January 2014
January 21, 2014
残 念 《 敬 弔 》
クラウディオ・アバド ( Claudio Abbado ) 氏逝去の報道があった。
いろんな曲を楽しませてもらったが、とりわけマーラーについてよく聴かせてもらった。
亡くなられたことは残念なことであり、ご冥福を祈る。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のホームページでも
弔意が表されていた。
C・アバド氏はブルーノ・ワルター ( Bruno Walter )、カール・ベーム ( Karl Böhm )、カラヤン ( Herbert von Karajan )、ロリン・マゼール ( Lorin Maazel ) らとともに我が早朝コンサートの常任指揮者のひとりである。
昨年の 2 月だったか 3 月だったか、私は病室でヴォルフガング・サヴァリッシュ ( Wolfgang Sawallisch ) の
訃報を耳にした。
サヴァリッシュも早朝コンサートの指揮者の1人であるが、コンサートの指揮者に任じているのは単に私が希望しただけであって、彼らはそれぞれのオーケストラを率いて我が所有のレコードやCDから現れ出てくれるだけのこと。
現れ出ると言えばアラビアンナイトの 『 アラジンと魔法のランプ 』 を思い浮かべる。
魔法のランプをこするとランプの中から魔神が出てきて何でも願いを聞き叶えてくれるというのが話の筋であった。
我が指揮者たちは何でもというわけにはいかないが、素晴らしい音の世界と情景を思い起こさせてくれるということで、レコードやCDから現れ出る魔神と言えるかもしれない。
私がクラシックに興味を持ち始めた 1960 年頃、ワルター、ベーム、カラヤン、マゼールらは既に世界的に有名な指揮者であった。
ユージン・オーマンディ
( Eugene Ormandy )
オットー・クレンペラー
( Otto Klemperer )、
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
( Wilhelm Furtwängler )、
ルドルフ・ケンペ
( Rudolf Kempe )、
ヴァーツラフ・スメターチェク ( Václav Smetáček )、
ヴァーツラフ・ノイマン ( Václav Neumann )、
レナード・バーンスタイン ( Leonard Bernstein 写真上 )、サー・ゲオルク・ショルティ ( Sir Georg Solti ) らは随分長いお付き合いになるが、彼らはみーんな記録上の人物になってしまった。
いろんな曲を楽しませてもらったが、とりわけマーラーについてよく聴かせてもらった。
亡くなられたことは残念なことであり、ご冥福を祈る。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のホームページでも
弔意が表されていた。
C・アバド氏はブルーノ・ワルター ( Bruno Walter )、カール・ベーム ( Karl Böhm )、カラヤン ( Herbert von Karajan )、ロリン・マゼール ( Lorin Maazel ) らとともに我が早朝コンサートの常任指揮者のひとりである。
昨年の 2 月だったか 3 月だったか、私は病室でヴォルフガング・サヴァリッシュ ( Wolfgang Sawallisch ) の
訃報を耳にした。
サヴァリッシュも早朝コンサートの指揮者の1人であるが、コンサートの指揮者に任じているのは単に私が希望しただけであって、彼らはそれぞれのオーケストラを率いて我が所有のレコードやCDから現れ出てくれるだけのこと。
現れ出ると言えばアラビアンナイトの 『 アラジンと魔法のランプ 』 を思い浮かべる。
魔法のランプをこするとランプの中から魔神が出てきて何でも願いを聞き叶えてくれるというのが話の筋であった。
