September 2015
September 29, 2015
試みに
亡くなった命を元に戻すことが出来ないことも同様だ。
しかし、間違って作った法律ならば元に戻すことが出来る。
『過ちては改むるに憚ること勿れ』と論語にも言う。
一方、何事も試してみなければ分からないことも多い。
だが命を賭してまで覆水盆に返らぬような試みをするなど
愚の骨頂。
昨夕私が試みたのはフグの肝を喰らうような事ではなく、菊酒のように金木犀の花を酒に浮かべて味わうことだった。
日本酒(冷酒)の場合と焼酎(湯割り)と二通りを試みた。
金木犀の匂いは嫌いではないが、お酒に浮かべてというのはイマイチかな。
まあ物事の感じ方というのは百人百様だから・・・・・
私は今回の試みで完了とした。
September 28, 2015
中秋の頃
昨年9月27日、京都での集いに参加するため我が家を出ようとした折にも花を咲かせ、強い匂いを漂わせていた。
秋分の日(彼岸の中日)に期日を合わせるかのように開花する彼岸花もスゴイが、金木犀も毎年間違えることなく今の時期に花を咲かせている。
家内に頼んで一枝をテーブルに飾ってもらった。
9月9日、重陽の節句には菊の花を酒に浮かべ、菊の香りと風雅な気分を共に楽しんだ。
良い匂いの金木犀ゆえ、その花を白ワインに浸け込んだ桂花陳酒というものもあるらしいが私は未だ飲んだことがない。
少々香りが強すぎるような感じがして、未だ盃の酒に浮かべてはいない。
でもまあ何にしてもやってみなければ分からないことだから、今宵の膳で一献??
そうそう、大好物の広島菜(安芸菜)の浅漬けだが収穫の関係で夏の間は手に入らないのだ。 そのため販売最終となる6月末に沢山買い込み冷凍保存しておいた。が、それらは既に食べ終わっている。
10月に入れば発売されるだろうが、夏の間は他の漬物がお膳を賑わせてくれた。
山形県の小ナス(梵天丸)の辛子漬けと浅漬け。
一口か二口で食べられる程度の小っちゃな丸ナス?だが、色合いは良い、味は良い、歯ごたえも良いし香りも良いと、全て私好みである。
梵天丸の辛子漬けを口に入れた時、『ツーン』と鼻の奥を刺激して涙が出そうになる感じは美味しさ以外の旨さと言える。
そして、この時期は私の蜂蜜マーマレードに用いる緑色をしたスダチやレモンの皮むきの時期でもある。
これがなかなかに大変な仕事で、皮をむき、その皮を細く切り刻む。皮をむいたレモンは果汁を搾る。
青いレモンは小ぶりで硬いから強い力で搾る割りに果汁が少ないのだ。
レモン・ピールだけ売っていれば買っても良いのだが、売られているのは砂糖漬けのピールだけだし生産地も使用薬剤もワカランから結局は買わない。
そのため僅か20個ばかりのレモンを処理するのに数時間座ったまんま。
お尻は痛くなるし足は浮腫むしタイヘンなのだが、私だけの食べ物だから家内にさせるのはねえ。
やってほしいと私が言えばやってくれるだろうけど、私は言わない。
それでなくともレモンを洗うことから始まって、包丁・俎板・レモン搾りの皿容器、果汁を入れる容器にジョウゴ、ふきんなどの準備のお膳立て、調理が終われば用具の洗浄や生ゴミの処理など片付け仕事があるし、肝心の蜂蜜とレモン・ピールをマーマレードに仕上げる作業がある。
出来ないことは頼まざるを得ないが出来ることは自分でする。これは夫婦であれ親子であれ当然だと私は思っているのだが・・・
9月27日、中秋の名月を私も見ようと夕刻より東の空に出る月を待った。
月の出る凡その時刻と方角は分かっていたのだが秋分を過ぎても午後5時過ぎの空はまだまだ明るい。
観月の邪魔をしそうな雲もない。
写真は何も手を加えない午後5時50分撮影のもの。
まだまだ明るい東の空に月が昇っているのを大阪での演奏練習を終えて帰宅する途中の家内が撮影したものだ。
この時刻、私は自席(定位置)で未だか未だかと東の空を眺めめていたのだ。
が、家内の写真からも分かるように月は民家の屋根よりも高い位置まで昇っている。
いかに明るい空だったからとて月の出を待ち構えている私が見落とすことはない。
中秋の名月、私が予想した方位よりも更に南の位置に顔を出したものだから私の視認限界を越えてしまっていたのだ。
待てど暮らせど月が出ぬのは当たり前。とっくの昔に出た月はドンドン高くドンドン南方向へ移動するものだから私に観月は不可能だったのだ。
家内が帰宅する道すがら携帯で撮影した名月。
餅搗くウサギの姿は見えないけれど、観月出来ていないかもと撮って帰ってくれた家内にありがとう。
※ pm5:58分撮影のものは月を強調するため画面暗くコントラストを強めた。
September 24, 2015
シルバーウィークのこと
私が子どもだった頃、ゴールデンウィークと新聞の見出しに記載されていたことを記憶している。
