August 2015
August 05, 2015
買い物代行
現在共倒れ状態にある我が家にとって生協の買い物代行サービスというのは大変有難いものだ。
当地の生協設立当初は所謂共同購入、つまり数軒がグループとなって購入品をまとめて仕入れ、配送もグループの代表者の家に届けられ、それをグループの各組合員が持ち帰るというシステムのみであった。
後に店舗が出来、今は我が家に比較的近い場所にも店舗が出来ており重宝している。
40年前、共働きをしていた我が家は子どもたちも小さく、日々こまめに買い物に行けなかったため共同購入システムは大いなる助けとなっていた。
ご近所の方たちには何かとお世話になっていたことを有難く思いだす。
生協も現在は個別の注文で個別に配達してくれているので他の方に対して気遣うことなく買い物が出来て良い。
また、店舗で買い物をしても荷物が重いとか量が多い時には自宅へ配送してくれるというサービスもあり、年をとってきた家内には坂道を上って帰るだけでも疲れるのだから、これはとても有難いことなのだ。
それと今まさに共倒れ状態の我が家にとって更に有難いことは買い物代行サービスも行われていることだ。
電話で品物を注文すれば注文品をそろえて自宅まで配達してくれるのである。
メーカーを特定した商品以外でも、このような物をという依頼も受けてくれるようで、歩けない私と外出できるだけの体調ではない家内の二人にとって、このサービスは泣けるほど嬉しいことなのだ。
しかし、この買い物代行サービスの依頼は午前中に限られているのだとか。
そりゃあ無制限だと働いている人も困るから仕方ないことだ。
そのことを家内は知らなかったので本日は買い物が出来なかった。
まあ冷蔵庫も冷凍庫もあるから1日ぐらい何てことはないが・・・・・
老々介護の共倒れ・・・・・
いろいろと考えさせられる、むむむむむむ
August 04, 2015
姉からの・・・
いつもながら何かと気にかけてもらい有難く思っている。
このヒマワリの写真を見て思い出したのだが、40数年前、バカデッカイ向日葵の花を咲かせようと取り組んだことがあった。
暑い夏の時期、風向きによっては耐えられない悪臭が襲ってくる養豚場が職場の近くにあった。
しかし臭いことさえ我慢すればタダの肥料が手に入るので、春先の臭いのきつくない時期にフンをもらってきて土と混ぜたり、天日乾燥して元肥を作ったりの作業を行った。
デッカイ向日葵を育てるためには土づくりの肥料だけでなく元肥に追い肥と肥料もタップリ要るのだ。
この時のヒマワリは黄色い花びらを入れずに種が出来る茶色の部分だけで径50cmもあり、茎はネスカフェの瓶ほどの太さのある全くお化けヒマワリであった。
ヒマワリと言えばサンフラワー(Sunflower)。
40数年前、ハネムーンの帰路、日向港から大阪まで乗船した船がサンフラワーであった。
数日前、苫小牧への航行中火災を起こした船もサンフラワーだ。
話題を戻そう。
この姉が漬けた小梅を昨年頂き、それがとても美味しかったので来年もと所望していたのだが、先日ラッキョウの漬物と合わせて送ってくれた。
この小梅については昨年10月2日付のブログ『お礼を』や
11月9日付のブログ『雨の日曜日』で少し触れている。
梅干しが好きな家内にも私にも大好評の代物なのだ。
しかも小さいから茶請けにも良いのだが沢山送ってもらい、自分の家の分があるのかと心配しているのだ。
それに今回はラッキョウの酢漬け。
これは少しピリ辛で私の好み・・・・・いや、家内も美味しいとカリカリ歯ごたえも楽しみつつ食べているのだ。
ゴマスリでも、おべんちゃらでもない。
ほんまにウマイのだ。
手間のかかるものだが、来年も是非と今から頼んでおきたい。
は・な・び
毎年恒例、我が町夏の一大イベント『花火大会』が開催された。
大阪・富田林のPL花火大会とは比べ物にならないくらいに小っちゃな催しではあるが、それでも15分から20分程度、暗夜に色とりどり形様々な大輪の花が咲くのだ。
以前にも紹介したことがあるが、今年も写真で紹介してみることにしよう。
毎年この日は我が家で飲食を楽しみながら光と音の饗宴を併せ楽しむことにしているのだ。
しかし家内も私も体調が優れなかった為、前日、寿司屋の大将 I 氏に出前を依頼しておいた。
家内の労力を少しでも減らすことが出来る上、好みのご馳走を頂けるのだから。
バッテラの海苔巻は私の好物で特製。 細巻きは家内が好きな山ごぼう、海老マヨ、うなキュウ、それに鉄火巻(これは私の好物)。
刺身は鱧の焼き霜、真蛸のブツ切り、鮪の赤身と、私の大好物の揃い踏みであった。
しかし普段から少食の家内が体調を崩している上、私も飲食について若干の制限を課しているため、美味しいお寿司も半分は明くる日への持越しと・・・・・(大将には申し訳ない)
こうして家内と食事をとりながら打ち上げ開始時刻の午後8時を待った。
