December 2013

December 30, 2013

12月24日~25日頃

もう 2014 年の新年が目前に迫っているが、
昨年 ( 2012年 ) の 12 月 24 日、25 日頃のこと。

はっきり書けばクリスマスの頃のことなのだ。
しかし自分がクリスチャンではないから出来るだけクリスマスという言葉を使わず離れていたいという思いが心の底にあるため敢えて日付だけを書いてみたのだが、どうにも無理があるようだ。
pict-Christmas Saint-1
別な観点から書くならば、クリスマスという宗教的意味を持つ言葉や謂れ、またそれに関わる宗教的行事さえも
日本の日常に溶け込んでいるから何かを書いても必ずと言って良いほどクリスマスに触れてしまい、今や無視することが出来ないくらいなのである。
pict-pict-Christmas Saint-3クリスマスは、この時期を代表する日本の風物詩のひとつになってしまっているのだ。

和洋折衷という言葉がある。
有形無形に限らず文化の交流や融合、同化を示す言葉だが、八百万の神を尊崇する日本人の精神はそうした他の文化を受け容れることについて相当に寛容な道を歩んできたように思う。
比較文化の観点から様々な説が論じられてきたが、決して節操がないとか無頓着だとか、バックボーンが無いというものではないと私は考えている。

文化論では伝統的な ( traditional ) とか歴史的な ( historic ) 、或いは地理pict-pict-Christmas Saint-2的な ( geo-
graphic ) といった言葉がよく使われているように思う。
また民族的なという表現もしばしば用いるが、この民族的なという言葉が厄介なのである。
日本では大まかではあるが一括りにして意味伝達が出来る民族的なという言葉であるが、これを英語で表現する場合、前に挙げた幾つかの言葉のようにピッタリする訳語が無いのである。
無いというのは私の小っちゃなオツムでのこと。
専門的には nation だとか ethnic といった言葉の概念規定によって異なるが、藪をつつくことになるのでココでは立ち入らない。

ただ欧米でもアジアでも同じことだが、陸続きという地理的な条件が民族pict-雪景色-3的なという言葉の概念や文化一般に関して日本とは異なる面を見せるひとつの理由になっていることは触れておこう。

文化というものは基本的に 『 より良いもの 』 が求められてきたのだが、大まかに言えば強くて大きい力のある集団によって弱き小さな集団が淘汰されるという歴史を辿る中で形成されてきた。

いまひとつ深く触れないが、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの唯一絶対神を信仰する一神教は、その文化伝承や淘汰に与えた影響は大変大きいものがあったし、現代社会における対立の根幹に関わっていることも否定できない。

日本語は孤立語と評されるが、島国であるがゆえに伝達を受け、それを吸収すると共に修正を加えてより良いものに改変しつつ独自の言語として発展させる道を歩んできpict-雪景色-4たし、他の文化についても日本に関わってはほぼ同様な見方を当てはめて見ることができると私は考えている。

冒頭で書いた通り
12月 24日、25日頃のこと、今の時点から言えば去年のことになる。
背中を切開して脊髄を圧迫していた膿瘍を切除する手術を受けて後、救命救急室でも比較的病状が安定してきた患者を管理する窓際のスペースにベッドごと移されたのが 24 日であった。
この時、私が意識して出来たことは食べることと飲むことだけ。 小便は導尿カテーテルでバルーンに貯尿し、大pict-雪景色-2便は
オシメで看護師に交換してもらうという世話を受けていた。、
この頃は便意を感じることなく将に垂れっぱなしで、足は指先に至るまでピクリともせず、「 両下肢全麻痺、寝たきり、車椅子生活 」、そういった医師と看護師の会話の部分だけが耳に残っていた。

胸部から上は麻痺もなく、動作や五感の他、思考や感情を統合する脳も正常だったので自分自身が置かれている状況について様々な思いが休みなく脳を駆け巡っていた。
恥ずかしさに申し訳なさに有り難さ、孤独感に不安感に絶望感と様々な感pict-雪景色-7情が入れ代わり立ち代わりない交ぜになっていた。

そんな沈みきった私の気持ちを察してくれたのか、女性看護師が窓際に小さなラジオを置いてスイッチを入れてくれた。 
「 ここしか電波入れへんしラジオしかないけど、いい ?」
寝たきりの私である。 一体何が言えよう。 黙って感謝するのみであった。
他のベッドでは聞こえない程度の小さな音で電波の受信状態も良いとは言えないが少しばかり気は紛れた。 
pict-雪景色-8多分、救命救急室なので電磁波対策が講じられているので受信状態が悪いのだろうと想像したのだが、実際はどうなのか確かめていないので分からない。

