July 2014

July 23, 2014

博多祇園山笠に思う

Y 夫妻が子どもたちを連れて生玉さんの夏祭りに行ってきたと便りをくれたことを前ページで書いたpict-博多山笠-清道-1が、生國魂神社の夏祭りは
7月11日と12日であった。
去年も今年も夏祭りとは縁が無いと書いたが、以前は生國魂神社の夏祭りの頃、私は博多に滞在していることが多かった。

※ 写真はいずれも櫛田神社入りした中洲流の舁き山。

「 いつ来んしゃると?」 「 いつ遊びに来ると?」pict-博多山笠-中洲流-清道-1
年齢やお付き合いのし方などで少しばかり表現に違いが出るものの、博多は『と・と・と』言葉である。
とりわけ博多女性のこの言葉にはヨロヨロヨロッと。
ぶっはははは、即、新幹線の人になっていたのだ。
まあ少々の誇張はあるものの 7月15日早朝、博多祇園山笠の追い山前後は博多にいることが多かった。
pict-博多山笠-中洲流-清道-2博多祇園山笠というのは櫛田神社の夏祭りだが、15日の追い山を目途に各流(各町)ではほぼ 1年前から準備を進めてきているのだ。
15日早朝5時に櫛田神社をスタートして約 5km、総重量 1トンもの舁き山を担いで博多の町を駆け抜け、そのスピードを競う豪快豪壮な祭りである。pict-中洲流舁き山2014-1
だから途中休憩など無い。 
これまでの記録で言えば、ほぼ30分ばかりで所定の距離を走り抜けているのだから舁き山を担ぐ舁き手も走りながら交代するのであり、ド素人がやれば死亡事故も危惧される追い山でもある。
pict-中洲流飾り山笠2014-1
この熱き博多もんらが担ぐ舁き山笠だけでなく、各流では年ごとに飾り山笠を制作し、それを展示している。

今年の中洲流の舁き山のテーマは『 猩々酒宴壽 』だったんだと。
猩々と言えば能楽の演じもの。親孝行者を愛で酒宴を催すというものだったような。
pict-中洲流飾り山笠2014-2この中洲流の今年の飾り山笠は表が『 奮戦 本能寺 』で見送りが『 賤ヶ岳の戦 』だったらしい。
いずれも『だと』だとか『らしい』と語尾表現を伝聞の形にしたが、ぶっはははは、今年も夏祭りには縁が無いということだ。
ちなみに飾り山笠の表=オモテとは裏に対する表であって、櫛田神社に向けて置かれ、裏面を見送りと呼ぶのだ。
pict-博多山笠-中洲流2014-手ぬぐい
まあ今年も残念ながら夏祭りどころではないが、例年6月に入ると博多・中洲の K ママや Y君が祇園山笠の便りを送ってくれるのである。
どちらかが忘れても、どちらかが覚えていてくれるので必ずひとつだけは手に入る のだが、これが楽しみなのだ。
去年も今年も博多へ行けないけれど、送ってもらう扇子と手ぬぐいで山笠を思い浮かべて参詣した気になっているのだ。
今年は K ママだけ。 Y君はご不幸があったからなあ・・・

ふたつ手に入った年は、博多大好きという Y君にあげるのだが今年はゴメン。
pict-博多山笠2014年扇子-1中洲流が毎年制作する手ぬぐいと扇子だが、写真は今年のもの。
この扇子の絵が博多の童画作家の故・西島伊三雄 氏の作品なのだが、描かれている子どもや大人たちの表情がとても温かみのあるもので、私の好みの絵なのである。pict-西島伊三雄-あかりの館-3
西島氏は亡くなられて、もう10年になるだろうか。
インターネットのページも終焉を迎えたようだが、中洲流の扇子や手ぬぐいの絵としては来年も続けてほしいものと期待するのだが・・・

ともあれ、私の夏祭り、来年はいずこの神社へかは参詣出来るだろうか。
 


masatukamoto at 18:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

July 21, 2014

夏祭りの便り

7月18日付けのブログ冒頭で 『 多分だが、ここ 3 、4日ばかりで関西は梅雨明けかと・・・』 書いておいたが、先ほど関西の梅雨明けが報じられた。
24、25日は『カラリ梅雨明け天神さん』と見事言い当てたのだ。

