August 2014
August 29, 2014
きらいな嫌いな奴
デング熱 ( dengue fever ) というウィルスによる感染症である。
熱帯地方の病気であることは知っていたが、子どもの頃にデング熱を天狗熱と覚え、鼻の高い天狗の顔は赤い、赤いから熱いのだろう、だから天狗熱は熱病なのだと。
子どもなりの三段論法的な発想の連鎖という意味では間違いの無い連続的論理性を持っているではないか。
ぶっははははは。
だが、子どもの頃に間違えて記憶した名前は熱帯域のタイへ渡航することが決まった時まで、かれこれ50年近く修訂正の機会が無かったのだ。
蚊がウィルスを媒介する病気であることも知識としては知っていたがマラリヤや日本脳炎に対するほどの恐ろしさも感じてはいなかった。
ところが今回デング熱に罹った埼玉の人たちは東京の公園で刺された蚊に原因があったのだとか。
しかもその蚊がヤブ蚊 ( ヒトスジシマカ ) だったんだと。
うーーむ。
ふつうのイエ蚊も嫌いなのだが、植木鉢に水やりをしている間、気付かぬ内に代わる代わる血を吸いにたかってくるスバシッコク黒いヤブ蚊はさらに嫌いな奴なのだ。
ハエ・蚊にマムシのような毒蛇は、出来ることなら絶滅種になってほしいものだ。
ぶっははははは。
ほんまに嫌いなのだ。
人の血を吸って真っ赤にお腹をふくらませた奴。
まっこと、ニックキ奴である。
激 憤
しかし、『 仏の顔も三度まで 』 と言うぐらいである。 ましてや人間である私のこと、一度でも怒ることがあって何の不思議もない。
と言っても、我が思い通りにならないから腹が立つというものではなく、義憤とも言える憤りである。
しかし表題に 『 激憤 』 と書いたように、少しムカついている程度の怒りではない。
犯人と特定された者は社会的に抹殺するぐらいの罰を与えて良いと思うほどの憤りを感じているということだ。
古来、火事場泥棒と言う言葉があるが、広島市の安佐北区や安佐南区で起きた土砂災害に乗じて窃盗事件が起きたという報道を耳にした。
多くの人たちが命を落としただけでなく、日常生活をフツウに送ることが困難となっている被災した人たちも数多くいる中、被災地復旧が急がれる混乱した状況下でドロボーが現れたんだと。
『 盗人にも三分の理 』 とは言うが、このドロボーにだ、仮に仮に言い分があったとしても聞く耳持たぬのが正義であると私は思うのだ。
親鸞は悪人正機を説き、広大無辺なる慈悲を与えるのが佛であるとした。
成程と思う、が、如何に佛と言えどこの盗人を許してはならないと、此れは俗人の考えだろうか。
そして今ひとつは盲導犬に何かを突き刺し、それも何度か刺して傷を負わせた奴がいたということだ。
私は犬にしろ猫にしろ特別に好きでも嫌いでもない。
我が家の門前で糞をしていく犬、それに我が家の庭に入り込み、植木鉢をひっくり返したりプランターの土を掘り返して糞尿をする猫たちに対して良い感じは持っていない。
犬も猫も野良ではなく飼い主がいるし、犬の場合は飼い主が一緒に歩いているのである。
決して感じ良く思っている犬でも猫でもないが、そんな犬や猫であっても私は傷を負わせてやろうなどとは思わない。
盲導犬。
今更説明する必要もないし、健常な人は何度か見ているだろう。
また、一見すれば盲導犬と分かるし、いかな働きをする犬かも知らない人はいないと思う。
目の不自由な人にとっては自分の目であり、あらゆる感覚の代わりを務めてくれる、言わば目の不自由な人の分身なのである。
改めて言うまでもなく盲導犬を傷つけたということは盲導犬に案内されていた人に傷害を与えたと同じことなのだ。 しかも無抵抗の盲導犬を証人となるはずの人が視覚障害者であることを分かった上での犯行である。
こんなことを見逃し許す社会であってはいけないと、この報道を知って私は悲憤を感じ、瞋恚(しんい)に燃える気持ちを抑えきれなくなった。
ブログに書いて気が済むというものではないのだが・・・・・
August 28, 2014
月下美人《考》
葉挿しで増やしたのか株分けでなのか頂いた時には茶色で丈の低い木質の茎のようなのから昆布のような葉っぱが 2~3枚出ていた。 随分以前のことなので多分という言葉をつけての記憶だが。
それから 1年を経て 2年目の秋初めに大輪の花がひとつ咲いてくれた。
このブログでも話題にしてきたが、以後毎年 2輪から 5輪咲いてくれてきた。