ラジオは FM に合わせてくれていたのだろうと思う。 と言うのも耳に入ってくるのは音楽と、その曲の紹介をする声だけだったから・・・・・

そんな FM ラジオも夜 8 時にはスイッチが切られてしまうのだが、流れてくる曲はクリスマスに関わるものばかり。
pict-雪景色-11クリスマス ・ キャロル、つまりキリスト誕生に係る讃美歌 ( carol ) であったり、クリスマス ・ ソングであったりと、 24 日、25 日は FM 放送局がキリスト教会の礼拝堂に変わったのではないかと思うくらいにクリスマス ・ キャロル&ソングが放送されていた。

ただ横になったきりで、何をしようにも出来ないし、しようとする気も起こらなかった 24 日、25 日、つまりクリスマスと前日 ( イブ ) だった。
音楽を聴くことは嫌いではないから看護師の配慮には感謝している。
しかし、クリスマス ・ キャロルというのは私にとって 『 きよしこの夜 』( silent night ) に代表されるような静けさや厳かさといった感じを抱かせる曲が多く、気分を晴れやかに転換させるようなのは余り知らないし放送もされなかったような気がする。

クリスチャンではない私でも知っているキャロルに、「 ダビデ王の村の貧しき馬小pict-雪景色-10屋の飼い葉桶に赤ちゃんを横たえた母親はマリア。イエス・キリストはマリアの子。キリストは天下られた。全ての主である神・・・・・」 とキリスト降誕を歌う 『 ダビデの村に 』( Once in
royal David's city
) がある。
Once in royal David's city
Stood a lowly cattle shed,
Where a mother laid her baby in a manger for his bed
Mary was that mother mild.
Jesus Christ her little child.
He come down to earth from heaven,
Who is God and Lord of all・・・・・

メロディーとして広く知られているものには 『 御使いうたいて 』( What Child Is This? ) などもあるが静かな曲である。
マリアのもとにキリストが生誕したことを羊飼いたちに伝えたのは大天使 ・ ガブリエルであった。 このガブリエルはマリアと彼女の夫 ・ ヨゼフに神の言葉として 『 受胎告知 』 を行ったことでよく知られている。pict-雪景色-12
キリスト生誕を最初に聞かされた羊飼いたちは馬小屋に寄り集うて王 ・ キリストの誕生を崇め祝うて、その後東方の三賢人(博士)が訪れ祝いと礼拝を捧げたが、キャロル 『 御使いうたいて 』 はキリスト降誕祝典歌と言えるものだ。 
What child is this who, laid to rest
On Mary's lap is sleeping ?
Whom angels greet with anthems sweet,
While shepherds watch are keeping ?

This, this is Christ the King.
歌詞の通りキリストを王として崇めるキャロルのひとつだ。
pict-雪景色-6
そして、より多くの人たちでキリスト降誕を祝うキャロルに 『 もろびとこぞりて 』( Joy to the World !  )  がある。
この曲も祝典歌だが、本来祝いの音曲というのは人々の心をしてウキウキ賑やかなものにするものであり、この曲も例外ではない。
と、私は思っていた。
pict-キャンドル-1また、クリスマス ・ ソングの 『 ジングルベル 』( Jingle Bells )  にしても、『 サンタが町にやってくる 』
( Santa Claus Is
Coming to Town
 ) や 『 赤鼻のトナカイ 』
Rudolph the Red-
Nosed Reindeer
 )  にしても賑やかな曲の部類に入るものだ。
しかし、昨年 ( 2012年 ) 12 月 24 日~25 日に聴いていた ( 聞こえていた ) クリスマス ・ キャロル&ソングは、私にとって全てが祝典の歌ではなく沈鬱で哀感の歌になっていた。

ちょうど 1 年前の今頃であった。
気絶するほどに酷い 1 週間に亘る激痛から漸く解放されて安堵と喜びを得た途端、ただ生きているだけの寝たきり或いは良くても車椅子での生活と、残る我が人生の行く末を示されたのだった。
まさに天国から地獄へ・・・・・全く一瞬のことであった。
pict-雪結晶-1
しかし、アノ憂鬱で虚無感しかなかった頃から 1 年。
今年もクリスマス ・ キャロル&ソングが聞こえてきた。 
ラジオではない。 テレビから聞こえてくる音声や私の音楽 CD のものである。

pict-雪景色-13クリスマス ・ イブとクリスマスから離れると言うか、クリスマスを無視した 24 日~25 日を過すことは出来なかったが、今年は私がこれから進んで行くであろう道の先々が明るく照らされだしたので気分も明るい。

