March 2015
March 10, 2015
縁・・・
縁を説明するのは難しいが、これが縁だと納得・得心することは案外簡単なことだと私は思っている。
へそ曲がりのひねくれ者でない証拠と言えるかも・・・・・ぶっはははは。
縁という言葉については因縁と言ったり、合縁奇縁と用いたり、男女関係を縁は異なもの味なものなどと表現するなど曖昧微妙な意味合いで使われることが多い。
縁は元々仏教の言葉で、1+2=3 というように明快に説明できるものではなく、心で感じ気付くものと理解するのが正しいように私は思っている。
縁についての私の考えは以前にも何度か書いてきた。
世の中の事については、人間の知識や経験などによって或る程度の操作を行うことは可能である。 ただ、そうした行為から結果に至る前段で人智を超越した何だか分からない力がはたらいていると私は思っている。
つまり、人事を尽くして天命を待つというようなものだ。
こうした一連の繫がりを私は縁と思っているのだが、やはり説明するのは難しい。
焼酎の写真は我が酒蔵で眠っていたモノ。 家内が探した時には見つからなかったのだが、窮すれば通ずと言うように、飲みたいと思う一心で探した私が見つけたものだ。 ぶっはははは。 入院する以前のモノだから 3年前のモノだ。
思いもせぬヴィンテージ物の芋&麦焼酎ってことになる。
縁について書いていたが、私の住まい探しに結婚披露宴を企画進行してくれたY氏との邂逅は将に合縁奇縁と言うに相応しいものであった。
このところ、いろいろと昔のことを思い出すのだと前ページで書いたが、
Y氏との出会いも奇しき事柄のひとつで次回にでも綴ってみよう。
昨日、松谷みよ子女史の訃報を新聞で知った。
直接お会いしたことはないが、児童文学、民話の分野において随分勉強させてもらった方であり残念な思いでいる。
感謝の意をもってご冥福を祈ることとしたい。
へそ曲がりのひねくれ者でない証拠と言えるかも・・・・・ぶっはははは。
縁という言葉については因縁と言ったり、合縁奇縁と用いたり、男女関係を縁は異なもの味なものなどと表現するなど曖昧微妙な意味合いで使われることが多い。
縁は元々仏教の言葉で、1+2=3 というように明快に説明できるものではなく、心で感じ気付くものと理解するのが正しいように私は思っている。
縁についての私の考えは以前にも何度か書いてきた。
世の中の事については、人間の知識や経験などによって或る程度の操作を行うことは可能である。 ただ、そうした行為から結果に至る前段で人智を超越した何だか分からない力がはたらいていると私は思っている。
つまり、人事を尽くして天命を待つというようなものだ。
こうした一連の繫がりを私は縁と思っているのだが、やはり説明するのは難しい。
焼酎の写真は我が酒蔵で眠っていたモノ。 家内が探した時には見つからなかったのだが、窮すれば通ずと言うように、飲みたいと思う一心で探した私が見つけたものだ。 ぶっはははは。 入院する以前のモノだから 3年前のモノだ。
思いもせぬヴィンテージ物の芋&麦焼酎ってことになる。
縁について書いていたが、私の住まい探しに結婚披露宴を企画進行してくれたY氏との邂逅は将に合縁奇縁と言うに相応しいものであった。
このところ、いろいろと昔のことを思い出すのだと前ページで書いたが、
Y氏との出会いも奇しき事柄のひとつで次回にでも綴ってみよう。
昨日、松谷みよ子女史の訃報を新聞で知った。
直接お会いしたことはないが、児童文学、民話の分野において随分勉強させてもらった方であり残念な思いでいる。
感謝の意をもってご冥福を祈ることとしたい。
March 09, 2015
古酒に思う
近年、加齢という言葉をよく耳にするが、加齢=老化=朽ちるを同義と解し忌み嫌う風潮があるようだ。