ちなみに上の写真は花火大会翌朝(日の出時)撮影の画像に花火の写真を重ねたもの。
写真は等倍にしているので花火大会当夜の概観をイメージしてもらえるかも。
私の観覧席から直線距離にして1200m。
近い上に遮るものが何も無いから光と音が同時にぶち当たってくるのだ。
暑い折だから窓は閉めてエアコンを稼働させている。
それでもドーンという音波は窓ガラスを越えて私の体に振動を与えるのだ。
では、花の幾つかを写真で。
幾つかというのは失敗、つまりタイミングがずれたり手ぶれがあったりで、比較的マシなものを拾いだしたからである。
打ち上げは前半と後半に分けているようで、中間と終演前には大玉のように高くは上がらないが仕掛け花火とでも言うものだろう。 連続というか重複と言うか、間髪入れずにシュルシュル・ドドーン・パチパチパチと真に賑やかな花火が披露される。
写真に示しているのは高く打ち上げられる大玉の類いである。
昨年まではUFOのようなのやマンガのキャラクターに似せた花火が混じっていたが、私はそうしたものが好きではない。
丸い球体で良いのだ。
音と様々な色、それに多少の変化が加われば楽しいものだ。
変化が無くとも2玉同時に打ち上げることで重なり開くという変化も見られる。
これらの写真はいずれも拾い集めたマシなものを上下・左右と2枚ずつ組み合わせたものだ。
夜空を彩る大玉の花火。
私が子どもの頃は花火をドンパチ打ち上げる経済的な余裕が日本のどこにも無かった。
そのつい先まで人を殺し殺されるという非道のドンパチをやって、結果、大阪も焼野原になっていたのだから。
大阪駅前にはヤミ市が並び、駅の地下道では白衣の傷痍軍人たちに靴磨き少年たちが・・・・・
せっかくの花火、暗くなってはいけない。
ご馳走を頂いたことと花火を楽しんだこともあってか昨2日は家内も私も又々僅か僅かだが回復方向に進めたような。
ついでに今朝(3日)は・・・
私は今の所だが膝に痛みは感じていないので先ず大丈夫かと。
家内は喉の痛みの他、まだ微熱があるため体を横たえていることが多い。
家内は体調崩して11日目。 私は膝を痛めて既に20日目。
何とも長いことだ。
花火大会の最期に打ち上げられる大輪の菊花のような見事な花火が下に掲げた写真。
一つ一つの火玉が、まるで柳の枝が垂れるように黄色い線を描いて流れ落ちていくのだ。
私はこの打ち上げ花火が一番好き。
打ち上げ花火は派手さが売り物みたいな感じがするが、この打ち上げ花火を小っちゃく小っちゃくしたようなのが線香花火の最期の部分に似ているように私は思っているのだ。
木のしなやかな枝が垂れるような様から柳とか散り菊と呼ばれているが、私はそうした線香花火も好きだ。
August 02, 2015
倒れる
倒れるという言葉は余り良い状態を表す言葉ではないし、上の言葉にも道楽が進んで身上潰すという意味合いが含まれている。
しかし、何故道楽が高じるのかと考えると、食べ物や着物に関わって『盛ん』『多い』『上等』などといった良い意味合いが言葉の背景に感じられ、私自身は大阪(人)や京都(人)の良さを表す言葉と捉えたい。
倒れる、これはリハビリを進めている私が最も注意すべきことで、これまでのところ回復速度は頗る遅いものの新たな障害が出たり大きく後退するようなことは無く、僅かながらも本に微々たるものだが回復への道を辿ってきた。
しかし残念なことに先15日に膝に痛みを感じて以来、今日で
19日目。 大きい後退ではないものの明らかな停滞、否、少しばかり後退したのだ。 つまり15日の前日までのように歩けなくなったのだから。
そこへもって先24日(金)から体調を崩していた家内が週明けから高熱を発し、29日(水)に医師の診察を受けたところ所謂夏風邪だと。
夏風邪だと診断された家内は一瞬安堵したらしいが、ドッコイ、医師からは侮ってはいけないと言われたのだとか。
ウィルスによるもので特効薬も無いらしい。
「舐めとったらアカンぜよ。」 というところか。
熱が下がらずゴホンゴホン。
今日は少しだけ、ほんの少しだがマシになってきたと言うように家内が話す声が少し聞こえるようになってきた。
体調悪く動くこともしんどい状況で私の世話もしなければならないと。
うーーん、そうした状況を悉皆知る私もチョーしんどいのだ。
のんびり音楽を楽しんでいる場合ではないのだが、今の私はしてもらうばかりで何もしてあげられないのだ。
心苦しいが家内に何か頼む用事を減らすことぐらいしか私には出来ないのだ。
老々介護という言葉をしばしば耳にしてきたが、他人事ではなく将に我が事なのだ。それも片方が健康なれば老々介護という言葉も存在するが、老々の両方が倒れてしまうと介護どころではないのだ。
倒れるにしても共倒れはイカン。
いかん、あかん、ダメと言ったところで生身の人間ゆえ何が起きるやもしれんのだ。
そんなこんなで月下美人の開花を見れず、写真の如く翌朝ダラリと下がった花の終いの姿を。
何だか気分優れぬ日が続く。