この天神祭に先んじて、 7月11日と12日に生國魂神社の夏祭りが行われることを書いたが、 Y 夫妻が12日の本宮に子どもたちを連れて詣でてきたと写真を送ってくれた。
pict-T-A3
長男 K はまだ母親 R子 のねんねこの中で祭りが何たるかも分からないだろうが雰囲気の異なりぐらいは感じたであろう。
そうそう、今風のねんねこというのは母親が胸前で抱えるようになっているようだ。
アブラゼミ-3昔は、おんぶに抱っこと言って背負うのをおんぶ、前で抱えるのを抱っことよんでいたのだが、今様のは抱っこ風ねんねこと呼べるかな?。

長女 T は昨夏我が家へ来てくれた折、「 セミくわーい、セミくわーい。」 を連呼していたのにpict-アブラゼミ抜け殻-1浴衣を着せてもらって、何だかグーンと成長したような・・・・・

父親 M 君はハンチングを被っているようだが、 T のは何やらお面のようだ。 昔はヨーヨー釣りと言ったが、今はヨーヨーすくいだったかな。pict-T-A2

夏祭りには出かけても夜店を覗くことも立ち寄ることも今は無い。
しかし、子どもの頃は楽しかった記憶が私にもあるし、我が息子たちが幼かった頃には連れて行ってやったことを思い出す。

生國魂神社は大阪・上本町に近く、北に大阪城、南は天王寺へと連なる上町台地上にある。 1970年の大阪万博の頃まで大阪上本町は近鉄電車の奈良線と大阪線のターミナル駅だったが、上本町から日本橋、難波まで地下路線が開通して以降は難波駅がターミナルとなった。 ところが阪神電車との相互乗り入れが開始され、その難波駅もターミナルとも言えなくなった。
pict-生國魂神社-1
発展することは良いのだが、目まぐるしく変わるのは・・・・・
この Y 夫妻だが、結婚式をここ生國魂神社で挙げたのだった。 この時のことは 『 慶び事 』 と題して June 11, pict-T-A12010 付けで当サイトで書いている。

生國魂神社の夏祭りと言えば枕太鼓に獅子舞のお練りが有名なのだが、獅子舞を舞う若衆が担ぐ獅子頭に頭を咥えてもらうと、咥えてもらった子どもは賢くなるのだと言われている。
 T も獅子に咥えてもらったようなので賢く、誤解のないよう『一層』賢くなること間違い無し。

薄い青地に赤いべべ着たキントトの浴衣、初めての浴衣らしいが良く似合っていてカワユイがな。

こうして親と子の思い出が積み重ねられていくんや。
沢山沢山ステキな思い出を作ってもらいや。




 


masatukamoto at 16:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

感謝の思いについてのメモ

前頁で大阪の夏祭りに少し触れた。
昨日は日曜日で今日は海の日。
京都・祇園さんの山鉾巡行が終われば学校が夏休みに入り、大阪では天神さんの祭りを迎えるのだ。pict-三光尉 増田豊春-1

「 今度は、いつ来 (き) んしゃると?」 などと夏を前にして電話が掛かってくると、もう落ち着かずに気だけ博多へ飛んでしまっていた。
ここ10年ばかりは博多祇園山笠に凝り、7月15日頃は博多に滞在することが多かったが、今夏も昨年と同様博多どころか夏祭りには全く縁の無いことに・・・・・

夏祭りではないが、昨日朝は 5時出発で家内を助手席に乗せマイカーで大阪・箕面にある我が家のお墓参りに行ってきた。
これまで月一度の墓参は欠かさなかった私だが 1年 7ヶ月ぶりの墓参となった。
20叔母のお墓もあるのでお墓参りはダブルでってことになるのだが、先に逝った人たちは 「 遅かったなあ。 」 って心配してくれていたのではと思う。

家内が毎月お参りしてくれ、その都度草取りなど清掃もしてくれていたので霊地周りも綺麗であった。
昨日も家内が墓石を拭いたり供花などの世話取り一切をしてくれ、私はそんな家内を見守り、綺麗に拭かれたお墓に手を合わせただけ。
家内には感謝感謝である。 それと、まあ何とか自分の手足で運転し、お墓参りが出来るまでに回復してきた、このことも感謝、感謝である。
pict-景清 増田豊春-1
天理教教祖 『 中山みき 』 は貧に落ち切れとの教えを説き、自らも施しを続け、代々庄屋を続けてきた嫁ぎ先の田地田畑家屋敷を手放すまで人助けを徹底して行い、神の啓示を受けて天理教の布教を開始した。
私など凡人に『中山みき』の真似などとても出来ないが、貧に落ち切ることは人の心の成長には大変良いことだと私は思っている。