ゴールデンウィークは《Gold+en、week》だから単純に黄金色の週と理解し、何が金色なのか疑問を感じることも無かった。 それが中学で英語を学ぶようになり、《Golden》という言葉には素晴らしい(amazing)とか貴重な(precious)といった意味も含まれることを知って随分スゴイ勉強をしたように思ったものだった。
では、シルバーウィークはどのような意味が込められているのだろうか。
ぶっはははは。今は全く興味が湧かず調べる気も起こらん。
今年のシルバーウィークは9月19日(土)、20日(日)、21日(敬老の日)、22日(国民の祝日)、23日(秋分の日)だったらしいが、出かけることの出来ない私にとってはドーデモええことだ。
が、日の出時刻に雲が多くて日の出の写真を撮ることが出来なかった日があったものの、連休中はずっとお天気は良かったようで多くの人たちにとっては幸いなことであった。
上の写真2葉は秋分の日の日の出時のものだが、空の雲に秋を見ることが出来るようになった。
秋分の日などについては以前にも何度か天球図を掲載してきたが、小学生の頃の私は地動説と天動説が頭の中でゴッチャになって天球図を素直に理解出来なかった。
能田忠亮先生の講義でユリウス暦の計算をさせられたことを以前にも書いたが、天文嫌い(苦手)の始まりが天球図にあったかもしれない。
やむなくお付き合いしてきた天文だが今猶好きな分野ではない。
天文は計算するよりも夜空を見上げて夢を広げているほうが素晴らしい、と、コレは私の思い。
秋分の日はお彼岸の中日でもある。
昨23日は家内の兄姉たちが墓参に寄り集うた。
末弟に迎え入れてもらっている私も足の不自由が無ければ家内ともども参拝するところだが申し訳ない思いである。
此度は東京に住まう三兄も墓参に訪れたが、その前日(22日)我が家へも寄ってくれた。
墓参りのついでだと兄は言うが、我が家は墓参の動線からは飛び地のような位置にあるのだ。
遠路訪れてくれたばかりか、写真の分厚い書籍に私の好物と知ってブドウや桃などの果物に加えて菓子までも両手に携え重たい物を持って来てくれた。
半年後には傘寿を迎える兄である。
写真は『おはぎ』に非ず。
兄が持って来てくれたデッカイ(重たい)プルーンのひとつ。
下の写真は桃とブドウだが家内ともども三食のデザート、おやつとして連日頂いている。
ともかくも思いやって頂く気持ちに感謝の意を記しておきたい。
動けず退屈だろうからと持って来てくれた重い本は写真の3冊だが、これは極一部で他の本は目録にして持って来てくれた。
専門書は大学へ寄贈し終え、私が好みそうな分野の書籍だけをセレクトし、目録にしてくれたようで嬉しい限りだ。
我が家の一般書(全集もの、新書版、文庫版)は古紙回収業者に引き取ってもらったが、整理し終えたという達成爽快感よりも残念な寂寥感の方が強かった。
紐で結わえた幾つもの書籍の山を段ボール用紙と同様放り投げるようにトラックの荷台に積んでいた古紙回収業者。
私たちの世代、書籍は宝物で財産との思いを持っていたが、現代は単なる消耗品程度に思われているような・・・・・
久し振りに我が朝食の写真を紹介してみた。
アン食パンの4分の1程度は切り取られて昼食に。
蜂蜜レモン・ピール・マーマレード、今の時期は蜂蜜スダチ・ピール・マーマレード。
デザートは兄に頂いたもの。
September 22, 2015
孫のこと
変声期の孫・Yや敬老?の意味を込めて菓子を持って来てくれた孫・Aのことなどについて少し前に書いた。
孫という表現、これは民法上の系譜を言うのではない。誤解が生じないように書けば、私たち夫婦には法律上の我が子と同等同様の関わりを持っている人たちが国内外にいる。その子どもたちだから私にとっての孫と表現しているのだ。
下の写真は、それら孫のうちの一人・H。
まだまだ甘えたではあるが、幼稚園に通うようになって体つきも言葉においても随分しっかりしてきたと思うことが幾つも見ることが出来た。
私と同じくブドウが大好きなH。
その大好物を食べる彼の写真を撮ろうとすると顔の向きや表情、手の動きなどを変えてカメラに向かって様々にポーズを取ってくれたのだ。
それも極々自然な動きで、「これでいい?」と言うかのように。
それにしても冒頭で書いた敬老?とは・・・・・
お年を召した先達たちを敬い大切に思い接遇する心根や言動は素晴らしく大いに評価推奨したいものだが、私をして敬老の対象にされるのは面映ゆい感じが強く、一面嬉しい気持ちも無いではないが、どうかご勘弁願いたいというところが真実の気持ちである。
昨9月21日(第三月曜)は敬老の日であった。
我が家に咲いた秋桜・・・コスモス。 きっと田んぼの土手では彼岸花も咲いているはずだ。
夏が過ぎ、残暑を感じることも無いうちに秋になってしまった感が強い今年だ。
昨年夏まで、「せみ、クワイ」「いぬ、クワイ」 と情けない声を出していた孫・T が、この夏に来た時 「なんでやねん」 という言葉を連発していた。
