June 2015

June 24, 2015

有難いこと

『待てば海路の日和あり』と言う。
昔の航海は風まかせに潮まかせ。 航海するもしない(出来ない)も将に天候次第であり、港では風待ち潮待ちの船が停泊して巡航出来る天気の回復を願っていたことだろう。
日の出
夏至(6/22)の日の出を撮影しようと待ち構えていたが果たせず、漸く本日(6/24)、日の出の位置と時刻を特定出来た。
2日のズレだから目視上で大きな違いにはならないハズ。
夏至当日の日の出を確認出来ないこともあろうと想定して1週間前から準備していたのだが、連日曇天雨天が続いたため本日まで待たねばならなかったのだ。
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その今朝も小さな赤みがかった点を見るまでは空一面に雲が広がっている上に予想した時刻を過ぎてしまっていたため日の出の撮影を諦めていたのだ。
写真からも分かるが、日の出時の勢いある太陽光の輝きが無く、全体にぼんやりして見えるのだ。s-2015-06-24_071616
快晴時は日の出前から東の空がオレンジ色から黄色へと変化し、太陽が地平線上にその一部を見せた途端眩しくて直視出来ないほどに輝くものなのだ。
しかし今朝は薄く広がる雲が遮光板の働きをしてくれたようなものだ。
小学生の頃、日食を観るためロウソクの炎に板ガラスを被せて煤(すす)を付けた時のことを思い出してしまった。 煤を付着させて見た太陽と同じように思えたのだ。
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写真は家内がプランターに植えている朝顔だが、丁度1週間前に初めての花が咲いた。
今年育てているのは3品種のようだが6月半ばに初花とは、ちと早いような気もするが昨日も今朝も沢山の花が咲いている。
私が好きなのは大輪で昔ながらの単一色の花。それも濃い青色か紫色が好き。絞りや斑などの模様が入ったs-2015-06-21_162900のは余り好きじゃないが、家内が育てているのでこれ以上は言わない。

書き洩らしていたが夏至の前日21日は父の日であった。
いつも何かと世話になっているY君(O氏)が素敵なソックスと私の大好物をプレゼントだと持って来てくれた。
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先だっては長男 K 君が一緒に来てくれたのだが、今日はどうしてるのと問うと手足口病に罹り、姉のK ちゃんにもうつったので奥さんのH さんが看病しているのだと。s-2015-06-21_162519
大粒の綺麗なサクランボで家内が買ってくるものよりも・・・・・ぶっははは。
これもこれ以上は・・・
写真のニューピオーネも頂いた。
出回るには未だ少し早い走りの時期だが艶のある黒色の大粒だ。
更にヤマモモまで。
私の職場に大きいヤマモモの木があって、この時期になるとよく食べていたことを思い出す。

夕刻Y君と共に息子が帰って来て父の日のプレゼントだと夏向きの涼しそうなポロs-2015-06-24_124853シャツとショートパンツをくれた。
二人で何処かへ飲食に出かけるのだと言っていたが私が元気なら一緒にと言うところだったのに残念なことだ。
が、まあそれはともかく大好物は毎朝食のデザートとして頂いている。
新婚のS夫妻には労わりの手紙を添えて芋焼酎を贈って頂いた。
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父の日ということでメールを頂いたり声を掛けて頂いたり・・・。
何だか分不相応な気もするのだが嬉しい気持ちも大きく、気にかけて頂いた皆さん方には感謝の気持ちを伝えておきたい。