これが数年前より夏から秋の間で2度、真っ白な大輪の花を数輪ずつ咲かせてくれるようになったのだ。
今年も 7月初めに咲いてくれたのだが、今夜咲くだろうと思っていたのに開花を見逃し、朝方に家内が新聞を取り入れる時に花が咲き終わっていたことに気付いたのだった。
私が元気だった頃には花が咲くと思える夕刻に月下美人の鉢を座敷に運んで徐々に開花する様子を楽しんでいたのだが、植木鉢が大きく重い上に月下美人の葉が噴水のように広がり垂れているので家内が運び込むのは少々難しいのだ。
そのため前回は鉢を屋外に置いており、私自身、足が不自由なため再三開花時期を確かめに行くことが出来なかったため開花時を誤り花を見ることが出来なかった。
その月下美人が又ツボミをつけたので、「 今度こそ 」 と家内と話していたのだった。
花を咲き終えるまでは U 字形の花茎で花の部分を持ち上げるようにしているが、花を咲き終えた朝方には花茎も花もダラリと垂れ下がってしまうと、開花はたった一夜のことなので時期を見誤ることもあるのだ。
ただ、開花する夜が近くなれば白い花部が膨らみ、それを包んでいる赤い糸のようなガクも緩んで広がり始めるので先ず今夜だろうと予測できるのである。
それが一昨夜のことだった。
その開花を私も見れるようにと家内が玄関まで重たい鉢を運んでくれたのである。
この夜、つまり26日には 3輪咲き、そして明くる昨夜27日には 2輪咲いた
ところで月下美人という名前だが、なかなか風雅を感じさせる名前だ。
メキシコ原産の
クジャクサボテンの仲間で英語名は
A Queen of the Night とか Dutchmans pipe
cactus と言うのだと。
香りが強く真っ白な大輪花だから気品を感じさせる名前としては前者が妥当かと思うし、後者はオランダ人かどうかは別にして形状的にマドロスパイプそのものである。
花の名前ひとつで、なかなかオモロイものだ。
では月下美人の月下、この月は一体どんな月なのだろうか。
思考の連鎖、またまた私の発想の広がりと繋がりというクセが出てきた。
月と言ってもいろんな月がある。
季節によっても違うし朝と夕でも違う。 夕月があれば宵待ち月に有明の月も。
見かけ上の形状は日々異なるし、気象条件によって色合いも変わる。
見えない部分で言えば、月を見る人の感性で同じ月でも違って見えるのが月である。
冬の夜空の月は青く冷たく感じるし、春は朧月夜と言われるようにボヤーと霞んだ月をよく見るし、夏から秋への時期の月は将に 『 月々に 月見る月は多けれど 月見る月は この月の月 』 である。
新月より三日月、そして上弦の月から満月を迎え、やがて徐々に欠けて再び半月 (下弦の月) と、ほぼ 1ヶ月周期で見かけ上の姿を変えている。
すすき・萩を生け、三宝に団子や小芋を供えての仲秋の名月。
ウサギが餅つきをしているかもしれない月。
かぐや姫が帰って行く月の世界。
月下弾琴と月を愛でながら琴の音に耳を傾け、龍笛や笙・鉦や太鼓の管弦の調べに興ずる観月の月。
一方、宇宙飛行士がロケットで飛んで行って歩いてきたという月もある。
月下美人の月。
一体どんな月なのだろう。
気になる、
気になる。
写真は、宵方これから咲こうとするものから開花の時期を経て、夜じゅう花を咲かせるのに力を使い切り、朝方ダラリと花茎を垂れている月下美人。
August 26, 2014
ピカッ、ゴロゴロゴロ
ピカッ。
閃光が走ると瞬時に窓の外が真っ白に。
はっはははは、嫌いな奴が朝の早うから出てきおったワイと思いつつ、頭の中で 1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 と数えていた。
ドーン、ゴロゴロゴロゴロゴロ
16。
ざっと 5kmちょっとやから学園前か菖蒲池あたりかな。
5 時40分頃より始まった雷鳴は東方や北方から聞こえていたが、時間と共に閃光と雷鳴の間隔が短くなっていった。
6 時30分頃東の丘陵方向に 2 つ連続して閃光と雷鳴が鳴り轟いたが、この時の光と音の間は 2 か 3 を数える程度だったから我が家から 1km程度の所に落雷していたのだろう。
以前に書いたが、私の父親は高潔で優しい人だったから 『 地震、雷、火事、親父 』 ではなく、親父の部分は大雨や大風が一緒になった台風を当てはめることになると。
まあ父親のことは置いておくとして雷が怖く恐ろしいものであることに変わりはない。
