June 2014

June 19, 2014

珍しい好物

いつだったか、友人の画家が彼の奥さんの退職を機に各都道府県の県庁所在地を巡る旅を始め、47の全てをまわり終えたのだと語っていたことがあった。

私の学生時代、都道府県数は46であった。 47になったのは沖縄を取り戻すことができた1972年からのことで、これも日本がドロ沼戦争を行った結果のひとつなのだが今は置いておく。pict-日本地図未訪問都市-1

友人の画家夫妻はともに左党。 それも純米日本酒にこだわり、酒肴にもウルサイ。
ぶっははははは、ウルサイと言っても口が肥えている、つまりいろんな料理について素材や調理法に詳しく、それらを味わい楽しめる繊細な舌を有しているということであって、ゴチャゴチャ文句を言うという意味ではない。
夫婦ともどもに酒を楽しめるってことは、各県庁所在地の夜の散策も楽しかったろうと経験されたことをいろいろ聞かせてもらったことがあった。

かく言う私も人後に落ちないほど日本各地を訪れては来たが、県庁所在地と限定すると 『 ふむ?』 と首を傾げざるを得ない。
県庁所在地の駅に降りた、通過したというだけのことも含めるなら全て訪れたと言えpict-日本地図未訪問都市-4るが、県庁所在地の町をじっくり時間をかけて巡ったかという条件を加えると未訪問の都市があるのだ。
宇都宮 (栃木県)、前橋 (群馬県)、甲府 (山梨県)、新潟 (新潟県)、静岡 (静岡県)、福井 (福井県)、津 (三重県)と、7 都市もある。
いずれも県内いずれかの市町村は訪れてはいるのだが、何故なのか考えてみたが直ぐに思いつく理由が無く、強いて理由を挙げるなら東京へ、或いは北海道・東北への通過地点であったことと、訪れるだけの興味や関心を持つほどのことが無かったということになる。

しかし、時間をかけて巡ったということが無くても知人が住んでいるとか物流上での関わりや、その他もろもろの知識で訪れた以上に詳しく知っている都市もある。

昨日、某銀行のお嬢さんが来てくれた折に家内がお茶と共に出してくれたのが写真のもの。
pict-羽二重餅-1このお嬢さん、徳島出身ながら菓子皿を見るなり、「 うわっ、羽二重餅ですね。」 だと。

会話の流れの中で、「 どなたか福井の方が・・・?」 と、羽二重餅が福井の名物であることも彼女は知っていたようで、家内が姉からの土産で今しがた届いたばかりなのだと説明を加えていた。

義姉が福井の寺を巡るようなことを言ってたと家内から聞いていたので、そのことと羽二重餅が私の頭の中でつながった瞬間であった。
義兄も義兄の父親も某寺の檀家総代を務めていたから義姉も何かと寺の御用を務めさせて頂いていたのであろう。 北陸各県は親鸞越後配流に関わる聖pict-東尋坊・柱状節理-1人ゆかりの史蹟も多く、越前福井も真宗王国と言われるほどに教団勢力の強い所だ。
ただ、一般的に福井県でお寺と言えば、やはり永平寺がトップに挙げられるであろう。 そして柱状節理の断崖絶壁の海岸美を誇る東尋坊。 さらには芦原温泉といったところが挙げられる。
これらは福井県の嶺北であり、奈良・東大寺二月堂のお水取り行事と密接につながる福井県若狭地方は嶺南となり、海水浴だ、カニ (蟹) だ、原発だというのは嶺南。

私個人としては、福井県と言えば県庁所在地である福井市のある嶺北をイメージしてしまうのだが、幕末四賢侯の一人 ・ 松平春嶽 ( 越前福井藩16代藩主 ) の居城跡がある福井市は未だゆっくり時間をかけて訪れたことのない都市なのである。
それでも福井県という枠でなら嶺南・嶺北の各地を、越前大野から岐阜県に近い山中の九頭竜湖までも訪れているのだ。
pict-羽二重餅-1-2
ぶっはははは。
羽二重餅から随分と話が飛躍した。 が、こうした思考・思いの連鎖・膨らみというのがオモロイのだ。