数日前のブログに 『 日々感謝すべきことのいかに多いことか。』 と書いたが、感謝するという気持ちを持ったり行動することは勿論大切だが、それ以前に有り難いことpict-小牛尉 増田豊春-1だと感じることの出来る感性が養生されていなければならない。

諺に 『 衣食足りて礼節を知る 』 というのがある。
礼節とは礼儀作法節度など人として身に付けるべき品格であると言えよう。
つまり、人としての品格や徳性といった人間の内面より滲み出るようなものは生活に余裕がないと感じ理解することは難しいものだと言っているのである。
また 『 貧すれば鈍する 』 との俚諺もある。
どれほど立派で賢い人であっても貧乏な生活をするようになればマトモな判断が出来ずに道を誤るものだという意味である。

いずれも一面の真理を語ってはいる。
しかし世の中、『 衣食足りて モ 礼節知 ラヌ 輩(ヤカラ) 』 が沢山いるし、『 大金持ちなのに鈍する奴 』 も多い。 pict-老女小町 増田豊春-1
January 26, 2014付け『四字熟語とやら』で書いた『 われ、ただ足るを知る ( 吾唯知足 )』 ことが出来る感性を心に育まないと・・・・・

エエカッコするつもりはないが、自分の意志で自由に動けない、何をするにしても誰かの援助を求めなければ何も満足に出来ないという病を得た私の現況は、私にとって将に 『 貧のどん底 』 に落ち切った状況であり、何もかもが素直にアリガタイと感じ取れるのだ。
これは本当に素直で正直な私の思いであり、それを記しただけのこと。

人は誰かに言われたり教えられたりして学び、それを身に付け成長していくものだ。
しかし、古来 『 親の背中を見て子は育つ 』 と言われてきた。
pict-安達女 増田豊春-1子どもにとって最も身近な存在である親を例えの一番に挙げているが、子が常に見聞きしている両親や周りの人々、その子を取り巻く社会や環境、こうしたものの姿形や言動などが子どもの 『 常識 』 になってしまうという意味である。

『 孟母三遷 』 の教えもある。 
孟子の母親が子を育てる上で環境が大事だと、墓地のそばから市場のそばへ、そして学校のそばへ住居を移したという故事であるが、移った場所の良否はさておき、これも一理あると私は考えている。

『人の振り見て我が振り直せ』とか、『他山の石、以て玉を攻むべし』など沢山の故事来歴が頭に浮かんで来る。pict-獅子口 増田豊春-1

『冬の旅(シューベルト)』に始まった私の
ドイツ語との関わりだったが、専門は今は亡き S 教授の『 die Bildung 』 の講義から始まったのだった。
師はペスタロッチ研究者・長田 新 氏の高弟で自らもペスタロッチやヘルバルトを研究対象としていた。
何だか昔々の事を思い出してしまうが、教育の目標は全人的陶冶であって、ペスタロッチにしろカントにしろ道徳的もしくは宗教的な完成状態を目指しているのである。

この完成された人の姿をどのように表現すれば適切なのか、これは甚だ難しいこpict-姫猿 増田豊春-1とだが広い意味でのエゴイズムを超越した利他主義とも言える。
キリスト教的には 『 愛 』、仏教的には広大無辺なる阿弥陀仏のような心を持てる人であり、先に挙げた天理教では神を信じ切って 『 陽気ぐらし 』 に徹する人を指すのだろうと私は思っている。

愛の世界、陽気ぐらしの世界、極楽浄土の世界・・・・・
いずれも素晴らしい世界であろう。 私の脳でも想像はできる。 これらの世界建設のため 『 die Bildung 』 が必要となる。 陶冶、つまり教育との関わりになるのだが、チョコッと先から触れてきているように教育を学びと言う観点から見れば、学ぶ者は学び取ろうとする主体であると同時に学ばせられ教えられるという客体でもある。