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June 23, 2015

夏 至《2015.6.22.》

太陽黄経90度。s-2015-06-15_141807
二十四節気の夏至にあたる昨日、日の出の写真を撮ろうと予定していたのだが『残念』。
我が町の場合東方に丘陵が連なっているため近隣市町村に比べ若干日の出時刻は遅くなる。 それでも夏至は特別。 昼の時間が一年のうちで最も長くなる日だから当然日の出時刻は最も早く、日の入り時刻が最も遅くなるのだ。 
多分午前4時50分前後と見当をつけて待ち受けたのだが分厚い雲のため日の出を見ることは出来なかった。
太陽が最も北を通るので、私の視座(定位置)から日の出の場所も特定したかったのだが、まあ明日の日の出を待つことにしよう。 1日の違いなら大きいものにはならないから。s-2015-06-17_071339
と、昨日に続いて今朝も待ち構えたのだが、日の出の時間帯は空全体に雲がかかって太陽の輪郭がはっきりしない状態で時間ばかり過ぎていった。
自然を相手にしていれば、こんなことはザラである。

ワインボトルの写真を並べているが、このところボルドー産の赤が続いている。
家内も私も白ワインが好きなのだが、家内曰く、「赤を減らさないと白に移れない。」だと。
ちょっぴり家内の性格が出ているような。 そんな家内の言動を認めている私も同じ穴のムジナ? かも。
ぶっははははは。s-2015-06-11_063853
しかし何度も書くが家内は酒飲みではない。私も共に飲むので空き瓶が増えるのだが、6日で1本のペースかな?
 
こんなワインも自然が相手だから、何時でも何処でも同じ物が造られるわs-2015-06-21_112151けではない。 当然当たり外れはあり、私たちの好みを度外視してもマズイものはある。

ハズレやマズイものを話題にしてもツマランので楽しく嬉しい話題に。

もう1週間すると7月1日。
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博多では飾り山笠が公開される。
7月15日早朝の追い山に向けて各流に連なる博多モンは勿論のこと、博多に住まいする人たちは気もそぞろとs-2015-06-21_111210いったところだろうか。
かく言う私も・・・・・遠く大和の地にあって、行こうにも行けない具合の体であっても博多山笠が近付く今の時期になると心騒ぐのである。
そんな私の気持ちを察してかどうか分からないが、毎年この時期に中洲流の記念の扇子と手ぬぐいを送ってきてくれるのだ。
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中洲流は今年は三番。
大黒流、東流に続いて早朝の博多の街を4kmばかり舁き手たちが山笠を担いで駆け抜けるのだ。

中洲流の山笠記念扇子の絵は毎年博多の童画作家・西島 伊三雄氏(故人)の作品が用いられてきた。
以前『博多祇園山笠に思う《July 23,2014》』でも紹介しているが、西島氏の絵は優しいあたたかさを感じさせるものなのだ。s-2015-06-21_163235
今回の主題は金太郎の舁き山笠のようだが何だかホンワカする感じを受ける絵である。

一方、記念の手ぬぐいのデザインだが、これも主題は金太郎の舁き山笠のようだ。
しかし扇子の金太郎は若衆髷の頭だが、手ぬぐいの方は兜をかぶっているようだ。
毎年素敵なものを頂いているのだが、家内が額にでも入れて飾れば良いのにと言っていたので購入したのだ。
s-2015-06-21_111701アイロンをかけて入れれば良いのだが、どんな感じに見えるものか、取りあえず入れてみて写真に撮ってみた。
折りたたんでしまい込んでいるよりも、やはり額に入れると見違えるほどに素晴らしいと感じた。

ともあれ明日も日の出の撮影をと思うが、またまた天気は崩れる方向に進むようだ。むむむむむ



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June 17, 2015

でかっ、うま!

前回に『時節・旬』として私の好物の幾つかについて書いた。
今回は表題を『でかっ、うま!』としたが、これは『デッカイ、ウマイ』、つまり大きくて美味しいという意味合いの言葉である。

先ず比較想像しやすくするため具体物としてCDケースとCDの写真を。 それにスケールとして30cmの物差しを置いてみた。
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上の写真からCDの直径は12cmであることが分かるし、ついでだが開いた状態のケースの横の長さは27.5cmであった。

