September 2014

September 28, 2014

うまいもん & 言葉

さて、秋、秋、秋。
秋と言えば、やはり秋刀魚に松茸、スダチが目に浮かぶのだが・・・・・

読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋などなど。
とは言うものの、やっぱり食欲の秋が一番。(写真は某広告2014.9.27)
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テレビ番組も旅行に料理が目白押し。
高視聴率を上げるには旅と食い物を流しておけば先ず間違いないそうな。

が、しかし、だ。
以前にも書いたがテレビ情報というのは益にも害にもなるし、情報ひとつで全国津々浦々同時一斉に人々の価値観を変えてしまうほどの影響力があるものなのだ。
s-イラスト秋刀魚焼き物-1ゆえに放送する情報は精選精査されなければならないし、使用される言葉ひとつもエエ加減にしてはならない。

テレビなどマスメディアが流した言葉が広く使われ人々の間で定着してきた例も多い。
言葉というのは感情表現の道具であるばかりではなく、知識や記憶など社会全てに於ける重要な情報伝達手段のひとつであることは今更書くまでもないことだ。
将に言葉は文化であり、文化は言葉によって語られ創られるものでもある。
だから、頻繁に使われることなく不要になれば、やがては廃れ死語となっていく。 反対に新たな状況にマッチするような言葉が創出され、その言葉の使用頻度が高く、同27時に広い地域で使用されるようになれば、その言葉は『流行語』や『若者ことば』という枠を外れることになるのだ。

貴乃花が優勝した時(H13。2001年)、
内閣総理大臣杯を授与するため土俵に上がった小泉首相が言った『感動した』という言葉はテレビ電波に乗って即日全国同時に流行語となった。

それまで『感動』という言葉はあったが、『感動した』と口語上で頻繁に用いs-さんま焼き物-1られることは少なかった。 それが、小泉首相が語り、それが全国に映像としての情報が送られた時点より極フツウの通用語としての位置を占めることとなり、現在でも相当広く使われている。

『感動した』という言葉以外にも『癒される』という言葉が思い浮かんだりするが、まあこれらの言葉が使用されることについて特段の違和感はない。
しかし、中には聞き慣れず使用の仕方・場面など状況にそぐわないと感じられる言葉もある。s-イラスト 柿-1

『~すぎる』とか、『女子会』だとか、『あまい』などという表現などは気になる言葉だ。
頻繁に使われる言葉に『美しすぎる〇〇』とか、『美味しすぎる〇〇』いうのがある。
勿論、『~すぎる』という言葉は過ぎるという意味であり、一般的で普通のレベルを超えている場合に用いられる言葉であるから使用上間違っているとは言えない。
しかし一般的で普通のレベルと言ってもレベルには幅があり100人が100人全てその幅が一致するとは言えない。 
こうしたことを踏まえた上でも『~すぎる』という表現は度を超えた最上(最大・最jpg高)級に近い評価になるので、そうそう普通に使う言葉ではないように私は思っているのだが、いかがだろうか。
週刊誌の見出しかテレビ番組表で『美しすぎる市会議員』というのを見たことがあったが、この表現を使ったヒトの感性に問題アリと言えるかも。

それに『女子会』という言葉の使用にも引っかかりを覚えるのだ。
女子とは生物学的な意味での男性に対する女性を示す言葉だが、漢字の通り一般的には女の子のことであり、これまでも女子は若い、まだ子どもの意味を込めて用いられる場合が多かったように私は思う。
私の感覚としては女子高校という名前があるので、せいぜい16、7 までの女性なら女子という言葉でも良いかと思う。
女子大学という言葉もあるではないかと指摘されると少々返答には困るが、大学生の女性に対して女子というイメージはやはり当たらないだろうと私は考えている。pict-はぎ-3

ところが近頃は何でもかでも『女子』を冠したり、五十路のオバサマたちまでもが自らのことを『女子』とのたまうのだから私の頭は引っかかりを覚えるどころかコンガラガッテいるのだ。

そうした言葉の中で、コイツラの味覚という感覚が狂っているのか語彙数が少ないのか、はたまた表現力に乏しいのかと思うようなテレビ画面を目にすることが多い。
物に対する味覚は舌にある味蕾で識別するが、生理学上の分類では甘味、辛味、塩味、酸味、うま味の 5つとされている。
それぞれの味に強さ弱さがあるにせよ、基本の味を説明するほどのことはないだろう。 
甘味、つまり砂糖、ハチミツなど直接糖分を口にした時、或は食物を口の中で咀ギンナン2014-09-28嚼するうちに糖質に変化した場合など、舌の味蕾という細胞が甘さを感じ取って脳へ信号として送るのである。