我が指揮者たちは何でもというわけにはいかないが、素晴らしい音の世界と情景を思い起こさせてくれるということで、レコードやCDから現れ出る魔神と言えるかもしれない。
私がクラシックに興味を持ち始めた 1960 年頃、ワルター、ベーム、カラヤン、マゼールらは既に世界的に有名な指揮者であった。
ユージン・オーマンディ
( Eugene Ormandy )
オットー・クレンペラー
( Otto Klemperer )、
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
( Wilhelm Furtwängler )、
ルドルフ・ケンペ
( Rudolf Kempe )、
ヴァーツラフ・スメターチェク ( Václav Smetáček )、
ヴァーツラフ・ノイマン ( Václav Neumann )、
レナード・バーンスタイン ( Leonard Bernstein 写真上 )、サー・ゲオルク・ショルティ ( Sir Georg Solti ) らは随分長いお付き合いになるが、彼らはみーんな記録上の人物になってしまった。
January 19, 2014
このところの様子・・・②
朝のコンサートが休演中なので起床時刻も少し遅くなって
6 時前後となっている。
朝起きて指定席 ? に座り、先ずエアコンのスイッチを入れ、続いてセラミック・ヒーターのスイッチも入れる。
部屋全体の暖房には時間がかかるが、1200W のヒーターは 《 スイッチ・オン即温かい 》 という優れものである。
次に、家内が前夜に用意してくれているオシボリで顔を拭く。
夏の間は良かったのだが、流石に 12月半ば以降は冷たくて、テーブル上に置いた湯沸しポットの湯をしたたらせてから顔と手を拭いているのだ。
気化熱のため直ぐに顔も手も冷やっとするのだが、一時的には温かく寝起きの顔も気持ち良くシャンとするのだ。
この後テレビのニュースを見て、だいたい
4 チャンネル ( MBS 毎日放送 ) の 『 朝ズバッ !』 を見ていることが多い。
7 時過ぎには上の写真のような定番・定食と言える内容の朝食が出される。
定番と書いた通りメニュー内容に大きい違いはないのだが、冬に入って変わったのはタマネギを主にした生サラダが炒めて出されるようになったことである。
辛く感じていたタマネギが随分甘く感じられるようになった。
それにキャベツかレタス、ニンジン、トウモロコシ、プチトマトが加わっている。
炒め物とは言うものの、ほとんど油無しの炒め物なので、炒め物のイメージが変わってしまう代物なのだ。
と言って決して不味くはない。
これは家内の名誉のために書いておかねばならない。
写真は柚子スダチ・マーマレード。
柚子とスダチのピールがたっぷり入っていて私好みの味と香り。
蜂蜜の量が少なく、甘さもウンと控えめなのでサイコ―。
右の写真のように、この日のスープはモズクが入っていた。
昨日のスープはゴボウが入っていたし、キノコのスープだったことや玉子・スープ、ワカメ・スープの時もあった。
家内に尋ねてはいないけれど、多分これらのスープは市販のものだろうと思う。
だからと言うと家内には悪いが、これらのスープ、なかなか美味いのである。
上の写真はゴボウ・スープ。
昨日は正月に用意した黒豆の煮物も出してくれていた。
子どもの頃はあまり好きではなかった煮物だが、黒豆に限らず、近頃はどのような煮物も大好きになっている。
デザートが大好物のイチゴになっていることは以前にも書いた。
冬場にイチゴを食べることが出来るなんて子どもの頃には考えられないことだった。
何でもかでも時期外れのモノが作られ、季節感が無くなってきて寂しい感じがすると以前に書いたことがある。
しかし、イチゴに限らず大好物を季節外れの時期に食べられることは嬉しいことであり素晴らしいことであるとも思う。