加齢臭、しわ、しみ、白髪、その他老齢老化による変化など種々の障がいや病気など、これらは嬉しく歓迎すべきことではないかもしれない。
しかし平家物語に、『 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色…』 とあるように世界一切合切全て移り変わらぬものは無い、これが真理であり嫌い嫌われるものではないと心得るべきかと。
そればかりか、齢を重ね、年を経なければ良さの表れ出ないことも結構多いのだ。
つまり若いからダメということも無ければ年を取っているからダメということもない。
年を経ることで良くなるものにヴィンテージ・ワインがあるし、年を経ずしては感じられない渋さという価値が出てくる年代物と呼ばれるものが結構あるのだ。
ウィスキーも蒸留後直ぐは透明でアルコール臭きつくチクチク舌に刺さる感じがするものだが、焼いたオーク材の樽で長い年月を寝かせれば琥珀色でマッタリ、トローリとした舌触りで香り良い銘酒に変容していくのである。
泡盛も古酒(クース)として年代物を良しとされているように日本酒も古酒として珍重されている。
私が日本酒の古酒を初めて口にしたのは
2001年(H13)の秋で、この年の 9月11日、ニューヨークで同時多発テロが起きたのでよく覚えているのだ。
あの日、私はタイのリゾートに滞在していたが、米国・NBCテレビが大混乱のニューヨークの様子を繰り返し繰り返し放送していたことを思い出す。
9月末に帰国して直ぐ、某居酒屋で日本酒愛飲家のA氏が自宅貯蔵のものだと飲ませてくれたのだが、これが日本酒かと思うほどトロリとして、まろやかな甘味を感じるものだった。
それから10年、2011年 4月に大阪・天満宮で開催された『上方日本酒ワールド2011』の会場で味わったのが『小笹屋 竹鶴・番外編』という 3年古酒であり、ウマーイと感想を記したのだった。
※ この時のブログ『日本酒利き酒の集い』へはこの青色部分をクリックでリンク。
ドウデモエエコトヤガ、コレハ『小笹屋 竹鶴』と書いたように広島県竹原市の竹鶴酒造の古酒であり、竹鶴酒造はNHK・朝のドラマ『マッサン』の主人公・竹鶴政孝の実家である。
古酒は古酒として美味しいと思うが、私は辛口の酒を好むので古酒を味わう機会はこの後も無かった。
ところが九州の友人への贈り物に、たまたま古酒を見つけたので送ったところ、とても美味しい酒だと評判が良かったので、以後この友人への贈り物はコレと決めたのだ。
日本酒を何年も寝かせて古酒とするのは素人考えにムツカシイものだと思う。
酸化が進んで酢酸にならないかとか、温度・湿度の変化や日光との関わりなど・・・・・
うーーん、私にはワカランが、ほのかな香り、薄っすらした黄金色、まったりと、それでいて決してしつこくない甘味。
古酒製造法は置いといて、私は味わい飲むことに専念することにしよう。
以前は平成15年度のモノだったと思う。 しかも純米大吟醸だったが、既に完売状態で無くなっていたので今回送ったのは写真の古酒だ。 酒造会社では秘蔵酒と言っている。
ドイツ・ワインに比すなら、酸味が殆ど感じられないのでアウスレーゼ、いやベーレン・アウスレーゼ、いやいや、アイスヴァイン(Eiswein)に近いかも。
『山鶴』は中本酒造が発売するお酒のブランドで醸造所は生駒市北部にある。
私が社会人として一人住まいを始めたのは未だ生駒町の時代で、当時は『山鶴』の名前も中本酒造の存在も知らなかった。
『山鶴』という名前の酒を知り味わったのは2002年のことだった。
愚息の法要に彼の名前を書いたラベルを貼った『山鶴』を供えてくれた人がいたのだ。
うーーん、年のせいだろうか、いろいろと昔のことを思い出すことが多くなった。