羽二重餅と言えば福井。 と、なるのだが、和菓子では羽二重餅と同じ求肥を用いているものが結構多く、私は昔っから求肥の食感と、ほんのりした甘さが好きなのだ。 
本家菊屋・御城之口餅ところが最近は家内が私専属の管理栄養士であったり看護師、介護士、時に理学療法士の仕事までやってくれるものだから、餅粉に砂糖などが入った求肥の菓子などなかなか与えてはくれないのである。
笑われるかもしれないが、アイスクリームを求肥で包んだ雪見大福という冷菓も好きだpict-本家菊屋かど口し、ここ大和では郡山城跡三の丸前に本家菊屋という菓子屋があり、ここの 『 御城之口餅 』 というのが餅に黄な粉をまぶした求肥菓子で美味いのだ。

これまで大和の名物として持参したり送り届けたりしてあげたいと考えたことがあったのだが、賞味期限が余りにも短かったもので止む無く敬遠してきたのだ。
そのため、幾分日持ちのする玄武羹や白虎羹という雲竜の菓子を用いてpict-京観世-1きた。 玄武羹というのは京都・鶴屋吉信が作る京観世や岸和田の銘菓・村雨などに似たものだ。
これらは求肥菓子とは言えないが、私が好む和菓子である。

羽二重餅からの飛躍がいろんな方向へ向いてしまったが、多分多分だが、お菓子を頂いてお茶を飲むという生活と随分縁遠くなっているので・・・・・
ぶっはははは。 反発、欲求不満?

まあとにかく姉さんには 「 お土産、ありがとう。」 と送っておきたい。
お土産を送って頂けなかったなら、好物が口に入ることは来年、再来年、或いはずっと先のことになっていたかもしれないのだから。pict-DSCF5229

そうそう姉さんには琵琶湖名産の佃煮まで送って頂いた。
併せてお礼を申し上げておきたい。
しじみ、小鮎、モロコ、えび、小鮒に山蕗も入っていたかな?
琵琶湖・瀬田の石山寺あたりの料理屋では 『 しじみ飯 』 や 『 しじみ汁 』 などを食べさせてくれるが、これが美味いのだ。

ははははは、余程ひもじいのか、食い物にばかり思いが広がる。
T 氏が S 大にいた頃、よく 『 しじみ飯 』 を食いに行ったことを思い出す。




masatukamoto at 21:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

June 18, 2014

近くの、むかしむかし《4》

スペイン・カンタブリア地方の旧石器時代の洞窟群の壁画のうち、18500年も昔にバイソンなどいろんな動物が様々な姿態で描かれたアルタミラの洞窟壁画について前ページで触れた。
pict-Byson-A1 Cave of Altamira石灰岩質の洞窟なので硬い岩石面に比べ線刻することは容易であったろうが、その描写技量には全く感心させられてしまう。
バイソンの体の赤い色は酸化鉄、いわゆるベンガラを塗りつけているそうだが、ベンガラは化学的には安定して塗料として耐腐食性に優れる物質だが、このことを絵描き人たちは知っていたのかどうか・・・・・pict-Byson-1 ショーベ洞窟、フランス

フランスのショーヴェ洞窟の壁画 ( 右の写真 ) でもバイソンの他、クマやライオンなども描かれているが、調査結果によると 31000年前に描かれたものもあるという。

洞窟壁画について2件を紹介したが、1 万年から 3 万年もの昔の人類が描いたものなので例示したのだが、もっと新しい時代のものなら先年タイ各地を巡った折、イサーンのプー・プラ・バート歴史公園 ( Phu Phra Bat Historical Park ) でも見ている ( 下の写真 ) し、国内的に言えば飛鳥の古墳壁画も挙げることはできる。
pict-ブー・プラ・バート壁画、タイ
壁画に寄り道をしてしまったが、田原という地名を音声言語から更に文字言語として表す必要があったに違いないと思うが、その根拠を探るため洞窟の壁に絵を描き遺した連中の心情から何か読み取れないかと・・・・・