全く随分勝手な思いを抱くものだと呆れるのだが、所詮人間とはこの程度のものなのかもしれない。
ついつい食べ物の話になってしまうのだが、平日の朝によく観ている 『 朝ズバッ !』 という番組だが、以前は 『 みの もんた 』 氏が出演していた。
彼の息子さんが不祥事を起こしたとかで番組を降りたようだが、次回にでも少し私の考えを書いてみよう・・・・・かな。
6 時前後となっている。
朝起きて指定席 ? に座り、先ずエアコンのスイッチを入れ、続いてセラミック・ヒーターのスイッチも入れる。
部屋全体の暖房には時間がかかるが、1200W のヒーターは 《 スイッチ・オン即温かい 》 という優れものである。
次に、家内が前夜に用意してくれているオシボリで顔を拭く。
夏の間は良かったのだが、流石に 12月半ば以降は冷たくて、テーブル上に置いた湯沸しポットの湯をしたたらせてから顔と手を拭いているのだ。
気化熱のため直ぐに顔も手も冷やっとするのだが、一時的には温かく寝起きの顔も気持ち良くシャンとするのだ。
この後テレビのニュースを見て、だいたい
4 チャンネル ( MBS 毎日放送 ) の 『 朝ズバッ !』 を見ていることが多い。
7 時過ぎには上の写真のような定番・定食と言える内容の朝食が出される。
定番と書いた通りメニュー内容に大きい違いはないのだが、冬に入って変わったのはタマネギを主にした生サラダが炒めて出されるようになったことである。
辛く感じていたタマネギが随分甘く感じられるようになった。
それにキャベツかレタス、ニンジン、トウモロコシ、プチトマトが加わっている。
炒め物とは言うものの、ほとんど油無しの炒め物なので、炒め物のイメージが変わってしまう代物なのだ。
と言って決して不味くはない。
これは家内の名誉のために書いておかねばならない。
写真は柚子スダチ・マーマレード。
柚子とスダチのピールがたっぷり入っていて私好みの味と香り。
蜂蜜の量が少なく、甘さもウンと控えめなのでサイコ―。
右の写真のように、この日のスープはモズクが入っていた。
昨日のスープはゴボウが入っていたし、キノコのスープだったことや玉子・スープ、ワカメ・スープの時もあった。
家内に尋ねてはいないけれど、多分これらのスープは市販のものだろうと思う。
だからと言うと家内には悪いが、これらのスープ、なかなか美味いのである。
上の写真はゴボウ・スープ。
昨日は正月に用意した黒豆の煮物も出してくれていた。
子どもの頃はあまり好きではなかった煮物だが、黒豆に限らず、近頃はどのような煮物も大好きになっている。
デザートが大好物のイチゴになっていることは以前にも書いた。
冬場にイチゴを食べることが出来るなんて子どもの頃には考えられないことだった。
何でもかでも時期外れのモノが作られ、季節感が無くなってきて寂しい感じがすると以前に書いたことがある。
しかし、イチゴに限らず大好物を季節外れの時期に食べられることは嬉しいことであり素晴らしいことであるとも思う。
全く随分勝手な思いを抱くものだと呆れるのだが、所詮人間とはこの程度のものなのかもしれない。
ついつい食べ物の話になってしまうのだが、平日の朝によく観ている 『 朝ズバッ !』 という番組だが、以前は 『 みの もんた 』 氏が出演していた。
彼の息子さんが不祥事を起こしたとかで番組を降りたようだが、次回にでも少し私の考えを書いてみよう・・・・・かな。
このところの様子・・・①
新年になったからといって大きい変化はない。
強いて拾い上げるとするなら、早朝のコンサートが未だ冬休み状態であること。
それと、通所リハビリで世話になっている老人介護センターでの待ち時間を麻雀グループに入れてもらうことになったことだ。
これは PT によるリハビリ 1 単位 ( 20分 ) と機械による ( パワーリハビリ ) を行っている曜日について、パワーリハの効果とこれに要する時間や待ち時間などを考慮し、Y 理学療法士の勧めでジイサン達と麻雀をすることに変更したのだ。
