April 2015
April 20, 2015
プラス・ワンのプラス・ワン
あたりが明るくなってくるとチッチッチッというスズメの声や余り綺麗とは思えないカラスのアーッアーッという声が谷間に響くのだが、今朝は珍しくチョット来いチョット来いという声が聞こえてきた。
この『チョット来い』と言うように聞こえるのはコジュケイの鳴き声で久し振りに聞いたのだ。
鬱陶しい空模様なのでちょっと清々しい気分にと、今朝はフォスターの作品を
ロジェー・ワーグナー合唱団の歌声で聴いた。
しかし、耳は素敵なのだが目に映る視界は・・・・・
ともあれ昨日付けで『大将のことは続きに・・・』と書いたので続きを書くことに。
大将 I 氏とは飲食を共にすることが時々あったが、私が病いを得て以来2年半というものそうした機会が無くなってしまった。
だから一緒に酒を飲んでるつもりでと、時に酒や酒肴となるものを贈ったり、大将は私や家内の好物の寿司や刺身などを届けてくれたりと、互いの家で互いがそれぞれにひと時を楽しんできた。
現在お店は大将一人で切り盛りしているので営業時間中の注文などは避けてきたのだが、O氏の来訪を予定していなかったのと、比較的早い時間帯であったので I 氏に無理を言ってしまったのだった。
営業時間中に往復1時間ばかり店を空っぽにして出てきてもらうという無茶な頼みを聞いてもらったのだ。
あまり良いものが入っていないのだと言いつつ、超特急で届けてくれた煮付の他、カラスミ、ハモの焼き霜等々。
焼き豚かハムなのか、これはO氏のために入れてくれたものかも。
お刺身はタイ、カツオ、サバ。
私好みに
タイ皮を炙ってくれたものも盛られていた。
大将 I 氏に無理を聞いてもらったことで久し振りのO氏との宴が華やかなものになり嬉しい限りであった。
下の写真はO氏の嫁・Hさんが選んでくれたバースデー・プレゼント。
疲れ目を暖かくすることで楽にしてくれるというアイ・マスクだ。
きっとパソコン画面を見ている時間が長いからと気にかけてくれたのだろう。
ありがとう。もう一度、有難う。
これはなかなかの優れもので、細かな譜面を見て私以上に目が疲れている家内にとっても素晴らしいもので、家内の分も有難うを書き加えねばならない。
ほんと『あったかいんだからあ~』。
楽しいひと時を過ごし、代行の幸ちゃんに来てもらった。
幸ちゃんには転院時や病院内でも随分世話になってきたが、どれほど会っていなかっただろうか。 この夜、彼女の元気そうな顔を見れたのも嬉しいことに加わった。
新玉ネギはSさんに頂いたものだがサッと水にさらして削り鰹節を振りかけ、少量の醤油を。 シンプルな調理法だが私好みで言えば多分コレが最良の食べ方だと思う。
とまあ我が誕生日は皆さんに祝って頂いて嬉しい日を過ごしたのだが、翌日またまた寿司屋の大将が来てくれた。
「ええもんが入ったから。」と。
勿論のこと、わざわざ市場を回って仕入れてきてくれたのだ。
真ダコ、ハモ、生ホタルイカ。 これらは店でも使うものだから生きが良い物は『ええもん』として大将が仕入れてくるのは分かる。
写真は生ホタルイカの内臓と骨と目を取り、刺身として食べられるように家内が調理してくれたもの。
しかし、手長ダコは普段常時大将の店で使う素材ではない。
韓国では活け手長ダコの足を切って胡麻油と塩で、うごめく足を食し、その味わいと口内で吸盤が吸い付く食感を楽しむ(私流儀)という食べ方がある。
これが私は好きで、韓国・釜山など南部の多島海に面した町を旅する際、必ずソジュ(焼酎)とサンナッチ(手長ダコの刺身)を注文していた。
ソジュは大概チャミスルか
C1。 ソウルでもサンナッチは食べたし、刺身がない店ではナクチボックム(タコの唐辛子炒め)を食べていた程で、大将と韓国・済州島を訪れた時もサンナッチを食べたいと私が店を探していたくらいタコ大好き人間であることを大将は知っているのだ。
(上の写真は私がナクチの足を切り分けたサンナッチ)
だから食事しに外へ出かけられない私のことを思って手長ダコを仕入れて持ってきてくれたのだ。
手長ダコは勿論だが、真ダコ、ハモ、生ホタルイカといずれも私の好物であり、これらのことを思って差し入れてくれたのは間違いないことと私は思っている。
ともあれ大将 I 氏にもO氏夫妻にも色々と気遣いを頂いており感謝している。
皆さんの励ましはしっかり受け止め日々精進しているからねーー。
April 19, 2015
プラス・ワン
イヤだ嫌だと断っても増えていくのは シワ(皺)に年(齢)。 老いることを望みはしないが自然の理ならば仕方がない。
