November 2013
November 28, 2013
ついに消えたブドウ
とうとう大好物のピオーネが朝食から消えてしまった。
残念だが仕方がない。
何にでも旬というものがある。
今年は長い期間ピオーネを食べさせて頂いた。 もう11月も終わりなのだから。
求めて買えないことはないが高価だし、どこの果物店でも置いているわけではない。
写真は昨日の朝食。
献立はいつも通りで昨朝はワカメ ・ スープが出されフルーツはリンゴに変わった。
果物に対しても好き嫌いがない私だからリンゴであっても朝食に付けてくれているだけで嬉しいし有り難く思っている。
昨朝はコンサートを 4 時 50 分に開演したところ、息子がゴルフがあるとかで 5 時に出かけて行った。
コンサート開演中でも 5 時と 7 時はテレビのニュースを見るので演奏を中断してもらうのだ。
実際のコンサートでは有り得ないことだが、私だけのために開く我が儘コンサートだから演奏途中でも休憩に入ること、これが結構しばしばあるのだ。
昨朝はヘンデルの作品オラトリオ 『 メサイア ( MESSIAH )』 を聴いた。
ヘンデルは、ゲオルク ・ フリードリッヒ ・ ヘンデル
( Georg Friedrich Händel ) と言うが、彼はドイツからイギリスへ帰化しているので ジョージ ・ フリデリック ・ ハンデル
( George Frideric Handel ) と表記されたりもしている。 しかし私はヘンデルとしか記憶していない。
ヨーロッパの人たちの名前は 『 所変われば品変わる 』 が如く、国が異なると同じ名前でも 『呼び方 ・ 読み方 ・ 綴り方 』 が変わるのだ。
このことについては以前にキリスト教の聖人たちの名前を例に挙げて書いたことがあったが、ヘンデルの場合はドイツではゲオルク ( Georg ) だがイギリスでは ジョージ ( George ) となり、フランスなら ジョルジュ ( Georges ) 、イタリアならジョルジオ ( Giorgio ) となる。
以前に書いた リヒャルト ・ シュトラウス ( Richard Georg
Strauss ) は リヒャルト と読んでいるからドイツ語読みであり、ミドルネームも ゲオルク と読むことになる。 リヒャルト を英語読みするならリチャードだし、イタリア語読みなら リカルド ( Ricardo )、フランス語読みなら リシャール ( Richard ) かな?。
フランス語というのは時々発音を苦手とするものが出てくる。ぶっはははは
ところでオラトリオ 『 メサイア ( MESSIAH )』 だが、これはキリストの一生を第一部 『 予言とキリスト降誕 』、第二部 『 受難 』、第三部 『 復活と永遠の生命 』 に分けて表現した三部作。 全 53 曲で構成され、全曲演奏に 2 時間半近くを要する大作である。
昨朝のコンサート、指揮はスティーブン ・ クレバリー
( Stephen Cleobury ) である。
演奏は古楽器演奏で評価の高いブランデンブルク ・ コンソート ( Brandenburg Consort ) 。
ちょっと珍しいトランペットであるが、イングリッシュ・トランペットと呼ばれるものらしく、演奏者はクリスピアン・スティール・パーキンス
( Crispian Steele Perkins ) 。
比較のため現在ヨーロッパのオーケストラで多く用いられているトランペットを挙げてみる。
ラッパと呼ばれるものは音を出すことと高低の音域は息を吹き込むことにより、基本的には唇の振動で行うが、微妙な音や正確な音を表現するためにラッパの真ん中あたりに吹き込んだ息の流れる長さを調節するための機能が組み込まれている。
この部分をシリンダーと言うが、ピストン式のものと写真のようなロータリー式のものがある。
上の写真と見比べれば分かると思うが、イングリッシュ・トランペットにはシリンダー部分が無い。
つまり、近・現代のトランペットと比べ、古楽器と呼ばれる部類のラッパとの最も大きな違いがシリンダー部分なのである。
そして、合唱はケンブリッジ ・ キングス ・ カレッジ聖歌隊 ( The Choir of King's College, Cambridge )。
キングス ・ カレッジは 15 世紀半ばの創立であり大変長い伝統を誇っている。 その大学に属する教会の聖歌隊だから、これまたスゴイ歴史と伝統を受け継いでいるわけだ。
このキングス・カレッジのコールを指導しているのが
スティーブン ・ クレバリー である。
そして、ソプラノは、リン ・ ドーソン ( Lynne Dawson )
コントラルトが、ヒラリー ・ サマーズ ( Hilary Summers )
テノールが、ジョン ・ マーク ・ アインズレイ
( John Mark Ainsley )
バスが、アラステアー ・ マイルズ
( Alastair Miles ) である。
朝早くから荘厳な・・・・・
そして、何となく、
とりわけ第二部の最終章でキリスト者ではない私が心の底からワクワクした何となく清々しい気分の内に高揚するものを感じているのは、やはり 『 メサイア ( MESSIAH )』 という曲が私に与えるものがあるということなのだろう。
『 与えられるもの 』 って何 ?