ぶっはははは、私もジイサンではアル・・・・・が、他の方たちは 80 歳前後なので、私からすれば大先輩のジジ様達なのだ。
Y PT によれば、車椅子から立ち上がるようにして牌を自模る動作にリハビリ効果が期待できるし、麻雀を楽しみつつジイサン達との交流も図れ一石二鳥だと言うのだ。
強いてと上に書いたように特段なことは無いのだが、訪問リハビリにおいて腹這い ( うつ伏せ ) 状態での運動を取り入れるようになった。
思い返せば 2012 年 12 月初旬に腹這いになったことがあるように思うが、以後まるまる 1 年 2 ヶ月の間、うつ伏せの姿勢をとったことが無かったのだ。
お腹、太もも、すね、足の甲に足の指と、ベッドのマットと接する部分の何と妙な感触。
接しているという感覚が有るような無いような・・・・・
まだまだ回復には程遠いことを実感した次第。
写真は 2013 年 1 月下旬、Y PT の指導で彼にしがみ付くように術後初めて立ち上がった時のリハビリの様子。
「 どうですか調子は ?」
うーーん、いか様に答えれば良いのか悩むところである。
尋ねて下さる方は私の体調が少しでも良くなっていることを願い、私のより良い返答を期待して聞いて下さるのである。
だから、私としてもリハビリの訓練効果が決して後退しているわけではないので、返事の内容にリハビリの結果あらわれ出たる進捗変化の状態を具体的に話したいと思ってはいるのだ。
しかし、リハビリの効果というのは日々視覚的に具体的に表出するものではないというのが私が感じているところである。
写真は 2013 年 4 月下旬、S PT と M PT の指導で病院廊下を歩いた時のもの。
前かがみで歩行姿勢は悪い。 しかし、2 本の杖を用いてだが僅かなりとも歩いて前へ進めるようになった。
これは上のリハビリ開始から 3 ヶ月という時間的幅を置いての視覚的に見える変化である。
以前にも書いたことがあるが、一昨日に二つの訓練を行い、昨日は三つの訓練を行ったと仮定して、それら訓練の和として、つまり 2 + 3 = 5 という効果が本日見ることが出来るかと言えば、そんなことは有り得ないと断言できるのがリハビリの効果なのだ。
写真は 2013 年 12 月下旬、訪問リハとして拙宅に来てくれた
M PT の介助で我が家の門前まで歩いた時のもの。
術後ほぼ 1 年を経て、立つ姿勢は良くなったものの 2 本の杖は必須用具。
現在 ( 2014年1月時点 ) 持久力としては老人介護センター建物内の平坦な廊下を休憩を挟んで 2~300m程度は歩けるようになってきた。
勿論、何かあれば直ぐ支援出来るよう背後に Y PT が付き添ってくれているからこそ出来ているのであり、決して安定した状態ではなく、常に不安感を抱いたままの歩行である。
上の写真のような舗装されていない凹凸のある地面は
今も危なくてアブナクて怖いコワーーイのだ。
占いの場合、当たるも八卦当たらぬも八卦と言うが、リハビリの場合訓練を開始・継続するならば占いのように確率 5 割などということは先ず無いと私は思っている。
つまり 『 有 』 か 『 無 』 ではなく、『 有 』 ではあるが短時日での変容の度合が大変微々たるものであるため即時に 『 有・無 』 の判定は出来ないけれど、長い時間的幅をもって見れば変化の様子を見ることができるものだと信じている。
そんなわけだから 「 どうですか調子は?」 と問われ、できるだけキッチリ答えたいと思うものの思う通りにもいかず忸怩たる思いを隠すことが出来ないでいる此の頃である。
強いて拾い上げるとするなら、早朝のコンサートが未だ冬休み状態であること。
それと、通所リハビリで世話になっている老人介護センターでの待ち時間を麻雀グループに入れてもらうことになったことだ。
