June 2014

June 30, 2014

6月の晦日

『 二四六九侍 』( にしむくさむらい = 西向く侍 )

父に教えてもらったことは確かなのだが、小学生の頃だったか就学前だったか・・・・・
新暦における30日の月と28日 ( 閏年の29日 ) の月を覚えるための言い方であった。
「 何で侍 ( サムライ ) なん ?」 と尋ねたところ、
父が 「 侍は大小2本の刀を腰に差してるやろ。それが11に見えるさかいにや。」 と教えてくれたのだ。
pict-江戸末期1860-6-16ニューヨーク使節団写真-2
語呂合わせとも言うが、このようなモノの覚え方が後に覚えにくい漢字を分解して覚えることや歴史年表、更に平方根や英単語などを覚えるのに役立ったんだなあと、私は今も思っている。

二本差し、つまり侍のことだが、『 武士と言う侍が、馬から落ちて落馬して 』 と言うように同じことを指す言葉を重ねて使うことは良くないのだと、重複表現がいけないってことも父親に教えてもらったなあ・・・・・
pict-日米通商条約・派遣使節1860-6-1
両親から教わったこと・・・・・
あまりにも多く大きく・・・・・むむむ

※ 二本差しの例にTV映画・必殺仕事人の中村主水を演ずる(故)藤田まこと氏と、幕末の万延元年(1860年)、日米通商条約批准のため米国に派遣された使節団と・村垣、新見、小栗三氏の写真を挙げた。

さて、今日は 6月30日。
pict-中村主水-1新暦 6月の晦日だが、今年の旧正月が新暦の 1月31日にあたっていたから、旧暦では 6月、つまり
今日は水無月の 4日となる。
水無月と言うのは誤解しやすいが、水の月を意味するもので、暦というものが元々農事に関わるものであることを思えば、梅雨時で田んぼに水を入れる時節を表しているのだと分かる。

しかし、このところの梅雨はちょっとオカシイようだ。
関西では空梅雨 ( からつゆ ) 模様だが、関東ではオッソロシイほどの量の雨がゲリラ的に所構わず突然に降るということが起きている。
この時期の総雨量としては多分今年は随分少ないと思っている関西ではあるが、こSR比較れとて何時コロリと変わってしまうかもしれない。

日の出の写真を 3 枚並べてみた。
拙ブログ 『 夏至 』(June 21) で掲載した今年 6月14日(午前 5時 1分)の日の出写真《上》と、
6月20日(午前 5時 0分)の日の出写真《中》、
それに今朝 6月30日(午前 5時 5分)《下》の撮影分を付け加えたのだ。

夏至は 6月21日だったが日の出を見ることが出来なかったので20日撮影分を掲載したことを書いておいた。
ところが、その後も日の出は見ることが出来ず、今朝久しpict-紫陽花-3-6-26振りに日の出を見たのだが、写真でも分かるように 3 枚とも雲の彼方に煙って見えているのである。

つまり 6月中旬から月末まで、日中お天気の良い日もあったけれど大半は曇り日であったと。 結論付けることは出来んが・・・・・

太陽が夏至点を通る最近接日の 6月20日に太陽は最も北の位置に昇り、今朝は少しだが南の方向に移動していることが写真からも分かることと思う。

退院してほぼ 1 年が経過した。
この間に訪問リハビリとして我が家へ来てくれていたのが
 I 理学療法士と M 理学療法士だった。
病院のアフターケアとも言うべき事業であったが、 I PTが
 3月末で徳島の実家を継ぐために退職・結婚・帰郷さpict-紫陽花-4-6-26れて以降 M PTが一人二役で頑張ってくれた。
この病院から派遣の訪問リハも本日が最後であった。
完全に回復することなど何年先のことになるやら不安はいっぱいだが、何とか我が家近くの平坦な舗装路を300メートルばかり、両手に杖を用いながらだけれど歩くことが出来るまでになってきた。pict-紫陽花-1-6-20
もっともイザという時のため、常に理学療法士が付いて歩いてくれることが条件ではあるが。

