April 2014

April 30, 2014

リハビリついでに (3)

April 18, 2014 付の 『 リハビリついでに (2) 』 で書きかけてそのままになっている近隣の史跡についてだが、史跡の写真を撮ってからと思っていたのだが、天候の具合やリハビリの内容との兼ね合わせもあって思うようにいかないのだ。
かと言ってあまり長い期間を空けてしまうと、繋がりと言う点で読む側だけでなく書いている私自身の興味も薄れてしまうのだ。 以前、続きを書くつもりでいたのに完全に飛ばしてしまったものに韓国・済州島のことがあっpict-バラ生花いろいろ-1た。 今も忘れているわけではないのだが、何事も 『 思い立ったが吉日 』 と思い 『 一気呵成 』 にやってしまうことが大事であるように思う。
勿論 『 急いては事を仕損じる 』 とか 『 急がば回れ 』 などと言う俚諺があることも知ってはいる。
また一方で 『 善は急げ 』 だとか 『 先んずれば人を制す 』 などと言う俚諺もある。

まあ物事は考えようとも言うが、前後左右上下と言うように相対する立場や考え方というものがあって成り立つもので絶対というものは無い。 
こうしたことは言ってみれば科学的思考のイロハみたいなもので更に言うなら 『 当たるも八卦当たらぬも八卦 』 と
・・・・・・・まあここまで言ってしまうと、
ぶっははははは。
pict-アザレア(赤紫八重)もう笑ってゴマカスほか無い。

しかし、いかに 『 吉日 』 だ 『 急ぐ 』 と言っても 『 コトを仕損じ 』 たり 『 慌てる乞食は貰いが少ない 』 の如きになってはツマランことであり、やはり 『 石橋を叩いて渡る 』 ことも大事かと・・・・・

確かに、慎重さは大切なことであり、闇雲に 『 一気呵成 』 というのは頂けない。
pict-アザレア(ピンク八重)石部金吉さんと揶揄されるほどの堅物で慎重居士とも評される人なら先ず間違いをしでかすこともないかと思う。
が、融通が利かないほど生真面目で慎重ゆえに石橋も叩いて叩いて何度も何度も叩いて調べているうちに渡れる橋も割ってしまって渡れなくしてしまうのではと、何とも妙な話の展開になってしまった。


まあ言葉の遊びはこの辺で終わっておくことにして近隣の史跡へ・・・・・


masatukamoto at 13:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 29, 2014

いやーな 雨ふりだ

昨日からパラパラと降り出した雨だが、今朝はしとしとと、今日は一日中雨降りのようだ。pict-雨降りカット-5
昭和の日で休日だが通所リハビリは休業にならない。 午後の一番に福祉車両で我が家まで迎えに来てくれるが、雨天の日は休みにしたいと思っているのだ。

リハビリ訓練を受けたいという気持ちは強いものを持っているのだが、雨天の場合、送迎の車pict-雨降りカット-1に乗降する際に濡れるのがイヤなこと。 それにリハビリ施設へ行っても屋外での歩行訓練が出来ないのでツマラナイと、こんなことを思い、雨天の日は休日にしたいと・・・・・

自分中心に思いを書いてみたが、送迎を担当してくれる介護士の人たちも気の毒だと私は思うのだ。
少しの雨なら互いにどうってことも無いのだが、本降りの雨となると・・・・・これはどうにもならん。
いつも我が家の送迎時には家内がいてくれるので雨天の際には傘をさしてくれるけど、傘をさす家内が濡れ介護士が濡れる。pict-雨降りカット-2

これらのことを思うと雨天の通所リハビリに行くのは気が重くなってしまうのだ。

家内も介護士も嫌がっているわけではない。 今の時点で何が最重要亊であるか、そのために何を為すべきか皆がよく理解し心得てくれている。 何より私自身が誰よりも最もよくpict-雨降りカット-4分かり切実な願いとして持っていることなのだ。

それでも雨天の日は休みにしたいと思うのだ。

四国・徳島のダムでは渇水状況がひどく恵みの雨となるようだが・・・・・・

「月さま、雨が・・・」pict-雨降りカット-3
と、見送りに出た雛菊。
空を仰いで月形半平太が、
「春雨じゃ、濡れてまいろう。」

あまりにも有名な祇園での一場面であるが、今日の雨は濡れて参る程度のものではないわ。


※ 雨降りのカットは可愛いかったのでネット上で拝借した。(クリックで引用先へ)









masatukamoto at 10:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 28, 2014

あっちもこっちもご無沙汰

歩くことが不自由というのは何とも情けなく辛いことだが、歩けないことによって食べに出かけることも出来ないというのは、これも悲しいことである。pict-朝日新聞夕刊切り抜き-1
もっとも訳も分からないままに病気を頂き手術を受けて入院し、体のあちこちにカテーテルを入れられている間は食べることも飲むこともままならない。
私の場合は消化器系疾患ではなかったから比較的早く経口食を開始することが出来たが、それでも長い入院期間中の食事は一日の総カロリーを1500kcalに抑えられ、1 食分は400~500kcalであったが不満など言える立場には無かった。 
勿論不足に思う時もあったが、これは言うまい、言ってはいけないと随分我慢してきたが、徐々に徐々に本当に僅かで遅々としたものだが機能が回復しつつある今、食べたいなあ飲みたいなあミナミへも長いこと行ってないなあ等といった不満が頭をもたげてきている。