これは PT によるリハビリ 1 単位 ( 20分 ) と機械による ( パワーリハビリ ) を行っている曜日について、パワーリハの効果とこれに要する時間や待ち時間などを考慮し、Y 理学療法士の勧めでジイサン達と麻雀をすることに変更したのだ。
ぶっはははは、私もジイサンではアル・・・・・が、他の方たちは 80 歳前後なので、私からすれば大先輩のジジ様達なのだ。
Y PT によれば、車椅子から立ち上がるようにして牌を自模る動作にリハビリ効果が期待できるし、麻雀を楽しみつつジイサン達との交流も図れ一石二鳥だと言うのだ。
強いてと上に書いたように特段なことは無いのだが、訪問リハビリにおいて腹這い ( うつ伏せ ) 状態での運動を取り入れるようになった。
思い返せば 2012 年 12 月初旬に腹這いになったことがあるように思うが、以後まるまる 1 年 2 ヶ月の間、うつ伏せの姿勢をとったことが無かったのだ。
お腹、太もも、すね、足の甲に足の指と、ベッドのマットと接する部分の何と妙な感触。
接しているという感覚が有るような無いような・・・・・
まだまだ回復には程遠いことを実感した次第。
写真は 2013 年 1 月下旬、Y PT の指導で彼にしがみ付くように術後初めて立ち上がった時のリハビリの様子。
「 どうですか調子は ?」
うーーん、いか様に答えれば良いのか悩むところである。
尋ねて下さる方は私の体調が少しでも良くなっていることを願い、私のより良い返答を期待して聞いて下さるのである。
だから、私としてもリハビリの訓練効果が決して後退しているわけではないので、返事の内容にリハビリの結果あらわれ出たる進捗変化の状態を具体的に話したいと思ってはいるのだ。
しかし、リハビリの効果というのは日々視覚的に具体的に表出するものではないというのが私が感じているところである。
写真は 2013 年 4 月下旬、S PT と M PT の指導で病院廊下を歩いた時のもの。
前かがみで歩行姿勢は悪い。 しかし、2 本の杖を用いてだが僅かなりとも歩いて前へ進めるようになった。
これは上のリハビリ開始から 3 ヶ月という時間的幅を置いての視覚的に見える変化である。
以前にも書いたことがあるが、一昨日に二つの訓練を行い、昨日は三つの訓練を行ったと仮定して、それら訓練の和として、つまり 2 + 3 = 5 という効果が本日見ることが出来るかと言えば、そんなことは有り得ないと断言できるのがリハビリの効果なのだ。
写真は 2013 年 12 月下旬、訪問リハとして拙宅に来てくれた
M PT の介助で我が家の門前まで歩いた時のもの。
術後ほぼ 1 年を経て、立つ姿勢は良くなったものの 2 本の杖は必須用具。
現在 ( 2014年1月時点 ) 持久力としては老人介護センター建物内の平坦な廊下を休憩を挟んで 2~300m程度は歩けるようになってきた。
勿論、何かあれば直ぐ支援出来るよう背後に Y PT が付き添ってくれているからこそ出来ているのであり、決して安定した状態ではなく、常に不安感を抱いたままの歩行である。
上の写真のような舗装されていない凹凸のある地面は
今も危なくてアブナクて怖いコワーーイのだ。
占いの場合、当たるも八卦当たらぬも八卦と言うが、リハビリの場合訓練を開始・継続するならば占いのように確率 5 割などということは先ず無いと私は思っている。
つまり 『 有 』 か 『 無 』 ではなく、『 有 』 ではあるが短時日での変容の度合が大変微々たるものであるため即時に 『 有・無 』 の判定は出来ないけれど、長い時間的幅をもって見れば変化の様子を見ることができるものだと信じている。
そんなわけだから 「 どうですか調子は?」 と問われ、できるだけキッチリ答えたいと思うものの思う通りにもいかず忸怩たる思いを隠すことが出来ないでいる此の頃である。
January 18, 2014
ご心配を頂き 拝 謝
年賀状を見て知った、驚いた etc.