そのことに得心がいけば今を生きていること、また齢を重ねさせて頂いた、このことを有難く思えるのだ。
メールや電話で祝って頂き、世話をかけている家内からも朝一番に祝いの声を掛けてもらった。 真に嬉しく心より感謝している。
昼前には思いもかけず寿司屋の大将 I 氏がバッテラを持って訪ねてきてくれた。
家内と二人で簡素に祝いをと思っていたが私の好物が届いたので豪華な夕膳になりそうな予感。
リハビリ終了後、何も要らないと言ったのだが、1年にいっぺんのことだからと家内はデパートへ。
仕入れてきてくれたのは勿論私の好物だった。
本マグロに剣先の刺身。
笑われそうだがホンマに好きなのだ。
ビンチョウやキハダでなく、無ければメバチでも食べるが好きなのはクロマグロとかミナミマグロと呼ばれるもの。
しかし近年価格がどんどん上がり、高いの何の・・・。
このところ紀州・勝浦に300㎏もの大物がよく水揚げされているらしい。
しかし、きっと抜群にウマイと思えるデッカイ物は殆どが東京送りになってしまう。
勝浦は近畿圏、大阪に近いがな。 東京は津軽海峡の大間、竜飛に戸井からも入るやろうに・・・・・
マグロ大好き人間にとっては腹の立つところだ。
もっとも駿河湾の桜エビを頂いているけど。
流通が発展し、保存技術が進歩したので私たちの口に入る物も随分変わった。
しかし時代の進展とともに漁業事情も変わってきたので、世界の趨勢や漁業権、各国の事情など消費する私たち自身も考えざるを得ない状況に立ち至っているように思う。
南氷洋における捕鯨も争いの種にしたくはないけれど、日本の調査捕鯨まで禁止させようとする欧米諸国の姿勢は彼らの文化の押しつけのように思えるのだ。
ましてシーシェパードのように実力を行使して妨害するような輩の主張は聞く気にもならん。
私が高校性だった頃、遠洋マグロ漁船で漁業に従事していた知り合いがいた。
漁場は大西洋アフリカ沖のカナリア諸島近海や南太平洋の赤道あたりと聞いたことがある。 一度出かけると半年以上は日本に戻ってこないと語っていたことを思い出す。
今の遠洋漁業はどうなっているのだろう。
余談はさておき、家内と食事をしているところへ仕事帰りの O氏がやってきた。
私たちが何かと世話になっている息子のような人だが、私の誕生日を祝いに来てくれたのだ。
家内と二人だけの、静かだが少し寂しい宴の場に現れてくれたので一緒に一杯と誘ってみた。
もっとも車で来てくれたので帰りの代行を確保し、家で待つ奥さんの了解も取っておかねばならない。
チビたちも父親の帰りを待っているだろうけど我慢してもらうこととした。
しかし料理といって用意していなかったので、急遽寿司屋の大将 I 氏に無理を言ってしまった。
いくら早くても大将の店から我が家まで20分はかかるから、往復で1時間は店を空けなければならない。
まったくスマンことであった。 大将のことは続きに・・・
このイチゴのケーキは O氏に頂いたもの。
家内が用意してくれたものは小っちゃなモンブランで、これはおやつに食べてしまった。
O氏には先だって照明器具の付け替えもしてもらいながら一緒に飲むという機会がなかったのだ。
僅かな時間であったが、正月以来久しぶりに楽しいひと時を過ごすことができた。
あらためて皆さん有難う、有難う。
お礼の言葉もプラス・ワン(more)。
April 18, 2015
1週間ぶりのリハ《つづき》
しかし今朝《4月17日(金)》は雲が低く垂れ込み雨まで降っていたので、7時になっても町は灰色のままだった。
昨日、1週間ぶりの歩行訓練の調子が良かったので本日も調子を持続させて安定力を確かなものにしたいと願っていたのだが、朝の天気は私の期待を裏切るものであった。
3枚の日の出写真のうち、上の2枚(3/23撮影と4/2撮影分)は4月2日付のブログ『今日のお天気・マル』に掲載したもので、3枚目は昨4月16日(午前5時52分)に撮影したものである。
丘陵上の建物を示準に見れば、太陽がどんどん北へ移動していることが分かり、今朝も雨雲が無ければほぼ同じ位置から昇る太陽が見られたはずなのだ。
ところで一昨日の献立の一部(焼きタケノコetc)を昨日のブログで紹介し、昨晩のお膳も楽しみにしていると書いたので、その流れで・・・・・。
モヤシの炒め物。 塩コショウの味付けだが、食感・味わいともに私の好きな物である。
そして、この日私が買い付けた冷凍ミズダコが届いたので家内がオリーブオイルで炒めてくれた。
仕入れたのは刺身用に茹でたミズダコだが、活けタコ(真ダコ)が店頭に無いと家内が言っていたので私がネットで購入したのだ。
関西では真ダコやイイダコ、手長ダコなどは店頭に並ぶが、北の海に生息するミズダコが売られることは無かったように思う。
