August 2014
August 24, 2014
頑張るぞ
またまた雨が降り始めた。
家内は今頃大阪の某ビルの一室でレッスン中だろう。
天気の良い時に出かけて行ったから往きはヨイヨイだったろうが帰り道は・・・・・
私が元気な時には連絡があれば車で迎えに行ってやったのだが。
昨日 ( 23日 ) は暦の上での処暑。
つまり夏の暑さもボチボチ峠を越すだろうということだが、暑さ寒さも彼岸までという言葉もあるので一気に涼しくなるなどということはないだろう。
しかし、上の写真は 8月22日の午前 5時16分に撮影したものだが朝焼けに染まる雲の姿は何だか秋の風情を感じさせるものであった。
足の障害が無ければ多分ここ 1週間ばかりは博多に滞在していたことだろう。
うまい具合に今年の大会会場が九大であるのに全く残念至極である。
早いもので博多を訪れて以来まる 2年を過ぎてしまった。
8月22日、奈良の日の出時刻は午前 5時22分だが下の写真の通り我が町の日の出時刻は午前 5時39分。
夏至の日の出位置からは随分南へ移動している。
( June 21.2014 を参照されたい )
このところ天候不順な日が続いた。 しかし幸いにも私のリハビリの日は雨が降るのかと思うほどの曇り空になったことはあっても雨が降ることはなかった。
最近の私のリハビリは室内でのマッサージ以上に屋外での歩行訓練に多くの時間を充てるようになっているため、雨降りは困るのである。
主治医はまだまだ改善、つまり以前に機能していた状態にまでかなり戻るだろうと、ただ、筋力についてはどの程度戻るか何とも言えないと言っているが、私は前者の言葉を信じて最大限と言える訓練を我が身に課しているのだ。
頑張っていると言えば恩師も頑張っている。
物書きが仕事の半分を占めていた師だが、書痙を患い書くことから遠ざかっていた。 その師が私の病後を気にかけてくれていたが、この度は葉書を送ってくれた。
写真に示す通り、手が震えてきちんと字が書けないでいるのだ。
それでも尚かつ葉書を書いて私のリハビリを気に掛けてくれている、このことがとても嬉しく有り難く、私は涙する思いでいるのだ。
一層頑張らねばと。
August 23, 2014
テレビ視聴から思う・・・②
朝日放送テレビの島田アナウンサーだったか名前とお顔が
一致しないので間違っているかもしれないが。
このアナウンサー氏が国連人種差別撤廃委員会による対日審査の結果、ヘイトスピーチについて差別を禁止する法律の制定が必要であるとの勧告を日本政府に対して出すことに決まったことを報じていた。
南アフリカ共和国で行われていたアパルトヘイト ( Apartheid 人種隔離政策 ) についてはよく知られていることと思う。
人種差別は白人が入植した頃に遡らなければならないが、南アフリカ共和国のアパルトヘイトは1948年以降1990年に故ネルソン・マンデラ ( Nelson Rolihlahla Mandela ) 氏が釈放されるまで法律的に政治的に定められていたもので、差別することが普通で基本だという社会にされていたのである。
今回日本政府が勧告を受ける差別禁止の法制定におけるヘイトスピーチ ( hate speech ) はヘイトのカナ表記が同じだが、ヘイトスピーチの Hate は憎悪するの意味であり、ヘイトスピーチとは人種や民族、或いは宗教や風俗などを差別したり、差別することを煽ったりする表現 ( 言葉などで ) を言う。
日本人が日本人を差別してきたことは歴史上古くからあったし、現在も無くなったとは言い難い。
また、日本人が在日韓国・朝鮮人や在日中国人を差別し、或いは差別を煽り立てる表現を行っていることを見聞きすることが現代でも時々ある。
さて、先のABCテレビでアナウンサーが国連人種差別撤廃条約の履行が充分でないからと法律制定の勧告を日本政府に対して行うことになったことを話した時、芸能リポーターの井上公造氏が、韓国や中国の方でもありますねえと、あたかもヘイトスピーチは日本 ( 人 ) だけではないという感じで口を挟んでいた。