そうそう、私の好きな曲 『 ホワイト・クリスマス 』も憂鬱ではなく落ち着いた気分で聴き楽しむことができた。
ビング ・ クロスビー( Bing Crosby )の『white christmas』もフランク ・ シナトラ( Frank Sinatra )の『white christmas 』もアンディ ・ ウィリアムス( Andy Williams ) のものも好きである。
pict-もよう-1
まだまだ健常であった頃のような状態にまで戻ってはいないが、少しずつ少しずつホンマにチョビッとずつではあるが後退せずに回復が進んでいることを自覚できているので良い年を迎えることが出来そうだ。

今年の訪問リハビリも通所リハビリも終わった。 
新しい年のリハビリ開始までは自宅での自主リハビリだけだが、何が何でも頑張り続けねば・・・・・


※ 青色部分をクリックすれば 『 You Tube 』 にリンクし、各曲を聴くことが出来る。
   ( 冒頭部で広告が出るのもある。)




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December 27, 2013

多少は気骨ある知事かと・・・

結局のところ札びらでホホを撫でられ 『 オ ・ ワ ・ リ 』
ってことか。

アメリカ軍の普天間飛行場 ( 宜野湾市 ) の名護市・辺野古への移設に向けて、政府の埋め立て申請を承認したんだと。
pict-BBC-Lion-2
仲井真知事というのは、これまでの彼の言動から多少は気骨ある政治家かと思っていたが、結局のところ条件闘争・・・ははははは、闘争とは言えんが、条件さえ良ければ旗は何時でも降ろしまっせえと言う安モン政治屋に過ぎんかった。
独善的で怖いもの無しの安倍首相に、そこそこの条件を認めさせたのだから、そうした意味では大した根性の持ち主と言えんこともないが、所詮は、ただの 『 ど厚かましい商売人 』 程度にしか私には見えん。

『 ど厚かましい奴 』 を大阪では 『 がめつい奴 』 と言う。
pict-象-1
5000 万円もの大金を無利息、無担保、返済期限無し、おまけに収入印紙も実印も押しとらん紙切れを借用書だと東京都知事 ( 副知事も経験 ) で作家でもある猪瀬氏が強弁していたが、彼も 『 がめつい奴 』 の範疇に入る輩である。

都が補助金支出や許認可権を有している企業から例え借入金であっても金銭の授受があれば、これはもう服pict-BBC-Lion-1務違反であり、都知事で作家という知識人であり文化人とされる猪瀬氏が知らなかったとか政治家としてアマチュアだったなどと開き直るとは・・・・・将に世も末、情けない奴と言うべきで、政治家どころか人間としてアマチュアもエエとこである。

私に言わせれば、触法という点で灰色、いや 『 限りなくクロ 』 との印象をもって猪瀬氏を見ているのだ。

沖縄の知事も齢だけ重ねて 「 この程度か 」 という人物。 東京の前知事はヒョッとすれば検察のお世話になるかもしれん奴。

知事も市長もアブナイ輩が多いのかもしれん。
ぶっはははは。 奴らを選ぶ側にも問題アリ、なのだが・・・・・




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December 23, 2013

冬至の日のこと ( 12/22 )

冬至のことを書く前に・・・・・

フィンランドの友人から今年もシーズン・グリーティング・カードが届いたことを 12 / 14 付けブログで書いた。
勿論今の時節だからクリスマスと新年を祝うカードであり、欧米のクリスチャンがカードを交換するのは珍しいこpict-P1080497とではないし、日本での年賀状と同じようなものと理解して良い。

しかし最近日本では電子機器端末の利用者増大で年賀状を用いる人たちの数が減っているのだとか。
クリスマス・カードの方はどうなのか、これについては聞いたことがないので分からないし、欧米社会の現状についても知らない。
確かに挨拶することだけが目的ならば、年賀状でなければならないという理由はないだろう。
pict-P1080498でも、電子年賀状というのは何とも味気ないような感じを覚えるのは齢のせいだろうか・・・・・

写真のカードも頂いたものだが、絵はカワユイし、飛び出しカードになっており、カードを見た途端、カードを開いた途端、クリスチャンであろうとなかろうと、きっと誰もが 『 ニコッ 』
とホホを緩めてしまうはずだ。
そうした変わったデザインや趣向を凝らしたカードは頂くだけでも楽しいし、季節の挨拶や近況などをカード発送者自身の言葉で書かれていたら、受け取る側としてこれほど嬉しく思えることはないと私は思う。

