March 2014
March 19, 2014
嬉しく幸せな便り・・・(2)
水曜日は訪問リハビリも通所リハビリも無いので、基本的には自宅での自主トレならぬ自主リハに終始する。
しかし、平日で空いている日が水曜日だけなので、逆に水曜日に用事が集中し、長閑な気分でおれる時は少ない。
先週も先々週も病医院通いでノンビリという感じがしないまま一日を過ごした。
今日の午前は来客。 午後は家内が用事で出かけるので留守番。 この折に自主リハとなるが、ひとりでコトを進めることが出来るので先ず先ずノンビリ長閑と言える。
先日、嬉しく幸せな便り・・・(1) で 『 縁 』 にまつわることを書いたが、嬉しく幸せな便りの今一つの件に触れずじまいだった。
博多の S 朗 ・ I 子夫妻からの便りである。
ふたりの間に生まれた Y ちゃんが 5 ヶ月になったんだと。
S 朗との邂逅も不思議な 『 縁 』 であるが、説明は省く。
立派な社会人である彼を S 朗と呼ぶのは失礼だと思いつつも A さんと呼ばないののは、S 朗と呼び始めた時から今日まで彼との様々な繋がりによる思いというものが心の中に形成されており、呼称を変えるということを大いに邪魔しているからである。
長ーい長ーい春を経て、S 朗がようやく民法上の責任を明確にして、ケジメをつけたのは 『 嬉しゅうて 嬉しゅうて
( August 25, 2012 )』 に書いているように 2012年 1月29日のことであった。
《 博多・住吉神社での挙式の写真を掲載している 》
そう、彼のケジメをつけるという意味の言葉は何度か聞かされていたのだが、今回こそはと S 朗の言葉を信じた私は直に祝いの言葉をかけるため博多へ向かった。
船長の店で会うことを約したのだったが、その日、博多で私はぶっ倒れてしまい、翌日、赤坂で S 朗に会ったのだった。
今回の病の前兆だったのかもしれない。
病のことはさておき、私は、ともかく嬉しかった。
S 朗が長ーい春になかなかピリオドを打てなかった最大の理由は彼の優柔不断な性格にあったが、親や親族の肝炎感染症に関する理解の問題も大きかった。
しかし S 朗 ・ I 子夫妻に健康上の問題は何も生じていないし、
Y ちゃんを授かることも出来た。
しかも Y ちゃんは 5 ヶ月を迎えたと。
私は便りをとても嬉しく読ませてもらったが、何より S 朗 ・ I 子夫妻の喜びは大きいものであったろう。
感染リスクの高い時期を Y ちゃんはクリアしてきているのだから。
スタイル良くハンサムな S 朗とベッピンで賢い I 子を両親に生まれた Y ちゃんである。
カワユイ素敵な女性に育つことは間違いなかろう。
しかし Y ちゃんが成人する頃、私は・・・・・・
March 18, 2014
記念すべき日
誕生、結婚、入学、卒業、就職などは誰の人生においても大きい記念日と言えるだろう。
記念すべき日を大小で区別するのも如何かとは思うが、それぞれの人の思いというものが込められることなので一列に語れるものではないだろう。
monumental なもの、
celebration 、或いは memorable なものなど、英語でも若干重みの違いを感じる言葉がある。
昨 3月17日は私にとって記念すべき日と言うほどではないにせよ、memorable な日、記録・記憶しておくべき日とするに吝かではない日となった。
前ページで書いたように、昨日は 『 春・・・かな?』 と思うほどの日よりだったので M 理学療法士が屋外での歩行訓練を提案してくれたのだ。
健常な状態で屋外を歩くのとは何もかも違うのだ。
このことは頭では理解出来ていても実際の行動とは大きく異なり、侮れば大変なことになってしまうのだ。 だから、無理や無茶はしない。 これはリハビリを受ける方も治療にあたる PT も同じことである。
もっともリハビリを受けている私は PT の指導に従順で口ごたえひとつせず、言われるがまま、されるがままなのだから、俎板の上の鯉と言うか、熱い鉄板の上の猫みたいなものである。
そう、熱ければ踊るように飛び跳ねねばならない猫と同様、一定の条件が揃えば無理のない程度に次のステップにジャンプする、このことが重要である。
私は 『 啐啄同機 』 という言葉をしばしば使うが、昨日の私と M 理学療法士の関係は将に 『 打てば響く 』 ような間柄であったのだ。
屋内から屋外へ。
それは私に対する屋内での歩行訓練において、筋力や持久力、歩行姿勢や安定度など様々な面を総合的に判断しての M PT の提案であったのだ。
私にとっては不安や恐怖といった気持ちが強い。
万が一にも倒れたら・・・・・
身体は柔らかく受け身の心得もあり、安全な倒れ方も分かる。 骨格も含めて体も頑丈だし、衝撃緩衝材のような贅肉もたっぷり。
と言うのは手術を受けた
一昨年以前のこと。
今は全てが無い。
医師も言っている。 コケたら厄介、致命的ダメージとなることも・・・と。
病院で幾人も見てきたから充分どころか、十二分に分かる。
だが、 M PT は一段階ステージを上げてくれたのだ。
いろんな条件を踏まえてのことである。
そのことが嬉しい。
概算距離だが往復で、せいぜい 200メートル。
しかし、車椅子ごと乗せてもらう福祉カーでは週に二度通り、目をつぶってでも歩けていたような我が家前の道、この道を時間をかけて、まるまる 1年と 3ヶ月ぶりに我が足で歩いたのだ。
歩く時の視線は 3mか 4m先。 とても前方遠くを見据えて歩く余裕などなかった。
怖かった。
しかし、しかし、物事の初めは何事も困難が付き物。
ようやく、ようやく、やっと、やっと第一歩と考えれば、3月17日は私にとって将に記録しておく程度では無いハッキリと記念すべき日であると言える。
ご心配下さっている皆さんへの直近のご報告に代えて。
March 17, 2014
春・・・かな?