ともかくも M PTにはお世話になった。
心より厚くお礼を申し上げる。

今後の訪問リハが気がかりだったのだが、7月からは通所リハビリで世話になってる施設から派遣してもらうことが決まり、今はひとまず安堵しているところだ。
とにかく、1 日でも 1 時間でも早く安定した歩行が出来るように努力あるのみだ。
安定歩行が出来るようになれば完全な自立生活が見えてくるだろう。 これまでの回復スpict-紫陽花-2-6-26ピードは大変に遅いことは分かっている。 しかし、停滞はあっても後退はしていないように思っているので、回復出来ることを信じて頑張るつもりである。


梅雨空に紫陽花がとても綺麗である。
本日の歩行訓練での折り返し点でも見事な紫陽花が咲いていた。


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June 27, 2014

憂鬱。 予想通りに大臣病発症

友人 J 氏から是非とも買ってほしいと頼まれた K 氏だが、どうしても必要だというモノでもない。
しかし、仲良くしている友人だし、 J 氏はこれまでも何かと便宜を図ってくれたし、時に甘いアメも舐めさせてくれた。
pict-Alice Sara Ott-1だから断りたいのは山々なのだが J 氏との関係がマズくなるのは避けたい。
良好な関係を続けたい K 氏だが今すぐ買う気はない。
しかし気になるのは
 J 氏との関係だけでなく、モノ自体と価格のこともある。

一方、J 氏は買って欲しくてたまらないものだから、売りモノの傷が見えないようパテを詰めたり、見栄え良くピカピカに磨きをかけたり・・・・・。pict-2014-6-23、初の朝顔-1
必ず買ってくれるはずと高を括る J 氏だが、出来ることなら直ぐにでも買って欲しい。
しかし、買い叩かれて安値で売ることは絶対に避けたいというのが J 氏だ。

米国映画に The Negotiator と言うのがあった。
これは人質交渉人が持つ幅広い知識や様々な 情報分析と技術を駆使して問題解決にあたるといった内容である。 フィクションであり結末は明らかだが、勿論映画の最初っから分かっているわけではない。

しかし世の中には小説同様、初めっから結論が明確で見えていることもある。
これを 『 出来レース 』 とか 『 八百長 』 と呼んだりする。  
今回 J 氏が要請した買い物は遅かれ早かれ K 氏が買うだろうと私は予想していたのだ。

交渉ということでは先日、自民党の石原伸晃・環境大臣が 「 最後は金目でしょ 」 と、ホザイタように金で、金額の多寡で交渉をまとめるというやり方が世界各地にあるにはある。
もっとも彼が語ったのは、そうした方法が世界にはあると言ったのではなく、当事者が揶揄侮辱されたと受け止めるような使い方をしたから厳しく追及されているので、これは当然のことである。
地獄の沙汰も金次第、とどのつまり条件闘争でありお金が目当てなんだと。 反対している連中がいても札束でホホを叩いてやれば済むさって感覚でモノを言っているように受け止められたのだろう。 かく言う私もそうしたニュアンスで聞き取れたのだが・・・・・
pict-Alice Sara Ott-2
そして、交渉というのは得てして大言壮語から始まることが多い。 三百代言と言えば弁護士を愚弄する言葉だと文句をつけられそうだが、多言を弄しアレやコレやと次から次へ、多分、数の上では優に300を超える主張を繰り広げるのが弁護士だと私は思っている。 橋下・大阪市長もこの類いだと私は思う。

そして彼らの常套手段は目標の何倍もの要求を提示することから始まるのだ。
 1 万円のモノなら 10 万円を提示する。
Alice Sara Ott-3この後の経緯は条件闘争と呼ばれる交渉の道筋と同じである。
徐々に値段(金額)の折り合いを付けていき、互いが歩み寄った 5 万円でモノの値段が決着したとする。
 10 万円を提示した
 J 氏は 1 万円のモノが 5 万円で売れるのだから 4 万円もの儲けである。
一方、買い取りを頼まれた K 氏は提示金額 10 万円を 5 万円に出来たのだから良かった良かったと。
 5 万円も値引きさせることに努力したのだと・・・・・・???