カードをありがとう。 送り主にはこの場でお礼を申し上げておく。

雪六角-3-2

さて、昨日 ( 22日 ) が冬至であり、日本では柚子風呂や冬至南瓜などの伝承があることについて書いておいた。
南瓜は多分家内が煮物として調理するだろうと想像はしていたのだが、柚子風呂は諦めていた。
ところが、介護福祉用具会社の T 氏がやって来て、デモ商品として浴槽の手すりや浴槽内の椅子を運び込んでpict-浴槽手すり-1くれたので、昨晩浴槽内へ浸かってみることを試みたのである。

半身浴のような感じに写っているのは浴槽内に沈めた椅子に座っているからで、浴槽壁に見える赤色の輪が支持環であり、手前の赤色の椅子はシャワー浴の場合に使ってきたものである。

浴槽に体を浸けることぐらい、手すりの必要も椅子を沈めておく必要もないではないかと考えるのは健常な時のこと。
6 月に退院して以来、昨夜初めて浴槽に浸かるまで全く不可能なことだったのだ。
不安で怖いからというのではない。 足の筋力が健常な時のように体を支えたり持ち上げたり出来ないし、膝を 90 度よりも小さく曲げることも出来なかったから、浴槽壁をまたぐことも浴槽底にお尻を下して座ることも、その状態から立ち上がって浴槽から出てくることも困pict-入浴修正-1難どころか、ハッキリ不可能だったのだ。

それが先日来、どういった状態で浴槽内への入浴が可能となるか様々なシチュエーションをイメージしていて、手すりや浴槽内に一定の高さのステージがあれば何とか出来そうだと私の脳が判じたのだった。
そのことを M 理学療法士に伝え、M ケア・マネージャーを通じて介護福祉用具会社の T 氏に商品pict-柚子葉付き-1見本を持ってきてくれるよう依頼してもらっていたのだ。

そして昨晩、写真のように 1 年ぶりに浴槽に体を浸けることが出来たのである。
これからますます冷え込みが強くなる昨夜、またひとつ大きいステップを踏み上がることが出来たことは私にとっては素晴らしいことであり、勿論、このことを家内も大いに喜んでくれた。
まだ完璧に自由に思うまま脱衣・浴室・浴槽へと体を動かせるわけではない。 危険と不安が常に付きまとっているのが実態で、体を動かせていくことに困難さを感じるし、相当な恐怖心を持っていることは否定できない。

しかしだ、これまでもそうだったが・・・・・
ほとんどの看護師、それに多くの理学療法士たちは患者に対して 『 安全 』 を第一の条件として接してくる。
pict-入浴-4勿論この姿勢は大事であり基本とすることに異論はない。
しかし、患者の 『 安全 』 を重視するあまり、医療面で必要であるべき積極さが後退してしまっていることも多いように私は感じてきた。

患者の現状・実態を十分に認識した段階で、十二分に 『 安全 』 を担保したpict-南瓜-2上、時には患者をジャンプさせることも大切であることを忘れてはならないと私は考える。

「 這えば立て、立てば歩めの親心 」 と言うが、勇み足の親心であってはいけない。 
しかし、『 這い這い 』 の次段階は 『 つかまり立ち 』 であり、『 つかまり立ち 』 が出来たら次は 『 つたい歩き 』 へと進むわけで、親心として順序としては正しいと言える。

私自身リハビリ訓練にあたり、常に安全を担保しつつ行っている。
あらゆる状況を想定しながら危険性が限りなく少ないと判断した時に初めて小川を跳び越えることに挑戦してきた。
自分自身の現状についての理解、つまり何かの事にあたる際の実力については自分が最も良く熟知しているものなのだ。

今回、浴槽へ体を浸けることも私自身があらゆるシチュエーションを想定し、入浴のための環境や私自身の筋pict-南瓜煮物&酒-1力など諸状況を勘案して実行したもので、安倍首相が語ったアンダーコントロールという虚言とは全く異なるものであった。

そうした努力の結果に対するご褒美だったのだろうか。
今夜の料理には少しでいいからお酒が欲しいなあと家内に求めたら、いつもは素気無い返事しか戻ってこないのに写真の通り燗酒が・・・
量は 1 合にも満たなかったけれど、嬉しかった。

夕食は写真の通り 『 てっちり 』 と 『 てっさ 』 であった。
pict-てっちり-1寿司屋の大将 I 氏が見舞いに来てくれ、差し入れてくれたものである。

寒い冬と言えば鍋料理だとは思うが、家内と二人っきりの我が家の食卓に鍋が出ることは稀である。
私は鍋料理を好むけれど、ほとんど野菜しか食べず、しかも少食の家内とでは鍋料理は合わないのだ。
鍋料理となれば私のための私だけの献立のように思えて私自身心苦しい思いがするからでもあるのだ。