そんな折も折、朝日新聞夕刊(4/26)に明石浦〆の桜鯛を調理する法善寺 『 喜川 』 の上野氏の写真が目に止まった。
pict-朝日新聞夕刊切り抜き-1-拡大
もう 1 年半もご無沙汰になってしまった。
「うーーーん。」
思うように動けないという欲求不満が積もっている上、食いしん坊の私にとってこの記事はトリカブト以上にキツイ、きつーい毒であった。
jpg
そんな気持ちを察してくれていたのか、家内がデパートで夕食用に下鴨茶寮の筍ご飯の弁当を買ってきてくれた。  もう少し良い ( 値段が高い ) のもあったようだが予約制だとかで、売り場にあった物を買ってきてくれたのだとか。
家内は少し小振りだが、やはり時節的なもので筍ご飯の弁当であった。
弁当の容器が共に発泡プラスチック製品で、弁当箱を持った感じなど安っぽくイマイチであったが、煮物の味は下鴨茶寮だけに、まずまずオーケー。
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多分予約制の弁当なら容器が異なるのだろうと思うけど、発泡プラスチック製品の容器では料理の素材良くて味付け良くても私はスカン。
家内と花見に行く時や、家での食事にと高島屋で弁当を買うことが時々ある。 
高島屋の美濃吉では N 氏が調理を担当しているので立ち寄るのだが、弁当はプラスチック製だが瀬戸物風で重量感や硬質感がある夕食-A1容器なので私はコチラの方が好きである。

たまに弁当買ってきて手抜きをしたわと家内は言うが、玉ねぎと糸コンニャクの炒め物、大根おろし、それにワカメスープの追加料理まで。
おまけにチョー熱燗もつけてくれた。

弁当の容器はどうでも良いが、喜川もご無沙汰である。
皆さん元気に頑張っているのだろうか。
本仁鶴の 『 きんちゃく 』(茶巾寿司) も長いこと食べていない。
本仁鶴の I 氏からは見舞いの電話を頂いたが、私が入院中に彼女と結婚式を挙げたらしい。
元気になれば改めて・・・・・

富雄・鮨一の I 氏とも暫くになる。
が、もう少し機能回復が進展しないと、まだちょっと店へ行くのは難しい。
27新しく店を構えたという我が町の料理屋 C も無沙汰である。
 5 月になればシャカシャカシャカと鱧の骨切りの音が聞こえてくるような気がする。
明石蛸の天ぷら、鱧の焼霜、うーーん、これでチョー熱燗ならサイコ―にご機嫌となるのだが。

家内は今夜友人たちと食事会だと出て行って今は留守。
会場は料理屋 C なんだと。

うーーむ。


上の写真は今日の朝食。《 どうでも良いのだが・・・ 》



masatukamoto at 21:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

ゴールデン・ウィーク間近

春に入って家内が草花の世話をする時間が格段に増えた。
これはこれで私にとって嬉しいことである。 
先に書いたように家内には自分の時間を大事にしてほしいし、そうしてくれていることで私の気分も和らぐし、様々な色彩の花々が目も楽しませてくれるのだから一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなるのである。
pict-すみれ比較-1
家内は鉢植え苗は時節をずらせて少しずつ購入、一年を通じ色とりどりの花を咲かせるようにしている。
また、秋には球根類を植えこみ、今の時期は種まきにも忙しくしている。
一年を通じて最も長く庭を彩ってくれているのは 『 三色すみれ 』 なのだが、今はパンジーと呼んでいる。また、小さい花をつける矮性の園芸種 ( だpict-三色すみれ比較-2と思う ) のものをビオラと呼んでいるようだ。


私が子どもの頃、スミレと言えば田畑の畔や土手に咲いていた小指の先ほどの小さな青色か紫色の花のもので、小学校の花壇に植えられる色混じりの大きめの花を三色 ( さんしき ) スミレと呼んでいた。 
これは随分華やかでハイカラな草花だという思いで見ていたが、これをパンジーと呼ぶことを知ったのは中学生になってからだったように思う。
pict-ビオラ比較-2ビオラという名前に至っては、家内が鉢植え花の世話をするようになってからのことだから、せいぜい10年ほど前に知ったくらいで、当初は 『 パンジーの小さいの 』 と呼んでいた。

比較のためパンジー(三色スミレ)とビオラの同倍率写真を上に掲載したが、花の大きさの違いがハッキリ分かるだろう。

前ページではチューリップに続いて咲いてきた黄色いフリージアの花の写真を貼っておいたが、末尾に紫ランがpict-フリージア-2-1ツボミ ( 蕾 ) を付けている写真も掲載した。
今朝の時点ではスズランが花を咲かせ、鉢植えの矮性ツツジ ( 西洋つつじ=アザレア ) も花を開き始めていた。
これは洋ツツジであって久留米でも皐月でもない。
以前の家の頃は百鉢を越える皐月を育てていたが・・・・・これは辛く悲しいpict-スズラン-2-1のでココまで。
そうそう、鉢植えの 『 てっせん ( クレマチス )』 もツボミが大きく膨らんできている。
天に向かって開く花色は江戸紫。
綺麗な色である。
そう言えば床の間の菖蒲の花も江戸紫の絞りであった。

