December 2014

December 28, 2014

留守番の時

昨日、H・PT との歩行訓練を終えた私は夕どきにカール・シュターミッツ(Carl Stamitz)とフランツ・ベンダ(Franz
Benda)のフルート協奏曲を楽しんでいた。
演奏はミカエル・ヘラスヴォ(Mikael Helasvuo)のフルートとヘルシンキ室内管弦楽団(Helsinki Chamber Orchestra)。 
Stamitz,Benda,Helsinki Chember Orchestra-1
家内が昔の職場の仲間たちとの食事会に出かけるため、私の夕食の用意など諸々の準備をしてくれている間、私は特段の用事も無くCDの調べに耳を傾けていたのだ。
この職場の仲間というのは、家内が転勤した折りに共に着任した人たちのグループだから、もう20年超・・・?
現在、退職者と現役入り混じっているが、ほぼ毎月のように集うているから真に稀有なグループと言える。
s-2014-12-27_062657
一昨夜は奈良町の豆腐料理店『こんどう』での食事だったとか。
このグループは何度か利用している店のようだが私は訪れたことがない。 
豆腐は好きだから給料を得るようになってから、たまに? 南禅寺の順正へ湯豆腐を食べに行ったが、学生時代や給料を頂き始めた頃は超高価で贅沢な食べ物だったという記憶が残っている。
s-2014-12-27_064059それが20年くらい前、『梅の花』という豆腐料理のチェーン店が各地に出来て先ず先ず楽しめるようになった。
豆腐が好きなこと、比較的近い場所で気軽に行けること、そして若い頃に比べて少しばかり懐が温かくなったことで各地の店で楽しませてもらえるようになったのだ。

ともあれ家内との外食も先ず私の体が回復しないことには・・・・・

と、郵便屋さんが長兄からの葉書を届けてくれた。
兄たちには無沙汰ばかりで悪いと思うが、なかなか訪ねることが難しいのが現状で詫びるほかない。
健常な頃は何をも考えずに行動できていたのだが、今は少し行動する場合でも様々なシチュエーションを脳裏に描き、予行演習をしなければならないのだ。

仮に長兄宅を訪ねるとして、手すりが設置されたとは言え段差の大きい石段を上り下り出来るか、玄関床に腰s-四國五郎・国泰寺の大楠-2掛けることが出来ても玄関の間に上がることが出来るかどうか、そしてマイカーで移動したとしても道中で事故や渋滞など起きないか、起きた時にどうするか、用便したくなれば・・・、コンビニが何処にあったか等々、これらは単に心配性ゆえのことではなく、実行可能か不可能かを判断する私自身の重要要件なのである。
 
長兄からの葉書は上の写真のようにヨーロッパの都市の旧市街を彷彿とさせる時代性を感じさせる絵葉書であった。
何処の街路かと小さな文字を見ると『国泰寺の大楠』と記されていた。kusunoki1[1]
国泰寺の文字を見た途端に広島、とピンときた。
原爆被災前の広島の街だと。
『国泰寺の大楠』は天然記念物に指定されていたらしいが、原爆投下によって写真 (クリックで引用ページ) のように燃え枯れて再生することはなかったそうだ。

原爆が投下された1945年8月6日、長兄は学徒勤労動員だったか八本松 (現・東広島) の宿舎におり、買い出しに広島へ出ていた先輩らが夕刻になって帰ってきたといったようなことを語っていたことがあった。

長兄は中島飛行機半田製作所(愛知県)へも行かされたようで、年次はズレるが私の恩師も同所へ学徒勤労動員で行っていた。
恩師が行っていた昭和19年12月7日午後1時36分にマグニチュード7.9の東南海地震が起き、建物倒壊だけでなく多くの若い男女学生が犠牲になったそうだが、当時の軍部は軍需工場だからと全ての情報の隠ぺいを命じ、犠牲者を悼むことすらまともに出来なかったと恩師から聞いたことを以前に書いたことがある。
広島・白神社付近-1
長兄も恩師もあまり戦時のことに触れたくないようで、長兄の場合も六高時代のことなのか京大時代のことなのか詳しくは分からない。
広島の原爆被災者が自身の経験を長らく語れなかったのは世間からの差別という問題があり、長兄らと同等にs-2014-12-28_111641考えることは違っているかもしれないが、きな臭いヤヤコシイ現代、戦争を知らない世代が圧倒的に多くなった今こそ、語ること書くことで戦争を知らない世代を大いに喚起させてほしいと願うものだ。