次に下の『あんぱん』のようなもの、直径が14~15cmあることが分かるだろうか。
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CD盤よりも、ひと回り大きいということだ。
下の写真に示す通りこれはキノコなのだが、シイタケ《椎茸》なんだと。
少し前になるが石川県能登の『のとてまり』という椎茸栽培のことをテレビで紹介していたから既に知っている人が沢山いるのだろうと思う。 
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しかし、私はこんなにデッカイお化け椎茸の実物を見たのは初めて。
これは家内が買ってきてくれたものだが、徳島県産なので『のとてまり』とは違うものだろう。
これも菌床栽培ものらしいから、原木に成育させるシイタケの数を少なくすれば個体あたりの成長の度合いとして大きくなることくらいは想像できる。 しかしその分生産出荷数が減るはずだから価格(収入)面での見返りが・・・・・なーんて私が心配することはないか。
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ともかくジャンボ椎茸について私は詳しいことを知らない。
私が子どもの頃、シイタケと言えば乾物しか見たことがなかった。s-2015-06-15_141128
水で戻して煮るというのが唯一の調理法で、野菜との炊き合わせや佃煮などの料理に用いられていた。
生の椎茸を目にするようになったのがいつ頃のことか私は覚えていない。 
子どもの頃に生のキノコを目にし、手にし、
口にしたのは松茸だけだ。
松茸も笠が開けば直径は15cmから20cmを超えるのがフツウであった。
秋の一時期、2~3日置きに我が家では松茸料理が続いた。
s-2015-06-15_114310明治生まれの母親だったから現代女性ほど多くの料理を知っていたわけではない。 それでも松茸ご飯、焼き松茸、松茸のスキ焼、天ぷら、吸い物などは作ってくれた。
某八百屋の女主人が母親へ届けてくれたのだが我が家族3人で食べるには多過ぎたのだ。 松茸は日持ちする品物ではないため、明日は売り物にならないという物も混じっていた。
そうした松茸は母親が昆布と共に佃煮にしてくれた。
現在、スーパーなどで売られている松茸昆布の佃煮は昆布の中でs-2015-06-15_135830松茸を探さなければならないが、私の母が作ってくれた佃煮の場合、松茸の中から昆布を探さねばならないほどのものであった。
こんなことを書くと今の時代、『嘘っ!』て言われそうだがホンマの話である。

少し話が飛んでしまったが、ジャンボなお化け椎茸は、味、香り、食感などなかなかに良いものであった。
初物を食すと寿命が75日延びるとか言われてきた。
青森県下北半島にある恐山に詣でる山道に湧き水が出る場所があり、この水を飲めば3年長生きすると50年前にバスガイド(車掌?)に教えてもらって飲んで以来6~7回は飲んでいる私の寿命は20年ばかり延びているハズ。
更に初物を食して2ヶ月半延びるのだから過去の分を積算すれば未だ未だと信じていて良い・・・・かな?
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初物ということでは寿司屋の大将 I 氏や家内の配慮で時節・旬を沢山味わわせてもらってきた。
12日には、またまた好物のお刺身に柿の葉寿司。
下は、このところ家内が時々買ってきてくれる朝焼きと称する鰹のたたき。
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朝焼きでも昼焼きでも何でも構わないが、今の時期だから冷凍ではない正真正銘の生ガツオである。
5月になってより何度も食べているので初物とは言えないが、私の気持ちの上では戴く都度都度初物である。
サクランボは高価なものゆえ大きさまで希望を言うなど私には出来ないと前回書いたが、何も言わないのに朝食に出るサクランボが少し大きくなってきている。
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走りの時期から盛りの時期へ移ってきているのだろう。
実が大きくなり赤みも増してきているように思う。
ブドウもデラウェアが朝食のデザートに載るようになってきた。
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June 13, 2015

時節・旬

季節という言葉を目に耳にするだけで何やら風情を感じてしまう私だが、これを日本人の特性かもしれないなどと話を広げてしまうと注意を受けるかもしれない。s-2015-06-06_063009
他との比較もせずに島国根性のようなモノの見方だと。
ナルホド。
そうした批判があっても当然だと思う。 実際科学的な裏付けなど何も無く私自身が経験して感じ取ってきたことだけが根拠なのだから群盲評象の寓話に例えられても仕方がない。

