October 2013

October 14, 2013

6 日 ( 日曜 ) の朝   《その弐》

前回 《 その壱 》 の終わりの部分で私の朝食について少し触れたが、朝食の場合日々の献立について目立った変化は殆ど無い。 
朝食のメニューに大きい変化が無いのは病院での食事も同じであった。 
阪奈中央病院の朝食左は阪奈中央病院に於ける 4 20 日の朝食だが写真の通り病院の栄養士や調理員の手が加えられたものは何ひとつとして無い。 
この日が土曜日だったことや、職員数、或いは彼らの労働条件など阪奈中央病院の朝食を考慮
すれば写真の献立も仕方がないと思う。 
デザートとしての十勝ヨーグルトはヤクルトやヤクルト・ジョアに
替わることがあったし、皮付きバナナ 1 本といったように膳に配り分けるだけの献立がちょくちょく見られたが、栄養士や調理員が何の手も加え阪奈中央病院の朝食ていなかったのではない。彼、彼女らのために付け加えれば、写真に示すように他のフルーツが何分の壱かに切り分けられたり、皮が剥かれたり、果物の表皮が洗われたり、時にレタスを刻んだり、缶詰のフルーツをヨーグルトで和えるなど阪奈中央病院の朝食若干の手を加えて提供される物もあった。
写真(下)のサラダはサニーレタスだかを刻んだものにボイルしたコーンと缶詰のミカンを和えたものだが、朝食このように手をかけたものが出されることは極々稀であった。

誰が何と言おうと、やはり家内の方がはるかに多く手をかけてくれている。
パンは毎朝焼いてくれるし、スープは毎朝異なるものを作ってくれる。 サラダも毎朝レタス、玉ねぎ、キュウリ、トマトなどを使って作ってくれる。 デザートは洗う程度だが、マーマレードはスダチの果皮を刻んで私好みのもの
を作って夕食雑穀入りご飯出してくれる。 だから朝食に満足しているし、家内への感謝は感謝を何乗しても足りないほどであると前回に書いた。

お昼と夜はご飯を 1 膳だけれど出してくれる。 そのご飯が写真のような雑穀入りのものだ。
私は恵まれた環境で育てられ、配給下にあった幼少時も白米が常食であった。
高等学校の一時期、学寮での朝夕の食事や学校へ持って行く弁当などのご飯は白米に対する押し麦混合の割合が多く、色合いも食感もイマイチではあったが私は嫌いではなかった。
だから白米に大麦 ( 押し麦 )、粟 ( あわ )、稗 ( ひえ )、黒ごま、小豆 ( あずき ) などを混ぜて炊いた写真の雑穀入りのご飯は嫌いではなく、むしろ好物とも言えるくらいである。

以前に豆ご飯や筍ご飯など季節を感じさせるご飯が好きであると書いたことがあった。
栗ご飯季節を感じられるということが好みの一番であるが、かやくご飯と言うか、混ぜご飯、炊き込みご飯と呼ばれるご飯が好きなのだ。 が、先ず私が『ご飯大好き人間』であるということが基底にあるからなのだが・・・・・。