お手紙で、お話で、そして拙宅へお越しも頂いた。
お気にかけて頂いているだけで有り難く、ご心配をかけていることを申し訳なく思っている。
2012年の 12月16日に発症したため、年末に投函する 2013年の年賀状は O 氏夫妻に作成と発送をお願いしたのだ。
賀状作成と発送の時点で私の病状や治療についての目途は全く見えず、賀状を作成できる体調ではなかったし、作成しようとする気持ちやその事に思いを巡らす余地など全く無い状況で病室に横たわっていたのだから、2013年の年賀状を受け取って頂いた方たちには私が変わらず元気でいるものと受け止められていたことになる。
それが 2014年、つまり今年の年賀状をご覧頂いた方たちの殆どは 1 年間の空白期間を置いて私の病気入院と、そのために続けているリハビリ生活のことを知られたわけだ。
1 年前のことだから驚かすことも心配をかけることもなかろうと思ったのだが、誠に申し訳なく、心底より感謝申し上げたく、ここに記しておくこととする。
深 謝
お手紙で、お話で、そして拙宅へお越しも頂いた。
お気にかけて頂いているだけで有り難く、ご心配をかけていることを申し訳なく思っている。
2012年の 12月16日に発症したため、年末に投函する 2013年の年賀状は O 氏夫妻に作成と発送をお願いしたのだ。
賀状作成と発送の時点で私の病状や治療についての目途は全く見えず、賀状を作成できる体調ではなかったし、作成しようとする気持ちやその事に思いを巡らす余地など全く無い状況で病室に横たわっていたのだから、2013年の年賀状を受け取って頂いた方たちには私が変わらず元気でいるものと受け止められていたことになる。
それが 2014年、つまり今年の年賀状をご覧頂いた方たちの殆どは 1 年間の空白期間を置いて私の病気入院と、そのために続けているリハビリ生活のことを知られたわけだ。
1 年前のことだから驚かすことも心配をかけることもなかろうと思ったのだが、誠に申し訳なく、心底より感謝申し上げたく、ここに記しておくこととする。
深 謝
小正月雑感
正月も三が日はアッと言う間に過ぎ、小寒だ七草粥だと思っている間に成人の日も過ぎてしまった。
とにかく早い早い、日が経つのが。
そうそう、成人の日は1月15日と、私の頭の中は未だに以前のままであった。
コロコロでもないが、『 ならわし 』 の如く伝承されてきた事柄は安易に変えてもらいたくはないものだ。
成人の日は私の子どもの頃から1月15日と決まっていたものだった。
15日という日は闇雲に訳もなく制定された訳ではない。
月の満ち欠けをもって暦算していた頃、新年元旦を大正月、そして新年最初の満月を迎える日、つまり十五夜の日を小正月として祝い事の日と定めていたのである。
上は現在の暦 ( 太陽暦 ) に月齢を当てはめたもので、
出典は、《 こよみのページ ( http://koyomi8.com/ )》
昔は月が満つるを吉事 ( きちじ ・ よごと ) とし、妊娠から出産へと孕む妊婦のお腹を月に例えて子孫繁栄、豊穣の象徴ともしてきた。
そして古来、成人となる祝い事を元服の儀と呼び、
男児16歳にして大人とする儀式を十五日に行ってきた。
平安時代には元服の儀式として冠をつけることを行い、これを初冠 ( ういこうぶり ) と呼んだ。
初冠と言えば思い出すのは伊勢物語。
高校の古文の教科書で出会ったのが最初であった。
齢16にして初冠・・・・・伊勢物語の第一段 『 昔、男、初冠して平城の京、春日の里に知るよしして狩りにいにけり。』 だったと思う。
受験に向けてのこともあり、土佐日記、平家物語、徒然草などなど、冒頭の書き出し文は今も覚えているものが多い。
この里に 『 いと なまめいたる女 はらから住みけり 』 だったと思うが、なまめいたる姉妹を私と同い年の男が垣間見たというのが書き出しであり、ただなまめかしい姉妹ではなく、『 いと 』 なまめかしいとの表現だったので、いかほど、どのように艶っぽかったのか大いに興味を抱かせられたものだった。