右上の写真は大豆の香りを強く感じる奈良町・近藤豆腐店のおぼろ豆腐。
年中いつでも食べることが出来る私の好物だが、下は剣先の刺身。
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まあカターイ話はおいておくとして、外を出歩くことが殆ど無い今の私にとって季節を感じることの出来る一番は視覚的には私が座る場所(定位置)から見える景色の変化である。s-2015-06-06_063224
※ この景色は日の出の写真として紹介してきている。
体全体としては部屋の気温と家内が用意してくれる衣類で感じることだ。
視聴覚的にはテレビの情報を挙げることが出来るが、最も嬉しく最も大きく季節を感じ取れるのは視覚、嗅覚に加え、味わいや噛み応えなど様々な食感を含めた味覚だと言える。
日々三度三度用意してくれる家内のお膳と食材に季節を感じているのである。

栽培方法や保存・輸送技術の発達で生産地域や生産時期など、いわゆる『旬』というs-2015-05-24_104039ものを感じられない時代になってきたが、それでも自然の露地ものは時節に合って出てくる。
キャベツも玉ネギも、その時節に出て来ると『新』が頭に付く。
新玉ネギは厚切りにして焼き、塩と胡椒か、もしくはスキ焼風に醤油と砂糖で甘辛い味に仕立ててくれる。

写真(下)は生のシラスだが、これも時節を感じる食べ物だ。 
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このように獲れたてのシラスを家庭で食べることが出来るようになったのは未だ最近のことである。
下は6月3日の私の朝食だが、ここでも季節を感じるのだ。
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ワカメスープ、トースト、レモンピールのマーマレード、新玉ネギとミックスベジタブルの炒め物。それにデザートとしてブドウが出てきた。
s-2015-06-06_151230最も季節を感じさせるのは、やはりブドウである。
甲斐路に似ているが、甲斐路にしては時期が早過ぎるので他の品種かも。
今の時期からはデラウェアかと思うが、家内はデラは甘すぎるから余り好きじゃないらしいが、私に嫌いなものは無い。
7月から8月にかけては大好きな巨峰やピオーネが出回るので今から楽しみである。s-2015-06-11_132546
今の時期からしばらくの間はサクランボを楽しむことにしよう。
サクランボにしても今や年中食べることが出来るが、旬ということでは、やはり『今』である。
ちょっと小さな、多分SかLサイズのものだが、少しの酸味を感じさせるが結構甘味もあるものだ。
サクランボは高価なものゆえ大きさまで希望を言うなど私には出来ない。
ブドウにしてもサクランボにしても時節に合わせて出してもらっていることだけでも大層有難いことである。
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ただ、このところ残念に思っているのが朝食のトースト。
上の写真に示した通りアン入り食パンが無くなり、ただの食パンに変わっているのだ。s-2015-06-06_151534
いつも沢山買って冷凍保存しているのだが、先月末に食べきって以後アン食が売られていないものだから残念な日々が続いているのだ。
まあレモンピールの蜂蜜マーマレードが添えられるので糖分の摂取が少しだけ抑えられているかも。

残念と言えば日本酒がゼロ、芋焼酎『佐藤黒』もゼロになってしまった。
神戸のW(T)に頂いた『吟醸・染櫻』も美味しく頂いた。
s-2015-06-10_164857頂き物だからと良い様に言うつもりはない。 美味しいと感じたのは違いないが、感じたことを言葉で付け加えるとすれば、少し重かったということかな。 感覚を言葉で表現しきることはムツカシイものだ。
ともかくも有難う。

