November 2015

November 26, 2015

魚(さかな)からの連鎖

前ページで『魚(さかな)』のことに触れて森氏の著作を思い出し、それの連鎖で昔の様々な記憶がよみがえってきた。
s-2015112307230000子どもの頃の私はあまり魚が好きではなく、その一番の理由が骨を取らねばならないからであった。
今でも小骨の多い魚は敬遠する傾向にある。

そんな私が初めて魚を口にしたのは『お食い初め』、多分生後3,4か月の頃だろう。勿論当時の記憶など私には無いが、母親が話してくれたことを思い出しs-2015112307240001た。
勿論、魚を口にしたと言っても真似事だろうが、その時より使用し始めたという塗りものの箱膳を小学校入学前まで使っていたことも思い出した。

私の両親は明治生まれだったが自由な気風の大正の時代に青春時期を過ごしたことで、旧き日本の伝統文化と外来文化の良さを進取していったのだろう。
父親は小柄だったが撃剣に鍛錬を積み、かと思えばイスパニア語に通じてワルツやタンゴも踊っていたらしい。s-2015112307240000ガラス乾板写真の現像や焼き付けもやっていたからモボと呼ばれていたのかも。
母親は和洋裁に琴・三味線、和洋声楽に長けた賢く美しい人だった。
箱型の蓄音機や沢山のSPレコードが被災を免れ焼け残っていたから、きっと父親とダンスを楽しんでいたこともあったのだろう。だから父親のモボに対してs-2015112307240002母親はモガと呼ばれていたのかもしれない。
そんな母親が寝る時に箱枕を用いていたことも思い出した。

こんな大昔のことは息子どころか家内にすら語ったことはない。
が、昔を思い出すのは懐かしさが込み上げ切なくもあるが楽しさも秘めていて良いものだ。

写真は勤労感謝の日の我が朝食。


masatukamoto at 20:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 25, 2015

家内の目が私の目であることは以前にも書いた。
勿論のこと目だけではない。手も足もであり皮膚を通して感じる気温にしても家内が頼りである。
上半身だけがマアマアまともな私の触覚にあたるのが家内というわけ。
紅葉-1
その家内が医院へ行く途中で見つけてくれた『秋』(11/24)である。
道に落ちていたモミジの葉を見つけて携帯電話で撮影、その写真を留守番している私に送ってくれたのだ。
赤や黄に・・・
旬が来れば樹々も色付き、冷たい冬に備えて葉を落とす。
と、先日18日(11月)のことだが、膨らんできていたハイビスカス(鉢植え)の蕾が写真のような大輪の花を咲かせた。
18
うーん。
ハイビスカスと言えば熱帯や亜熱帯の南国の花である。いかに園芸種と言えど紅葉の時期に花を咲かせるとはチョット驚きであった。
まあそれほどに暖かい日が続いているということなのかもしれないとオモフことにした。
が、ぼちぼち家の中に入れてやらないと。

旬ということでは品種の改良や保存技術の向上、或は流通事情の発展により『ものの旬』が分からないという状況が生まれて随分になる。
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上は或る日の夕膳。
家内が所用で出かけて帰りが夕食時になる時、デパ地下で買ってくるものである。
タイとブリは愛媛か高知の養殖ものかな? サーモンはノルウェーからの輸入ものだろうが、これも養殖だろう。わが大好物・クロマグロの天身だが、これも蓄養ものだと思う。出生は地中海(スペイン)かと・・・。
いつでも食べることが出来て美味しいアッタリー!のマグロ(クロorインド)なら天然であれ養殖であれ拘ることはない。
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とまれ6点盛りのお造りで天然ものと推測出来るのはケンサキイカとキビナゴだけということになる。
キビナゴと言えば鹿児島を思い浮かべるが日本中どこででも獲れるのではなかったろうか。、北海道や青森では聞いたことがなかった、かな?
それにしても旬ということでは夏初めの頃だったように思うが。