ところが 『 てっちり 』 だけは別。 家内は 『 てっちり 』 のフグは好物なのである。 だから 『 てっちり 』 の場合pict-てっちり-2は野菜と豆腐だけでなく、河豚も喜んで食べてくれるのである。
しかし、フグ料理だけは家で調理というわけにいかないので、冬至の夜の私たちの食事がどれだけ素晴らしく賑わいのあるものになったか想像いただけるかと思う。

ポン酢は大将 I 氏の店特製のものだし、たまたまだが我が家には柚子もあった。
しかも、しかもだ。 
写真のように 『 てっさ 』 まで引いてきてくれた。
pict-てっさ&湯引き-1『 てっさ 』 は新鮮なフグの身を向こうが透けて見えるくらいに薄く包丁を引くように削ぎ切る、つまりスライスしたものなのだが、大将 I 氏は少し厚めに引いてくれる。
この厚みが・・・・・個人の好みではあるが、噛みしめた時に口の中でジュワーッと滲み出してくるフグの身の味わいが、これがもう何とも言えない・・・・・ぶっははははは。
これ以上書くと読んだ人に叱られそうだから止めておこう。

生魚、つまりお造り ( 刺身 ) は殆ど一切れ程度しか食べない家内だが、 『 てっさ 』 だけは別なのだ。
pict-てっさ-2
家内が喜んで、しかも 『 少食 』 という枠をちょっぴり外して食べてくれるお造り ( 刺身 ) は伊勢海老と 『 てっさ 』 だけかなあ。 強いて言えば海から上がったばかりの ウニ と 透き通るような剣先イカの身である。

フグ皮の湯引きは燗酒のアテ。
pict-湯引き-2通常は雑炊まで行くのだが、万事に ? きっちりした家内が 「 雑炊は明日にしようね 」 だと。
私の摂取カロリーを踏まえての言葉だから、私も止む無くうなづくだけであった。

フグ皮の湯引きは写真の通りの 『 とおとうみ 』。
魚を上手にさばきおろす人ならホンマに薄っぺらい皮だけにしてしまうが、それではフグ皮は寂しいものになってしまう。
pict-フグ-3別に薄くなった皮だけでも構いはしないが、写真の通り皮に少し身を付けて湯引きにしたものの方が味わいが賑やかで寂しくなく美味しいと私は思っているのだ。

写真のトラフグの皮の表面はウロコが変化した小さな棘状のもの ( 棘鱗 ) で覆われている。
だからフグの皮を剥いだ後、まな板の上に皮を広げ、包丁で棘鱗をこそぎ取るのだが、包丁の刃が直ぐにダメになるんだと聞いたことがある。
まあ棘鱗をそぎ取る作業は置いておいて、フグの背面部分は棘鱗の付いた薄い皮で覆われ、その内側にゼラpict-地図-10-10チン質 ( 多分コラーゲンだと思う ) の部分が厚みとしては僅かだがあり、更にその内側にフグの身があるのだ。

『 とおとうみ 』 は 『 遠江 』 と書き、奈良の都から遠く離れた水辺 ( 湖 ) の地とでもいう意味で江戸時代には遠州と呼ばれていた地域で、地図に示した通り 『 三河 』 の隣に位置している。
ここからは、やや眉唾ものと言うか、こじつけと言うか洒落のようなものだが、『 三河 』、つまり 『 身 』 と 『 皮 』 で 『 身皮=三河 』、その 『 三河 』 の隣にあるのが 『 遠江=とおとうみ  』 に掛けて 『 とおとう身 』 と呼んでいるのだと 40 年ほど前に魚屋の H さんに教えてもらった 『 とおとうみ 』 の謂れだ。

この色塗りした地図一帯は戦国時代の日本における国盗りでもオモシロイ地域である。 勿論、戦が良いと言う意味でオモシロイと言っているのではない。 念のため。

さて、これ以上続けると話が広がり過ぎるのでココで終わりにしておこう。( 12 / 22 記す )