佐藤君には遊びにおいでって、そろそろ博多へ声を掛けねばならんかなあ。

昨夜、家内は月イチの夕食の会へ出かけた。
留守番の私は息子がくれた芋焼酎『甕雫』の湯割りをチビリチビリ。
何度も書いているが、今の私の湯割りは 1 : 9 。 ほぼ白湯である。
焼酎を飲むとか味わうと言うよりも、まあ飲んでる気分を味わっていると言うところかな。

夕飯時、何も無いより例え白湯でも徳利と猪口を用意すれば、これはええ感じなのだ。
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山形の丸小茄子の漬物でグビッ。 これは辛子漬ではない。
広島の安芸菜、自家製のチリメン山椒、紅ショウガ、新生姜のビリ辛酢漬など、常備のおかずでグビビッ。

季節を旬を感じ味わえる幸せ。
素敵なことだ。


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June 12, 2015

当たり外れ

当たり外れが多いとか少ないとか言う表現がある。
この場合のアタリは良くてハズレは悪いことを指し、玉石混淆の中で玉が見つかる確率が高いか低いかというs-2015-06-06_135631のと同じ意味合いである。
トマトという『ひと括り』で見ても全てのトマトが同じ物ではないので当然アタリ・ハズレはある。
品種、産地、生産者、収穫時期など括りの設定条件を多くすれば良いトマトを得られる確率は当然のこと高くなる。

当たって良いのは美味しいものに宝くじ。当たって良くないのは食あたりかな? ぶっははははは。

一般に製造・販売されている商品は同質均一など様々な条件の枠内にあるので当たs-2015-06-06_142940り外れなど通常考えられないことである。
人間が携わっているのだからハズレ皆無とはいかないが、日本の場合、商品出荷までに行われる検品作業は徹底していてハズレになる確率は限りなくゼロに近いものだと私は信じている。

まっ信じていると書いたように日本国産品でも今までハズレが無かったわけではない。
アジアの某国製品の場合、ハナから玉《ギョク》の存在を信じれないので話題にすることもないが、CDを例に取ると欧米から輸入したものに不具合な商品があるのはフツウのことだとよく聞かされてきた。
しかし幸いと言うべきか、これまで不具合品に当たることは無かったのだが、近頃度々ハズレに当たるようになった。s-2015-06-06_150346
つまり購入頻度が高くなった分ハズレに当たる確率も高くなったわけだが、ケース入りできっちり包装されているから我が手元で聴くまで不具合の有無は分からない。
LPレコードを買い求めていた50年ほど前頃ならお店で試聴してから買っていたので不具合商品を手にするということはなかったのだが・・・・・

高価なものなら製造・販売会社と交渉して品物を取り替えてらうための手順を踏むことになるが、手間と時間とお金という条件を考え合わせると、「もうええわ。」ってことになる。

ハズレの例を少し挙げてみよう。
s-2015-06-07_160205右上の写真は表題を
wiener philharmonikerとしているようにウィーン・フィルの名演集と言える製品で中身は指揮者や録音年など希少性の高い物が含まれている。
左はヨハン・シュトラウス2世の作品CDのカバーだが、表記されている曲とは異なるものが録音されていた。
また指揮者はヘルベルト・フォン・カラヤンでウィーン・フィルと記しているが、CDを開くとBerliner Philharmoniker(ベルリン・フィル)の表示が・・・・・
いったいどっちが正しいねん。s-2015-06-06_151943

右の写真はディミトリス・ミトロプーロスの作品集(指揮、ピアノ演奏)で珍しい録音が含まれているのだが、表記されている順番とCDの録音順番に異なりがあった。
また前ページで掲げた
ギュンター・ヴァント
(Günter Wand)指揮・ケルン放送交響楽団が演奏するブルックナーの交響曲全集では第9番が2枚入っていて第2番が欠落していた。

高価で他の物に代えがたい希少貴重なものなら何としてでも手に入れようと思うが、どうしてもこの指揮者、この楽団でなければと言えるほどの音キチでも専門家でもないので『まあ、ええわ。』ということになっている。


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