 J 氏も K 氏も某政党を表しているのだが、何党だか誰にだって分かるだろう。

言葉というのは解釈の仕方で幾らでも広げ歯止めが利かなくなるもので、拡大解釈など過去沢山の例がある。
『 蟻の一穴 』 という言葉があるが、 K 氏の譲歩が
 『 一穴 』 にならないことを願うほかないことが残念だ。

※ 今年初めて咲いた朝顔(6/23)と、このところ私の耳を楽しませてくれている Ms. Alice Sara Ott 。







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June 26, 2014

エエ加減に せえ!

テレビや新聞を見たり聞いたり読んだりする時間が随分多くなった。
その分様々な湯気が立っているような情報に接することが多い。
もっとも経済状況や芸能などワイドショウの題材に挙げられるようなものは興味が無いし先ずもって分からないので見ない。
pict-ジンベエザメ-1
このところ国内はおろか海外メディアまで騒ぎが広がっているのが東京都議会で質問中の塩村文夏(みんなの党)議員に対して発せられた品性無き野次の件である。
都議会議員の全てが悪いとは言わないが、今もってノータリン ( 脳足りん ) が数多く議場を占めているようだと私は情けなく思ったものだ。
脳足りん = 真の意味でのバカ ・ アホ の類いであると思って私はこの言葉を使っている。
pict-ジンベエザメ-2 
私は以前、猪瀬都知事の受託収賄を疑わせるウソ発言について書いたことがあった。
そして、彼の辞任で事件の幕引きをしてはならないとも。
英語ではクラウドを用い、cloud the issue つまりその問題を雲らせボカシ、有耶無耶にしてはイカンと書いたと思うが、結局のところ都議会は幕引きをしてしまった。
pict-マンタ-2
確か東北地方太平洋沖地震の翌年のことだったように思う。
東京電力福島原電から発生している放射能に関し、都の姿勢について質問していた日本共産党の都議会議員・大山女史に対し、「 放射能を浴びた方がいい。 正常になるんじゃないか。」 などと野次を飛ばした都議がいた。 pict-マンタ-1
このことについて、野次を発した当人が謝罪したという報道をその後私は耳にしていない。
私の評定では、この人物もアホ・バカの類いだが、今回下劣無能な野次を飛ばした鈴木章浩・都議と同じ自民党の鈴木隆道・都議であったことを思い出していた。
以前から都議会議員にはカスみたいなのが巣食っていたのである。

カス(滓)という意味では塩村都議が野次を飛ばした議員の処分を望むという要望書を都議会議長に提出したが受理されなかったらしい。
この都議会議長というのが自民党の吉野利明・都議。
自民党都議団の幹事長・吉原修・都議の議席は鈴木章浩・都議の直ぐ斜め後ろ。 こ奴は野次が聞こえなかったとか無かったとか・・・  全く二の句が出んワイ。
それに都知事の舛添君は議会がきちんとしてほしいと言うようなことを言っておった。 原則は彼の言う通りで知事と議会は立場も権限も異なる。
pict-マンタ-3じゃがしかしだ、都議会は都民の信託を受けた者たちが都政、つまり舛添君が差配する行政を審議する場であり、そうした東京都の現状を踏まえ、将来を展望しつつ効率的効果的に行政を実践させる最高指揮者が現在は舛添君、君なのだよ。
その君が唇をとがらせ腕組みし、議会の問題だと、ふんぞり返っていてええんかい。
もっとも君は都知事選について自民党と撚り(より)を戻しとったさかい、言いたくても言えんかな?
しかし頭のいい君のことだから言わずもがなのことかもなあ・・・・・

昨夜の都議会で今回の野次に関する問題の幕引きを自民党と公明党が主導してやったらしい。

まったく子供じみた反省文のような決議。
子供でも言わんような常識外れの馬鹿げた野次に対し、先生と呼ばれるノータリン都議たちが児童議会の決議pict-マンタ-4のようなもので幕引きをやりおった。