そこでテレビ画面に登場するケッタイな輩のことだが、食べ物の現地取材をする連中に多く見られるのだ。
女性リポーターとして出てくる者や芸人と呼ばれる輩に多いが、何を食べても『あまーい』と感じ入ったように語るのだ。
『あまーい』は『甘い』であって甘味を表す言葉である。
砂糖をなめて『甘い』。 饅頭やケーキを食べて『あまーい』。 
果物を食べて『アマーイ』。
これらは分かる。
が、生野菜をかじって『あまーい』。 魚の刺身を食べて『甘い』だと。s-いが栗-1

?????

うま味の成分『グルタミン酸』には甘味を感じさせられる面が無いとは言わないが、咀嚼を続けるうちに滲み出てくる味わいで刺身を口にした途端に『甘い』はないだろう。

新鮮であるとか、美味しいとか、そういった食べ物には『甘い』と表現するものだと思い込んでいるのだとしたら、リポーターとして必要な表現力以前に言葉の基礎基本を学んでほしいと思うところだ。 
pict-チリメンジャコ干し-2
雇用契約金が安いとか経営上の問題があるのだろうと思うが、マスメディアとして踏まえなければならない基本の条件が遠くへ押しやられているのではなどと他人事ながら感じるところがあるのだ。

秋に因んで色んな図画・写真を拾い集めてみた。
リハビリ施設への道路のイチョウの葉が黄色味を帯び、ギンナンが実っている。
果肉は臭いけれど、焼いた熱々のギンナンに少量の塩をつけて食べる味は何とも言い難く、お酒のアテとして私の好みの一品である。

青い網で干しているのはチリメンジャコ。
春はマイワシ、その後少しの時期だがウルメイワシ、そして今の時期は殆どカタクチイワシのジャコだが、多分ぼちぼちジャコ漁も終わりだろう。
先日干し終えたジャコを冷凍保存していた山椒の実と合わせて醤油などで炒るように煮るのだが、我が家での今年最後のチリメン山椒づくりの作業になるだろう。


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September 26, 2014

彼岸明けに思う

何だかんだと言いつつ彼岸の明けを迎えてしまった。
などと言って渋々嫌々仕方なく迎えたわけではない。

先日、友人 W が同窓の集いの案内書を送ってくれた。
s-20140925T-2同級ではなく同窓であり、それぞれ年齢も学部・専攻も異なる集まりである。
一昨年は近江・長浜で、昨年は播州・姫路、今年は京都・祇園で集いが開かれる。
この間、友人の一人が他界。
私は病を得て昨年は参加できなかった。

高校までの同窓の集いに出席する者たちは比較的その居住地域が限定されるものである。 勿論、職業や家族構成など種々の理由で一概に決めつけることはできないが、高校に比べて大学の場合はその地域が遥かに広いものとなる。
私が事務局を担当していた某研究室の出席メンバーはハワイ・米国本土、欧州からアフリカまで広がっていた。
W が世話してくれている集いはこじんまりしたものだが、それでも近畿圏に止まらない。
この会合が明日、某料亭で催されるのだ。s-20140925-T1
我が家と会場の移動は息子に車の運転を依頼し、私の介助は家内がしてくれることになっている。

昨年は参加することなど考えも及ばなかった。
それから一年。
自由に動ける満足な体ではないが、家内や息子の協力を得て、両手に杖を必要とするものの出席させてもらえるまでになった。

この集いの世話をしてくれている W が案内書に記していた。
『 幸せとは何かと案じられること自体が幸せ 』 と。
うーーん、なかなか含蓄ある言葉だと思う。
tomokoすすき-4
冒頭、「 彼岸の明けを迎えてしまった 」 などと書いたが、「 迎えさせて頂いた 」 と書くべきかと・・・・・
渋々嫌々仕方なく今日の日を迎えたわけではないのだ。
日々のリハビリ訓練のことなどで頭も体も忙しくしているうちに、もう早や彼岸の明けを・・・・・
光陰矢の如しと言う。 決して無駄な時を過ごしてきたわけではない。 いささか弁解じみているが、時の流れというのは本当に早いものだとつくづく思うのだ。