そうしたこともあって、イカ、タコ大好き人間の私であっても実はミズダコを買うのも食べるのも今回が初めての経験なのだ。《ミズダコと認識してのことだが・・・》
まあ噛み具合や味はタコに違いはなかったが、ミズダコと言う名前の通り写真でも分かるくらいに水気が多いものだった。
私の好みで評定するなら、真ダコの方が格段に美味いと言えるが、価格が若干安いことと真ダコの代用に買うなら良いかと思った。
そして私の好きな厚揚げの煮物。 この時はネギと煮てくれていた。
この日ご飯の代わりで、しかも酒肴の一品ともした物が下の写真の物。
大和芋を擂り下ろし、粘性の高いお餅のような芋と玉子を混ぜて焼いた芋焼き(我が家での名称)で、この日はレタスが混ぜられていた。
少量の、ほんまに僅かな塩が入っているだけだが、それだけで大変にウマイ物なのだ。
量としては、お好み焼きの半分の大きさ。 他の日なら4分の1の大きさだが、この日はご飯の代わりということもあって2分の1になったのだ。
そしてこの夜、我が酒蔵から家内が取り出してきたのはイタリアの赤ワイン。
ヴェローナの北方、アディジェ川上流ドロミテのブドウ畑で造られたものだ。
ドロミテを訪れたことはないが、ヴェローナはシェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の舞台となった素敵な街でローマ時代の闘技場などが今に遺る。
ヴェローナを訪れた時のことは『November 21,2007』付けの拙ブログにて書いている。《青字クリックでリンク》
ワイン1本からも様々に思いは広がるもので、このワインも安価だったがアッタリーでマアマア美味しく飲めた。
そうそう、この日のリハビリ担当は H・PT。 晴れ男の異名を持つ H・PTだったが先週は残念ながら雨降りだった。
しかし昨日は汚名返上とばかり午前9時過ぎには天気も回復。 彼が我が家へ来てくれた時にはすっかり晴れ上がっていたので歩行訓練に連れだしてもらった。
歩き始めは左膝をかばってぎこちない動きであったが徐々に調子が戻っていった。
しかし下り勾配の度合いが少し変化する部分で路面と左足の接地がうまく行かずにバランスを崩してしまった。
私自身の驚きは大変なものだったが、横を歩いてくれていた H・PTの驚きこそ尋常ではなかったはずだ。
だが両手の杖の作用と右足の踏ん張り、それと同時に差し出された H・PTの手の力を得て転倒せずに体勢を立て直すことが出来た。
若干膝に痛みを感じたものの大事に至らず安堵。 そればかりか妙な自信のようなものを・・・・・
April 16, 2015
1週間ぶりのリハ
全く休んで寝ていたわけではなく、足の動きを最小限に制限することにしたのだ。
制限一番の理由は、仮に膝そのものを痛めているなら回復傾向にあるものが停止してしまうか大幅に後退、それどころか回復そのものが望めない状況に至ることもあると聞かされているので用心するに越したことは無いということである。
二番目には、2月末にも同じ左膝の痛みを感じたことがあり、その痛みが完全に回復するのに10日もかかってしまったからだ。
もっとも一番二番と理由付けする以前に痛くて歩けないというのが実態だったのだが・・・
そして今日、週に2回となったリハビリの日、S・OTが来てくれた。
足の痛みが未だスッキリしないので歩行訓練はダメだろうと諦めていた私だが、足の様子を探り終えた S・OTは、「歩行練習の機会が少ないから行けるとこまで行きましょう。」と言ってくれたのだ。
久しぶりに穏やかな天気だし、1週間ぶりの歩行訓練である。
気分爽快にしてヤル気も満々、素晴らしい条件が揃ったのである。
歩行開始当初は左膝が気になって不安定感丸出しの様子であった(と思う)が、痛みを感じることなくドンドン調子良くなっていった。
左膝をかばおうとする意識だけでなく、1週間という時間が空いたことも不安定な歩行姿勢をとる要素であったように私には思えたのだ。
もっとリハビリを密に受けられたなら・・・・・正直な思いである。
明日はH・PTが来てくれる。 お天気がもってくれれば良いのだが。
タケノコの焼き物。 先日 Sさんに頂戴したものを家内が焼いてくれた。
皮のまま焼くのも良いが、皮を剥いて焼いても香りや食感が劣るというほどの差は無い。
お塩をパラパラ振るだけで美味いの何の。
写真 1枚目・・・レタスと餃子のスープ
写真 2枚目・・・茹でホタルイカを酢味噌で
写真 3枚目・・・からし蓮根と小茄子からし漬
いずれも昨夜のもので今夜の献立は何だろう、楽しみだ。
ご褒美?励まし?
