May 2014
May 31, 2014
黄砂飛来と日の出
昨朝は雲が多く 6 時近くになってから。
今朝は写真に示すよう薄曇りの上、黄砂の飛来でボヤケテ見えた。
以前に用いた日の出場所と時刻の比較写真に本日の写真を付け足してみた。
撮影場所や方向はほぼ同じであり、撮影時刻は日の出のタイミングに合わせている。( 遠景とTVアンテナを基準 )
変えているのは撮影した月日だけなのだが、5 枚の写真を比較すれば一目瞭然。
先ず一目で分かるのが日の出の場所 ( 赤色の矢印 )。
これがドンドン左方向 ( 北 ) に移動している。
次に日の出場所が北へ移動するのに伴って、
日の出時刻がドンドン早くなっているということだ。
6 月21日が夏至にあたる。
あと20日。
日の出の場所が最も左方向 ( 北 ) に。
そして最も早い日の出時刻となる。
私のリハビリ状況はどこまで進んでいることだろうか、気になるところだ。
五月も晦日・・・
晦日は三十日とも書いて 『 みそか 』 と読む。
私が幼かった頃、大晦日について母親に問うたことがあった。
我が母は孟母でも今流のモンスター・ママゴンでもなく、強いて枠に当てはめるなら・・・
うーーん、どうにも当てはまる枠など無いような、ひと言で言い表せるような人ではなかった。
と言うか、実際、ひとりの人となりをひと言で言い表すなど無茶苦茶なことであり、多言を弄したとしても適正的確で完全な表現など出来るわけがない。
近頃、警察や捜査に関わる書籍や映画などを通じ、プロファイリング ( profiling ) という言葉が広く一般的に使われるようになってきた。
プロファイリングとは、これまで用いられてきた外来語の
プロフィール ( Profil=仏・Profile=英 ) から派生した言葉であったように・・・・・。 プロフィールという言葉は 『 横顔 』 などとと訳され、人物紹介という意味で用いられてきたが、プロファイルというのは英語的発音に近く、心理学など行動科学分野での分析するという意味の言葉として使われている。
このプロファイリングをもってしても、一人の人物を個人として特定することは出来ない。
つまりプロファイリングとは、その人物の社会での所属や趣味嗜好の傾向など外観に迫る程度のことで、大坂城冬の陣の後に徳川家康が外堀を埋めさせ大坂城本丸攻めの概略を示したことに似て、天守閣を攻めるための準備第一段階程度と考えれば良い。
そうしたことを踏まえた上で敢えてプロフィールを書くなら、明治生まれで封建期の良妻賢母、 それでいて大正ロマンの良い意味での個人主義を身に付け、現・大阪市大で学び、琴や三味線を奏でる反面タンゴやワルツを踊っていたというモガであった。
祖父を含めご先祖様たちは別にして、我が家は金持ちの家では無かった。
かと言って生活に困ることも無く、生活にゆとりがあったという点ではプチ・プチ・ブルジョワと言えたかとは思う。
18世紀、フランスのジャン・ジャック・ルソーは 『 エミール 』 を著した。
これはルソー自身が家庭教師の経験を踏まえて著した教育書だが、子どもの頃の私はエミール少年であり母親は家庭教師 ( ルソー自身 ) であったと今も思っている。
内心、つまり人格に関わる道徳や宗教についての教導というものは無く、今思い返せば 「 親の背を見よ、すること真似よ。」 といった姿勢であったように・・・・・
そう、今改めて思い返せば体育面は父親から、知育面に関しては両親ともに熱心であり、良い意味での教育パパ&ママであった。
晦日から三十日、つごもりから大つごもり、更に樋口一葉へと・・・両親とも私にとって百科事典のような存在だった。
三十日でも三十一日でも晦日。
暦のことを教えてもらったのは、いつだったろうか。
母の日が過ぎ、もう直ぐ父の日がやってくる。
しっかり背中を見せてもらったはずなのに、どれほど真似ることが出来たろうか。
反省しきり・・・デ アル。
昨日も今日も黄砂が飛来しているのだろう、窓からの景色が霞んで見えるし、カーポートに駐めているマイカーが黄土色に塗装されている。
PM 2.5 というヤヤコシイ微細粒子まで飛んで来なければ良いのだが。
それにしても暑くなった。
部屋のドアを開けてもらっているので家内のバッハが聞こえてくる。
ふむ。
まずまず・・・かな。
May 29, 2014
回復・・・
回復と言っても私の体のことではない。