そう尋ねられても具体的に 『 コレだ 』 と答えることは出来ない。
でも・・・、でも、強いて言うならば、
夜明け間近の冷涼な中、朝もやが立ち込める草原を一歩一歩踏みしめ進み行くうち、少しずつ少しずつ明るさが増し、白いもやが徐々に薄らいでいく時の気持ちに近いだろうか。
しかし、私の祈りの言葉の中には見当たらない言葉ばかり。
and He shall reign for ever and ever,
Hallelujah.
King of Kings, and Lord of Lords,
and He shall reign for ever and ever,
Hallelujah.
私の祈りとは関わりのない言葉が並ぶ第二部の最終 『 ハレルヤ 』 だが、先に書いたように高揚感に満ち満ち、ついつい引き込まれて自分でも不思議に思いつつ 『 ハレルヤ 』『 ハレルヤ 』 と唱和し始めているのである。 ぶっははははは
通常のコンサートでも、この 『 ハレルヤ 』 のコーラス部分で観客は起立するものだと聞いたことがある。
以前にウィーン・フィルのニューイヤーコンサートのアンコールの締めくくりに演奏されるラデッキー行進曲のことを書いたことがあるが、演奏と指揮者の指揮に合わせて聴衆は手拍子を打つ。《 ことになっている 》
クラシックのコンサートでは、しわぶきひとつ気になるもので、起立することも手拍子を打つことも 『 ええっ?』 と驚くようなことではあるが、演者 ・ 聴衆が一体となり、ともに楽しんでいると考えればコレは比類なき最高の音楽と言えるように・・・これは私個人の思いだが・・・・・。
このブログは昨日中に書き上げてアップするつもりでいたが何やかやと雑用?、と言うか、今はひとつひとつの行動に健康な時の何倍もの時間を要するため何をするにしても遅れ遅れの連続になってしまっているのだ。
そんな自分にイライラすることもしばしばあるが、オサエテ ・ オサエテ ・ オチツイテ、と呪文を唱えるようにつぶやきを繰り返しているのである。
さて、今日は I 理学療法士の訪問リハビリがあった。
自主トレーニングに精を出しているためか特定箇所 ( 4か所 ) に凝りと痛みが集中し、前段のマッサージ&ストレッチは痛かった。 しかし昨冬手術から目覚めて以降痛いと口に出したことは一度も無い。 我慢強いと言うか頑固と言うか、とにかく頑張らんと・・・・・
そうそう、朝食のフルーツのブドウ ( ピオーネ ) が終わり、昨朝はリンゴに変わったということを冒頭に書いたが、今朝は柿であった。
何でもいい、感謝、感謝。
November 27, 2013
無茶苦茶、自・公・み + 維
昨日懸念した通り自民・公明・みんなの3党で 『 特定秘密の保護に関する法律 ( 案 )』 を衆議院で強行採決して可決してしまいおった。