アナウンサーが法制定の勧告を日本が受け入れる方向で話を進めているところへ自ら口を挟み話し出したのだから当然井上氏には意図があってのことだろう。
つまり、相手も言っているのに片手落ちだとでも言いたかったのかもしれない。
うーーん、何と言う奴っちゃ。
維新の会代表・橋下氏が日本軍の慰安婦問題に関わって、日本だけ責められるのは納得できないとばかり、戦争と言う状況下で外国も同じようなことをしているではないかと語っていたことがあった。
私に言わせればジャリの喧嘩のような、お二人ともご同類のような・・・・・
弁護士である橋下氏に芸能リポーターの井上氏のことだ。
数多くの弁護活動や様々な取材を通してお二人とも社会に対する洞察力や判断・批判力を持っておられる筈なのだが、こんなことでいいのだろうか。
カスのようなコメンテーターがいると前ページで書いたが、カスにはならないでほしいものだ。
テレビ視聴から思う・・・①
テレビ画面の紹介では東京消防庁の麻布消防署長をしていたとか。
まあ防災についての素人ではないようだ。
が、私が引っ掛かったのは、彼の発言中、広島市の避難指示が遅かっただの、リーダーシップがしっかりしている首長なら迅速な指示を出していたといったように、豪雨が原因ではあるが、あたかも広島市長が悪かったと言わんばかりの表現をしていたことだ。
これに関してはMCの恵氏も坂口氏のそうした方向での発言を引き出そうとしていたように感じ取れた。
この日は地学関係の大学教員だったように思うが、唯一マトモな発言者(解説者)であったように思った。
もっとも昨日(22日)の同番組では防災システム研究所所長・山村氏が坂口氏と並び出演。
山村氏は被災地での聞き取りなど現地調査の結果を踏まえて解説されていた。
その内容は、避難指示を発令すべきかどうか予測をつけにくい天候が推移し、局地的に降りだした雨は尋常ではなく避難もままならないほどの短時間で何もかも急変する事態であったといった被災した人たちの証言を踏まえての解説であった。
昨日のMC・恵氏の司会姿勢は一昨日とは変わったように見ることが出来たが、多分に山村氏の解説によるものだったかと思う。
『 過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。』 とは論語 ( 学而 ) の一節である。
別に恵氏が間違ったと言うのではないし、坂口氏が言う避難指示の時期が遅かったという発言も災害を未然に防ぐための反省材料のひとつとして大切であるとは思う。
しかし、防災についての素人ではないようだが、同時に気象や地質などを究めた人、否、神様でもない人が避難指示を出すのが遅かったとか、首長にリーダーシップが無かったというような発言をテレビという公器をもって 『 よう言うなあ 』 と、私は半ば呆れていたのだ。
結果から云々することは多くの場合、専門家でなくとも言えることだ。
皆が皆とは言わないが、テレビに出てコメントのひと言ふた言しゃべるだけのコメンテーターと呼ばれる輩にはカスみたいなのが結構いると私は思っている。
もう10何年か前になるが広島市安佐北区や呉市で豪雨による大災害が起きているし、昨年は伊豆大島での山崩れや山口県や島根県西部の豪雨災害など記憶に新しいものもある。
地震や津波、台風に竜巻なども含めると我が国における自然災害は枚挙にいとまが無いことは誰もが認めるところである。
そうしたことも踏まえ、恵氏は防災について学校で指導せねば云々と発言したのだろう。
当然と言えば当然。
しかし一方、当然と安易に方向づけて問題を解消したかに思っているなら恵氏の脳も大したものではない。
例は悪いが、ゴミはゴミ箱に捨てるモノ。 これは至極当然のこと。 が、コレでオワリではない。 ゴミの最終処理までの過程やその間に派生する数々の問題を解決する必要があるのは自明のこと。
つまり、恵君。
分かるかな?