昨日も奮闘していた PC の処理速度を速める作業で若干の回復が見られたので、ほんの少しの安堵感に成就感などなど・・・
PC の仕組みや操作に長けた人なら何ということもないだろうが、まるっきり畑違いの私にとっては足し算を覚えたばかりの子が初めてのテストで100点を取った時に感じるような気分と同じようなものかと・・・・・
それにアンナからの絵葉書が届いたこともあって嬉しさも安堵感も倍増。
と言うのは暫くアンナと連絡が取れていず、どうしているのか家内も私も大いに気になっていたからなのだ。
アンナはポーランドのキリスト教会合唱団の指揮者。 そのため教会行事や合唱コンクールに出演するためヨーロッパ各地へ出向いている。 そして、訪問地から必ず絵葉書を送ってくれるのだ。
つまり絵葉書が届くってことイコール彼女が元気で活動していることの証左と言えるのだ。
今回の葉書は
ボスニア・ヘルツェゴビナから。
私たちの世代ではユーゴスラビアという国名やチトーという指導者の名前を強く思い浮かべるのではないだろうか。
それに近年、と言っても随分になるが、サラエボで冬期オリンピックが開かれたことを思い出す。
以前はユーゴスラビア社会主義連邦共和国と呼ばれ、民族や宗教などと共に古い歴史を有する地域である。 しかしそれだけに争いも多く、内戦?が終わったのもそれほど昔ではない。
ま、とにかく嬉しさついでにアンナが貼ってくれた切手も紹介しておこう。
ボスニア・ヘルツェゴビナの切手で、ジュゼッペ・ヴェルディの肖像画と椿姫 ( LA TRAVIATA ) の楽譜が描かれている。
ぶっはははは、私は切手集めが趣味でもある。
あまり熱心とも言えないが・・・・・
ボスニア・ヘルツェゴビナ、彼の地へ家内と旅行できるよう私も体の回復に一層力を入れなくては。
May 28, 2014
パソコンの反抗
遅い遅い。
作業効率を上げたいのだが・・・・・
ビシバシ鞭を打てば速くなるというものでもない。
今月初め頃からヤヤコシイのだ。
ブハッ。
パソコンの反抗期かも・・・・・
ほぼ 1 年と少し。 まだ 1 歳半にはならないが、
人間 ( じんかん )
50年とするならば思春期あたりで
第二次反抗期に相当する。
モノゴトによっては人間以上の働きをする奴らだから反抗期も 『 アリ 』 かも・・・・・
ただノロい動きの原因は分からず。
脆弱性が指摘されていたので Internet Explorer から Google に換えようかとアッチへコッチへ行ったり来たりしていたけど、そんなことが遅くなる原因になるわけもなく、ウィルス感染をも心配したけど、これも2重に防衛しているので先ず大丈夫だろう。
異なる複数のソフトでスキャンしてみたが事実異常も無かった。
やむなく写真と音楽に関する大量 ( パソコンの容量 4 GB からすれば極微 ) のファイルと、その他もろもろのファイルを外付け HDD に移動し、必要ないと思われるファイルは容赦なく次々捨てていった。
ところが起動時の MSN のページは良しの状態なのだが、他の WEB へ移動するのがタイヘン。
長い時間待ってページ移動しても、今度はそのページが動作しないのだ。
その他、You Tube でニュース、音楽、映像などを視聴しようとしてもバッファリング、つまり一時保存がスムースにいかず、しょっちゅう停止するものだから全くオモロナイのだ。
そんなわけで、ブログ・ページを更新するのもタイヘン。
今日は昼前から家内が墓参りに行ってくれているので、その間にパソコンの修復作業とブログをと思って取りかかったものの、ノロノロ動作の PC 相手に今頃、午後 6 時過ぎまでかかってしまった。
まったくツマラン奴である。
一過性の 『 難しいお年頃なので・・・・』 ということなら捨て置いても良いが、奴らの rebellious な反抗というのは手を入れない限り勝手に修復されるものではない。
ほんにツマラン。
May 25, 2014
おやつ
と言っても、私が施設へ出向いて受けるリハビリのことであって、私のリハビリは 1 日24時間休みというのは無いのだ。
まあ眠っている間、・・・これは休みと言えなくはないが・・・
ともかく決められた予定内のリハビリを終えたので少しだけ気が楽。
帰宅してホッと一息、コーヒーを飲んでいるところだ。