そんな私の気持ちを忖度してか昨夜は上の写真のような栗ご飯を炊いてくれた。

リハビリのため週に 2 回だけ老人保健センターへ出向くが、その道すがら送迎車の中から眺められる田んぼは先週初めから稲刈りが始まっていた。それが 11 日の金曜日には稲穂が刈り取られ、碁盤の目を示すように株の部分だけが残されていた。
いずこも新米の時期である。
炊き立ての香り高い新米のご飯はホンマおかずなど要らない。 強いて言えば粗塩をひとつまみ、これで充分なのだ。
が、少しばかり欲を言えば・・・ぶっははははは、食欲に少しなんてことは有り得んか。人間の煩悩の中でも相当重きを為すものだから。
pict-山豊の安芸菜-6まあ欲の心のことは置いておくとして、夏場のことゆえ私の大好物である広島菜(安芸菜)の漬物が口に入らない時期がしばらく続いた。
広島菜の漬物については以前にも当ブログで書いているが、広島『山豊』の浅漬けがウマイのである。
ご飯のおかずとしても、酒の酒肴やお茶うけにも良い、と。
これは私の独断と偏見かもしれないが、ほんに美味いと私は思っているのだ。
もっとも『野菜・菜っ葉大好き人間』でもある私だから広島菜の仲間である高菜も野沢菜も大好きである。とりわけ軽く塩漬けにしたものは、その色合いも味わいも好きである。
その『山豊』の広島菜(安芸菜)浅漬けが我が家に届き、もう大満足しているのだ。
pict-岩下ピリ辛ラッキョウ-2ついでに、うーん、写真は『岩下のピリ辛らっきょう』なのだが、これもなかなかウマイ。
別に宣伝するつもりで書いているのではないので念のため。
『山豊』の広島菜(安芸菜)浅漬けは、私が広島へ行くことが出来なくなったので通信販売を利用せざるを得ない。 当然に送料が加わり、これはツマランと思うものの、
「 好きなもんじゃけえ・・・。」 広島弁ならこのように言うのかな。
『岩下のピリ辛らっきょう』は近くのスーパーで安く買うことが出来ていたのだが、そのスーパーが 8 pict-飛騨高山赤かぶ漬-1月末で閉店してしまったので、これから何処で購入するのか困ったもんだ。

好物で付け足せば、写真の赤かぶ漬も好きである。
岐阜・高山で昔ながらに葉っぱもカブも塩だけで漬けられたものが好きなのだが、これが意外と置いている店が少ない。
リンゴ酢など甘酢に漬けたものはよく見かけるのだが、そういったものはスカン。
やはり昔ながらのモノがええのだ。
pict-ちりめんじゃこ佃煮-1和久俊三氏の小説『赤かぶ検事』の主人公 ・ 柊 茂は赤かぶが好きで、赤かぶ漬と共にチリメンジャコを熱いご飯にまぶして食べるのが大好物だとか。 
これについては和久氏が『赤かぶ検事』を発表する遥か以前から私が好んで食べていたので、《 赤かぶ+チリメンジャコ+ご飯 》 という食べ方は私が本家本元であると『 広島・ちょっとした 『 こだわり 』』( May 14,2009 ) に書いたことがあった。 


通常、白い色をした天日干しのチリメンジャコと共に赤かぶ漬を食べるのだが、写真のジャコは新生姜と共に佃煮を作った時の半分をジャコだけの佃煮に煮たものである。
このところは佃煮のジャコを赤かぶ漬と共に食べているが、何と言ってもご飯を 1 膳しか頂けないものだから、ご飯にまぶして食べるほどご飯の量が無いので大変残念に思っているところだ。


伊東忠太についての続きを書くつもりであったのに食べ物の話題を挟んだら内容が随分と飛んでしまった。
次回には軌道修正をすることにしよう。
                                2013.10.13.記
                               〔 つ づ く 〕
 

 

 





masatukamoto at 14:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

October 12, 2013

6 日 ( 日曜 ) の朝   《その壱》

日曜であれ平日であれ私の生活パターンに大きい変わりはない。
6 日の日曜日も午前 4 時少し前からブッフベルガー四重奏団によるコンサートを開いていた。
演奏内容はハイドンの弦楽四重奏曲であった。

11 日の今朝はアイゼンシュタット・ハイドン・トリオ ( Eisenstadt
Haydn Trio ) が演奏する 『 ピアノ三重奏のためのコンチェルティーニとディヴェルティメンティ 』 を聴いている。
pict-Eisenstadt Haydn Trio-1
ピアノ、ヴァイオリン、チェロによるコンチェルティーニ、将に私だけのための超ミニ・コンサートである。
今朝も素敵な朝を迎えることができた。

何分沢山のCD、確か 150 枚あったと思うので未だ当分ハイドンの作品を楽しむことになるが、前のページで予告した通り、料理を、そしてお酒を楽しんだつもりで高い高ーい買い物をしてしまったのだ。 これらについてはいずれ紹介する午前5時46分-A2ことになるだろう。

左の写真は 6 日の日曜日午前 5 時 46 分撮影のもの。 
東方の空が綺麗に見え始めたので日の出の写真を撮る準備をしておいてテレビのスイッチを入れたのだった。