多分以前と同様 『 臭い物に蓋をする 』 が如く、有耶無耶状態のまま幕引きをするのだろうと思ってはいたが、全く予想通りの進行にアホらしゅうてアホらしゅうて。
自民党の自は『自惚れ』の自。
公明党は驕り自惚れる自民党のケツをチョロチョロついて回るだけしか能が無い金魚の糞 ?
情けないの極み。
この自民党東京都連の会長が衆院議員・石原伸晃・環境大臣で、彼も先日、福pict-渓流-2島の中間処理施設の建設計画に関し 「 最後は金目でしょ 」 などとホザイタのだ。

いったい君たちは何様のつもりなんだい、と彼らには言いたい。
もっとも東京都民にケンカを売るつもりはないが、奴らを選んでいるのは都民自身なんだと。
言わずもがなのことだが・・・・・



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June 23, 2014

夏 至 つづき

23日、今朝も日の出を見ることができなかった。
今年、我が家から確認できた最北場所からの日の出は
6月20日、夏至前日 ( 写真掲載済み ) のものだった。

昨日日中は晴れ間も見えていたが衛星写真を見れば何やら
不安定な・・・・・pict-ホタルイカ干物-1
リコーダーのレッスンに出かける家内に、帰宅する夕刻頃はにわか雨が降るかもしれんよと注意を与えておいたのだが、不幸にも予想が的中してしまった。
駅から乗ったバス車内でドシャ降りの雨が降り出したらしい。 そのため停留所でバスを降りてから我が家まで強烈なシャワーを浴び続けてきたのだろう、全くヒドイ姿で帰って来た。
折り畳み傘くらい楽器とともに持っていけたろうに。

一昨日は娘が来てくれたことが嬉しく、夕食を共に久し振りに饒舌になっている自分を意識しながpict-海ぶどうら、しかも、多分 1 年半ぶりの量になることも分かっていながら冷酒用のガラスの杯を重ねていた。
勿論酒肴も・・・
家内の料理がどうのこうのと言うのではない。 プロとアマの料理比べなど先ず同じステージに載せること自体が間違っているのだ。
旬の食材を用いた寿司屋の大将 I 氏の料理であり、美味いこと間違いない。 しかも私の好物がズラリ。
鱧の湯引き、フグの白子塩焼き、タコ、イカなどの刺身のほか、ウナギ、海老、ウニ、アナゴ等々、さまざまなお魚たちが舞い踊っていた。pict-柿の葉すし-鮨一
ホタルイカの干物の炙りもあった。 これはビールのアテとしては抜群のものだし、家内が好む細巻き寿司 ( 鰻胡瓜・山ごぼう・海老マヨ等 ) や海ぶどうも盛られていた。

その大将 I 氏だが暫く会っていなかった。
この時期になるとシャカシャカシャカという鱧の骨切りの音が恋しくなると書いた。
鱧にタコ、そして I 氏が作る柿の葉寿司。 食べたいと思って電話をとも思ったのだが、かえって気を遣わせてはいけないと自重していたのだ。 しかし、娘が来てくれたのを良い機会とばかり電話をかけたのだった。
pict-山ごぼう巻-鮨一「 毎度! 明日寄せてもらおう 思うてたとこですねん。」
ぶっははははは。

以心伝心という言葉がある。 
科学をかじり学んできた私としては霊の存在や超常現象、超心理などといった事象を丸々信じ込むなどということはない。 そう、丸々信ずることは無いが偶然に起こり得るということは信じ認めている。
 I 氏と私の関係で言えば以心伝心という事象が過去幾つかあった。
以心伝心を英訳すれば 『 Telepathy 』 が近いだろうか。
Tele + pathy = Telepathy
うーん、 pathy か・・・・・
意味からすれば empathy か sympathy との合成語だろうが、語源を調べたことがないので分からない。
感嘆に言えば 『 遠くにあって + 共鳴 ( 共感 ) する 』 ということになる。 pict-鱧-焼霜-鮨一