自由民主党と書くらしいが、自由とは自民党員として何をしても自由という意味で、民主とは自由や平等といった日本国の主人である国民の基本的人権を尊重するものではなく、自民党の民を主人とするものであると私には思える。
疑問や否定の言葉に耳を傾けることなく数の力だけで、いとも簡単に暴挙を行う政治屋の集団で、まるで60年安保の時の様相を示しているように思う。
岸 信介は 『 声なき声 』 と言ったが、安倍晋三も多くの人々の声が耳に入らす妄想の世界を彷徨っているのだろうか。 昔も今も何も変わらない自民党の体質を見てヘドが出そうな気分である。
公明党は中道・護憲政党であると一部マスコミは評しておるようだが、中道とは言い換えれば 『 どっちつかず 』 。
毒にも薬にもならんのである。
せめて金平糖のように先が丸まっていても多少は引っかかる ? ようなイガイガでもあればマシなのだが、現状は自民党に舐めまくられツルツルの球体になっているような・・・・・
自民党の強行採決に手を貸すというか、自ら共に歩んでいる姿は護憲という着物を脱ぎ棄て、スツポンポンで自ら 「 舐めて 舐めて 」 と安倍自民党に擦り寄る太鼓持ちのようにさえ見え可笑しさが込み上げてくる。
みんなの党。
みんな ?? 誰のことかな ??
元々自民党にいた連中が飛び出しただけのワンパク集団みたいなもので親元との違いを見つけるのが難しい輩たち。
強行採決に加わり法案に賛成したからと言って驚くこともない。
そして維新の会というのは全く訳のワカラン将に烏合の衆と言える集団である。
自民党の 『 秘密保護法 』 修正案に賛同しており、28日の採決なら賛成すると維新の国会議員団幹事長 ・ 松野頼久が記者たちに囲まれて語っていた。
つまり、「 今日はアカンけど、3日後ならオーケーだ。」 と言ってるようなものだ。
全く・・・日清のチキンラーメンじゃあるまいし・・・
『 3日間待つのだぞ、晋三。』
ぶっははははは
笑う以外に術を知らん。
松野頼久の父親は松野頼三。
松野頼三は安倍晋三の祖父 ・ 岸 信介や大叔父にあたる佐藤栄作らに可愛がられた政治屋である。
永田町界隈に蠢く輩には『親の七光り』を受けた者が結構いるが、七変化するようなものはいないようで、『蛙の子は蛙』ということか。
親も子も変わらぬ、自民党も変わらぬ・・・・・
英語では確か Like hen, like chicken. だったような。
ぶっはははは、メンドリのようなニワトリのような・・・・・???か。
『 武士と言う侍 ( 士 ) が馬から落ちて落馬して……』 と歌うように覚えたのは小学3年か4年の頃だった。
ツマラン世の中だ。
素晴らしき日本がどんどん住みにくい国に向かっているような。
目先の利益、我が事ばかり考える風潮。 うーーーむ。
ねじれ解消などとマスメディアが世論を煽った結果が今の状態になったと言える、かも。
責任を転嫁するつもりはない。 自分自身をも叱らないといかん。
自責自戒の念を込めて。
November 26, 2013
なぜ急ぐ?