掲載の写真は、自由に屋外を歩いて回ることが出来ない私のために、家内が買い物や散歩の道すがら撮影してくれたものだ。
s-2014-09-26_150021
日の出の位置比較としての 3枚の組写真は私の作品。
春の彼岸頃、夏至の頃、秋の彼岸の頃と集めてみた。
いずれも私が座る LR の座席から撮影したものだが、春分、秋分は真東方向。 太陽が最も北寄りに昇るのが夏至の位置。 つまり、写真から推測出来ることは冬至の日の出は LR の私の座席からは撮影出来ないということだ。
今年の冬至は12月22日だが、この日には自由に動けるようになっているだろうか。


masatukamoto at 16:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

September 24, 2014

曼珠沙華と異常気象

異常気象という言葉をよく聞く。
前ページでも少し触れたが、昨今集中豪雨にゲリラ豪雨など予想出来ないほどの局地的な大雨により山地では深層崩壊によって山が崩れることまで起きている。s-稲穂-1-1
そうした山津波は人々の生活を破壊していることを最近では東京都の大島や広島県などに見ることができる。
河川や都市部における降水処理の許容限界量を超える局地限定的豪雨による災害が多く起きている状況は異常気象と呼んで良いのかもしれない。

勿論、住宅地が広がり、それに伴って舗装面が広がり土地の透水性が低く、降水が舗装表面を流れて一気に下水溝へ流れ込む、そのため下水が逆流して処理が追いつかないという人為的問題を無視することも出来ないのだが・・・・・。

雨だけではなく突風に竜巻など近頃は自然災害が頻発しているように見える。 
彼岸花-5これは、やはり異常気象なのかとも思うのだ。

しかし 9月23日、秋分の日で全国的に祝日でお休みだったのだが、私のリハビリに休日は無く、勿論気の毒だが理学療法士も送迎福祉カーのドライバーも平常勤務であった。
そのリハビリ施設への送迎車の中から十分に頭を垂れた稲穂と畔道には枝豆、そして土手には赤い彼岸花が咲いているのを眺めることが出来た。

 9月23日は秋の彼岸の中日である。
この日の前後、必ず咲くのが彼岸花である。
♪ 赤い花なら曼珠沙華
  オランダ屋敷に雨が降る
  濡れて泣いてるジャガタラお春 ♪s-2014-09-24_140936
歌は全部覚えてはいないが、二葉百合子さんが歌っていた赤い曼珠沙華、これが彼岸花のことだ。
子どもの頃、ラジオでよく聴いた歌のひとつだが、曼珠沙華は毎年必ずこの時期に赤い花を咲かせるのだ。

異常気象が続く今年も彼岸に咲いた彼岸花・・・・・・。

異常気象??・・・・・・ 



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異常気象??

今年も荒れる気象状況が頻繁に起きた。
今年もと書いたように近年の気象の荒れ方は異常と言って不思議ではなく、しかも毎年のように続いていることが不気味でもある。s-かに星雲-1

自然界、とりわけ宇宙における不気味とか恐れといった思いを抱いたのは、かれこれ40年ばかりも昔のことになる。
アメリカ合衆国・サンディエゴ(Ca)にあるパロマ天文台の観測資料を基に天体科学教材としてまとめられた数々の写真を見た時に感じたのだった。
s-NGC2024-2
子どもの頃にお月様やお星様を眺めていた頃は、いろんな願いを叶えてくれる神仏に対すると同様畏敬の念をもっていたように思うのだ。
それを学問の対象とする天文学として学んだのは能田忠亮先生の講義が最初であったのは以前に書いた通りである。 ただ、ユリウス暦などの計算ばかりで正直に書けはオモシロクナイ勉強であった。

書斎に置いているパロマの教材写真をと思ったが今は移動出来ない体ゆえ記憶に近いものをネットで探したのが掲載の写真。
上から『かに星雲』『NGC2024』『馬頭星雲』。
私の記憶に深いものを取り上げたが、星雲や星団には色合いとしては『かに星雲』のように綺麗なものもあるが、『NGC2024』や『馬頭星雲』など私が恐ろしく不気味さを感じたものも多い。s-馬頭星雲-2

これらの星雲・星団などでは水素ガス雲に紫外線照射をして電子を飛び出させ、電離した水素の再結合を行っているといったことや、『かに星雲』は超新星爆発の残骸で多量のX線を放出する中性子星だと現代天文科学では分析考察されているし、星雲の黒い影は宇宙の塵のようなもので、他の恒星の輝きをバックライトにして見えているといったことなど相当解明が進んでいる。

星の誕生と死。
科学としては理解できるのだが感情としての知覚とは別というのが私の受け止め方なのだ。
s-木星Jupiter-2だから、これらの星雲について今でも薄気味悪い怖さを覚えるのだ。