午前 5 時は飛ばす時もあるが、午前 6 時と 7 時のニュースは特段の事が無い限り毎日見るようにしている。
pict-P1070860-1天気予報も含めてだ。

主要なニュースが終わったのでチャンネルを変えてみると 「 おやっ 」 と画面に注意を引かれた。
見覚えのある彫像が映し出されたので、そのテレビ画面をカメラで撮ってみた。
画面は織田信忠の像を映し出していた。
織田信忠は織田信長の嫡男である。 明智光秀が本能寺に信長を襲った時、信忠は北山・妙覚寺を宿所にしていたpict-P1070863大雲院A-1が、光秀謀反の報せを受けるや直ぐま本能寺に向かおうとするも、本能寺は既に灰燼に帰しており止む無く二条御所に陣取った。 しかし、意気上がる多勢の明智軍に屈して信忠は自刃した。

この織田信忠と父 ・ 信長の菩提を弔うために建てられたのが龍池山 ・ 大雲院である。
pict-大雲院-6祇園閣-A4大雲院は当初烏丸二条の御池御所に建てられたが、後に寺町四条に移り、
昭和 48 年に現在の円山公園に隣接 ( 南側 ) する場所に移った。

祇園祭の鉾を模した建物 『 祇園閣 』 ( 写真 )  も大雲院の境内にある。
長く京都へ通い、外観は何度も見て来た私自身未だ中に入ったことがない。
『 灯台下暗し 』 か・・・・・ 古人は良い俚諺を沢山残してくれているわ、うむむむむむ。
pict-pict-大雲院-5祇園閣-3この祇園閣は大倉財閥の総帥 ・ 大倉喜八郎が東京帝大教授 ・ 伊東忠太に設計を依頼して、昭和 2 年 ( 1927 ) に完成したものであり、34 メートルの高さがあるのだとか。
大倉喜八郎は渋沢栄一らと並び称せられる実業家であるが、東京経済大学 ( 前身は大倉商業学校 ) や、関西では結構名の売れた関西大倉高校 ・ 中学校の設立者でもある。

どうやら大雲院を紹介する番組なのだなあと思い、その後もしばらく見るともpict-本願寺伝道院-1、伊東忠太なくテレビの電源を切らずにいた。

するとしばらくして赤煉瓦の洋館が画面に映り始めた。
写真の赤煉瓦の建物は西本願寺の伝道院である。
伝道院に用事があったわけではないが、半世紀前頃この辺りはよく歩いた場所で、赤煉瓦の建物がとても懐かしく思えて画面に見入ってしまった。

西本願寺 ・ 御影堂門の前、堀川通りを挟んで東側に総門 ( 写真 ) が建っており、この総門のすぐ南側 ( 写真上は右pict-伝道院―堀川通から総門手になる ) には龍谷ミュージアムが建ち、伝道院は総門の向こう右手に赤色と白色の横縞模様の外観が見て取れる。

龍谷ミュージアムは仏教に関する総合博物館として資料の収集・保存・展示と、その他学術研究活動を行っている。
 龍谷大学・龍谷ミュージアム  ( すだれデザインの外観が特徴の下の写真 )
pict-mainimg[1]
赤煉瓦の伝道院は明治 45 年 ( 1912 ) に東京帝大教授 ・ 伊東忠太の設計によって建築されたものであるが、明治 pict-伝道院-裏側から45 年は明治天皇崩御の年であり、大正元年でもある。
 
『文明開化』に始まる西欧化は日本の産業革命を推進し、明治 27 年 ( 1894 ) にはイギリスより治外法権を回復し、日清 ・ 日露の戦争に勝利を収め、明治 44 年
( 1911 ) にはアメリカより関税自主権をも回復して幕末の不平等条約を撤廃できた。
このように赤煉瓦造りの伝道院が建築された明治末頃の日本は西欧化 ・ 近代化も進み国家として一応の安定を得た時期でもあった。
pict-伝道院―町家群としかし、そうは言っても本願寺御用の仏壇 ・ 仏具などを商う商家も多い古き京の町家街に西洋式赤煉瓦の建造物というのは、当時の人々にとって随分斬新なものと捉える反面、かなりの異様さをも感じていたのではなかったろうかと思う。