いわゆる 『特定秘密保護法 ( 案 )』 のことで、今は未だ 『( 案 )』 が付いているが多数の議員を擁している自民党が数の力で有無を言わせず法律を成立させてしまうだろう。
大臣なりたい病と言うか、寄らば大樹の陰と言うか、安倍自民党とタッグを組む公明党と、それに何やワカラン
みんなじゃとか維新じゃとか、総じて得体の知れんアブナイ連中が組んで 『特定秘密保護法 ( 案 )』 の成立を目論んでいる。
一部の世論調査では 7 割を超える人たちが立法に反対し、福島県で開かれた公聴会では全員が反対意見を述べたというのにである。
『特定秘密保護法 ( 案 )』 が成立した後の日本社会は戦前の治安維持法下の大政翼賛体制のようになるのではないかと私は凄くすごく大変に危惧しているのだ。
何でもかでも特定秘密にし、国の権力を内閣総理大臣に集中させる、これは言うならば独裁体制である。
が、まあそこまで考えてはいないだろうけど、この法律はそうした暗黒社会を創出する可能性のある法律案であると私は思っている。
つまり、日本国の主人たる国民に見えないよう聞こえないよう知られないようにする。
何も分からないから結局国民は何も言えないことになる。
『 見ざる 言わざる 聞かざる 』
写真は日光東照宮、江戸期の彫刻家 ・ 左 甚五郎の作品である。
英語では 『 Three wise monkeys 』 と言っているが、
『 wise 』 という言葉が入っている。
三匹の猿は世界中で語られ各地でいろんな言われがあるようだが、『 悪いものは見るな ・ 悪いことは聞くな ・ 悪いことを言うな 』 との戒めを表現しているものと私は思ってきた。 それが賢い生き方を指し示しているものと思い、英語での 『 wise 』 も同じ意味合いであると思ってきた。
しかし、とてもアブナイ法律がヤヤコシイ連中によって作られようとしている今、『 見ざる 言わざる 聞かざる 』 であっては後悔すること間違いない。
それに、この悪法が成立されてしまい、何を 『 見ることも 聞くことも 言うことも 』 出来なくなってしまう、そんな人間にはなりたくはない。
『特定秘密保護法 ( 案 )』 の成立に私は反対である。
既に多くの団体や個人が 『 特定秘密保護法 ( 案 )』 に反対の表明を行っている。
また過日にはテレビで活躍中の一部ジャーナリストたちが反対の呼びかけを行ったが、彼らに対し心よりの敬意を表し賛同の意思を明らかにしておきたい。
呼びかけ人には若いけれどしっかりしている赤江珠緒女史、それに、私がマスメディア界において第一等の信頼感を持つ吉永みち子女史も含まれていたことを記しておかねばならない。
いずれもテレビ映像を撮影したものである。
そうそう、昨日は M 理学療法士が自宅に来てくれる訪問リハビリの日で、彼が雨男であるということも昨日のページに書いておいた。
その昨日、彼が我が家へ来る直前、ほんに直前の 5 分前に雨が降り始め、『 ドンドン良くなる法華の太鼓 』 ではないが、やがて嵐のような雨風に・・・・・
ぶっはははは、笑った 笑った。 《 失 礼 》
November 25, 2013
秋は素敵 《つづき》
うーーん、私は昨年 12 月以来汗水流して働いたという事実が無い。
私が働かなかった・・・正しくは働けなかったなのだが、この間懸命に働いてくれたのは家内であり、家内には心より感謝したい。
私が元気でいたなら昨夜のコンサートは家内と共に行っていただろうし、神戸市立美術館でのプーシキン美術館展なども家内と一緒に鑑賞し、各地を旅して紅葉をめでたり美味しいものを頂いたり、楽しく素敵な秋を楽しんだことだろうと思う。
特にプーシキン美術館展は行きたかったのだが歩くことが出来ないので諦め、せめて図録だけでもと通販でプーシキン展のカタログを購入した。
と言うのは今回、ドミニク ・ アングルの作品 『 聖餅の聖母 』 が展示されているのだが、同じテーマの作品はパリ ・ オルセー美術館にもあり、この機会に見ておきたかったのである。