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December 22, 2013

あれから 1 年

本日 12 月 22 日( 日) は冬至である。
pict-柚子-1昨年の冬至は 21 日(金) であったが、この日は私にとって忘れることの出来ない日であった。
と言うのも、腹部に最初の強烈な痛みを感じたのが 12 月 16 日(日) の朝。 その後病院で診察を受けるも病因を特定出来ないまま激痛とその強烈な痛みのために眠れない日々を過ごし、下半身が完全に麻痺状態となって身動きがとれなくなったのが 21 日( 冬至 ) だったのだ。

pict-ムクドリ-1-2救急車で病院へ搬送され、MRI のほか、幾つか病因診断のための検査と手術実施のためのプロセスを経ることになったのだろうけど、何時の時点からか記憶が飛んでしまっているのだ。

人前で痛い痛いと大声を上げるようなことは 『 恥 』 だと思っていた私だから激痛を我慢していたのかもしれない。
しかし、午前 9 時半過ぎに病院に入り、手術室に入ったのが午pict-ムクドリ-1-3後 6 時前だったから、いかに我慢強い私であったとしても 8 時間の長きにわたって、しかもアノ時の尋常ではない激痛を思えば、ずっと我慢していたとは到底考えられないのだ。 
ステージで仰向けに固定されて撮影される MRI 検査の時、腹の中に針山を仕込まれたような状態だったのだから、その痛みたるや大変なもので、僅かな体の動きであっても激痛と連動していpict-ムクドリ-1-4たのだから記憶から消えてしまうわけがないのだ。
多分、いずれかの時点で麻酔がかけられたのであろう。

写真は最近になって集団で飛んでくるようになったムクドリ ( 椋鳥 )。
朝食気が付いたのは
 21 日(金) の深夜、その時は時刻も場所も分からなかったが、救命救急室のベッド上のことであった。
激しい痛みから解放されていることと、周囲の状況から生かされているように感じたことで安堵したのか、直ぐにまた眠りに落ち込み、目覚めたのが 22 日( 土 ) だった。pict-玉子とワカメのスープ-1
この日は施術後。直ぐだったので朝食はなかった。
激痛が続いていた家での数日間も食事としてまともに食べてはいなかった。
アノ日から 1 年。
下半身麻痺に対するリハビリは今日も行っているが飛躍的という言葉はリハビリには無いようだ。
それでも、やらねば何も生まれない。
だから日々リハビリを続けている。
『 継続は力なり 』 だ。
pict-柚子-3私がリハビリに力を傾けるのは当然だが、私の発病以来、家内も共に私のリハビリを側面的に支援すべく取り組んできてくれている。
朝の食事(写真)にしてもそうだ。 変わり映えがしないものではあるが、高血圧や糖尿病などの治療を考慮しての食材や、一日の総摂取カロリーなどを考えpict-柚子スダチ蜂蜜マーマレード-1あわせて毎食作ってくれている。

以前にも書いたが、柚子スダチ蜂蜜マーマレードは家内の手製である。

私が立ち小便をすることが出来ないことと、まだ歩行に若干の不安があるのでベッドわきに小便器(安楽)を備えてもらっているが、それの処理も家内がしてくれている。
入浴についても浴槽に入ることが困難なのでシャワー浴にしているが、これの世話もしてくれてい昼食る。
つまり、自立出来ていない私の介助・介護のために自分の時間を使ってくれているのである。
力仕事を求めることは無理だが、『 老老介護 』 とは言え何かと助かるし心強くも感じている。

上の写真は本日の昼食で、いつも野菜中心の献立。 アジの干物に本日は頂戴物の 『 金のサンマ 』 を特別余計に出してくれた。
pict-柚子-2毎年、冬至は柚子風呂にしているのだが、昨年は手術・入院でダメだったし、今年もシャワー浴しか出来ないので無理。
うーーん、何とかしてみたいが・・・・・やっぱりアカンかなあ。

一昨年までは伊予産の柚子を沢山頂戴していたけど、今年はマーマレードの原材料にも必要なので少しだけ買い入れてきた。
ただ写真の枝葉付きの小ぶりの柚子はご近所から頂戴したもの。

冬至と言えば洒落で東寺を思い浮かべるが、京都の東寺 ( 教王護国寺 ) では弘法大師の月命日である 21 日に境内で 『 弘法市 』 が開かれている。
pict-東寺-1
今月も市が開かれたが、12 月は今年最後の市になるので 『 終い弘法 ( しまい・こうぼう ) 』 と呼ばれている。
冬至は毎年同じ日というわけではない。 地球の公転、つまり地球が太陽の周りを回るのに同じ日数時間でpict-南瓜-1回っているのではないために少しばかりズレが生じるのだ。
冒頭で書いた通り昨年の冬至は 21 日(金) であったが今年は今日、
12 月 22 日( 日) である。