左の写真は恒星ではなく惑星の木星 ( Jupiter ) である。
水金地火木土天海冥・・・と太陽系の惑星の並び方を覚えたものだ。
(惑星の定義改変によって、現在冥王星は惑星ではなくなった。)

グスターヴ・ホルスト ( Gustav Holst ) による組曲『惑星』が火金水木土天海の 7つの楽章によって惑星を表現していることはクラシック・ファンならよく知っているところだろう。
とりわけ何年か前、平原綾香により組曲『惑星』の中のジュピター(木星)に歌詞を付けて歌われたので一層よく知られるようになったのではなかろうか。s-{{PD-USGov-NASA}} The Great Red Spot as seen from Voyager 1
勿論ホルスト以前、モーツァルトが作曲した交響曲41番『ジュピター』もあるが、モーツァルトの『ジュピター』は惑星のジュピターよりもローマ神話の主神・ユーピテル ( Juppiter ) を表現したのではないか、と、これは私の受け止め方。

まあ楽曲は置いておくとして、木星の赤道近いあたりをグルリと渦を巻いた雲のようなものが帯状に連なっているのが分かるだろう。
拡大すれば台風のような渦巻き気流だが、その成分はリン、硫黄、アンモニアなどだと言われている。 
また最も大きい渦を木星の大赤斑と呼ぶが、その大渦の直ぐ下に見える小さな白っぽい斑点が地球の大きさに比肩できるのだから大赤斑の大嵐がs-2012年01月25日NASA公開如何ほどの規模か想像も出来ない。

巨大惑星の木星での状況や何千光年も離れた恒星での出来事と同じようなことが地球で直ぐにでも起きるなどとは現代天文科学では考えられず予想すら出来ないことだ。

と言うより現代科学は大宇宙の真理を説明できるほどのレベルには遥かに遠いポジションにあると言うか、人智は天や神仏の力には及ばぬものと悟るべきか・・・・・

現代科学でも説明しきれないことを理解することは出来ず、畏れの念を持ちつつ気象の荒れに怖さ感じているというのが異常気象と騒がれている事象に対する私の受け止め方なのだが・・・・・


ちょっとブログ更新をと思ったが時間がかかることかかること。
どうもインターネット接続がマズイ。
何とかしたいものだが・・・・・・



masatukamoto at 11:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

September 20, 2014

困りごと・・・ヨロシク

飛んで飛んで飛んで・・・円 氏の歌曲の歌詞のようだが、むむむむむ。

今春以来、何やらパソコンの調子が悪いなあと思っていたのだ。
ドキュメントやピクチュアなど通常よく使用している機能に問題が生じていたのではなく、Word にしろ Outlook にしろ別段支障を感じることもなかった。
しかし、インターネット上の様々なサイトの接続に相当な時間がかかったり、時に繋がらないという事態も起きたのだ。
そのために春以降、ファイルを移管したり消去したり、PC そのものの負担をどんどん軽くし、インターネットエクスプローラーをリセットしたり、PC 自体の復元を試みたりしてきた結果、何が原因で、どのような問題があったのかは分からないが何ケ月かの間 PC は安定状態に戻ったのだった。
ところが 1週間前くらいから PC が色んな場面でサボタージュを繰り返し始め、その都度マネージャーとしての私は出来る限りの対応をしてきたが、結果は [ PC に問題あり、自動修復の準備に入る ] といった画面表示をした後にフリーズ状態に。

どうにもこうにも対応出来ずにお手上げ。
やむなく PC メーカーのサポートを受けて行ったのが再セットアップ。
少しくらいのデータが消えても仕方ないとトライしたのだが、これが大変なことの始まりだった。
ピクチュア・フォルダーが消えたものだから、何ヶ月か以前から撮りだめていた日の出や料理や花などの写真のほか、息子や娘たちに孫たちの写真もパアー。
保存していたメール類もパアー。 

全てを再度セッティングし直すのだから、従来からのプロバイダーとの関係、ノートタイプの PC を使っているので WiFi の関係などイチから契約条項を入力し直さなければならず、邪魔くさいなあという気分で意気上がることがなかった。
で、サポートを頂きトライすること延べ 2日。

これで完璧、かと思ったのだが、現況は満足とは言えないのだ。
まあ 7割くらいだろうか、満足度は。

と言うわけで、メールアドレスも消えてしまった。
メールで繋がっていた方たちには申し訳ないが、特段の用事がなくともご一報頂ければと願うところだ。
何卒ご高配のほどをよろしく。



masatukamoto at 12:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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