先の絵葉書だが、絵・四國五郎とも記されていた。
書斎の本は随分処分したが若干の絵本や物語本、山口勇子の作品『おこりじぞう』(写真)や中川正文の『ムッちゃん』などは、いわさきちひろの絵画集などと共に残してs-2014-12-29_171333いるのだ。
この『おこりじぞう』や『ムッちゃん』の絵を描いた人が
四國五郎。
お地蔵さんというのは子どもたちを庇護する優しい仏様であり 『 わらいじぞう 』 として人々から親しまれていた。 それが何故 『 おこりじぞう 』 になったのか、子どもたちに与え読み聞かせるべき作品のひとつだと私は思う。
ちなみに四國さんは広島の人で四国の人ではない。
五郎さんの名前の謂われは知らないが、連鎖ということでは四国三郎が思い浮かぶ。
これは徳島県を横断する吉野川のこと。 家内が育ったのは、この川の上の方に位置する池田の町。 長兄は戦前の一時期池田の中学で教員をしていたことがあったらしい、が、連想はどうでも良いか。
今日、日曜日は昼前から家内は年内最後のレッスンだと出s-2014-12-27_173500かけて行った。
私は留守番。
宅急便を配達してくれる人も私の現況を分かってくれているので部屋にいながらインターホンを介しての会話で済む。
そんなわけで私はスージー・ナッパー(Susie Napper)とマーガレット・リトル(Margaret Little)が奏でるビオラ・ダ・ガンバの音色を聴いている。
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1600年代初期、日本では江戸時代の初めにあたるが英国で活躍したウィリアム・ローズ(William Lawes)の作品だ。















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December 25, 2014

泥 棒 ?

泥棒にはコソ泥から大泥棒、果ては義賊と呼ばれるものまである。
まあ義賊はさて置き、泥棒というのは他人の金品を盗み取る奴のことで、刑法でも『他人の財物を窃取した者』(235条)と窃盗を定義付けている。s-2014-12-25_101255

つまり法律に認められる正当な方法を除き、所有者の意図に反して財物を盗み取る行為と、その行為を行った者を泥棒とする私の考えに間違いはない。

ついでだが、所有者の意図に反してということでは国もドロボウじゃないかと思うものもある。
国家は国民あってのものであり、日本国憲法の理想に基づく国家建設は国民一人一人の責任であり義務でもある。
そうした意味において『子どもに教育を受けさせる』こと、『勤労(働くこと)』、それに『納税』が国民の三大義務とされていることに何の疑問もなく当然のことと思っていs-2014-12-25_101747る。
だが、政党助成法による政党交付金。 これは国家と言うか、政党がドロボーしとるようにしか見えん。
一人あたりにすれば年額250円と僅かな金額だと言えるが、所有者の意図、つまり支持したくもない政党を助成するためのお金を盗られているようなものだ。
お上優位、上意下達といった社会観が根ざしている日本において、政治家(屋)たちは政治をしてやっているのだという意識を持っているのではないかと思うのだ。
センセ・センセと呼ばれる人も落選すれば(バッジ外せば)タダの人。
勘違いしとる輩が多いのにはコマッタものだが、私の意図に反するとは言え政党助成金は法律で定められていることだからドロボウとは言えない。

泥棒と言うことでは先日我が家の電話にかかってきたファックスがある。s-2014122411100000
それと似たものは
September 18, 2010 付けのブログで書いたが以前にもあったのだ。

間違い電話というのは結構かかってくる。
これは誰しもが経験していることで、「ごめんなさい、間違えました。」と言われれば、まあ済ませられるものだ。
時に挨拶もなくガチャンと、全く失礼な輩もいないではないが・・・・・
だが、先日のファックスはドロボーと同じである。
宣伝に協力するつもりはないので受信したファックス文面は多少ボカシテいる。(上の写真)
A 4 サイズ 1 枚だが全面リンゴの宣伝にかかるものだ。
赤い線で囲った部分に『詫び』らしき文があるのだが、とても『詫び』文などと言えるものではない。
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表題はお詫びだが『突然ファックスを手前勝手にお流しし、用紙やインクを無断で使わせて頂きました事、心よりお詫び申し上げます。申し訳ございませんが、このファックスは電話帳をベースにお流ししております。ご了承くださいませ。』といったものだ。

間違って電話したのでないことは電話帳をベースに流しているとのことで分かるし、手前勝手で、用紙やインクも無断で使うことになることを予測してファックスを送りつけているように、これは明らかに意図した行為である。s-2014-12-25_133014
大概の家庭では留守番電話やファックスを自動受信に設定していると思うが、これを悪用しているのである。