冬至と言えば 『 終い弘法 』 も同時期であるが、古来伝承されてきた風習では 『 柚子風呂 』 に 『 冬至南瓜 』 であろう。
多分我が家の夕食の膳にも南瓜が盛られることになるだろう。

あの日から 1 年。
いろいろあった。


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December 21, 2013

恥の文化・・・

日本文化を 『 恥の文化 』 と評したのはルース ・ ベネディクト ( Ruth Benedict ) であり、彼女が著書 『 菊と刀 』 において欧米文化を『 罪の文化 』 として対比類型したものであった。

欧米人の倫理・価値・文化観というのは内的良心を意識したもので、その根底は一神教であるキリスト教の原罪pict-菊と刀-1意識に立脚し、神の前で罪を意識して生きるものであるとするものだ。
それに対し日本文化は外的な批判を意識する 『 恥 』 であるとしているのだが、完璧にして正確とまでは言わないが一面、的を得た定義であると私は受け止めてきた。

R・ベネディクトの 『 菊と刀 』 に初めて出会ったのは
1966 年だった。 かな ?  品川清治先生の社会学特講か英文講読の時だったような・・・・・。
日本人の行動規範となる価値基準は周囲の人たちの目、つまり、周りからどのように見られるか、見られているかということが日本人の行動を規定・制御する示準となっており、こうした外面的制裁を『恥』という言葉をもって日本文化を一括りにしているのがベネディクトの説である。  この、『 菊と刀 』 を読了作田啓一-1後、その要約と私見を発表せよというのが品川先生の指示だった。( と思う )

説は説として素直に受け入れていたのが当時の私だったように思うが、翌年だったか作田啓一・京大教授が 『 恥の文化再考 』 を出版し、ベネディクトが一括りにした日本文化=『 恥の文化 』 観に異論を唱える立場があることを知ったのだった。

ぶっははははは。
またまた寄り道のような・・・・・
近頃は回り道が多くなったが、昔のことがよく思い出されるのだ。

『 過去に起こったことを全て映像で記憶している。( だから ) 昔のことでも即座に思い出せる。』 と語っていたのは猪瀬直樹・東京都知事である。 いや、既に辞表を都議会議長に出した猪瀬直樹ゆえ、正しくは前・東京都知事になるかな。
pict-P1080515-A映像化して記憶させることは直接・間接に拘わらず記憶をより鮮明にさせるという点で効果があると私も感じていることだが、残念ながら認知心理学や神経生理学などの分野での明確な実証報告を未だ耳にしたことがないのだ。

しかしなあ・・・・・過去の出来事を全て映像化して明瞭に記憶している猪瀬氏のはずが、エエ加減で曖昧な、間違いだらけの記憶を語っとる。

マスコミとの会見や都議会で答弁する猪瀬氏の姿に日本文化の 『 恥 』 というものを見出すことは難しかった。
彼が認知症患者 ( 以前は老人性痴ほう症と言われていた ) であるという症状も認められないし・・・・・

強いて強いてだが、あえて猪瀬氏の良心と言うか彼の内面にあるかもしれない 『 恥 』 と言うものを見つけてあInose-22げるならば、都議会中継で答弁中の猪瀬氏が盛んに汗を流していたということぐらいである。

脳波、心拍、血圧、呼吸など、脳から発せられる微弱な電気信号を正確に測定する機器の開発が進み医療が飛躍的に進んだことは誰もが認めるところである。

ただ、血圧や呼吸、或いは発汗作用などは意識的に訓練することによって故意に数値を変えることも可能ではあるが、テレビ中継時にタラタラ沢山の汗を背広の襟にしたたり落とした猪瀬氏に果たして訓練時間があったのか、どうか。
流れ落ちる汗までアップ映像を撮られることまで予想していたとも考えられないことなどを思えば、強弁の裏に垣間見せた猪瀬氏のノミの心臓と、つまり小っちゃいTohden-Hospital-1-1チッチャイものではあるが彼の持つ 《 良心=恥 》 の表れと見てやっても良いかと私は思う。

徳洲会からの無担保・無利子・返済期限なしの
5000万円。
貸金庫がどうのとか、
5000万円の運び方がどうのとか。 
借金なのか、選挙資金なのか・・・・・
東京電力病院の売却を要請 etc

いずれも猪瀬氏が東京都副知事の職にあった時のこと。
公務員の服務との関わりで言えば、5000万円の貸借関係を認めた時点でレッドカードである。

pict-オオカミ-2そこへ選挙資金かもしれないという疑惑。 東電病院の売却要請も何やらヤヤコシイ。

猪瀬氏が石原慎太郎前知事より後継者の指名を受け、自民党、公明党、維新の会の支持を受けて都知事選に立候補。
日本共産党や社民党の支持を受けて立候補した日弁連前会長の宇都宮健児氏らを破って猪瀬氏が当選したのが昨年の今頃だった。
それも 433 万 8936 票 ? だったか、史上最多という得票を記録してのことだった。
東京都の有権者数が 1080 万人程度だから実に半数近い都民の支持を得たのが猪瀬氏だったわけだ。