従姉妹の言葉に面白みを感じたらしく、以後盛んに発しているのだとか。
このセリフは吉本新喜劇の誰だったかが舞台で使っているので従姉妹もテレビを見て知ったのだろう。
大阪人が不思議やなあオカシイなあと、予想通り思い通りにならないことに直面した時、「なんでやろ」 と、つぶやくが、これは自分に対して言う場合が多い。
それに対して 「なんでやねん」 という言葉は自分以外の者に対して語りかける場合が多い。
ともあれ孫・T が言葉に興味を持ち始めているようなので、声がけすると同じ言葉を発し反応するオモチャを先日プレゼントしたのだ。
「なんでやねん」 と声がけすれば、「なんでやねん」 とオモチャが応えてくれるってわけだが、このオモチャはヘッドフォンを付けてマイクを握るラッパーなのだ。
乾電池式でスイッチを入れると体を忙しく上下に動かし、ラップを踏みながら掛けた言葉に反応して同じ言葉を返してくれるのである。
このラッパー君と初対面の様子を母親 R ちゃんが携帯メールの写真で知らせてきてくれた。
ラッパー君、言葉に反応する前にスイッチを入れたら忙しく体を上下に振りだすものだから、弟 K と見ていた T が、「落ち着いて、落ち着いて」 と連発したのだとか。
当然、ラッパー君も 「落ち着いて、落ち着いて」 と反応したことだろう。
T や K の驚きの表情や、K がラッパー君の頭に手をさし、「落ち着いて、落ち着いて」 と声がけする動作などが思い浮かび、もう可笑しくて腹を抱え涙がこぼれるほどであった。
可笑しいだけではない。昨夏まで、「せみ、クワイ」「いぬ、クワイ」 と言っていた T が、弟 K の前で激しく体を振るラッパー君に、「落ち着いて、落ち着いて」 とお姉ちゃんらしく声がけするまでに成長したことは全く嬉しいの一言に尽きる。
September 21, 2015
私の決意
政治の世界も『言うたもん勝ち』『やったもん勝ち』の様相である。
国民の信託を受けた国会議員が疑問を呈し質問するも的外れなトンチンカンな答弁をするばかりか、前言を翻す朝令暮改の様相も見受けられ、多くの国民が理解できない状況の中、安保法(案)が可決された。
安倍首相みずから国民多数の理解が得られていないことを認識しながら立法を強行してしまった。
これからも丁寧に説明するなどと菅官房長官が言っているが、これまで安倍政府が取ってきた手法は、とても丁寧と言える説明ではなかったし議論を尽くそうというものでもなかったように私は感じている。
安倍政府と与党の国会運営姿勢は『先ず安保法(案)可決成立ありき』で、大変に傲慢であったと私は思うのだ。
時間と言葉を弄び、審議を尽くしたようなフリをしとるのが政府・自民党と公明党のように私には見えた。
公明党の母体が発行するS新聞は『言葉とともに生きて行く』とテレビコマーシャルで流している。
それにならうなら、公明党は『言葉を弄んで生きて行く』と言うのがピッタリだと私は思う。
テレビで一部のコメンテーターが野党は反対するだけで対案を出さないから頼りないなどと語っていた。
「ええっ?」と首を傾げたくなるような言い分である。
言いたいことがあるなら我が土俵に上がれと言うわけだが、安保法(案)についての対案というのは提案された安保法(案)の存在を認めた上での議論であって、この安保法(案)そのものが憲法違反等の理由によって存在・提案そのこと自体がオカシイとするなら土俵に上がることそのことがオカシク、安保法(案)そのものに反対することは正当な思考表現行為であると私は思うのだ。
民主党など野党の国会対応がイイとかワルイとか言うのではなく、オカシイものはオカシイとして法(案)そのものに反対し廃案を求めることは立派な対案に相当することであると私は考えている。
『悪法もまた法なり』とはソクラテスの弁だが、論語《学而》には『過ちては則ち改むるに憚るなかれ』と、間違えてしまつたことを改めることは何らはばかることなんかないよってこと。
間違って決めた法律なら元に戻って訂正すれば良いってことだ。
もっとも法律を変更するには多数の国会議員の賛同を得ることが日本の民主主義の基本である。
参議院、衆議院と選挙は未だ先になるが、戦争をしない国から戦争が出来る国に変えてしまった自民党や公明党、それらを補完する政党の議員らを落選させれば良いのである。
憲法判断は最高裁判所の権限(三権分立)だが、ハッキリ言って最高裁の判事どもは高給というタダ飯喰らいだと私は思っており頼りにはしとらん。
喉元過ぎれば熱さ忘れるのはヒトの常だが、自民公明の輩が犯した愚行を決して忘れてはならないと私は思うし、孫たちにツマラン日本を手渡すことは決してしないと心定めを新たにした。
※ 白い花は隠岐の島に由来する風蘭だが、5月に次いで今年初めて2度目の開花となった。
※ 茶菓子は孫・Aの土産で京・青閑院の鶴亀。
※ 茶碗は小生の手ひねり 《信楽焼》