日刊新聞には折り込み広告、郵便受けにはダイレクトメール、テレビなどでは広告が流される。さして必要でも無いが害になるほどのものではない。 
週(月)刊誌や一般書籍にも広告面があるが、それらは承知の上で購入しているのだ。

しかし、この赤石農園とやらのファックスは私が求めたものではないし求めるつもりもないものだ。
つまり、私の意図に反して私が所有する用紙やインクを無断で使った。言葉を変えれs-2014-12-25_132523ば盗み取った、つまりドロボーということになる。
無断で使い盗むことになることが分かっていてファックス送信しているのだから泥棒・窃盗の確信犯と言える。
更に、他人の物を盗み取っておいて 『 ご了承くださいませ。』 とは何事か!
物を盗まれた方が、盗んだドロボーから了承せよと言われてるようなものである。
金額が少ないから良いというものではない。泥棒はドロボーであって盗人に違いないのだ。

この赤石農園とやらが行っている不特定多数へのファックス無断送信は常套手段らしく、ネットで調べたら出る出る。
まったく迷惑で失礼千万な奴だ。
これも言い得、やり得の世の風潮だろうか。何とも情けないことだ。

せっかく良い音楽を楽しんでいたのにツマラン。



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December 24, 2014

強烈な腰の痛みに・・・

昨夕から腰まわり、とくに右腰骨の上部一帯の痛みが強く感じられるようになった。
頭痛、歯痛のように体の一部にでも痛みがあると単に痛いというだけでなく気分まで鬱々とするものである。s-2014-12-19_085108
痛みは3週間前が最もひどかったようで、それが徐々に軽くなってきたように思っていたのだが・・・・・

常時痛むというのではなく、振り向く時とか、座った姿勢から立ち上がろうとする時に痛みを感じていたのだが、昨夕からの痛みはベッドで横になる時も寝返りする時もビビビッと瞬間的に強い痛みが全身に走り、睡眠をとるというのもタイヘンであった。

早朝、家内にベタベタと大判の湿布を貼ってもらい、それから1時間ばかりを経て少し痛みが軽くなったような・・・

痛みの部位は腰椎あたりだが、右腹側部が強いので腰椎自体というよりも腰回りの筋肉疲労かと推量しているs-2014-12-19_092838のだ。
全くの素人判断だから確かではないが、安定した歩行のための訓練を続けているので太腿から腰、そして背中をつなぐ筋肉 ( 大殿筋・大腰筋・胸腰筋膜など ) に疲れが出ているのであろう。

寝ているよりも座っている方が腰の安定に良いようなので、いつもの場所のいつもの椅子に座って、早朝暗いうちからのコンサートに耳を傾けていs-2014-12-19_092229た。
古楽器(リュート)の調べが耳に優しい。
ジョン・ダウランド(John Dowland)は1600年前後に活躍した英国の音楽家であり、彼の曲を演奏しているのはヤコブ・リンドバーグ(Jakob Lindberg)。
彼はスウェーデンのリュート奏者。
NHKの大河ドラマ『軍師官兵衛』も完結したようだが、黒田官兵衛が活躍していた頃、イングランドではジョン・ダウランドが作曲活動やリュート演奏を行っていたのだ。
当時の英国はエリザベス1世の全盛期で、文学面ではウィリアム・シェークスピアがハムレットなどの作品を発表しており、ダウランドとシェークスピアは同時代人と言えるのだ。

こうした時代背景をも踏まえながら演奏を聴くのも楽しいものである。

腰の痛みは軽くなった気がするのだが未だ取れない。 
s-2014-12-19_170819姿勢を変える時に痛むのだ。
年末の雑用を片付けるため家内が先程出かけてくれた。
頼りない私が留守番だが、歩行以外に腰痛という症状まで抱えると不安で仕方がない。
何もかも家内任せで何もしてあげられないことにノミのような〇〇までが痛む。

ちなみに J.A.BENDA と F.BENDA は兄弟で、1700年代の中・後期に活躍したドイツの音楽家である。
J.A.BENDA は Georg Anton Benda (ゲオルグ・アントン・ベンダ)だが、チェコ語では Jiři Antonín Benda (イジー・アントニーン・ベンダ)と表記するらしい。
兄はフランツ・ベンダ(Franz Benda)で、František Benda(フランティシェク・ベンダ)と表記するのだと。
兄の名はそのままだが弟はゲオルグをイジーと表記するのでCD面では J.A.BENDA とされているのだ。
うーーん、納得。