一人住まいを始めるのに生駒町で住居を探し求めた時、朝から日が暮れるまでずっと一緒に探し契約するまで共に居てくれたのが旧正月に年賀状をくれる彼である。
彼、つまり私の結婚披露宴開催の企画から進行までやり遂げてくれたY氏のことである。
Y氏については『ボチボチ』(March 05)に記述している。
加齢臭、しわ、しみ、白髪、その他老齢老化による変化など種々の障がいや病気など、これらは嬉しく歓迎すべきことではないかもしれない。
しかし平家物語に、『 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色…』 とあるように世界一切合切全て移り変わらぬものは無い、これが真理であり嫌い嫌われるものではないと心得るべきかと。
そればかりか、齢を重ね、年を経なければ良さの表れ出ないことも結構多いのだ。
つまり若いからダメということも無ければ年を取っているからダメということもない。
年を経ることで良くなるものにヴィンテージ・ワインがあるし、年を経ずしては感じられない渋さという価値が出てくる年代物と呼ばれるものが結構あるのだ。
ウィスキーも蒸留後直ぐは透明でアルコール臭きつくチクチク舌に刺さる感じがするものだが、焼いたオーク材の樽で長い年月を寝かせれば琥珀色でマッタリ、トローリとした舌触りで香り良い銘酒に変容していくのである。
泡盛も古酒(クース)として年代物を良しとされているように日本酒も古酒として珍重されている。
私が日本酒の古酒を初めて口にしたのは
2001年(H13)の秋で、この年の 9月11日、ニューヨークで同時多発テロが起きたのでよく覚えているのだ。
あの日、私はタイのリゾートに滞在していたが、米国・NBCテレビが大混乱のニューヨークの様子を繰り返し繰り返し放送していたことを思い出す。
9月末に帰国して直ぐ、某居酒屋で日本酒愛飲家のA氏が自宅貯蔵のものだと飲ませてくれたのだが、これが日本酒かと思うほどトロリとして、まろやかな甘味を感じるものだった。
それから10年、2011年 4月に大阪・天満宮で開催された『上方日本酒ワールド2011』の会場で味わったのが『小笹屋 竹鶴・番外編』という 3年古酒であり、ウマーイと感想を記したのだった。
※ この時のブログ『日本酒利き酒の集い』へはこの青色部分をクリックでリンク。
ドウデモエエコトヤガ、コレハ『小笹屋 竹鶴』と書いたように広島県竹原市の竹鶴酒造の古酒であり、竹鶴酒造はNHK・朝のドラマ『マッサン』の主人公・竹鶴政孝の実家である。
古酒は古酒として美味しいと思うが、私は辛口の酒を好むので古酒を味わう機会はこの後も無かった。
ところが九州の友人への贈り物に、たまたま古酒を見つけたので送ったところ、とても美味しい酒だと評判が良かったので、以後この友人への贈り物はコレと決めたのだ。
日本酒を何年も寝かせて古酒とするのは素人考えにムツカシイものだと思う。
酸化が進んで酢酸にならないかとか、温度・湿度の変化や日光との関わりなど・・・・・
うーーん、私にはワカランが、ほのかな香り、薄っすらした黄金色、まったりと、それでいて決してしつこくない甘味。
古酒製造法は置いといて、私は味わい飲むことに専念することにしよう。
以前は平成15年度のモノだったと思う。 しかも純米大吟醸だったが、既に完売状態で無くなっていたので今回送ったのは写真の古酒だ。 酒造会社では秘蔵酒と言っている。
ドイツ・ワインに比すなら、酸味が殆ど感じられないのでアウスレーゼ、いやベーレン・アウスレーゼ、いやいや、アイスヴァイン(Eiswein)に近いかも。
『山鶴』は中本酒造が発売するお酒のブランドで醸造所は生駒市北部にある。
私が社会人として一人住まいを始めたのは未だ生駒町の時代で、当時は『山鶴』の名前も中本酒造の存在も知らなかった。