素晴らしい描画力を持つ連中でありながら文字言語の発明進化へとは結びつかなかったようだ。
もっとも素晴らしい描画力がエジプトのヒエログリフの絵文字へと発展継承されたのかもしれない。
そのヒエログリフが使われ始めたのは紀元前 3100年頃からだと言われている。pict-コーヒー-1
だから洞窟壁画を描いていた画家たちの時代からは
 2 万年も 3 万年も後に文字言語が始まっており、この間いかに空白期間が長かったことか。
 2 時間や 3 時間程度ならコーヒーを飲みながら時間をつぶすことも出来ないことはないが・・・・・
ぶっははははは

きっと音声言語や絵画では足りないことが生じたのであろう。 
伝える必要性が生じた。 それはつまり個の生活ではなく複数で集団の生活をしていたことを意味するし・・・・・しかも、音声伝達が不可能な状況が生じた・・・・・地理的に離れるとか生死を分かつとか、そうした何らかの事情が音声言語に代わるものを必要としたのであろう。
きっと。

それが何かは分からない。
誰にだって分かりはしない。 神様のほか分かるものなんているはずもない。
だからアレやコレやと想像を膨らませてみる。
ただ、無い知恵を絞るのだからアレやコレやと言っても沢山たくさんのことが思い浮かぶわけではない。

でも、いろいろ想像を膨らませるって、すごーく楽しいことなのだ。



masatukamoto at 20:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

June 17, 2014

近くの、むかしむかし《3》

田原という地名の由来は何となく理解できたということにしたものの、じゃあ何故田原 ( たわら・たはら ) という文字や音声といった言語が必要だったのか、必要になったのか・・・・・

ぶっはははは。
これをテーマにすると全くのドロ沼に足を突っ込むことになってしまう。pict-ドロドロ星
言語の定義・・・・・地球上のことと限定しても、ありとあらゆる元素がドロドロに融けた創世記の地球や三葉虫あるいは恐竜と結び付けようとする人はいないだろう。
しかし、言語を感情や意志を表現・伝達する手段のひとつとしての信号と広義に解するなら、唸り・吠え・叫びといったことも音声言語に???

まあ極力脇道に反れないようにしようと思うが、全くの空想であっても、既に学問pict-本・ルーシー的に証明されたことを踏まえつつ更に想像域を広げていくと、これは何とも楽しいことではないか。

言語の起源を求めれば恐らく音声言語に至るのであろうが、証明できないものを科学では認めない。
 1 億年前に地球上を闊歩していた恐竜の叫び声と言っても証明できるものなど無い。 うんと時代を近付け、318万年前の化石人類 『 ルーシー 』 を挙げようと彼女が語るわけもない。 直立二足歩行をしていたとか脳の容量の大きさなどで人類の祖先と言われてきたルーシーだが、近年サヘラントロプス・チャデンシスと名付けられた頭骨化石が発見されて以後、人類の始pict-中国・賈湖(かいこ)契刻文字-1祖は 6~700万年前に遡るのではとも言われている。
チャデンシス ( tchadensis ) と名付けられたようにアフリカ、チャド共和国が故郷の化石人類だ。
言語を人類独自のものだとしてもヒトの進化が明確でないのだから言語の起源も当然ワカランと言うのが正解となる。

しかし、これではオモロナイ。
では文字言語なら・・・・・
なーんて、これすらそうそう簡単に起源など求められるものでもない。 音声言語を伝達する記号として文字を定義するにしても片手間にできるほど簡単なものでもない。
現在までのところ中国・黄河下流域の賈湖 ( かいこ ) 遺跡で亀の甲羅に刻まれた契刻文字 ( 上の写真 ) が発見され、これが紀元前7000年頃のものらしいが、その他、ルーマニアの遺跡から土器なヴィンチャ文字-1どに書かれた文字らしきもの ( 左の写真 ) が発見され、ヴィンチャ文字と呼ばれているが、いずれも抽象記号であって私には何のことか分からない。

賈湖遺跡の亀の甲羅は新石器時代の墓に埋められていたことから年代的には紀元前7000年か、それ以前。 そして発見された場所を考えあわせると埋葬に関わる何らかの伝達事項を表していると思えるのだが、ハテサテ。