それにしても、ブラウン管時代のテレビ画面は撮影しても走査線が入って綺麗な写真にならなかったが、液晶テレビは凄いと感心することしきり。 時刻表示のある写真がSHARPのAQUOS『世界の亀山モデル』のDigital Hi-Visionの液晶画面上の写真である。 
やはりスゴイ。 

ところで大雲院の祇園閣も西本願寺の伝道院も東京帝大教授 ・ 伊東忠太の設計によるものである。

今年 8 月 17 日付のブログで、東京で会おうという友人からの誘いに応えることが出来ないばかりか、何をするにしてpict-pict-一橋大学兼松講堂-1も思い通り出来ずに『うずうず』していると書いたことがあった。
友人とは暫く会ってなく、一橋が会場になるのは初めてだから国立キャンパスで会おうというものであったのだが・・・・・・

上の写真は一橋大学の兼松講堂だが、この建物も東京商大時代の昭和 2 年 ( 1927年 ) に伊東忠太の設計によって建てられたものであり、私が国立キャンパスへ出向いてみたいという気持ちを持ったひとつの理由は伊東忠太の作品を見たいということでもあった。

実は東京帝大教授 ・ 伊東忠太が設計に携わった建造物には、
「 へえーーっ 」 と驚くものが含まれているのだ。
なーんて書くと、皆さん方には失礼かもしれないが、浅学菲才の私には驚きやら感心やらで、やはり 「 へえーーっ 」 と唸ったというのが真実だったのだ。

「 へえーーっ 」 と驚いたのは随分以前のことで、いつのことだったか忘れてしまったが、伊東忠太は明治期の建築家 ( 工学博士 ) だから西洋的な近代建築を主に手掛けていると思っていたのだが、これは私が勝手に思築地本願寺-2い込んでいたことなのだが・・・・・
この観点からすれば上に挙げた伝道院も祇園閣も兼松講堂も当然、さもありなんてところであった。
それに東京 ・ 築地本願寺 ( 上の写真 ) のインド風外観の本堂も伊東忠太の作品であり、これも成る程と思えるものである。
が、平安神宮や橿原神宮 ( 内拝殿 ・ 下の写真 )  の設計まで携わっていたことを知った時、私の頭の中の歯車が完全にズレてしまったのだった。
pict-橿原神宮内拝殿-2
西本願寺の伝道院や築地本願寺の設計に携わった伊東忠太は建築研究のため明治 35 年 ( 1902年 ) から 3 年間、中国からインド、トルコを巡っている。 また同年から大正 3 年 ( 1914年 ) まで三次にわたってシルクロード学術探検隊 ( 大谷探検隊 ) が派遣されているが、この途上で伊東と大谷探検隊が遭遇したとかで、それが縁となって大谷光瑞法主との交流が始まったらしい。
この大谷探検隊は浄土真宗本願寺派 ( 西本願寺 )  第 22 代法主 ・ 大谷光瑞が派遣したもので、膨大で貴重な収集物の保存や展示を含め、その他学術研究活動は龍谷大学 ・ 龍谷ミュージアムが引き継いでいる。

文字ばかりだと疲れるので、6 日の日曜の朝食を。朝食-1
毎朝午前 7 時過ぎに家内が用意してくれる膳であり、この日はシジミの入ったワカメ・スープだった。
以前にも書いたが、食パンが 1 枚だけというのが不満ではあるが、他は満足している。と言うより、毎日毎食きちんきちんと食事を作ってくれる、このことだけで感謝、感謝。 感謝を何乗しても足りない。これが真ぶどう実の気持ちである。 

嬉しいことはブドウも。
ぶっはははは
どうだろう、この粒の大きさは。
スケールを置いたが、1 粒の大きさが 4 ~ 5 cm もあるのだ。
だから、口に入れるとモグモグ。 直ぐに噛みつぶせない大きさなのだ。
ブドウ大好き、巨峰大好き、ピオーネ大好きの私には
朝からサイコ―。
                                2013.10.11.記
                  〔 つ づ く 〕





masatukamoto at 17:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

October 03, 2013

私の贅沢

暦は 10 月になり、明ける時刻が徐々に遅くなっていっている。
早朝まだ暗いうちに起きて音楽を楽しんだり、本を読んだり、ものを書いたりして静かな時間を過ごすことを日課にしていることは以前にも書いたことがある。
この私の生活パターンは入院していた期間を除き、入院前も退院して自宅に戻ってからも大きくは変わっていない。