実は大将の I 氏、夏至の日の土曜日に大きい寿司桶を下げに来てくれた折、
またまた旬の物を持って来てくれたのである。
右上の柿の葉寿司。
 I 氏の家の柿の木の葉が取れるうちは作ってくれるものだ。 だから柿の葉が赤くなる晩秋以降、新緑の葉が茂る今の時期までは作らない。
最も鯖の脂がのって美味しい時に柿の葉は無いので、その時期には柿の葉寿司-1バッテラとして頂くし、柿の葉が茂っている夏は真鯖の時期ではないが、現代は流通が発達しているので立派な鯖は年中手に入るので鯖の入荷にも問題はない。

大和は柿の葉寿司が名物で 『 たなか 』 や 『 平宗 』 など専門店が何軒もある。
大和は北部の奈良市から南部の吉野や五条まで海から遠い盆地であり、とりわけ足が早いと言われる鯖は塩漬けにして運ばれてきていた。
これは日本海・小浜の鯖を塩漬けにして京の都へ運んだ若狭街道や、信州・伊那街道、或いは塩の道などと呼ばれる千国街道も同じ条件にある。

古代文化交流が陸上だけでなく海上、或いは川を通じて盛んに行われていたらしいことは各地の遺跡調査から水なす-1も明らかにされている。
大和政権の成立前後の地理を踏まえて考えると、現在の大阪湾が大きく入り込み河内平野一帯が河内潟と言えるような状況であり、生駒山系南部の信貴山や葛城山系北部の二上山を越えるか大和川を上れば直ぐ飛鳥の地である。
また、現在の和歌山から紀ノ川を遡れば橋本、五条、吉野とつながり、飛鳥地方は紀ノ川流域の直ぐ北に位置するのだ。
現在紀ノ川文化圏と呼び、川を通しての交流が古代史研究の上でも重要な視点のひとつに挙げられているが、柿の葉寿司の歴史もこうした様々な関わりの中から生まれてきたものであろうことは想像に難くない。 柿の葉寿司-3

柿の葉寿司は元々各家で作られていたもので専門店は専門店の味わいがある。
だが、私は I 氏の柿の葉寿司が好きである。
それは鯖の塩加減、酢の加減、それに寿司飯の酢加減と押し具合である。 優しい味わいで硬すぎず柔らかすぎず、これらのバランスが絶妙なのだ。
だから完食。写真の通り、残るのは柿の葉だけ。《 合掌 》

いつも言うが思いを膨らますことは大変にオモロイことなのだが、柿の葉寿司の件はこのくらいにしておこう。 

この時期、水茄子の漬物も美味い。

上の写真は小さいので拡大したものが下の鱧の焼霜。
pict-鱧-焼霜A-鮨一それに少し小振りではあるが今年・初物のホヤも下の写真の通り調理して持って来てくれた。
2011年の東北地方太平洋沖地震により
ホヤ養殖も壊滅的被害を受けたことを私は知っている。
豊かな森林地帯から運ばれる栄養素と綺麗な海で育まれた三陸の養殖のホヤは大きさも立派で味も食感もサイコ―である。
近年韓国も三陸産のホヤを輸入していたほどだ。
pict-ほや-鮨一
関西の料理屋、とりわけ寿司屋が原材料として使うことは先ずないホヤを I 氏が持ってきてくれた。
このことだけでも I 氏の気持ち、十二分に分かる。
ホヤの産地や大きさなど関係ないことである。
有り難く有り難く美味しく美味しく頂いた。