明日は天皇誕生日、戦前は天長節と言ったが、現在、今上天皇の誕生日が12月23日なので 4月29日は国民の祝日として 『 昭和の日 』 となった。

もう直ぐに憲法記念日。 そして、子どもの日を迎える。
世間ではゴールデンウィークに入ったのかな ?pict-フリージア-2-2

しかし病院からの訪問リハビリは日曜祝日だけが休み。 ショートやデイ・サービスなども行っている通所リハビリ施設の場合、基本的に休みの日は無いので私のリハビリもゴールデンウィークとはならない。
 5月 5日は月曜日で訪問リハビリの日になっているが、子どもの日が祝日なので M・PT はお休み。 つまり私の休日ともなるのだ。
リハビリにかかる時間はもっともっと増やしてほしいのだが、まあタマにはノンビリできる休日も必要かと・・・・・



masatukamoto at 12:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 26, 2014

近頃、昨日

自分のしたいことを我慢し、日々の大半を私の看護・介護の時間に潰していた家内の姿は何とも可哀想で申し訳なくも思っていたのだが、私が少しばかり身の回りのことを自身の力で出来るようになってきたので、時々ではあるが家内が外出するようになった。pict-ルビナスほか-201

時間的には長くても半日程度であるが、草花の手入れのように家の中にいるのと何ら変わりないような状況ではなく、友達と会うだとか、楽器のレッスンに出向くだとか、お墓参りだとかデパートへ買い物になどと日々の環境の変化は家内の気分転換にも良いだろうし、私にとっても気分が楽に感じられるのだ。

身の回りのことを自分で出来るようになってきたと、これは相当エエカッコをしてpict-フリージア-2の表現であって、実情はトテモトテモ。
歩くのも両手に杖は変化がないし、歩行時の不安定感、これも変わってはいない。 ベッドや椅子から立ったり座ったりする動作も膝の不安定さから手の支えが必要で、時間を要するのである。
機能回復は現在も進行中ではあるが、現段階で出来ることもあれば出来ないこともあるのだ。
立ったり座ったりする動作もベッドや椅子から行う場合は出来るが、畳や床の上からという状況では出来ない。 
だから、屋外で歩行訓練を行っていて万が一倒れるようなことがあれば、その状態から立ち上がることはムツカシイということになる。 
故に理学療法士の指導のもとで訓練するか、先日の免許更新時の時のように頑健なpict-フリージア-1人物が側にいてくれるように依頼しておく他、現況では仕方がないのだ。
家内も火事場の何とかと言うが如く、いざとなれば助けてくれるかもしれないが、スリムだスマートだと言うには痩せ過ぎの感が強い小柄な家内では共倒れの危険の方がより心配なこととなる。

ともかく出来る動作が増えてはきているものの、何もかもが健常時と比べて、否、比べることが出来ないほど恐ろしく時間がかかるのである。

だから来訪を申し出て頂く方たちには申し訳ないが極力辞退してきたし、家内外出中のpict-P1090181来客、友人や知人の場合もあれば宅配業者や集金人の場合もあるが、誰が来ているのかインターコムの子機でもワッチングしているので、映像画面を見ながら応対、用件を済ませるようにしている。

クロネコや佐川、それに郵便屋さんは状況を知ってくれているので荷物・書留などは家の中まで運び、押印やサインについても配慮してくれ大変助かっている。 勝手にやれば違法違反と触法行為になるだろうが、面前で受領者当人が確認依頼してのことだから問責されることは無かろう。

何をするにも不自由な状況にはあるが、寝ころんだままベッドで本を読むpict-P1090220-Aことが出来るようになってきたので安物のフロアスタンドを 1 基通販で仕入れた。

自分で組み立てるものなのだが、作業そのものは椅子に座ったままでも出来る。
リハビリから帰宅して組み立てたところへ別途発注していた電球や延長コードが届き、今夜からベッドでも本読みができると思ったのに、何と何と。
仕入れた電球のひとつがフロアスタンドのソケットの口径に合わなかったのだ。
写真で言えば下の方の読書用ランプなのだが、一般に使われている電球だとソpict-紫ラン-1ケットの口径が短小で捻じ込めなかったのだ。

私が元気なら直ぐにでも電気店へ行って適合する電球ぐらい仕入れてくるのだが、適合電球の指定も説明も無かったし、メカ音痴の家内に頼んでも解決するわけが無かったので Y 君に電話で助けを求めたのだった。

結果、昨晩仕事帰りに電気店に寄り、ソケットサイズに適合し、且つ照度も考え合わせてLED電球を買ってきてくれた。
お陰様で・・・・・である。 昨晩よりベッドでも本を読むことが出来るようになった。
Y 君にはまたまた世話になってしまった。
ありがとう。


masatukamoto at 20:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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