざるを得ない家内にビールだとか熱燗だとか、こんなこと言えるわけがない。
朝食-1A言えるわけがないと言えば、私の朝ご飯は未だにパン食である。
長年『三種の神器』、つまりご飯・味噌汁・玉子焼を基本とするのが私の朝ご飯であったのだが、昨年末に入院して以来ずっとパン朝食なのである。
パン朝食は写真の通りパンとスープが日によって替わるものの、サラダ、デザート、マーマレードは変わることがない。が、サラダは玉ネギにキュウリかレタスのコンビネーションだし、デザートは大体ブドウ 朝食-A( 巨峰 or ピオーネ ) だし、マーマレードは柚子マーマレードに我が家で
スダチ・ピールを沢山加えたものなので別に嫌いではない。 
強いて言えばパンの量が私の食欲に比して少ないのだが、これもなかなか言えるものではない。
上はオクラの入ったコンソメ・スープで、下はワカメ・スープ。
夕食-Aついでだが昨日 ( 24日 ) の夕食を紹介してみよう。
雑穀が10種だか混ぜ込まれたご飯が軽く
軽~く一膳。
左上は薄アゲ、インゲン、ジャガイモの煮物。 レタスのサラダ。 ハム。 下の右が焼きナス。 中央はカボチャのカレー煮込み。

腹持ちの良いのは雑穀入りご飯一膳、ちっちゃなジャガイモ 1 個分、カボチャ少しかな。

やはり、もう少しご飯が欲しいと思うのだけれど、まあ仕方がない
と最近はアキラメ感が強くなってきている。ぶっはははは。

そこでと言うわけでもないのだが、少しでも食べる量を多くして、食べたという満足感を高めようと漬物の種類を増やすことにした。
市販の物では野沢菜や安芸菜 ( 広島菜 ) の浅漬け ( 塩漬け )、赤カブ漬け、岩下のピリ辛らっきょう等を揃えているのだが、品切れになることもあるので私が作ることにしたのだ。

下の写真の梅干しは 2004 年に漬けたものだが、これまで食べる量より毎年漬け込む量の方が多くて未だに古梅干し2004年製-1いものを食膳に出している。 だから昨年は漬けず、今年は漬けることが出来なかった。

次の生姜も 2004 年に漬けたものである。
紅生姜も好きなので、この年に新生姜を沢山仕入れて梅酢に漬け込んだのである。
新生姜紫蘇梅酢漬け2004年製-1紅生姜は消費が早かったのだが量が多かったので今も 2004 年に漬けたものを食べているが、これは残量僅かになってしまった。

次の生姜は寿司屋で出される 『 ガリ 』 と同じ漬け方をしたものだが、私の好みで甘さを控えめにして鷹の爪を入れ、生姜の辛味に加え、少しピリッと唐辛子の辛さを感じるものにした。

いわゆる酢漬けなのだが、第一回目の作品は和歌山産の新生姜 4 kg を使って漬け込み、少しを分けてあげたけれど早々に食べ終えてしまった。

それで直ぐ第二回目に取り掛かり、前回と同じ和歌山産の新生姜 4 kg を使って漬け込んだ。
新生姜酢漬け8月製-1これも 2 リットル瓶で分けてあげ、現在は少しずつ食膳に出すようにしている。

ちなみに鷹の爪は昨年我が家で栽培したものであり、沢山使う酢はミツカン酢である。 

新生姜 4 kg という量は結構多いように思えたので、第一回目の折には新生姜を千切りにして香り高い『生姜ご飯』としても食べた。
勿論、昼に軽~く一膳、夜も軽~く一膳しか頂けなかったが・・・・・

第二回目の際には薄切りにした新生姜を醤油と少量の砂糖で煮て『新生姜の佃煮』も作ってみた。
これも美味しくて早々に無くなってしまった。

新生姜というのは時期的に 5 月初夏の頃から夏の終わり頃までというのが私の感覚なのだが、8 月の末になって未だ新生姜を売っていたので第三回目の新生姜料理に取りかかることにした。