『山鶴』という名前の酒を知り味わったのは2002年のことだった。
愚息の法要に彼の名前を書いたラベルを貼った『山鶴』を供えてくれた人がいたのだ。
うーーん、年のせいだろうか、いろいろと昔のことを思い出すことが多くなった。
一人住まいを始めるのに生駒町で住居を探し求めた時、朝から日が暮れるまでずっと一緒に探し契約するまで共に居てくれたのが旧正月に年賀状をくれる彼である。
彼、つまり私の結婚披露宴開催の企画から進行までやり遂げてくれたY氏のことである。
Y氏については『ボチボチ』(March 05)に記述している。
March 08, 2015
気になった TV・CM
私の場合、テレビを真剣に見るということはあまりない。
ニュースの時間は耳目とも画面に向いているが、他に何があるだろうか。
ドキュメンタリー作品や吉本新喜劇、それに旅番組は見ていることが多いと言える、かな?。
その他に・・・・・強いて挙げれば映画スポーツなどを挙げられるが私の好みがハッキリしているのでテレビ画面をじっと見ているということは珍しい。
もう何週か以前のことだが、ビッグベンがどうのとテレビの音が聞こえてきた。
中東情勢が大変不安定だからイギリスのキャメロン首相が何かを語ったのかと・・・・・
まあその程度に聞いていた、と言うか耳に入ってきていたのだ。
それから何日か経て、「 どうして、ビッグベン?」 という子どもの声を耳にしたので画面を見てみた。
一度見ただけでは何のことかよく分からなかったのだが、その後また何日か空けてコマーシャルを見ることとなった。
テレビCMの写真を掲載したが、TOTOのNEORESTという便器の機能と清潔さを紹介する内容で、写真の二人は菌の親子。
大きいのが父親のビッグベン、小さいのが子どものリトルベンだ。
この親子がTOTOの便器と対峙し、除菌水を流して臭いも消しとるというTOTO製品の優秀さを二人の会話で表現しているのだ。
「このトイレには近づくな、リトルベン。」
「どうして? ビッグベン。」
《 中 略 》
「ひどいトイレだ。」
と、菌の親子の立場からは 「 ひどい 」 便器なのだと逆説的にストーリーを展開する面白さと、リトルベンのたどたどしいセリフの言い回しが何ともカワユイもので、テレビなど真剣に見ない私でもついつい目を転じてしまったのだ。
それと今ひとつ。
ビッグベン&リトルベンについて、直訳とは言えないが大便&小便を言い表しているのだろうと私は思っているのだ。 多分私の想像通りだろう。
しかし、私にとってのビッグベンは Big Ben であって菌のビッグベンではない。
テムズ川沿いに建つウェストミンスター宮殿(国会議事堂)の
時計塔= Big Ben である。
オモロイCMだが、ジョークと言うには品性に欠けるかな。
英国人の立場からは 「 もうちょっとマシなユーモアを 」 と言うことになるかも。
※ ドラえもんを上手に描けるようになってきた。 ふっふっふ
ニュースの時間は耳目とも画面に向いているが、他に何があるだろうか。
ドキュメンタリー作品や吉本新喜劇、それに旅番組は見ていることが多いと言える、かな?。
その他に・・・・・強いて挙げれば映画スポーツなどを挙げられるが私の好みがハッキリしているのでテレビ画面をじっと見ているということは珍しい。
もう何週か以前のことだが、ビッグベンがどうのとテレビの音が聞こえてきた。
中東情勢が大変不安定だからイギリスのキャメロン首相が何かを語ったのかと・・・・・
まあその程度に聞いていた、と言うか耳に入ってきていたのだ。
それから何日か経て、「 どうして、ビッグベン?」 という子どもの声を耳にしたので画面を見てみた。