左の円形額の 『 聖餅の聖母 』 がオルセー美術館収蔵の作品で、右側が今回神戸市立博物館で展示されたプーシキン美術館所蔵の 『 聖餅の聖母 』。
うーーん、やっぱり実物を見たいなあ・・・・・
ロシアと言えば収蔵品の価値 ・ 数量に加え施設の規模としても世界第一等を誇るエルミタージュ美術館がサンクトペテルブルクにあるが、それに次ぐのがモスクワのプーシキン美術館である。
エルミタージュ美術館は 2 日連続で鑑賞に訪れたことがあるが、モスクワへは行ったことがないのでプーシキン美術館も、その収蔵品も見たことが無かった。
ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル ( Jean-Auguste-Dominique
Ingres ) は美術史では新古典主義に分類される画家だが、私がアングルを知った最初の作品は 『 泉 ( La Source )』( 上の写真 ) だった。
どうでもええこっちゃが・・・・・
今秋もいよいよ 11 月の最終週に入ることになり、各地とも紅葉の見頃を迎えたが、本州の高地や北海道では既に白い世界が現れ始めている。
秋が徐々に深まり、食事の素材にも変化が見られるようになってきたが、朝食内容は退院して以来写真のように殆ど変化はない。
日々変わるのはスープだけ。 パンは常に食パンのトースト
( toast ) が一枚だが、時々写真のようなバターロール ( Butter brioche rolls ) になったりすることがある。
ちなみにバターロールでもええけど、ブロッシュ ・ ロール
って呼んでたような・・・・・
これも、どうでもええこっちゃけど。
サラダはレタス、玉ねぎ、キュウリを切ったものにミニトマトを付けてもらって粗挽きコショウが振りかけられている。 これに穀物酢 ( ミツカン ) をかけて私の好みの酸っぱさに仕上げるのだ。
秋深い今の時期、私が子どもだった頃には考えられなかった、季節的には超珍しい新鮮な食材で、しかも生 ( なま ) で食べることが出来ると、50 年をひとつの区切りとして見れば ドエライ変わりようである。
ドエライ変わりようと言えば私の大好物であるブドウ ( ピオーネ ) を今朝も出してもらった。
たったの 4 粒であり不足には思うが、私の糖質摂取についての家内の考えがあるようなので不満は口にしていない。 大粒のピオーネで駅前の果物店でないと仕入れられない品物だ。 家内がわざわざバスに乗って買ってきてくれているのだが、これも多分時期的にもう最後になるだろう。
50 年以上むかし、つまり半世紀以前にブドウと言えば粒の小さいデラウェアが夏の時期に市場の果物店に並ぶだけ。 それも種無しデラウェアなんて無かった。 他にブドウと言えばマスカットがあるにはあったが高価な物で市場の果物店で見かけることは無かったような気がする。
パンに付けているのは柚子マーマレードであることは以前にも紹介したことがある。
退院以来バターをパンに塗ったことはない。
若かった頃は少し塩分の効いた雪印北海道バターというのを食パンに塗ってトーストしたのが好きだったけど、バターに関しても油脂分の制限を家内が考えてくれているのだろうと思う。
退院以来上に示した写真のような朝食が毎日続くが、ハチミツと柚子ピールで作られたマーマレードにスダチ ( 上の写真 ) の皮を刻んで熱し、『 柚子 ・ スダチ ・ マーマレード 』 としてパンに付けて食べてきた。
それが先日から 『 柚子 ・ スダチ ・ カボス ・ マーマレード 』 に変化しているのだ。
実は家内の友人が自宅で実ったカボス ( 左の写真 ) だと持ってきてくれたので、たっぷり絞れる果汁は果汁として用い、皮を刻んで 『 柚子 ・ スダチ ・ マーマレード 』 に加えて加熱させるのである。
柚子とスダチとカボスの皮 ( peel ) の入ったマーマレードは、甘くて、ほのかな柑橘類の香りに少し苦味が加わり私好みのモノになっており、これがなかなかウマイのだ。