ついでに書けば、『 陸奥 ( みちのく ) の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに 』 は嵯峨天皇の皇子 ・ 源 融こと河原左大臣の歌で古今集に収録されているし、百人一首にも入っているので広く知られている歌。 そして、初冠をした男が春日の里の女に贈った歌がこの歌であり、私が東北地方 ( みちのく ) に深く関心を持つようになったのもこの歌がきっかけとなったのである。
鎌倉期以降の武家社会にあっては烏帽子 ( えぼし ) を付けることを元服の儀式としたが、この儀において新成人に烏帽子を被せる後見人は烏帽子親と呼ばれ尊敬の対象ともなった。
生みの親、育ての親、里親、褌親など親は尊崇されるべきものとの思想が日本人の精神的支柱にはあったのだ。
こうした思想が一般大衆にまで一層強く広まり浸透していったのは江戸時代、武士社会、儒教思想、文化文政期、大衆文芸といった言葉をキーワードに綴ることが出来るが、ここでは飛ばそう。
親が尊敬の対象だったのは今は昔のことになってしまったのかも・・・・・
『 今は昔 』・・・・・
うん ? 今昔物語の書き出しは 『 今は昔 』 であったし、竹取物語も 『 今は昔、竹取の翁と云ふ者ありけり 』 で始まっていたなあ・・・・・
ヒトの記憶回路と発想、その起因と関連―――これは行動科学のオモロイ研究テーマになるが・・・・・ぶっははははは。
烏帽子とは字の通りカラスのような黒い帽子といった意味がある。
烏鷺 ( うろ ) の争いという言葉があるが、黒いカラスと白いサギの争い。 つまり囲碁のことを指す言葉である。
また、烏合 ( うごう ) の衆という言葉もあるが、原則も何も無いタダの集合体という意味で、夜が明けた都会の街角に出されたゴミ袋に群がるカラスの集団・・・・・エサを探し食べようという共通の目標 ? があるにはあるが、そのために互いが何をするというキマリもハタラキといったものも無い。
自民党や公明党は都知事に猪瀬氏を推薦支持したことに対して何の反省も示さず、 A がダメだったから次は B だと、一方、自民党を蹴っておきながら今回は支援を受けると、これもエエ加減節操が無い舛添氏が都知事選に出るんだと。 うーーむ、ツマラン政治屋に連想が広がり繋がってしまった。
話を戻そう。
1月15日は戦後ずっと成人の日であり、古来この日に元服の祝儀を行ってきた。
そして、松の内と言われる正月期間もこの日まで。
所によっては神事としての悪霊払い、或いは各家に福をもたらした年神様をお送りするとして正月飾りなどを片付け燃やす 『 とんど 』( 地域によって、どんと・どんど・とんと等とも言う ) が行われたりもする。
我が家の門松も飾りの青竹と梅花に南天の実は収集ゴミとして出すよう家内に片付けてもらった。
ただ毎年のことだが、葉牡丹は枯れるまで別植えにし、松も根が張ってきているので別植えにし、後に山へ・・・・・
と、今日は既に18日。
家内は来週にコンサートがあるらしく、本日はチェンバロとの音合わせをしてもらうのだとか。
今日は私が留守番にもならぬかもしれぬが、一日留守番を務めることとなる。
今年も、もう明後日 ( 20日 ) は大寒だ。
早い早い、とにかく日が経つのが早い。
とにかく早い早い、日が経つのが。
そうそう、成人の日は1月15日と、私の頭の中は未だに以前のままであった。
コロコロでもないが、『 ならわし 』 の如く伝承されてきた事柄は安易に変えてもらいたくはないものだ。
成人の日は私の子どもの頃から1月15日と決まっていたものだった。
15日という日は闇雲に訳もなく制定された訳ではない。
月の満ち欠けをもって暦算していた頃、新年元旦を大正月、そして新年最初の満月を迎える日、つまり十五夜の日を小正月として祝い事の日と定めていたのである。
上は現在の暦 ( 太陽暦 ) に月齢を当てはめたもので、
出典は、《 こよみのページ ( http://koyomi8.com/ )》
昔は月が満つるを吉事 ( きちじ ・ よごと ) とし、妊娠から出産へと孕む妊婦のお腹を月に例えて子孫繁栄、豊穣の象徴ともしてきた。
そして古来、成人となる祝い事を元服の儀と呼び、
男児16歳にして大人とする儀式を十五日に行ってきた。