一度見ただけでは何のことかよく分からなかったのだが、その後また何日か空けてコマーシャルを見ることとなった。
テレビCMの写真を掲載したが、TOTOのNEORESTという便器の機能と清潔さを紹介する内容で、写真の二人は菌の親子。
大きいのが父親のビッグベン、小さいのが子どものリトルベンだ。
この親子がTOTOの便器と対峙し、除菌水を流して臭いも消しとるというTOTO製品の優秀さを二人の会話で表現しているのだ。
「このトイレには近づくな、リトルベン。」
「どうして? ビッグベン。」
《 中 略 》
「ひどいトイレだ。」
と、菌の親子の立場からは 「 ひどい 」 便器なのだと逆説的にストーリーを展開する面白さと、リトルベンのたどたどしいセリフの言い回しが何ともカワユイもので、テレビなど真剣に見ない私でもついつい目を転じてしまったのだ。
それと今ひとつ。
ビッグベン&リトルベンについて、直訳とは言えないが大便&小便を言い表しているのだろうと私は思っているのだ。 多分私の想像通りだろう。
しかし、私にとってのビッグベンは Big Ben であって菌のビッグベンではない。
テムズ川沿いに建つウェストミンスター宮殿(国会議事堂)の
時計塔= Big Ben である。
オモロイCMだが、ジョークと言うには品性に欠けるかな。
英国人の立場からは 「 もうちょっとマシなユーモアを 」 と言うことになるかも。
※ ドラえもんを上手に描けるようになってきた。 ふっふっふ
March 05, 2015
ボチボチ・・・
私が足の膝を痛めた 2月19日は旧正月で二十四節気の雨水でもあった。
雪が降る季節からボチボチ雨に変わっていく頃だよと昔の人は暦に表してきた。
我が国は明治に入って太陽暦を採用、新暦 1月 1日を元日として祝うようになってきたため現在旧暦の正月を祝う人は稀少と言える。
しかし韓国や中国では新暦の正月も祝うが、韓国ではソルラル、中国では春節として旧正月を祝うことが主になっているようだ。
10数年前、旧正月の折に韓国を訪れたことがある。 商店という商店は全て(多分)休みで、大都会のソウルやプサンが映画のセットの街の如く、行きかう人の姿も車の音も消えるほどに静寂であったことが強い印象として残っている。
そんな記憶があったので2012年の旧正月を迎える前日に韓国を出ることにし、プサンから海路ビートルで対馬・比田勝港に帰国、島内観光を経て博多へ帰ってきたのだった。
(この時のブログ『釜山から対馬へ BEETLE』に青色の字をクリックでリンク)
私が乗船したビートル(JR・九州)の客は私一人だけだったのだが、コピー(韓国・未来高速)は満席で韓国人団体客を乗せてきたのだとか。 対馬観光の途中何グループも韓国人の団体に出会ったがソルラル休暇で来日したのだろう。
旧正月休暇ということでは今年の春節で来日した中国人客のことが連日テレビで取り上げられていた。
やってきた彼らの人数、それに桁外れな彼らの買い物の品と量と金額が話題の中心となっていたが、彼らの購買の様子を評して『爆買い』と言うのだそうな。
将に言い得て妙かと・・・・・
そんな旧正月に年賀状を送ってくれる人物が二人。
一人は高校以来何かと親しくしてきた友人で、もう一人は韓国の人である。
韓国は旧正月を祝っているので何の不思議もないが、日本人で旧正月に年賀状をと言えば何だか特定の思想にカブレテイル? などと思いがちだが、ドッコイ、彼は頭脳明晰・人格高潔にして明朗快活なる人物なのだ。
これまでの彼との親交について書くことは多い。
私と家内が結婚するについて、親の援助を一切断り続け、かと言って貯金の『貯』の字すら無かった私たちのために披露宴開催の企画から進行までやり遂げてくれたのも彼であった。