 I 氏には厚く厚く感謝申し上げる。


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June 21, 2014

夏 至

楽しく嬉しい内容の話が続いた。
勿論、毎日毎時嬉々とすることばかりが続いているなんてことはない。
モノゴト ハ 全テ相対スルコトアリテ成リ立ッテイルノダカラ・・・・・
『 楽あれば苦あり 』 と言うが逆も有りの如し。
だから、いつもいつも呑気・安直・平静・安穏な日々を過ごしているわけではない。
結構、能天気な私ではあるが、悩み・苦労・心配事を抱えない日などないのだ。
《 下図の出典は、Earth-lighting-summer-solstice EN.png
pict-Earth-lighting-summer-solstice_EN[1]
能天気ではないが、天気という言葉から発展させ、
今日は夏至だ。
天文的に言えば黄経90度、つまり太陽が真南にきた時(南中)に太陽高度が90度になる日で、北回帰線( Tropic of Cancer )上では1年に1回だけ起きる、それが今日・夏至なのだ。Orbit4[1]
右の図の大きい白丸を太陽、小さい白丸を地球と仮定すれば、太陽を周回する地球との関係をイメージしやすい。 このように太陽の周りを公転している地球だが、上の図で示すように約23.43度傾いた地軸( Earth Axis )を軸に自転しつつ公転しているのが地球の姿である。

子どもたちは、夏至を 1 年で最も昼の時間が長い日と覚えている。 
上の図の太陽光線( Sun rays )を右側に移動した状態が冬至になる。
このように太陽の光が強く当たることの少ない北欧では夏の時期に太陽が完全に沈まない白夜という現象が生じる。
勿論、夜中に暗くはなるのだが、空が白む明け方の様相を呈するもので漆黒のc8dc188d[1]夜にはならないということ。
だから夏至祭など、北欧では古来この日を祝う行事が行われるし、夏の時期は戸外、公園や自宅の庭など多くの場所で日光浴をする人々が多いのだ。
以前オスロのフログネル公園を訪れ、グスタフ・ヴィーゲランの彫刻を見に行った時のことを書いたことがある。( 北欧の旅 30. July 12, 09 記 )
その時に紹介した写真の 1 枚が日光浴の婦人だった。

夏至の日の出の写真をと思っていたのだが、案の定今朝は雲が多く日の出を確認することができなかった。
5-00日の出
そうしたことを予想して昨朝、20日の日の出を撮影しておいたのが上の写真である。
また、6月21日はフィンランドの友人の誕生日でもある。 もう55年もの長きにわたってのお付き合いになるが、私が入院治療を受けていた同じ時期に彼女は骨髄系の病でヘルシンキの病院に入院していたとか。 
病気のお付き合いなどしてくれなくて良いのに・・・・・ 元気に回復してくれることを祈るとバースデーカードには書いておいた。

下 2枚の写真で上のものは 6月14日の日の出で撮影時刻は
午前 5時 1分。これは以前に掲載したものを部分拡大したもの。 下は 6月20日の日の出で撮影時刻は午前 5時 0分。
2014-6-14と20-日の出比較AAA時刻が 1分早くなったことと、僅かだが北へ移っていることが分かる。
夏至の 1日前の日の出の場所だが、今年最も北に昇る太陽である。

そうそう、昨日リハビリを終えて帰宅したら息子の嫁が来ていたのだ。
昨年末に結婚し、正月に息子共々来てくれたが、嫁ひとりで我が家へ来てくれたのは今回が初めて。
ははははは、嬉しゅうて嬉しゅうて、一緒に晩御飯を食べようと、随分、ほんとうに久し振りに寿司屋の大将 I 氏に 「 息子の嫁が来てるさかいに料理を運んでほしい 」 と、電話で頼んだのだ。pict-一ノ蔵-1
何も言わずとも私の好みのものがアレやコレやと大桶に綺麗に飾り届けられた。
息子の嫁。
つまり私たちの新しい娘である。
娘についでもらう冷酒が美味かった。
東北復興支援の一助にと大和の地酒・春鹿に代わって仕入れている酒で、以前、赤坂TBS近くの 『 鮨勘 』 で好んで飲んでいた銘柄だ。
そうそう、この 『 一ノ蔵 』 の蔵元は宮城県大崎市なのだ。
入院以来私の飲み食いに特別キビシイ家内だが、さすがに今日ばかりはと、ぶっはははは、デッカイデッカイお目目に。

あまりにも嬉しくて、ちょっと飲み過ぎ食べ過ぎとなってしまった・・・・・むむむ



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