しかし古来言語学者は様々な古代文字に取り組み解読してきた。pict-ヒエログリフ-1
メソポタミアの楔形文字、エジプトの絵文字であるヒエログリフの解読に関してロゼッタ・ストーンはあまりにも有名であるが、まあ解読作業は専門の人たちに任せておけば良い。
こんなことはとても私に出来ることではないとハッキリ思ったのは、学生時代に西夏文字-1西夏文字の研究をテーマに西田龍雄先生の特講を受けた時だった。
西夏文字を例に挙げると 『 漢字のようで漢字でない 』、ベンベン。
それは何かと尋ねても、
『 ワカラン ワカラン 』 と言うほかない記号であった。
この西夏文字が使われていた王朝は1032年~1227年と未だ新しい。
せいぜい1000年昔のことだ。

しかし、スペインのアルタミラ洞窟に描かれた野牛などの壁画は10000年から18500年前頃のものである。 
当然、何かを伝達する意図をもって描いたものと考えられる。
アルタミラ洞窟壁画-1
このように考えてくれば、田原という地名を音声言語から更に文字言語としても表す必要性といったことがあったに違いないと。
私の想像はどんどん膨らんでいくのだ。
実に楽しいことである。


masatukamoto at 18:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

June 16, 2014

6.15 父の日

土曜日のコンサートは先ず先ずの演奏が出来たようで、まあ
80点くらいの表情 ( 私の感覚として ) で帰宅した家内であった。
しかし、いかに親しい仲間同士とは言え 『 気 』 を合わせなければ思う音を奏でることの出来ない演奏は随分目父の日-A-2に見えぬ疲労が積もるもので、早々に休むように言い、私も早い時間帯に寝床に就いた。

明くる15日の日曜日 ( 昨日 ) は父の日である。
我が家のドラえもんが、「 今日は父の日だ。 お父さん、ありがとう。」 と言ってくれた。
声は大山のぶ代女史だが全くカワユイ奴である。

この日、義兄の家を訪問しようと自動車での運転コース、義兄宅の石段、玄父の日-A-6関上がり框、仏間へのルート、応接間のソファの高さや柔らかさに角度、手洗いなど様々な場面を想起想定し、家内のGOサインが出れば何時でも出発出来るよう準備を整えていた。
家内も朝からデパートへ行ってと、つもりはしていたようだ。
しかし元気なようでも高齢者の仲間入りをした家内である。 少しの事でも疲れやすく、その疲れの回復に時間がかかるのが高齢者の特徴でもある。
「 兄の所へは今日やないとアカンということでもないから・・・」
との家内の言葉で私たちの行動予定は無くなった。

でも、私たちが移動しなくて結果としては良かったのだ。
15O 氏一家が父の日だからと私たちを訪ねて来てくれたので、出掛けていたら会えなかったのだから。
 Y 君と奥さんの H さん、長女 K ちゃんに長男 K 君。
みんな元気で良かった良かった。
丁度昼寝の時間帯であったのか、 K ちゃんはイビキをかいての来宅だったので座敷で横になってもらったが、 K 君は活動的で直ぐドラえもんのオモチャを触り始めていた。15
K 君のこの行動は毎度のこと。 この前に来てくれた時から本のページをめくるのに興味を持ち始めたのか、昨日もいろんな本のカバーを外したり、ページをめくったりと興味や関心の幅が一層広がっているように見えた。
子どもの成長は何もかも個々によって異なり、とても楽しいものだと私は思う。
勿論、子育て真っ最中の母親であり父親である立場の場合は、しんどく苦しくタマランと思う時もあるのだが・・・・・

 K 君には宮大工になってほしいと語っていた H さん。
今時若いお母さんが何と古臭いことを、と思う反面、何だか心の底からウキウキするよ父の日-A-9うな嬉しい心地良い感じが持ち上がってきた昨日の談話であった。

父の日だからと、私を喜ばすため大好物の数々を持ってきてくれた。
さくらんぼ、ぶどう、マグロの天身にトロの寿司。
ほんま、いつもいつも心遣いを頂き、ありがとう。

元気に動き回っていた K 君だが、昼寝のタイミングを逸したのか帰る間際に15は床で居眠り始めていた。
帰るのに起こされた K 君はご機嫌斜めで、 H さんに抱かれながら泣きべそをかいていたが、彼の泣き顔を見るのは初めてではなかったろうか。