今回は酢漬けではない。
21製-1佃煮ではあるのだが、今回は前回の佃煮よりも甘く、それにチリメンジャコを入れたものをと思い写真の作品を作ってみた。
和歌山産の新生姜とチリメンジャコ。 醤油は兵庫県竜野。 砂糖はワカラン。
しかし、この『チリメンジャコ入り新生姜の佃煮』の何と美味いこと。
うーーん、ご飯のおかずとして、お酒の肴として、これはウマイのである。
食が進むので減っていく量が多く、分けてあげようと思っても、むむむむむ・・・

来年元気でおれるなら再度チャレンジしてみよう。
もっとも今は足が不自由なので火を使えないし、洗い物も出来ない。
新生姜の下処理だけでなく、薄切りにしたり刻んだりするにも相当な労力を要するため、何やかやと家内の助力があって漸く出来ることなのである。

偉そうに書いてきたが、私の全生活は家内によって管理されているのが現状である。
不足だと ? 不満だと ?
ぶっはははは、何をか言わんやってとこかな。


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September 23, 2013

今日は秋分の日 9月23日

今日は秋の彼岸の中日である。

食いしん坊としては 『 おはぎ 』 を思い浮かべ、求道者としては仏教徒ではないが 『 布施込むことで他を利し、精進することで自らを高め、真理を求め心の安穏を図る 』 ことを確かめる機会とし、科学のイロハを齧ってきた者としては太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の時間が同じになる秋分点を太陽が通過する日であることを思う。
pict-天球-2
しかし、一日に摂取する私の総カロリーを安倍首相の 『 The situation is under control. 』 のようなものでなく、真実完全に掌握・管理操作できる家内のもとで、どれだけ美味しそうな 『 おはぎ 』 を思い浮かべようと我が口に入るわけではない。

仏教的には俗世の此岸 ( しがん ) から阿弥陀如来のおられる彼岸 ( 西方の極楽浄土 ) を思い、ご先祖のことにも思いを馳せて自らの精進に努める時期と教えられてきた。 だから彼岸七日間は取りわけ墓参の人の数も多い。
午前5時6分-1日の出
今年の夏至 ( 6月21日 ) とその後の天気がイマイチで日の出の写真を撮ることが出来なかった。
上の写真は比較的夏至に近い 6 月 29 日午前 5 時 6 分の日の出である。
そして、下の写真が秋分の日( 9月23日 )、本日の午前 6 時 4 分の日の出である。
つまり下の写真で太陽が顔を出している方向が真東ということになる。
午前6時4分-3日の出A
上の 2 枚の写真は、ほぼ同じ場所から撮っているのだが、 2 枚の写真で共通するのが最も手前に写っているテレビアンテナであり、このアンテナを重ねるように見れば夏至の頃の日の出の方向が随分と北よりになっていることが分かるだろうし、撮影時刻から日の出の時刻が 1 時間ズレていることも分かるだろう。
 
今日、秋分の日は上の天球図の通り、天の赤道と太陽が通る黄道が交わる分点で、上にも書いた通り太陽は午前6時3分-2日の出-1真東から昇り、写真がその方向を示しているのである。

実は本日の日の出の写真が撮れなかった場合のことを考え、昨 22 日の午前 6 時 3 分、日の出の写真を撮っておいたものが左のものである。

私の町、私の自宅から望める日の出の時刻は上に書いた通り午前 6 時 3 分であった。

次に紹介するのはNHK・TV大阪放送局、多分、馬場町のNHK大阪放送会館の屋上に設置されているカメラからのライブ映像であろうと思うのだが、時刻は午前 5 時 55 分と表示さている。
午前5時55分-2NHK日の出
映像は生駒山を中心とした生駒山系を表示しているが、この南北に連なる生駒山系が大阪府と奈良県の府県境となっており、映像上で山向こうが奈良県となる。
NHK大阪放送会館は大阪城がある上町台地の馬場町に建っているが、この放送会館からは生駒山は東の方向に眺められる。
私の自宅とNHK大阪放送会館との位置関係はほぼ東西にあるのだが、我が家で見る日の出時刻は先に書いているように午前 6 時 3 分。 ところがNHK大阪放送会館からのライブ映像を見る限り、生駒山上に太陽が顔を見せたのは午前 5 時 55 分である。
午前5時55分-3-1この午前 5 時 55 分の時刻に我が家から日の出方向を見た写真が左のものである。
この写真でも分かると思うが、我が家の日の出の時刻はNHK大阪放送会館のカメラが据えられている位置より若干遅いということだ。