ご褒美か励ましか、頂く私にとってはどちらでも良く、出来ることなら毎日続いてくれることが望みなのだ。
飲んだり食べたりすることは元々好きなことで、とりわけ自由に動けない今は家内が用意してくれる膳と時に頂戴する品などが日々の楽しみとなっている。
道楽と言うほどのものではないが、強いて何かの道楽に自分を当てはめるならば食道楽になろうかと。
しかし、食道楽と言うなら北大路魯山人ぐらいでないと道楽とは言えないだろうと思う。 もっとも道楽と言うのは本来の生業以外のことに熱中して身を持ち崩すことを意味する(私流の解釈)ので、魯山人の如く食することでも調理することでも、またその器づくりにおいても名声を得ていた御仁に対し道楽と言う言葉を当てるのは甚だ失礼なことかも。
ともあれ魯山人ほどの深みはない私だが、衣装に凝る着道楽でもないし、博打や色事で身上(しんしょう)をつぶすようなこともない。
もっとも身上と言えるほどの財もないが。ははははは
まあドーデモええか。 言葉遊びのようなものだ。
日曜日の夕食時に家内が開けてほしいと持ってきたのは我が家では珍しい赤ワイン(写真・右)であった。
煮込み料理用としてたまに買う安価なワインだが、時にアタリのモノもある。
ハズレが通常なのだが、時に口当たり良い美味しい物に当たることもあるのだ。
仏語はワカランけど写真の物はCôtés du Rhône(コート・デュ・ローヌ)、つまりローヌ川流域のワインであることぐらいは分かる。
ローヌ川と言えば『アヴィニョンの橋の上で』の歌に出て来る橋が架かっている川だ。
これもドーデモええことだが、物事の背景を思い浮かべることで、そのもののイメージをより深く広げることができるものだ。
そうした助成作用が働いたのかどうか分からないが、この赤ワイン、重くも渋くもない軽いクセのない感じでマアマア、つまり飲みやすいもので、家内にとっても私にとってもアッタリーであった。
家内と私が好むのは白ワイン。 それも若干の酸味と甘味の割合に私たちのコダワリがあり、もう四十年近くドイツワインを仕入れてきている。
ラインヘッセンやモーゼルなど地域はまちまちだが、最近は写真のナーエ地区のものが多いかな? 先のコダワリから等級としてはKabinettもしくは
QbAあたりが好みの味わいになる。
ところで14日の火曜日、ご褒美と言うか励ましと言うか、私の大好物である『タコの天ぷら』が出てきた。
いつだったか長いこと食べてないから食べたいなあと私が話していたことを覚えていて、市場やデパ地下へ行った時には必ず鮮魚売り場を見てくれていたらしいが、
生のタコは売られていなかったのだと。
茹でタコは売っていたそうだが、茹で過ぎのものばかりだったとか。
茹で過ぎのタコを更に油で揚げるのだからタコが一層硬くなり、ガムを噛むようで美味しくないのだと私が以前に語った、このことも覚えてくれていたのだ。
だから昨年は活けタコを買ってきてくれたり、料理屋でタコ天を注文、持ち帰ってくれたこともあった。
家内のタコ天はハゼない程度に小麦粉をまぶすだけで揚げるが、料理屋の場合はもっと衣が厚い。
できるだけ私に油を取らせないようにとの家内の配慮らしい。
この配慮という点では私の好みのモノが食膳から消えて久しい。
以前にも私の朝食・三種の神器『ごはん・味噌汁・玉子焼』について書いたことがあった。
味噌汁は昼食時に出るし、ご飯は少しだけど夕食時に食べている。ところが玉子焼が。
以前は朝食時に2個、それ以外でも食べることがあったほど玉子は私の好物だったのだ。が、入院して以後は玉子焼であれ生卵であれ茹で玉子(にぬき)であれ私の口に入ることは殆ど無くなってしまった。
それが半熟ゆで玉子として1個、たった1個だけれど煮物と共に出してくれたのだ。
ぶっはははは
嬉しいことだ。