スダチやカボスは季節的にどうなのか、これは詳しくないが、秋刀魚の塩焼きや松茸の土瓶蒸しなどはスダチと切り離しては考えられない料理だが・・・・・
冬至には黄色い柚子を浮かべての柚子風呂があるから柑橘類は冬に向かって黄色く熟していくのが季節的にはフツウなのだろう。
左の写真は今朝 ( 25日 ・ 月曜 )の食事なのだが、ホンマに美味しいのだ。
このように私が美味しいと好むし、果皮を多く入れることは結果的にハチミツの分量が減ることになる。 つまりは家内が私の糖質制限を行っていることにもつながることになるのだが・・・・・
美味しいマーマレードだから食パン 1 枚では量的に 「 うーーむ 」 と思いつつも、ぶっははははは、結局は黙るほかないのだ。
さて、秋が素敵なことについて書いてきたが、干し柿についても触れておこう。
昨年吊るした柿は冷凍保存 ( 写真 ・ 上 ) して少しずつ食べ、私がリハビリ入院中のおやつに家内が持ってきてくれたこともあったし、家内の次兄が干し柿を好物だと言うので差し上げたりもした。
なかなか美味しい干し柿で、一番喜んで食べていたのは家内だったように思う。
柳の下の泥鰌ではないが、今年も美味しい干し柿をと渋柿を仕入れ、先日その皮を剥いた。 ( 上の写真 )
仕入れた渋柿は昨年のものと種類が違っていたようで、少々大きく、その分だけ数が少なかったので皮剥き作業は家内が一人で行い、私は吊るす紐に柿を結ぶ担当。
実際に外へ吊るす仕事も今年は家内にしてもらった。
昨年は野鳥のヒヨドリが飛んできて
3 個ばかり啄まれたが、今年は今のところ大丈夫のようだ。
野鳥とも仲良くしたいけれど、お前たちのために柿を干しているのではないので、出来れば遠慮してほしいというのが本心。
それに今年は干している数量が少ないということもあるんでねえ。
もう少し数を増やしても良いのだが、今回は私自身が作業出来ず家内に頼まざるを得ないので・・・・・やっぱり、コレにて今年は終了にしようかと思う。
今年の秋は出かけることが出来ないけれど、居ながらにして素敵な秋を楽しんでいると言える。 かな?
もいできた柿やリンゴも頂いた。
毎年信州の農家が栽培するリンゴ園へ行って摘んで帰ってくるようなことを聞いていたが、今年は送ってもらったそうな。
さて、これからリハビリ開始。
今日は M 理学療法士が来てくれる日だが、彼は自他ともに認める雨男。
ぶっははははは
朝からの曇天。
もう暫くすると降り始めるかな。
November 22, 2013
秋は素敵
これまで玄関内まで車椅子での送迎を介護士に頼んでいたのだが、近頃は私が門の外まで出向いて迎えの車を待ったり、送ってもらった時も両手を杖で支え極力自分の力で歩いて家の中へ入るように努めている。
早朝、夜間は気温の冷え込みが大きいが、リハビリに通う日中はお日様が照っている限り大変清々しくて気持ちが良い時節である。
ポーランドではズオータ・イェシェン ( Złota Jesień ) 、つまりゴールデン・オータム ( Golden Autumn ) と言って黄色く色変わりした木々の葉 ( 黄葉 ) の色をめでるそうだからイチョウ、ポプラ、プラタナスなどのことだろう。
日本では錦秋。
まさに錦織りなす色模様である。
常緑針葉樹や照葉常緑樹など濃淡の緑色、落葉針葉樹など黄茶系の褐色、紅に染まる落葉樹の葉 ( 紅葉 ) も色合いは一様ではないし、黄色く染まる落葉樹の葉 ( 黄葉 ) も色合いはまちまち。
昨年の秋は安倍さんの元気な顔を見るために家内と共に東北へ旅をした。
弁護士 F 氏の言葉に触発されてのことだったが、行く先々で小さな秋から雄大な秋、木枯らしが吹くような秋から湯気が立ち上る温泉でのあったかーい秋など、様々な秋を感じてきた。
紅葉の季節、これはほんにスバラシイ。
しかし、今年の秋は・・・・・
泣き言は言わん。
じゃがしかし、ツマランのはツマラン。
でも、思い通りには動けないが、秋は感じているのだ。