ここで忘れていけないのは彼を支持したのが自民党、公明党、維新の会だったということ。 
pict-オオカミ-1
このヤヤコシイ問題に対し都議会が真剣に取り組むつもりがあるならば、最初っから地方自治法に基づく 『 100条委員会 』 を構成して解明すべきであることを私は当ブログでも書いてきた。

しかし、先ずは本人の説明を聞いてみないとと、自民党や公明党は総務委員会での質問という方法を選んだ。
結果、訂正に訂正を加えてノラリクラリと 『 記憶にございません 』 と、あしらわれてばかり。
追及の限界を感じて 『 100条委員会 』 設置を決定しようとした途端、猪瀬氏が都知事を辞職すると自ら辞表を提出。

この辞職 ( 劇 ) も何やら胡散臭いものがある。
高村-1自民党の副総裁である高村氏が、「 知事の職務権限と関係する仕事をする人から、5000 万円の大金を受け取ったという外形的事実だけで、知事自身が出処進退を決断するのに十分だ。」 と語ったようだが、5000 万円受け取りの認知は何日も以前のことだ。
そして猪瀬氏を都知事候補として支持したのは誰あろう、自民党だったのだからなあ、もっと早くにマトモな判断と行動が取れたはずなのである。

自民党の総裁は安倍首相、副総裁が高村、幹事長が石破・・・・・
pict-P1080516-A公明党とやらも一体どないなっとるんや。
猪瀬氏が当選した時にはエライ意気軒昂であったような・・・・・
ぶっははははは
国政ばかりか都政でも、
むむむむむ


どいつもこいつもテキトーな奴ばかり。

まともで当り前な政治を求め、本気で都政を考えるなら猪瀬氏が辞職しようがしまいが 『 100条委員会 』 を設置して事実を解明すべきではないだろうか。
猪瀬氏は都知事の給与を 1 年分返上するとか言っていた。
選挙後の生活 ( 落選した時の ) を心配していた猪瀬氏が 1 年間も知事給与を返上するだと。
それだけしても知事職というのは大きい見返りがあるということだろうか。
都議会議場-2悪かったから給与返上で勘弁してくれってことだろうか。

たしかに、サムライの時代なら 『 ハラキリ 』 でチョン。
現代なら 『 辞職 』 が切腹の代わりかもなあ・・・・・

禊 ( みそぎ ) を終えたとか、社会的制裁を済ませたとか、武士の情けとかの言葉もあるにはある。
が、堪忍するには堪忍してあげられるような事案か事情といったものが考えられねばならん。
私は悪いことをした人であっても徹底的に責めて詰め切るべきと思っているわけではない。
武士の情けといった感覚を持ち合わせているし寛容の心の大切さも十分理解して検察徽章-1いる。
しかし、今回のような徳洲会を含む猪瀬氏の一連の言動や、彼を都知事にと支持・支援してきた自民党や公明党の自らの誤まちに対し寛大でいることは許せないのだ。

以前にも書いたが、原発事故を起こして多数の人々を困窮の立場に陥れておきながら、もうじきに丸 3 年を迎伊藤茂樹-1えようとするにも関わらず、今もって放射能による危険と不安を解消できないばかりか我が儘な駄々っ子のごとく国の支援ばかりを願っている東電の幹部連中は心底許せん。
それに、みずほ銀行のように
二面ヅラと二枚舌を持つ頭取を含む幹部連中も許せんのだ。

奴らは厚顔無恥の陳腐な輩にしか私の目には映らん。
まったく字の通り、『 無恥 』 なのだ。
日本人の価値基準の大切なひとつである 『 恥 』 が見れないのだ。

せめて検察がしっかりしてくれたらと思う。
ロッキード事件の時の東京地検特捜部はよく頑張った。 が、今回はどうだろうか。

しかし、東京地検は職務として当然果たさねばならないことだが、何よりも東京都民が猪瀬氏を選んだ責任を重く受け止めるべきである。
猪瀬氏がダメだったから次は誰にしようかって、東京都知事はそんな軽ーーい職と違うやろ。
政党もエエ加減やし、肝心なのは都民自身なんやが・・・・・


masatukamoto at 16:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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