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December 23, 2014

この季節になった

holiday season・・・・・

先日ムーミンの国よりカードが届いた。
s-2014-12-19_083524子どもたち夫婦や孫たち揃うて、例年通りサイマー湖畔のサウナ付きの別荘で休日を過ごすそうだ。
彼女は私の入院時期と時を同じく難病でヘルシンキの病院に入院していたが、元気に家族みんなが集うてクリスマスから新年の休日を過ごせるらしい。 このことを先ず喜びたい。
家族揃うてとのことだが、息子さん夫婦はチェコとマレーシアにいると聞いていた。
クリスマス&新年の holiday season に 12人が集うというのだ。
家族皆が海外の遠地から寄り集うことだけでも羨ましいことだが、12人という人数は羨ましさを超えるものがある。

カードと言えば私がリハビリに通う老人介護センターのスタッフらからもカードを頂いた。s-2014-12-23_200227
私はクリスチャンではないし、介護センターのスタッフたちにしてもクリスチャンでない人の方が多いと思う。
そうした点から言えばケッタイナおかしいことではあるが、クリスマスというものが日本では至極当たり前に年中行事のひとつになっているということなのだろう。
ゴチャゴチャ言わず、カードを頂いたことを感謝しよう。

 


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冬 至 に思う

12月22日。
今年も冬至を迎えさせてもらったことに先ず感謝したい。

2011年の冬至は家内と秋に旅したポルトガル&スペインの旅行記をまとめていた。s-20141221柚子-2
2012年。 
この年が大変だった。 
12月16日に発症、21日朝に救急入院・手術を受け、22日は救命救急室で目覚め、冬至どころでは無かったのだ。
2013年12月22日。 
この日、自宅へ戻ってほぼ 6 ヶ月、まる1年ぶりに自宅の浴槽に浸かった。
入浴用の介助器具を取り付けてもらい、家内の介助を受けて、大変に危なっかしい状況ではあったが柚子風呂を楽しませてもらったのだった。
この時のことは Dec 23,2013 付の拙ブログで書いている。

そして今年2014年12月22日、冬至。
奈良の日の出時刻は午前 7 時( 国立天文台 ) だ。
日の出位置が随分南へ寄り、私が移動して撮影するには少々難しいので家内に日の出を撮影してもらい、合成作業を私が行った。
秋分・冬至の日の出比較-1
夏至(6月21日)の時の日の出と写真で見比べると良いのだが手元に写真が無かったので・・・・・

柚子はマーマレードを作ってもらうために沢山仕入れている。
だから当然の如くに柚子風呂を楽しませてもらった。
s-20141221柚子マーマレード製作-1香りと少量の果汁はスダチ。香りだけなら柚子が最高。多量の果汁ならカボス。勿論レモンも良いが、輸入レモンは安心して使えない。
我が家は基本的には国産品中心。つまらん偏狭的ナショナリズムからではない。念のため
生の黄柚子は皮を剥いてハチミツと合わせてマーマレードに。
果肉(汁)は料理に搾ったり、輪切りにして天日干し(砂糖を振ったり振らなかったり)にしたりして余すところ無しである。

冬至の日の夕食は下の写真の通り。
夕食-1
白菜とキノコの炒め物、昔ながらの辛い塩ジャケ(知床産)、辛子蓮根、インゲン豆の黒ゴマ和え、たこワサビ(塩辛)、それに黄色いのは南京と鶏ミンチの煮物。s-たこワサビ-1
ご飯は赤飯のような十穀米をお茶碗に軽ーく軽ーく、一膳だけ。
お漬物は家内が作った壬生菜、山豊の広島菜。それに自家製のチリメン山椒などが。
飲み物は息子が持ってきてくれた芋焼酎の『甕雫』の壺を開けてしまった。
酒蔵に洋酒はあるのだが日本料理には合わん。(あくまでも私個人の好みである)

冬至には柚子風呂にカボチャというのは日本の伝統的文化のひとつと言えるが、伝s-南京と鶏ミンチ統的文化というものは、それの価値を認識する者が伝承し、それを承継する者がいなくてはならない。
私にとっては素晴らしい柚子風呂&南京であるが、継承者が・・・・・

日本人の主食のご飯、これも文化であるが果たしてこの先どうなっていくことだろうか。
私は米を洗い炊くことも水の分量も勿論炊き方も分かっている。
しかしパン食人口が増え、一方スーパーやコンビニ店頭では洗米やパック入りご飯が主に売られ、ご飯を炊く行為も水の量は容器の目盛通り、炊き方や炊く時間も炊飯器まかせとなれば・・・・・
そうした時代がやってくれば・・・・・そんなことを想像すると何だか恐ろしさすら感じるのだ。



masatukamoto at 12:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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