だいたい午前 3 時頃から 4 時頃に起きて、言わば 『 Konzert des frühen Morgens. 』 と、まあ早朝音楽会を服装も気にせず気楽に聴き楽しんでいるのである。

このところは写真のハイドン ( Franz Joseph Haydn ) の曲を楽しんでいる。
pict-Haydn-1と言うのも、ひとつには本を読もうにも何故か直ぐに目が疲れ活字に集中出来ないことや、本を持ち支えることが出来ないでいるため聴くことを楽しみとしているのだ。
今ひとつ、ものを書こうにも上腕から肩にかけての痛みがひどく、長くペンを持つことが出来ないし、字を書いても手先が微妙に震えて安定した文字にならないのである。
書く字は酔っ払っているが、これはアル中による症状ではない。 かれこれ 10 ヶ月ばかりお酒とは無縁の品行方正な生活を送っており、血糖値検査やインシュリン注射をする際、その消毒のためにアルコール綿が指先や腹部に触れるだけである。
「 禁断症状じゃないか。」 だと ?
pict-ハイドン・エディション-1ぶっははははは。 
10 ヶ月も経ってか ? 
もともとアルコール中毒でも何でもないのに・・・・・
禁酒生活の挙句に発症か ?
ぶっはははは

ともあれハイドンについて名前は小学生の時から知っている。 中学では当ページ掲載分と同じハイドンの顔写真が音楽室の壁に貼られていて、彼の作品 ・ 『 時計 』 や 『 驚愕 』 については音楽史年表に記されていたので曲名は覚えたが、ハイドンについて先生から教わるということは無かったし、実際に曲を聴かせてもらうということもなかった。
私たちの小中学生時代というのは戦後社会の中でまだまだ貧しい時代だったのだ。
当時は洋楽 ( クラシック ) の普及は今ほどではなかったし、町には学習塾も無く、そろばん教室などが僅かにあった程度である。 
pict-Austro-Hungarian Haydn Orchestra-2
上の写真はオーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団 ( Austro-Hungarian Haydn Orchestra ) のコンサート風景。

私が社会人となり働き始めた頃、塩サバ 1 匹が 70 円で、これを切り分けて 1 週間分のおかずにしていたことを以前に書いたと思う。
そして、当時クラシック・レコードが 1 枚、1000 円~1500 円程度。 フェスティバルホールでの生のコンサートが2000 円~5000 円までだったように思う。
給料を頂き始めて何年目だったか、1970 年の大阪万国博覧会が開かれた時、当時のソビエト連邦のレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴きに行った。
Fischer_Ádám_f_improf_259x398[1]多分 2 人分だったと思うが、16000 円。 この金額は当時の私にとって 『 清水の舞台から飛び降りる 』 程の金額で、事実10 日ばかり食事を制限せねばならない大散財であったのだ。
この頃少しばかり給与が上がってはいたが、手取りで  4 万円程度だったから・・・・・

写真はオーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団を指揮するアダム・フィッシャー ( Ádám Fischer ) 。現在はハンガリー国立歌劇場音楽総監督を務めている。

上のCD 『 HAYDN EDITION 』 のうち、交響曲はフィッシャー・アダム指揮によるオーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団の演奏である。

ハイドンは『交響曲の父』とか『弦楽四重奏曲の父』とか呼ばれているように沢山の交響曲や弦楽四重奏曲を作曲しているが、上の 『 HAYDN EDITION 』 は交響曲全集や弦楽四重奏曲全集は勿論スタンレー・ホッホランドFortepianoのこと、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、オルガン協奏曲、トランペット協奏曲、チェロ協奏曲、リラ・オルガニザータ協奏曲など全曲に加え、フォルテピアノによるピアノ・ソナタ全集やバリトン三重奏曲全集も含まれている。

写真はスタンリー・ホッホランド ( Stanley Hoogland ) 、フォルテピアノ演奏の第一人者でオランダの人である。

フォルテピアノは現代のピアノが生まれる以前にあった小型のものでチェンバロに似た古楽器である。 現代ピアノのように音が長く響かないことを特徴として挙げることが出来るが、なかなか説明pict-リラ・オルガニザータ-1しにくいものだ。 実物を見て聞いて触るのが一番なのだが・・・・・