何でもかでも学校で、教育作用として・・・・・
その挙句は学校百貨店主義、先生たちの職務の際限無き負担増、その他もろもろ。
教育現場に責任をおっかぶせ、何か問題があったり気に入らないことがあれば好き勝手なことを言い、高みの見物を決め込む。
何だかテレビに出演しているコメンテーターと呼ばれてる輩が、そこらじゅうワンサカいるように私には思えるのだ。
August 22, 2014
被災された方たちに
そして不幸にも亡くなられた方たちに対しては謹んでご冥福をお祈り申し上げる。
合 掌
今回、広島市北部で起きた土砂災害の被災地である八木から緑井あたりは何度も通って知っている地域であり、各種報道を見聞きしていてもなかなか信じられない出来事である。
死者行方不明者合わせて90人を超えるという甚大な土砂災害が起きた地区とは山の西側と東側という位置にある安田女子大へアストラムライン(安東駅)を利用して行っていたし、車の場合は祇園新道から可部街道・山陽道をよく走っていたので被災地辺りの景観を今も思い浮かべることができるのだ。
しかし、大変な被害状況を何度テレビ映像で見ても今なお信じられない思いだ。
あの緑濃き山が、幾つもの沢で同時に山崩れを起こすとは・・・・・
August 20, 2014
私に出来ること《その②》
実際今の私にとって一人で満足に出来ることなど極限られたことしか無く、日常生活の殆どにおいて家内の支援がなければ成り立たないのが現状である。
ところで今日も上天気である。
本日は通院日。
何とか車の運転が出来るので家内を乗せて医院まで。 診察券を提出し、受診者の氏名を書いて戻って来た家内を乗せて往復30分ばかりのドライブをして帰宅するのだ。
自宅玄関のドアの開閉、車のドアの開閉、勿論車を出し入れする際の門扉の開閉と、ひとつひとつ体を動かすことの殆どの面で私には支援が必要なのである。
車を運転出来るとは言っても実際に 「 一人で?」 と問われたら答えに窮するのが実際のところだ。
以前は家内がバスと電車を乗り継いで受診申し込みをして帰宅する。 そして改めて介護タクシーに来てもらって私と共に医院へ出向き、診察や検査、それに薬局で薬を買い、再度介護タクシーを呼んで帰宅するようにしていたのだ。
このようにしていたのには幾つかの理由があった。
ひとつには受診者が多く診察順が遅くなると私の体調が長時間耐えられなかったこと、受診申し込みをしてから実際に診察を受けるまでだけで1時間以上待ち時間が生じるので、結果一度帰宅して再度出かける方が介護タクシーの予約も取りやすいなどと、これらだけではないが様々な事情があったためである。
しかし私の体の回復が徐々に良い方向に進んでいることもあって、バスや電車を乗り継いで行くよりもマイカーで往復する方が所要時間は 1/4 ~1/5 程度で済むし私も共に動いているということで多少とも気持ちの負担が楽になるということもあるのだ。
家内はそのようなことで恩着せがましい言動を取るようなチンマイ人物ではないが、いかに長年夫婦という間柄であっても、してもらって当然などという思いを抱くことは相手に対して甚だ失礼なことだと私は考えているのだ。
『 亭主関白 』 もいい。 『 かかあ天下 』 もいい。
それは互いが互いの良さを認め合い、人としての尊厳さを尊重しあった上でのことだと私は考えている。
だから夫婦と言えど、「 ありがとう。」 といった言葉を腹の底から素直に言えないようではアカンと私は思っているのだ。
ぶっははははは。
ところで今日は随分前に予約していた介護タクシーが予約した時刻よりも18分も遅れて我が家へ来た。
そして到着した医院待合室はチョー満員。
座る場所が無ければ現在の私はどうしようもないのだが、幸い受付の女性が気を利かせて医師のもとへ走ってくれた。
そのために早くから受診申し込みをしているのだが・・・・・
待つこともなく直ぐに診察室へ入ることができて大助かりであった。
この後、医院での支払いを済ませ、家内は歩いて数分のところにある薬局まで薬を買いに行ってくれるのだが、この間、私は医院待合室で家内が戻るのを待つことになる。
そして介護タクシーに迎え要請の連絡を入れたのだが、何と
30分かかるのだと。
往路の迎えに遅れ、復路の迎えにも時間がかかるとは・・・
少しぐらい気長に相手してあげても良かったのだが、今日は虫がゴソゴソしてたようで、家内も常に利用しているタクシー会社に電話。
さすがに早いし黙っていても連れて帰ってくれる。
料金は介護割引がないだけ高いが使い勝手の良い方がいいに決まってる。
医院の駐車場が確実に確保できるなら自分で運転するのが
ベストなのだが・・・・・
もっともっと私に出来ることを取り戻さなくっちゃ。
ところで O 氏の長女 K が肺炎と診断され入院して10日になる。
1週間目に容体を尋ねた時には週明けには退院出来そうだと
O 氏が語っていた。
何か手伝いをと思うが、今の私には何もしてあげることができないし、家内も私の世話で手一杯。
その K の体調回復が遅れて入院が長引くらしい。
自分から痛いとか苦しいとか訴えるだけの充分な力が発達していない K だけに、私も家内も心配で不憫で仕方がないのだが、私に出来ることは K の早い快復を 『 祈る 』 ことしか・・・・・
K の快復を祈り願うのは勿論だが、付き添っている O 氏の嫁 H も体調を崩さないよう願うばかりだ。
私に出来ることなどホンマにしれてる。
情けないことだ。
※ 面は 増田豊春 氏制作の 『 真蛇 ( Shinja )』。
※ 他の写真は You Tube の画面より借りたもの。