今回の病気に罹る以前、お茶やコーヒーなどを飲んでも特段お菓子を欲しいと思うことはなかった。
お茶席で菓子が出されたら落雁などの干菓子は持ち帰り、生菓子のみ有り難く頂くといった程度。
コーヒーや紅茶を飲む席でも、誰かが食べたいと言えば共にケーキなど洋菓子を食べることがあった程度で、是が非でも菓子を食べたいというほどのことはなかった。
※ ここからの記述は25日( 日曜 ) 本日のこと。
ところが退院以降我が家において、コーヒーであれ日本茶であれ飲み物を喫する時、無性にお菓子を一緒に食べたいと思うようになったのだ。
以前は 3 時のおやつ ( お八つ ) など食べないどころか関心すら無かったのだが・・・・・
退院してから以後、私の食事管理は全て家内が行っており、今も 1 日あたりの総摂取カロリーはさほど大きく変わってはいないハズ。 しかも1 日あたりの運動量は入院時より格段に増えている。 だから何がしかの副食を私の体が欲しがっているのだと私は思っているのだ。
ところが退院した時の体重と今の体重に変化が殆ど認められないことから家内が用意してくれるおやつの量が超キビシイ状況になっている。
そうそう、エラソウに運動量が増えたなどと書いたが、下肢麻痺の状況を抱えての運動量なので通常人のものとは比べられるものではない。念のため。
病気を頂く以前は地下の書斎に何袋か常時置いて舐め舐めしていた黒糖飴も、ポリポリつまんでいた柿の種も入院以来、もう 1 年半も口にしていない。
家内の目には 『 エサを与えないで下さい 』 といった動物園の檻と同様の札がぶら下がっているのかもしれない。
手術の執刀医からもホームドクターからも体重の減量を指示されているし、家内も端からそのつもりで私の食事管理をしてきてくれているのだ。
このことは有り難いと感謝すべきことだが、将来起こるかもしれない氷河期や食料危機に備えて蓄えた備蓄肉塊はそう簡単に消費するものでもない。
備蓄肉塊=贅肉、ほとんどが余分な脂肪 ( fat ) だが・・・
とは言うものの口がひもじいのは、カワラン。
テレビを見れば旅番組に料理番組。 日本人のくせにグルメじゃとかなんとか言いおって・・・・・
古来 『 武士は食わねど高楊枝 』 などと、これは痩せ我慢を揶揄する言葉。 私は贅肉付きまくりで痩せてはおらんから当てはまらんワイ。
おやつを頂けないというわけでなく、その量が超キビシイ状況だということ。
左の写真は札幌 『 わらく堂 』 の白石煉瓦というチョコレートケーキで、これなら 1 切れでチョン。
上の甘納豆なら 1~2 袋。
ゆず寒天とかアメちゃんとかなら 2 個。
ついでだから書けば、チョコレートは子どもの頃から大好きであった。
私がうんと小さかった頃のことだ。 深緑色の進駐軍 ( 連合国軍 ) のジープやトラックが砂煙を上げて家近くの道を走って行く横から、大きい兄ちゃんたちが兵士たちに 「 ギブミ―〇〇 」 と叫んでいた。 すると大概の場合兵士たちが何かを放り投げてくれるのだが、大きい兄ちゃんたち、つまりご近所の年長者たちだが拾い集め、時々私にも分けてくれたのである。
その当時の記憶、とりわけ味わったという記憶は深く残っており、糖衣状のチュウインガムと板状のチョコレートについてはよく覚えている。 満足な完全な状態で分けてもらったのではなく、ガムはケースの中の小さいものを 1 つ、チョコレートは板状のものを幾つにも割ったひとかけらだった。 満足な状態でもらったものは後の記憶と照らし合わせ MJB のコーヒー缶であったように思うが、これは開缶することなく長い間我が家の台所の水屋の上に置かれていた。
随分古い話になってしまったが、チョコレートはその頃から好きだった。 それに、母がよくホット・ココアを飲ませてくれた。
確かチョコレート色のラベルに
COCOA の文字が書かれた容器だったので多分 Hershey's のものだったのだろう。
戦後の物資が少なかった時期でも我が家に食料など物資不足というのは無かったような・・・・・
何故だったのか、これは今もって分からない。
ブロック・チョコというのか、分厚い割れたチョコレートを湯煎して牛乳と砂糖を入れたホット・ココアを母親が作ってくれたこともしばしば。
後には VAN HOUTEN に変わったが、チョコレート味は幼かった頃からの好みなのだ。