ははははは。
メモのつもりが長くなってしまった。 これは私の述懐である。 将に『つぶやき』なのだ。pict-小面 増田豊春-1
宗教的信仰や道徳的信念・倫理観というもの、これらは基本的には全く個人的なものである。
そうした思いを強めたり広げたり、仲間集団を作ったり教団化したり、そうしたことも個々人の納得の上で行えば良いことだ。
私は何度も書いてきたように他の存在を非難否定するようなのは道徳とも宗教とも相容れないものとしか考えていない。
私の思いとして倫理性や宗教性は誰の心にもあり、人を包み込む全ての環境に教pict-狐 増田豊春-1材としての試金石のようなものが散りばめられ、人は誰でも何時でも何処でもどのような時でも感じ学ぶことが出来る世界(俗世)に住んでいるのだと考えている。

何を知り、何を感じ判断するか、これは個々の人間性が関わることだ。
そこでどうするか。 カントは実践理性批判へと発展させた。
私は人間の完成体へ一歩ずつでも歩んでいると見る。 
菩薩性の体現と言えるかも・・・・・
 大癋見 増田豊春-1
だからと言って、これをもって誰かにアアせえコウせえと言うものではない。


写真の能面は増田豊春氏の作品を絵葉書にしたものから紹介してみた。
立体物ゆえに平面的な写真では十分に表現できていないかもしれない。
更に言えば、私自身実物を拝見していないのだが素敵な作品だと思い紹介したものだ。

現物の絵葉書は家内がリコーダの関わりで入手したもの。


masatukamoto at 11:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

July 18, 2014

暑中お見舞いを・・・

pict-暑中見舞い-2
昨日(7╱17) の衛星写真では随分と太平洋高気圧が出っ張り、梅雨前線が北へ押し上げられているように見れた。 多分だが、ここ 3 、4日ばかりで関西は梅雨明けかと・・・・・

大阪で生まれ育った私は、梅雨時に 『 しとしと雨の愛染さん 』『 カラリ梅雨明け天神さん 』 などと言ってきた。

愛染さんというのは聖徳太子建立の四天王寺の別院・愛染堂勝鬘院のこと。この夏祭り宵宮が 6月30日、pict-愛染さん宝恵かご-1そして本祭が 7月 1日に執り行われるのだが、愛染さんの祭りは必ず雨が降ると言われてきたのだ。
まあ梅雨時の祭りだからと言えば何の不思議もないのだが・・・・・

大阪の夏祭りは愛染さんに続いて生國魂神社の夏祭りが 7月11日と12日。
pict-天神祭-船渡御-11 7月24日と25日には天神祭。
そして 7月31日と
 8月 1日に住吉神社の夏祭りと続く。

大阪人は神さん仏さんと大変親しく?
神仏のことを 『 さん 』 や 『 はん 』 を付けて呼んでいる。
あいぜん・さん、いくたま・さん、てんじん・さん、すみよし・さん、と言った具合である。
ともあれ日本三大祭のひとつに数えられる天神さんの夏祭りの頃、多少前後するとは言っても 7月24日か25日には大阪では梅雨明けしているということだ。pict-朝顔-3
気象学による科学的法則によらず、古来伝えられてきた経験則だが人智のスゴイ部分である。

この人智のスゴイところは二十四節気に雑節を加えた暦を見ることで益々感心する度合いが高くなるはずだ。 暦の一部分を抜き書きしてみよう。

⇒入梅 6月11日、夏至 6月21日、半夏生 7月02日、
小暑 7月 7日、土用 7月20日、大暑 7月23日、立秋 8月 7日、処暑 8月23日⇒
pict-朝顔-1梅雨入りから夏至を過ぎ、半夏生の頃にはよく雨が降るとされ、先に書いた 『 しとしと雨の愛染さん 』 の時期に合うのだ。
そして、梅雨が明けて本格的な夏が始まる時期が大暑で 『 カラリ梅雨明け天神さん 』 の天神祭の時期に符号する。
やがて夏の暑さも峠を越えていよいよ秋の風情を感じ始める頃、暦では処暑と表している。