3月 1日から15日早暁まで連日連夜にわたる厳しい修行が行われた東大寺の修二会も、15日午後の開山堂参拝をもって満行となった。
以前にも書いたことがあるが、大和 ( 奈良 ) 地方では 『 お水取り ( 修二会 ) が終われば春 』 と言ってきた。
世間一般でも 『 暑さ寒さも彼岸まで 』 と言うが、彼岸の入りは 18日の火曜日である。 だから寒さも今日 17日までということになる。
15日の土曜日は前夜からの冷え込みで朝の内は寒かったが、昼頃よりは気温も上がり、16日(日曜) も本日 17日も暖かい日が続いている。
いよいよ、春・・・かな? と思うほどの日よりだ。
上は昨 16日 ( 日曜 ) の日の出 ( 午前 6時25分撮影 ) である。
今朝 17日 ( 月曜 ) は春霞の中の日昇と言えるものであった。
( 下の写真で午前 6時39分撮影 )
いずれも私の定位置 ( 常座場所 ) からではなく、定位置より
50 cm 程度左側 ( 北側 ) へ寄った場所からの撮影である。
この日の出の位置が、これから日に日に北側、つまり画面上の左へ左へ移動していくのだ。
それにつれて季節は春となり初夏となり、やがて暑い暑い夏へと・・・・・
はてさて、私の歩行機能回復も季節に伴って進んで行ってくれるのだろうか。
もうしばらくすると M 理学療法士が来てくれるが、今日は良い天気なので外を歩いてみようと言ってくれるかもしれない。
嬉しいけど怖い。
しかし練習して外の道にも慣れなければ・・・・・
この介助は家内には無理。
M PT に頼る以外にない。
機能回復は、放っておいて成せるものではないのだ。
March 13, 2014
嬉しく幸せな便り・・・(1)
『 縁 』 というのは、つくづく不思議なものであると思う。
『 縁 』 というもの、結ぼうと思えば結べるようで、結んだと思ったら結べてはいなかった。 ところが意識せず意図しもしないのに、知らぬうちに 『 縁 』 で結ばれていたということは決して珍しいことではなく日常生活においてよくあることだ。
しかし、至極普通に極々日常的に起きていることだから普段の忙しさ ? ということもあって、いちいち気に留めて思いを巡らせる人は少ないと、これは私の思いではあるが・・・・・
私の思いということでは、『 縁 』 は真に人智を超越したもの、つまり極端な表現だが科学では証明し得ない何か得体の知れない力が働いているものだと受け止めている。
だから・・・・・と、大上段に振りかぶるつもりはないが、人と人の関わりということでの 『 縁 』 については常に 『 一期一会 』 の気持ちを胸に秘めて日々精進できるように努めようとしているし努めてもきた。
ぶっははははは。
正しくは 「 努めてもきた 」 ではなく、「 努めてもきた ・ つ・も・り 」 と書かねばならない。
私自身も忙しさ ? ということで誤魔化してきた面があるように思う。
『 去る者は追わず来る者は拒まず 』 の思いを持って人に接し、静けさを得た折に 『 脚下照顧 』。
「 つ・も・り 」 はあくまでも 「 つ・も・り 」 であって、反省すべき事柄は毎日ワンサカとある。
写真の大福餅、とても美味しいのだが地元でも販売制限があって手に入れにくい物なのだと。
旅行で当地へ来ているので 『 霧の森大福 』 を今から送るので食べてほしいと。 そして歩行機能が早く回復することを祈っているとの電話を頂いた翌日、一昨日のことだがクロネコヤマトが届けてくれた。
新宮村と書いてあるが、現在の愛媛県四国中央市新宮町のことであり、合併前は川之江市が中核となっていた地域である。
川之江市は北側に瀬戸内海の燧灘 ( ひうちなだ ) が広がり、南側に四国山地が構える将に四国の真ん中にあたる行政区が四国中央市であるが、新宮町は四国山地の方にある。
この大福餅を送って下さった方は昔からの知り合いでも親しい友人という間柄でもなく、まだつい最近知り合ったばかり。 先12月、愚息の結婚式&披露宴を終えて自宅まで送ってもらったタクシーの運転手М氏である。
もっとも40分ばかり、ただ乗せてもらったというだけでなく、足が不自由で歩行困難な私の介助にあたっていた家内の注意が私のことに集中していたためトランクに積んでもらっていた荷物を取り出さずに帰ってもらったタクシーだったのだ。