60数年前の夕刻、母親と梅田の某商店の入口近くの椅子に腰かけていた時、商店の直ぐ前に立っていた電柱に落雷があった。
一瞬の閃光で目先が真っ暗になると同時にドカンと床も空気も震わす轟音。
一瞬何事が起ったのか分からなかった。 停電のため店内は暗くなったが夕方の弱い明かりの中で落雷であったことが徐々に分かっていったということがあった。
更に40年ほど以前だが、岡山のゴルフ場でプレー中の友人が落雷に遭って亡くなっている。
下は落雷の瞬間を撮影した動画の一場面を借りたものだが、落雷時の火柱を見るとやはり恐ろしいものだと思う。
凧を揚げてライデン瓶に蓄電し、雷が+極と-極を持つ電気であることを発見したのはベンジャミン・フランクリン
( Benjamin Franklin ) であった。
1回の放電で 1億から10億ボルト(V) の電圧を発する雷である。
冬場に車のドアノブを触った時、『 ビシッ 』 というアレで3000ボルト。
アレでと書いたが、痛いのなんの。 アレが怖くて怖くて。
化繊の服を脱ぐ時もパチパチと恐ろしい音が鳴り、夜の暗闇だと火花も見える。
ちょっと気をつけて放電してやれば済むことなのだが。
閃光があって雷鳴が聞こえるまでの時間(秒数)を測ることで雷との凡その距離が分かることを教えてくれたのは父親であった。
掛け算が必要なので多分小学校 3年か 4年の頃だったと思うが、以来ずっと知らず知らずの内に公式 ( 速さ×時間=距離 ) を使っていたのだ。
340 m/秒 ✕ 5 秒 = 1700 m
上は凡そ 5 秒をカウントした場合の雷との距離である。
コイツだけは近付きたくないし、近寄っても欲しくない奴である。
August 25, 2014
足のむくみ
昨日は日曜日でリハビリも休日、とは言っても家の中での自主的リハビリは普段行うのと同様に行った。
平行棒やベッドでの筋トレなどの他、杖を使っての歩行訓練などである。 しかし、リハビリの効果というか変化は目に見えるほど大きいものは無いので書くほどのことは無いと何度か書いて来た通りである。 ただ、私自身の感覚の部分では決してマイナス方向に向いてはいないことだけはハッキリしている。
痺れ感は1年半前と比べれば格段に軽減しているが、これは私が感覚として受け止めていることで周囲から見て分かるものではない。
周囲から見て、勿論私自身も見て分かることで嫌な症状がひとつある。
それは両足首から足の甲一帯の皮膚全体がパンパンに腫れ上がる浮腫み ( むくみ ) 症状である。
浮腫みは腎臓、肝臓、心臓の機能障害が疑われるので私は心配していたのだが、医師は歩行訓練など運動量が増えれば浮腫みも解消すると言ってくれていたので安心していた。
それに、月に1回の血液検査等の結果も、医師が別人のを見ているようだと言うほど、多分、私が検査というものを受けて以来、つまり半世紀ばかりで全く初めてのキレイな綺麗な検査結果報告書を連続して2回ももらっているのだから心配はしていないのだが、運動量は確実に増えているはずなのに浮腫みがずっと消えないでいるのは気掛かりではあるのだ。
良い例が無いが、浮腫みは写真の豚足のような・・・・・
ふっはははは、カモシカの足と比べられるほど長くも細くもない足ではある。 が、重い体重を支え芝生上を走っていた足だから脹脛(ふくらはぎ)にしろ太腿部にしろ、それなりに太いのは太いが足首から下は極々普通でカワユイものだ。
夕刻あたりから夜にかけて最も浮腫み状態がひどくなり、朝方には引いているので若干静脈還流が弱いのだろうと思う。
朝起きたらリハビリ以外は何をするのも殆ど座ったままの生活だから仕方がないかも。
入院中や退院してからも今春までは弾性ストッキング ( 参考・右上の東レの写真 ) と呼ばれる足全体を圧迫するストッキングをはいていたのだが、暑いし痒いのではかなくなったのだが、その後に浮腫み症状が出ているから関連性があるのだろう。
脹脛は第二の心臓とも言われる大事な部分である。
このところは浮腫みを少しでも軽減するため時々ベッドで横になるようにしている。 別に昼寝などと怠惰なことを目論んでるのではなく、時に足全体を心臓の位置と同じか高い位置に据えるためである。 加えて膝の曲げ伸ばしや脹脛へ軽い刺激を与えたりしているのだ。 肩叩きならぬ脹脛叩きとか、足全体のマッサージとかを行うようにしているのだ。