左の写真は 2 台の
リラ・オルガニザータの演奏。 音色や音の出る仕組みはオルガンやアコーディオンに似ているが間違えてはいけないのでこれ以上は書かない。
なお、写真はローソン・ネットショッピング『ロッピー』のHMVに掲載のもの。
URLは
http://www.hmv.co.jp/news/article/1305080024/
pict-Barytone-2上の通りである。

古楽器での演奏と言えばこれら以外にもバリトンやリュートなどもあって、私にとっては珍しく嬉しいことなのだが、この作品集にはオラトリオ『天地創造』や『四季』、それに歌劇のほか、ミサ曲や歌曲全集 ( スコットランドを含む ) など、エディションと名付けられているがハイドンの全作品を網羅しているのではと思うのだ。 『 HAYDN EDITION 』にCOMPLETEを付けても良いと思うくらいの量感なのである。
Esterházy Ensemble-2
写真は弦楽器のバリトンとバリトン三重奏曲を演奏するエステルハージ・アンサンブル ( Esterházy Ensemble )

pict-JAKOB LINDBERG lute-1古楽器のひとつ、リュートは比較的よく知られているが、写真はリュートを奏でるヤコブ・リンドベルイ ( JAKOB
LINDBERG ) 。

この作品集での弦楽四重奏曲はブッフベルガー弦楽四重奏団 ( Buchberger Quartet
) の演奏が録音されている。
第 1 ヴァイオリンがフーベルト・ブッフベルガー ( Hubert Buchberger )。 第 2 ヴァイオリン : ジュリア・グレイヴ ( Julia Grave )。 ヴィオラ : ヨアヒム・エツェル ( Joachim Etzel )。 チェロ : ヘルムート・ソーラー ( Helmut
Sohler )で構成されている。
pict-buchberger_quartet_haydn_recording[1]全体として 『 ドイツ風な 』、なーんてズブズブの素人が書いたら叱られるのを覚悟でブッフベルガー・クァルテットの演奏を評してみたい。 私としてはキチッとまとめられたような演奏が好きなので楽しんでいるのだが、ドイツ風と書かなくともクァルテットがフランクフルトを出生地としていることはよく知られているところだ。

この 『 HAYDN EDITION 』 には歌曲全集も入っており、ソプラノのエリー・pict-Elly Ameling-1アーメリング
(  Elly Ameling ) が歌っている。
もう引退しているが、透き通るような声というのはこの人の声を言うのだと私は思っている。

そうそう、フォルテピアノのところで書き漏らしたが、日本人の演奏者として若くして亡くなった小島芳子の演奏分や、福田理子の演奏も含まれている。

ハイドンの作品については交響曲をレコードで何枚か持っている。
今はレコードでなくCDということになるのだが、レコードの頃は長いものや短いものがあるので一概には言えなAustro-Hungarian Haydn Orchestra-1いけれど、交響曲だと裏表で 1 曲か 2 曲が収められていた。 しかし、CDだと容量が大きいので収録曲数はレコードよりも多いのかな。 でも、価格は 2~3000 円とレコードもCDも同じくらいだろう。

ハイドンのオラトリオ『天地創造』全曲をCDで買うとなれば税込で 3000 円程度するであろう。
こうして聴きたいとか好きな曲とか、或いはこの指揮者でとか、この交響楽団の演奏でなどと特別な思いがあるなら別だが、私のようなズブズブズブのド素人には、安くて多く、特別に買って聴こうとしない曲をpict-ドイツ・ビア・ジョッキ-2も網羅した全集ものというのは随分重宝するのである。

そう考えれば、この 『 HAYDN EDITION 』 の価格は高いけれど、美味しいものを食べに、お酒を飲みに出かけることも出来ず、ずっと家でクスぶっている今の私にとっては素晴らしく安い買い物なのだ。

ぶっははははは。
まだまだ、あるある。
この機会に買ってやろう。

つまらないアベノミクスに協力する気などさらさらないが、
『 私の贅沢 』 である。









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