家内の名誉のために書いておくが、うっかり忘れというのは私も含めて誰にでも起きること。 この時の忘れ物は一度に処理しなければならない事柄が多過ぎたために起きたことで老齢化による認知障害ではない。
タクシーの料金精算をし、我が家の門扉、ドアを開き、その後に私の歩行介助を屋内までしてくれた家内。 私は両手を杖で支え転倒しないよう歩む自身のことだけで精一杯。
そんな状況下、座席に持ち込んだ荷物は家内がタクシーと自宅を行き来して運び入れたのだが、お茶を飲みながらほっと寛いだ時点でトランクに入れた物に気が付いたのだ。
太閤園に電話を入れて当該タクシーを探してもらい、次の仕事に戻っていたМ氏に連絡が取れたので再度我が家まで来てもらったのだ。
М氏にすれば師走の気ぜわしい雰囲気の稼ぎ時を、他府県の、それも初めて送り届けた家を探しながら暗い道を走って来るのである。 いかに運転のプロとは言え、カーナビもなく地理音痴の家内が説明する道案内のみが頼りでは迷わず来れるわけがない。
それでも、随分と時間をかけながらも忘れ物を届けてくれたのである。
言うならば、これだけの関係である。
それが賀状を頂戴することになり、そしてこの度は旅先から美味しいものとともに療養の見舞いに加えて励ましの言葉までかけてもらった。
『 縁 』 って本当に不思議なものだと思うのだ。
卑近な例を挙げれば、家内と 『 縁 』 を結んだ一人っ子の私は、その時点から立派な兄や姉を持つ末っ子となった。
家内との結びつきは我が意志の結果だが、兄や姉と 『 縁 』 を結ぶために家内選んだわけではない。
更に時間を戻すならば、私はなぜ家内を選んだか、また選ぶことが出来たのか・・・・・
ぶっはははは
いくらでも遡り想うことは可能だが必然の解など出るわけはない。 つまりは無駄なこと、時間の浪費だと一顧だにされないのがフツウなのだろう。
私がヒマ人なのかもしれん。 こんなことに、『 縁 』 に意味を持たせて考えるなんて。
でも、まあええやないか。
ちょっと地質と断層に関わる図を入れてみたが、お茶の産地だという新宮町がどのような所なのか私なりに調べてみた資料の一部である。
これもどうでもええと言えばどうでも良いことではある。 だが、私なりの理解方法で興味を満足させるための手だてのひとつなのだ。
『 霧の森大福 』 について少しだけ書いておこう。
『 霧の森大福 』 は写真の通り薄目の皮の餅に挽いた茶 ( かぶせ抹茶 ) をまぶしてあり、餅の中には小豆餡と更にその中に白いクリームが入っている和洋折衷の大福餅と言える。
大福の味わいについては甘さ大いに控えめで茶の香り良く美味しいと私は思うが、これは人それぞれの好みによるからココまで。
March 10, 2014
寒っぶいなあ…
三寒四温とは言うものの、今朝の冷え込みはキビシイ。
東大寺・二月堂のお水取りを 12日夜の籠松明の写真で紹介されることが多いが、この時期ほんまにサッブイ ( 超寒い ) のだということを7日 (金) のブログに書いた。
もう40年近く前のことだ。 父親から譲ってもらったニコンF ( 昭和34年購入 ) と 6×6版のゼンザブロニカ、それに交換レンズなどを入れた大きいアルミ製カメラケースと三脚
2 基を担いで二月堂の下へ早い時間から職域先輩と三人で撮影の場所取りをした。
籠松明が二月堂上に運ばれて、松明を振って火の粉が堂下に落とされるのは真っ暗になる午後 7 時半以降で時間的には 20~30分程度の短さであったように記憶しているが、場所取りから撮影終了まで数時間、足先は勿論だが頭の先までキンキンに冷え込み、こんな撮影は二度と要らんと心底思ったものだった。
上は気象衛星 3 月10日午前 4 時のもの。 昨 9 日夜半からゴォーゴォーとガラス戸に当たる北風の音で何度か目を覚ましたが、衛星写真が示す通り低気圧が東へ移動していくのに伴なって大陸高気圧の強い冷たい風 ( 白い筋雲=黄色い矢印 ) が吹き込んできていたことが分かる。
下は10日午前 9 時の写真だが日本海の白い筋雲は明瞭であり、豊後水道や紀伊水道あたりから太平洋へ流れ出ているのも見てとれる。
上の衛星写真の通り完全な西高東低、冬型の気圧配置になっており寒いのは当然なのだが、
いやイヤ嫌。
もうサッブイのはいらん。
寒いのは頭のテッペンとフトコロで充分ダ。よーん
ぶっははははは。
今日は理学療法士が我が家に来てくれる訪問リハビリの日だ。