今日は朝から少し雲が多いようだが、直射日光を受けないので有り難いと言えるかも。
H PT の指導で路上歩行訓練を受けたが、私の感覚では先ず先ずで68点くらいかな。
まだ若い H PT だが、若干の注意点を指摘しながらも、僅かしか見つけられなかったであろう良かった点を取り上げ誇張して褒めるということをしてくれた。
ぶっははははは。 
pict-DSCF5531
人間と言うもの老いも若きも褒めそやされるのに悪い気などするはずがない。
勿論、私とて例外ではなく、自主的リハビリや次回のリハビリでのガンバロウという意欲につながることであり大いに嬉しい気分に浸ることができた。
朝顔イラスト-21
それと今日は H PT が iPod で私の歩行の様子を撮影して見せてくれたのだが、随分安定してきていることを私自身が客観的動画資料で確かめることが出来、これも嬉しい気分を一層大きいものにするものとなった。

日々感謝すべきことのいかに多いことか。
デッカイのは瓜ではなく
キュウリ。 ははははは、キュウリ ( 胡瓜 ) もウリ科の植物ではあるが・・・・・ 
T さんが食べてくれって持ってきてくれたものだ。
朝顔は今年播種したものの内、白色 (以前に紹介) 以外で初めて花を咲かせたものである。


masatukamoto at 14:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

July 17, 2014

リハビリ近況 7/17

連日暑い日が続いている。
私の方は少々へばり気味ながら何とか一日でも早い回復をと、このことを目指し日々精一杯変わらず頑張ってアブラゼミ-2いる。
今日は訪問リハの日で OT (Occupational Therapist) 、日本では作業療法士と呼ばれる S氏が来てくれた。
明日は PT (Physical Therapist) 理学療法士の H氏が来てくれるが、私のリハビリに関して OT と PT の仕事上の明瞭な区分けはされていない。
とにかく先ず安定して歩けるようになりたいと言う私の希望を第一番の課題としてリハビリ計画pict-アブラゼミ-1を立ててくれており、本日も自宅から往復400mほどの距離を歩くことを中心とした訓練を受けた。

今日の訓練では、訪問リハでは初めてとなる路上で両手の杖を浮かせて通常の歩行を試みるということに挑戦してみた。
10 mにも満たない僅かな距離だし安定しているとは言い難い状態ではあったが風鈴-1何とか出来たのだ。
「 なーんだ、それだけのことか。」
って?
その通り。 確かにちっぽけで、健常な時には話題にすることすらないほどの微々たる状況変化である。
だが、違うのだ。
現在の私にとっては微々たることが大変に大きいことなのだ。
この出来たという成就感と、出来たという微妙で微細な感覚が骨や筋肉・皮膚に伝わり、結果pict-朝どりインゲン豆-1、それらを統合する神経系が記憶し、こうした記憶が次回への意欲へとつながっているのである。

今日の訓練では坂道の歩行もスムースに出来た。
私の場合、上り坂を上ることは随分前から出来ていたのだが、下り坂を下るということが困難であった。
説明が長くなるので簡単に言えば、両足に添え木をして膝が曲がらない状態で坂を下ることが出来るかどうかということだ。
平地なら何とか歩めるだろうが、勾配のある路面歩行は至難である。

tan θ だったかな、垂直距離/水平距離、( c/b) ぶっはははは、三角関数なんか半世紀も昔に学習したことで以後縁が無かった。
実際に計測したわけではないが、今日歩いた坂道は多分、多分だがせいぜい10度有る無しくらいだろうと思う。
両手に杖の歩行ではあったが、前へつんのめることなく、
ガチガチに体が強張ることもなく、つまり右足から左足へ、そして左足から右足へと膝関節を中心に協調的連動的に屈伸運動が行えたということになる。
pict-朝どり万願寺唐辛子-1
このように書くと、「 ほほうっ、随分回復したな。もうひと月かふた月で元通りに戻るかな?」 なーんて思って頂けるかもしれないpict-朝どり青紫蘇-1が、なかなかドッコイと言うのが正直な現在の私の思いである。
でも決して悲観的に見ているわけではない。
時間はかかる。 しかし停滞はしても後退はしていない。 極々僅かでも前進していることを実感しているのだ。

雨が降れば屋外での歩行訓練は出来ない。
暑い毎日だが雨が降らないことを有り難く思える此の頃である。


インゲン、万願寺、青ジソは、いずれも近くで畑を耕している T さんが朝から収穫して持ってきてくれたもの。
インゲンは煮て卵とじ。
万願寺は焼いて醤油で。
青ジソは、炒めて佃煮風に。
それと青ジソごはん・・・・・刻んだものを混ぜただけだが。



masatukamoto at 20:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
記事検索
月別アーカイブ