緯度的には殆ど同じなのに日の出の時刻が僅かだが 8 分の違いが生じている。
ぶっはははは。
全くコマカイことで、 8 分ぐらい、どうでもエエやないかってことではあるが・・・・・

確かにコマカイ。 が、科学するとか真理を探究する立場にあっては誤差として処理できる値かどうかビミョーである。
地層年代などの研究にあっては 8 分など歯牙にもかけない単位であるが、秒、あるいは更にミクロな単位の研究にあって 8 という数値はタイヘンな数であることは多くの人々が認めるところである。

とりわけ目に見えない放射能について、その測定の値は即生命の安全に関わることであり、コマカイとか、どうでもエエなどと済ませておけるものではないのだが、オリンピックだのアベノミクスだのと浮かれていて良いのかとイライラするのだ。

無責任で狡猾な東電や政府は勿論、腰の据わらんマスメディアの取り組み方にも震災以降ムカムカする気分で過ごしてきている。

目前に見える美味しそうな 『 お・は・ぎ 』 に群がり狂喜するのではなく、 目に見えなくとも真理を求め精進を積み、真に他を利することの大切さに思いを致す 『 彼岸の中日 』( 秋分の日 ) にしたいものだ。


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September 22, 2013

退院後 3 ヶ月

退院して丁度 3 ヶ月を迎えた。
この間に取り組んだリハビリの結果を『コレ』と『コレと』と、機能回復が明らかになったことを挙げることは難し好きな花-3い。
しかし、自宅でのリハビリを担当してきてくれている I 理学療法士は、「 足全体に筋力がついてきて、歩行時に膝が出るようになってきた 」 と回復状況を具体的に説明してくれる。 
何となく感覚的には分かる気はするのだが、自分自身が客観的に認識出来るようなものではないのだ。
ただ 1 週間ばかり前、通所リハビリの折の歩行訓練の時のことであった。 歩行と言っても両手に杖を持っての歩行ではあるが・・・  いつものように K 理学療法士が私の背後に接するようにして、私の歩行リズムに合わせて共に歩いてくれるという訓練である。
歩行を終えた時、『 歩けている 』『 確かに歩けている 』 という実感を私は抱いたのである。
このことは全く感覚的で何の証明もできないが、ただ 『 歩いている 』 ではなく 『 歩けている 』 という感覚は昨年12月に歩行不能となって以来のことであり、私自身にとっては大変に好きな花-2大きい変化であると捉えることが出来た。
こうした感覚を感じられるようになったことは随分の進歩、つまり元々あった機能の回復が進捗のスピードは別にして確実に進んでいると受け止めて良いのだと I 理学療法士も K 理学療法士も言ってくれるし、昨日診察に当たってくれた K 医師も同様のことを語ってくれた。
まったく、牛歩と言うか、亀さんでも蟻さんでもいいのだ。 
そりゃあ速ければ速いほど嬉しい。 が、欲は言わない。 進んでくれさえすれば。
最近はあまり見られなくなったが、国会の牛歩戦術の如くであってもいい。 時間がかかっても進んで行くのだから。

牛歩で思い出すのは学生の頃だなあ・・・
河原町四条の交差点では必ず渦巻きデモを行い、四条通を東へ進んで祇園交差点でもやっていた。 
大きくて頑丈な体のマル機の猛者集団が幾重にも囲む交差点の真ん中で牛歩で、時に駆け足でのデモ行進を行っていたことを思い出す。
好きな花-1
いつまでも渦を巻いている堂々巡りのような牛歩では困るが、時に淀みがあっても高きより低きに流れる川のように、完全なる機能回復に向けて流れが進んで行くことを期待したいし、トレーニングにも一層傾注努力せねばと思っている。


写真の花々はお彼岸に活ける花に相応しいかどうか分からないが、このところ私の目を楽しませてくれている花たちである。
花は園芸種に限らず山野草や樹花を含め、一般に雑草と呼ばれている草の花も好きである。
ただ、好きと言っても嫌いでないから好きというものから特別にとか大好きと言えるものまで、これはピンからキリまである。
上の写真で言えば、トルコ桔梗なら爪紅は寂しさを感じるけど紫青系の色が好き。
百合は上の鹿の子入りの赤系のカスケードより下のカサブランカに似た純白のシベリア、これは大好きな百合である。
カスケードは好んでは買わない花で、大概花屋のオバサンがオマケで入れてくれるのだ。感謝。