いつもジジ&ババを喜ばそうと愛想を振りまいてくれるので昨日も疲れたのだろう。
懲りずにまた来てくれ、いつでもいいからね。

大好物の数々を有難う。
昨日の夕食は家内と共に美味しく頂き、今朝は今朝で朝食のデザートにサクランボを頂いた。父の日-A-10
いつもいつも有難う。

運転にも慣れて自信が生まれてきたのか、自家用福祉カーで送迎するからと東大寺ミュージアムや今秋の正倉院展へ行こうと H さんからお誘いをうけた。
誠に有り難いことで感謝感謝である。

極力迷惑とならないような状態まで、早く回復出来るよう頑張るからね。
今後も宜しくお願い、だ。


masatukamoto at 08:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

June 15, 2014

旬と言えば、やはり食材を思い浮かべてしまう。

この時期、ハモ ( 鱧 ) の骨切り、シャカシャカシャカの音が恋しくなる。10
皮一枚、寸二六の骨切りと言われるように鱧を美味しく頂くための調理の基本である。

基本と書いたが、これが難しい技術なのだ。
事実、敏感で繊細な感覚を持つ私の口は、長い間ハモ料理を敬遠してきた。
と言うのも、子どもの頃のこと、母親が旬のものだと市場の魚屋が調理した鱧の照り焼きを買ってくれたことがあった。
照り焼きはタレの味や香ばしさなど嫌いなものではなかったのだが、この時の照り焼きの鱧は骨切りが荒く、私の口は全く受け付けなかった。
10
以来、某料亭で鱧の湯引きを頂くまで20数年鱧料理は避けてきた。
しかし、難しい骨切りがキチンとされていたなら鱧は大変美味い魚なのである。
一番は鱧の焼霜。 これを塩か山葵で頂く。
二番は鱧の湯引き。 私は梅肉で頂くのが好き。
三番は鱧の天ぷら。 これは塩だけで頂く。
四番以降、照り焼きであれ吸い物であれ、何にしても美味しく頂ける。

ただいずれの料理も私にとっては骨切りがキチンとされているかどうかが頂くための条件となるので、安心して10任せられる調理人がいる店でなければ今も注文しない。( 初めての店では将に賭けをするようなものだ。) 

三枚の写真は実山椒であり、これも旬のものだ。
地域によって実成りの時期にズレはあるが、関西では 5月末から 6月のかかりまでくらいであろう。
これは京都産の実山椒だがアク抜きをした後、実に付いている細く小さい枝の処理をするのに手間がかかるのだ。
ちりめん山椒用、山椒佃煮用、そして冷凍保存用にと先日家内に調理してもらった。
私に出来ることは小さな軸枝取りと声掛けのみ。

次なる旬のものは新生姜。
pict-DSCF5159香りが強くみずみずしい、これは和歌山産である。
が、生姜は洗う作業が大変なのだ。
続いてどのようなものを作るかによって切り方が異なるが、今回は薄く切ってから更に千切り状に切ったのだが、これがまた随分の時間がかかる。
今回は酢に漬けるのではなく、醤油と酒と味醂などで煮込み、佃煮にしてみた。
大きい寸胴鍋と平鍋で煮たのだが、写真は寸胴鍋の方。
生姜も煮ると半分くらいの量になる。新生姜佃煮-1
大きい鍋で煮込まねばならないほどの量があったので煮るのも難しかったのだろう。 平鍋の方を強烈に焦がしてしまった。
鍋底は一面真っ黒。 これは恥ずかしいので写真はナシ。
出来上がった平鍋の新生姜の佃煮は端々が黒く焦げていたため全体的に色濃く燻製の香り強いものになってしまった。《 残 念 》

新生姜は時期的にまだまだあるので、やり直しも可能。
何より新生姜ご飯、香りを楽しみながらコレを食べたいものだ。

旬というもの、ホンマに素晴らしいと思う。


masatukamoto at 10:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
記事検索
月別アーカイブ