そんな好みのチョコレートも 2 月に焼酎・富乃宝山入りの生チョコや GODIVA のプレーン・チョコを食べて以来口にしていなかった。
先に書いたチョコレート・ケーキというのは私にとってチョコレートの範疇外。 いくらチョコレートを使っているからと言ってもスポンジ・ケーキはスポンジ・ケーキであってカステラと同じなのだ。
家内がシフォン・ケーキだチーズ・ケーキだと教えてくれたりするが、私の理解では全てスポンジ・ケーキなのである。
と十把一絡げにして言っているが決して嫌いというわけではなく好きは好きなのだ。
そうした私の理解におけるスポンジ・ケーキの中でも特に好きなのがバウム・クーヘン。
スポンジだシフォンだと、その物の質感覚から呼ばれる名前なのかと思うが、バウム・クーヘンは質と言うより形状に因るものであろう。
Baum の Kuchen 、いい名前だ。
ドイツ語 ( らしきもの ) に初めて触れたのが中学 1 年生の音楽の時間だった。
シューベルトの 『 菩提樹 』( 歌曲集・冬の旅 ) である。
♪ アム ブルーネン フォール デン トーレ
ダ ステート アイン リンデンバウム
イッヒ トラウムト イン ザイネン シャッテン
ゾー マンヒェン ズイシェン トラウム ♪
ドイツ語どころか英語も学び始めたばかりの私が粋がってこんな歌を口ずさんでいたのだ。
Der Lindenbaum ・ 菩提樹である。
Baumkuchen ・ 樹のケーキである。
ここからである。 2 年前、丁度この頃であったが亡くなったディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ
( Dietrich Fischer Dieskau ) の“追っかけ”を始めたのは・・・
多分に私自身の思い入れというものもあるが、バウム・クーヘンは大好きなケーキである。
ただし、更に好みを付け加えれば、しっとりとした舌触りのものが好きであって、パサパサと乾き感の強いものは良しとしない。
ぶっははははは、好みが・・・・・むむむむむ
先日家内が友人から頂いたというチョコレート・ケーキが写真の 『 青山散歩 』 というもの。
青山という名前だけで何となくオシャレを感じるのは私だけではないだろう。
赤坂、山王、六本木から青山通りを越えて原宿・・・・・
元気だった頃は結構アップダウンの多い青山一帯をよく歩いた。 南青山や赤坂あたりのホテルに連泊して根津美術館、国立新美術館にサントリー美術館
etc。
東京というのは関西人特有の感覚からあまり好きではないが、地理・地勢・文化など、大阪には無い良さがあることは大いに認めているところだ。
この洒落たチョコレート・ケーキだが、私はチョコレートはプレーン ( plain ) に限るようなことを書いている通り如何にチョコレートを使っていようとケーキはケーキと思ってきた。
この 『 青山散歩 』 もケーキではある。
これを家内が上に紹介した白石煉瓦の写真のように切ってくれるのだが、薄ーく薄ーーく。
まあ、薄ーく、これはもう我慢しよう。
この 『 青山散歩 』 も主体となる部分はチョコレート・スポンジなのである。
青山通りのプリン屋さんというのが会社名なのか店名なのか知らないが、ここのインターネットページを開いてみると菓子の紹介に上の写真が掲載されている。
この写真を見て、私は 『 青山散歩 』 という菓子には別途上からかけるチョコレートが付いているものと思ったのだが、この写真は製造上の特徴をイメージさせるための宣伝用のものだとは後で分かったこと。
こまかな商品説明をするつもりはない。
とにかくケーキなのだが、家内が薄ーく薄ーーくカットしてくれたモノはしっとり感があり、うんと抑えた甘味、それに苦味がバランス良く口の中で主張し合いスポンジケーキの味わいや食感と言うよりプレーン・チョコレートに近いモノのように私には感じられたのである。
我がおやつの量としては圧倒的に物足りないが、久方に大好物のチョコレートを頂いたという思いであった。
おやつのことをいろいろと書いてきた。
もう既にお八つ時は過ぎてしまったが、本日のおやつは・・・・・
おっ。
今日は志ま秀の海老せん 『 なかよし 』 が 1 袋に、上の写真のアメちゃん、それにゆず寒天が。
家内にすれば大サービス、かな?
その家内、今日はリコーダの音合わせがあるようで昼前に楽器を持って出かけて行った。
今日は私のお留守番の日だ。