平安時代には元服の儀式として冠をつけることを行い、これを初冠 ( ういこうぶり ) と呼んだ。
初冠と言えば思い出すのは伊勢物語。
高校の古文の教科書で出会ったのが最初であった。
齢16にして初冠・・・・・伊勢物語の第一段 『 昔、男、初冠して平城の京、春日の里に知るよしして狩りにいにけり。』 だったと思う。
受験に向けてのこともあり、土佐日記、平家物語、徒然草などなど、冒頭の書き出し文は今も覚えているものが多い。
この里に 『 いと なまめいたる女 はらから住みけり 』 だったと思うが、なまめいたる姉妹を私と同い年の男が垣間見たというのが書き出しであり、ただなまめかしい姉妹ではなく、『 いと 』 なまめかしいとの表現だったので、いかほど、どのように艶っぽかったのか大いに興味を抱かせられたものだった。
ついでに書けば、『 陸奥 ( みちのく ) の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに 』 は嵯峨天皇の皇子 ・ 源 融こと河原左大臣の歌で古今集に収録されているし、百人一首にも入っているので広く知られている歌。 そして、初冠をした男が春日の里の女に贈った歌がこの歌であり、私が東北地方 ( みちのく ) に深く関心を持つようになったのもこの歌がきっかけとなったのである。
鎌倉期以降の武家社会にあっては烏帽子 ( えぼし ) を付けることを元服の儀式としたが、この儀において新成人に烏帽子を被せる後見人は烏帽子親と呼ばれ尊敬の対象ともなった。
生みの親、育ての親、里親、褌親など親は尊崇されるべきものとの思想が日本人の精神的支柱にはあったのだ。
こうした思想が一般大衆にまで一層強く広まり浸透していったのは江戸時代、武士社会、儒教思想、文化文政期、大衆文芸といった言葉をキーワードに綴ることが出来るが、ここでは飛ばそう。
親が尊敬の対象だったのは今は昔のことになってしまったのかも・・・・・
『 今は昔 』・・・・・
うん ? 今昔物語の書き出しは 『 今は昔 』 であったし、竹取物語も 『 今は昔、竹取の翁と云ふ者ありけり 』 で始まっていたなあ・・・・・
ヒトの記憶回路と発想、その起因と関連―――これは行動科学のオモロイ研究テーマになるが・・・・・ぶっははははは。
烏帽子とは字の通りカラスのような黒い帽子といった意味がある。
烏鷺 ( うろ ) の争いという言葉があるが、黒いカラスと白いサギの争い。 つまり囲碁のことを指す言葉である。
また、烏合 ( うごう ) の衆という言葉もあるが、原則も何も無いタダの集合体という意味で、夜が明けた都会の街角に出されたゴミ袋に群がるカラスの集団・・・・・エサを探し食べようという共通の目標 ? があるにはあるが、そのために互いが何をするというキマリもハタラキといったものも無い。
自民党や公明党は都知事に猪瀬氏を推薦支持したことに対して何の反省も示さず、 A がダメだったから次は B だと、一方、自民党を蹴っておきながら今回は支援を受けると、これもエエ加減節操が無い舛添氏が都知事選に出るんだと。 うーーむ、ツマラン政治屋に連想が広がり繋がってしまった。
話を戻そう。
1月15日は戦後ずっと成人の日であり、古来この日に元服の祝儀を行ってきた。
そして、松の内と言われる正月期間もこの日まで。
所によっては神事としての悪霊払い、或いは各家に福をもたらした年神様をお送りするとして正月飾りなどを片付け燃やす 『 とんど 』( 地域によって、どんと・どんど・とんと等とも言う ) が行われたりもする。
我が家の門松も飾りの青竹と梅花に南天の実は収集ゴミとして出すよう家内に片付けてもらった。
ただ毎年のことだが、葉牡丹は枯れるまで別植えにし、松も根が張ってきているので別植えにし、後に山へ・・・・・
と、今日は既に18日。
家内は来週にコンサートがあるらしく、本日はチェンバロとの音合わせをしてもらうのだとか。
今日は私が留守番にもならぬかもしれぬが、一日留守番を務めることとなる。
今年も、もう明後日 ( 20日 ) は大寒だ。
早い早い、とにかく日が経つのが早い。