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September 19, 2013

季節の移ろい

17 日( 火 ) にリハビリに出向いた折のことだが、送迎の車が小さな丘の合間を縫うように延びる古くからある農道を走ってくれた。
彼岸の入りは 20 日( 金 ) なのだが、道路の左右に広がる田んぼでは既に稲穂が頭を垂れていた。

それにしても感心するのは『彼岸花』の名前の通り毎年彼岸が近付く此の頃に花を咲かせるのが『曼珠沙華』でpict-彼岸花-1ある。
私が子どもの頃に耳にし、いつしか口ずさむことが出来るようになった歌の歌詞に、
赤い花なら 曼珠沙華
阿蘭陀屋敷に 雨が降る
濡れて泣いてる じゃがたらお春・・・
と、曼珠沙華の花が出てくるのがあったことを思い出す。


この時期の伝統的行事に『お月見』があり、今宵は中秋の名月にあたっている。

中秋の名月となれば当然満月であろう。 
満月と言うことは十五夜 ?
うーーん、これは一概には言えない。
満月-2しかし、当たらずと雖も遠からずってとこだろうか。

旧暦の場合、新月から新月までの月の満ち欠けの周期を凡そ
 29.53 日を基準に 1 ヶ月と定め、大の月を 30 日、小の月を
 29 日としていた。 
これでは 12 ヶ月で 354 日くらいになり、年に凡そ 11 日ずつぐらいのズレが出るために 1 年を
 13 ヶ月として閏月を入れていた。 そうしたこともあって中秋の名月の日は毎年変わっている。

まあそれはそれとして、新暦 ( 現在の暦 ) での 9 月に合わせて月齢を見れば、 9 月 1 日が 25.2 で、 5 日が 29.2 で新月となっていた。
旧暦の場合、新月となる瞬間を含む日を朔日 ( ついたち ) としているので、 9 月 5 日を朔日として 9 月 19 日、 つまり今日が十五夜で満月となる。    

中秋の名月。
pict-2[1]子どもの頃、
「 ふーん、あの黒い影がウサギさんか・・・」
「 杵でお餅を搗いてる ?」
その後、
「かぐや姫が住んでるのか・・・・・ ふーーん 」

なーんてことを思いながら、三方に置かれた皿の白い団子、小芋を煮たの。 花瓶があったはずなのに何故か記憶上では一升ビンにススキが挿し込んであったような・・・・・
今も思い出す。
団子は好きじゃなかったけど、小芋を煮たのは美味しく好きだった。

『 お月見 』 というものを改めて感じ入るようになったのは 30 歳の頃からだったろうか。
我が子が出来てからだったように思う。
-1科学的な知識云々と言うか、学生の頃は 『 お月見 』 という行事そのものを馬鹿にしていたような記憶がある。
ちっぽけな科学的知識に溺れていたような気がするのだ。
そんな 『 お月見 』 を伝統的行事であり、幽玄という心的な捉え方で感じ見ることができるようになったのは、やはり 30 歳を過ぎてからであった。

読売新聞の選者を務めていた今は亡き某書家に連れられ、西ノ京 ・ 唐招提寺の観月会に行った時のことが最も鮮烈な印象として残っている。
燭台に立てられた蝋燭の仄かな灯りに揺れる東山魁夷画伯の障壁画。 午前6時2分日の出御影堂の前庭を照らす大きく真ん丸のお月様にススキの穂・・・

さてさて、台風一過の一昨日も昨日も、そして今朝も雲一つない夜明けを迎えた。
日中の日差しはまだ強いものがあるが、早朝は肌寒さを感じるほどである。
きっと綺麗で見事なお月様を今宵は眺めることが出来るであろう。

食いしん坊となった今、家内が団子に小芋をお供えしてくれれば・・・・・
勿論、私の胃袋を満足させるためなのだが。


やっぱり無理な願いだろうな。



masatukamoto at 18:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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