私自身、感じることの出来る脳を頂いているし、意図してかどうかは別にして、私の周りにいる人たちの私に対する様々な働きかけなどが私に素敵な秋を感じさせてくれている。
リハビリ送迎時に介護士が運転する自動車は街路樹が植えられた道路を走ったり、田畑を縫うように延びる農道を走る場合があり、それぞれに季節を感じられて楽しいものだ。
写真は姪が拾ってきてくれたドングリ。
マテバシイの実かと思うが、実がなっていた木も葉っぱも見ていないので分からないけど、秋は素敵だ。
そんな秋を歌う歌を小学生の頃によく歌ったことを思い出す。
秋の夕日に 照る山もみじ
濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる カエデやツタは
山のふもとの 裾模様
今でも 1 番の歌詞だけだが歌うことが出来るが、この 『 紅葉 ( もみじ )』 という唱歌は作詞が高野辰之、作曲が
岡野貞一と、共に音楽教育の世界における近代化に貢献した人である。
この二人がコンビで作詞と作曲を担当した唱歌に 『 春が来た 』『 春の小川 』『 故郷 』『 朧月夜 』 などがある。
♪ 春がきた春が来た どこに来た~
♪ 春の小川は さらさら行くよ~
♪ うさぎ追いし かの山~
♪ 菜の花畑に 入り日薄れ~
それぞれの歌の出だし部分だけ紹介したが、知らない人は先ずいないだろう。
ただ音楽教育に対する考え方の広がりなどから義務教育諸学校の学習指導要領の改正が行われ、音楽教科書の内容も変わってきていることから、ひょっとしたら知らない世代が出てきているかも・・・・・
でも、私には忘れられない好きな歌ばかりである。
秋は寂しさを感じさせられる面もあるが、華やかで楽しいことも沢山あって私の好きな季節でもある。
しかし、
今秋は・・・・・
泣き言は言わないが、やはり例年の秋とは違うんやなあ。
違うと言えば気の毒なのは家内である。
私が自由に動けないのは仕方がない。
しかし、私の体の状態や生活時間に合わせ、自分の自由であるべき時間の相当量を私のために費やしてきた家内に、出来るだけ自由な時間を過ごしてもらいたいと近頃は外出時間を多く取ってもらうようにしている。
友人らとの茶会や食事会にリコーダーのレッスンなどなど。
今日は家内がリコーダーの指導を受けている師匠のコンサートを聴くため夕刻より出かけてもらった。
勿論出かける前に私の夕食の用意のほか、湯沸しポットの用意など、まだ十分に安定した状態で自分のことが出来ない私が一人でいて困ることがないように物を揃え、それらを私の手が届く場所に置いておくという準備を全て行ってから出かけるのだ。
だから思い立って直ぐに出かけるというものでなく、私としては大変迷惑をかけ続けているなあという思いを抱く中で出かけてもらっているのだ。
ただ、退院した当初は何もかも、本当に全てという状態、つまり病院では看護師、看護助手、栄養士、理学療法士らの手助けを得て日々の生活を送ってきたが、自宅での生活が始まった途端、病院では分担して世話をしてもらっていた世話の全てを家内一人が担うことになったのであった。
それらの世話を量として表せば、現在も量的には大きく変化してはいない。
ただほんの 1 週間ほど前からだが、平行棒より両手を離して不安定ながらも歩くことが出来るようになってきたので、家内に世話をしてもらうことも、いずれは少なくはなっていくだろうとは思う。
しかしリハビリというのは、今日訓練した結果が翌日直ぐに見えるものではないし、どれだけの期間で完治するという保証も無いのだ。
『 いずれは 』 と書いたものの、『 いずれ 』 が何時なのかは全く分からないのだ。
両手を離して不安定ながらも歩くことが出来るようになってきたことは事実だが、いつでも平行棒を摑めるように安全を担保した状態で 3 mをよちよち歩きでやっと歩めるという程度で、ここに書き表すほどのことではないのだが・・・・・
でも、でも、少しだけ嬉しい気持ちもあるのだ。
何でもいい、回復方向に向かっていることが、木の葉が紅葉するように目に見えて分かれば良いのだけれどなあ。