私と家内、それぞれの職場や学生時代の友人など何人かに声がけして披露宴実行委員会を組織。 会費制の披露宴として百数十名もの参会者が集う盛大な宴を開催してくれたのだった。
※ 親戚の費用だけは負担すると父親が頑強な姿勢を崩さなかったのでコレは譲った。
結婚披露宴の件も彼との交誼の一端を示すものだ。
その彼の賀状の文面を見ていると頷き共感できる言葉が並び、「ああ、同じ年なんだ。」 と改めて思うのだ。
その賀状の端に添え書きが・・・・・
そうなのだ。
ボチボチなのだ。
何事もボチボチが良いのだと思った時もある。 が、与えられた時間が如何ほどなのか分からないがボチボチなどとノンビリ構えているユトリがあるのだろうかと俗人の私にとっては悩みごとなのだ。
しかし彼は草を食み笑いのある陽気な人生を歩む老人でありたいと。
達観・・・・・全くえらい違いである。
今年も既に雨水を過ぎて桃の節句も過ぎた。
虫が目覚めて動き始めると言われる啓蟄は明日 3月 6日(金)だ。
東大寺二月堂での修二会本行(お水取り)も
3月14日(土)に終わり、15日朝に満行を迎える。
そして18日は彼岸の入り。 21日には春分の日(彼岸の中日)となる。
もう春はそこまで来ているのだ。
雪が降る季節からボチボチ雨に変わっていく頃だよと昔の人は暦に表してきた。
我が国は明治に入って太陽暦を採用、新暦 1月 1日を元日として祝うようになってきたため現在旧暦の正月を祝う人は稀少と言える。
しかし韓国や中国では新暦の正月も祝うが、韓国ではソルラル、中国では春節として旧正月を祝うことが主になっているようだ。
10数年前、旧正月の折に韓国を訪れたことがある。 商店という商店は全て(多分)休みで、大都会のソウルやプサンが映画のセットの街の如く、行きかう人の姿も車の音も消えるほどに静寂であったことが強い印象として残っている。
そんな記憶があったので2012年の旧正月を迎える前日に韓国を出ることにし、プサンから海路ビートルで対馬・比田勝港に帰国、島内観光を経て博多へ帰ってきたのだった。
(この時のブログ『釜山から対馬へ BEETLE』に青色の字をクリックでリンク)
私が乗船したビートル(JR・九州)の客は私一人だけだったのだが、コピー(韓国・未来高速)は満席で韓国人団体客を乗せてきたのだとか。 対馬観光の途中何グループも韓国人の団体に出会ったがソルラル休暇で来日したのだろう。
旧正月休暇ということでは今年の春節で来日した中国人客のことが連日テレビで取り上げられていた。
やってきた彼らの人数、それに桁外れな彼らの買い物の品と量と金額が話題の中心となっていたが、彼らの購買の様子を評して『爆買い』と言うのだそうな。
将に言い得て妙かと・・・・・
そんな旧正月に年賀状を送ってくれる人物が二人。
一人は高校以来何かと親しくしてきた友人で、もう一人は韓国の人である。
韓国は旧正月を祝っているので何の不思議もないが、日本人で旧正月に年賀状をと言えば何だか特定の思想にカブレテイル? などと思いがちだが、ドッコイ、彼は頭脳明晰・人格高潔にして明朗快活なる人物なのだ。
これまでの彼との親交について書くことは多い。
私と家内が結婚するについて、親の援助を一切断り続け、かと言って貯金の『貯』の字すら無かった私たちのために披露宴開催の企画から進行までやり遂げてくれたのも彼であった。
私と家内、それぞれの職場や学生時代の友人など何人かに声がけして披露宴実行委員会を組織。 会費制の披露宴として百数十名もの参会者が集う盛大な宴を開催してくれたのだった。
※ 親戚の費用だけは負担すると父親が頑強な姿勢を崩さなかったのでコレは譲った。
結婚披露宴の件も彼との交誼の一端を示すものだ。
その彼の賀状の文面を見ていると頷き共感できる言葉が並び、「ああ、同じ年なんだ。」 と改めて思うのだ。
その賀状の端に添え書きが・・・・・
そうなのだ。
ボチボチなのだ。
何事もボチボチが良いのだと思った時もある。 が、与えられた時間が如何ほどなのか分からないがボチボチなどとノンビリ構えているユトリがあるのだろうかと俗人の私にとっては悩みごとなのだ。
しかし彼は草を食み笑いのある陽気な人生を歩む老人でありたいと。
達観・・・・・全くえらい違いである。
今年も既に雨水を過ぎて桃の節句も過ぎた。
虫が目覚めて動き始めると言われる啓蟄は明日 3月 6日(金)だ。
東大寺二月堂での修二会本行(お水取り)も
3月14日(土)に終わり、15日朝に満行を迎える。
そして18日は彼岸の入り。 21日には春分の日(彼岸の中日)となる。
もう春はそこまで来ているのだ。
March 04, 2015
昨夜のこと (3月3日)
昨日は3月3日、桃の節句で雛祭りの日であった。
♪ 明かりをつけましょ ぼんぼりに~
こんな歌を歌ったのは60年も昔になるだろうか。
姉も妹もいず、我が子も男の子ばかりで雛祭りなど関係なしの人生を歩んできたように思う。
と、昨夜の夕飯に 『 ばら寿司 』 が出てきた。
子どもの頃はあまり好きではなかった 『 ばら寿司 』 である。
今思えば幾つかの理由があったようだ。
ひとつは酢の物が嫌いだったことだ。
今は好んで食べるバッテラに用いる 『 きずし 』(サバを塩〆して酢に浸けた物) も酢がきつく、血合いの小骨が残っていたりしたため嫌いな食べ物であったし、同様に今は好きなレンコンも酢に浸けてあったので嫌いだったのだ。
まあ昔のことは置いておくとして、今はお寿司大好き、酢の物大好きだから昨夜の 『 ばら寿司 』 には大喜びしたのだった。
エビ、レンコン、菜の花、三つ葉、シメジ、玉子焼き。
邪魔くさかったのか玉子は錦糸玉子ではなく炒り玉子。
ご飯は白米の寿司飯ではなくて雑穀混じりの寿司飯であった。 多分私の健康を考えてくれてのことだろう。
健康を考えてもらっている私も少し、ほんの少しだが努力はしている??のだ。
大好物のマグロのお造り。 これには日本酒。 が、1合ではちょっと寂しい。
そこで徳利に湯と焼酎を。
目分量だが恐らく 9 : 1 の割合ではないかと・・・・・
それを 2合。 まあビール 1缶分程度のアルコールで水分が 2倍ってとこかな。
♪ 明かりをつけましょ ぼんぼりに~
こんな歌を歌ったのは60年も昔になるだろうか。
姉も妹もいず、我が子も男の子ばかりで雛祭りなど関係なしの人生を歩んできたように思う。
と、昨夜の夕飯に 『 ばら寿司 』 が出てきた。
子どもの頃はあまり好きではなかった 『 ばら寿司 』 である。
今思えば幾つかの理由があったようだ。
ひとつは酢の物が嫌いだったことだ。
今は好んで食べるバッテラに用いる 『 きずし 』(サバを塩〆して酢に浸けた物) も酢がきつく、血合いの小骨が残っていたりしたため嫌いな食べ物であったし、同様に今は好きなレンコンも酢に浸けてあったので嫌いだったのだ。
まあ昔のことは置いておくとして、今はお寿司大好き、酢の物大好きだから昨夜の 『 ばら寿司 』 には大喜びしたのだった。
エビ、レンコン、菜の花、三つ葉、シメジ、玉子焼き。
邪魔くさかったのか玉子は錦糸玉子ではなく炒り玉子。
ご飯は白米の寿司飯ではなくて雑穀混じりの寿司飯であった。 多分私の健康を考えてくれてのことだろう。
健康を考えてもらっている私も少し、ほんの少しだが努力はしている??のだ。
大好物のマグロのお造り。 これには日本酒。 が、1合ではちょっと寂しい。
そこで徳利に湯と焼酎を。
目分量だが恐らく 9 : 1 の割合ではないかと・・・・・
それを 2合。 まあビール 1缶分程度のアルコールで水分が 2倍ってとこかな。