下はイワシの干物を焼いたものだが、これも保存技術の向上の賜物と言えるものかもしれぬ、ぶっはっはっはっは。
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イワシは鰯とも書くように傷つきやすく腐るのも速い。
しかし輸送に数日もかかる藤原京や平城京へ《『伊委之』『伊和志』》を納めていたという木簡が出土しているというから、7世紀後期には保存方法に何らかの工夫があったのだろう。s-2015-11-05_082614
以前に故・森浩一氏(同志社大教授)の著作『食の体験文化史』(中公文庫)で読んだことがあり、イワシについても書いておられたが保存方法まで記してあったかどうかは記憶にない。
遺跡や遺物の発掘・研究の過程では様々な絵模様や文字と遭遇するが、それらと現代に生きる自分の食との関わりを記した著作で続編と2分冊になっていた。
大阪に生まれて京都住まいの長かった森氏であり、なじみ深く懐かしい物の呼び名が出ていたり食べ物の好みが同じだとか、時は違っても同じ店を訪れているとか、結構楽しく読んだものだった。
書評を書くつもりではないのでこれくらいで。

ちなみに上の写真はイワシの干物。
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私は『丸干し』と書きたいのだが、頭は無くハラワタも無いものなので仕方なく干物とした。
ハラワタを取るのは保存方法のひとつだが、頭とハラワタを取り去って商品としているのは、どうも近頃の人たちの受けが悪いからのような・・・
私は『丸干し』が大好きなのだが。

松山の『坊ちゃん団子』は息子の土産。






masatukamoto at 15:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 24, 2015

深 謝

電話&メールでのお心遣いに恐縮拝謝。
前頁で詳述しなかったため様々にご心配をかけたこと深謝。
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悲しく思えることが次々と沢山。
世界的にはISを名乗る者たちによるテロ行為や米・仏・ソ連などによるイラクやシリアにおける爆撃のこと。
暴力で相手を脅迫屈服させるというテロライズも武をもって武を制するという軍事行動も私には同じことのように思える。
憎悪と復讐の繰り返しで何の解決にもならないと。
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パリ市内のテロ、シナイ半島における旅客機に対するテロなどイスラム教の教えに基づく行為だとISを名乗る者たちは言うが、他の人たちの生きる権利を奪うことを許す神の存在など私には考えられない。

私の宗教観は空爆を行っている国々の指導者たちが信仰する神に対しても同じである。
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哀しみのひとつを例とし、説明を省いて私の思いを端的に書けば上の通りだが、そのほか日本と近隣諸国との関係や沖縄をめぐる政府の姿勢も悲しいことだ。
卑近な例を挙げれば知人が逝ったこと、私自身のリハビリが次々出現する伏兵によって順調に進まないことなど沢山沢山あって全てを挙げきれないし、思いや考えを書ききれないのが正直なところ。
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ゆえに私の思いや考えを『・・・・・』で示したのだった。
改めて深謝。


今年の柿は大きいのばかりだった。
s-2015-11-24_152942早く干した順に柿が黒ずみ飴色に変わって行く。

雨模様の暖かい日がしばらく続いたためか、黒カビが発生したと家内。
アブナイのは取り入れてバーナーで焼き、吊るしてある他の物にはエタノールを噴霧。(したのは勿論家内)
早い目に消毒しておけば良かったのだが思うように行動できない現状では何とも致しようがない。



masatukamoto at 15:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 21, 2015

『・・・・・』

s-s-2015-11-20_212358 - コピー
悲しいことが続く。

・・・・・・・・・・・・・・



masatukamoto at 17:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 13, 2015

立冬のころ(11/8)

黄色い柚子がたわわに実っているのを姉が写真に撮って送ってくれたのが10月21日のことだった。
黄色に色付いた柚子と言えば私は冬至を思い浮かべる。
冬至という言葉から私が発想する連鎖を綴ってみると、s-2015-11-10_133820
冬至・・・・・寒い、柚子、柚子風呂、南瓜、クリスマス、年の瀬、暗い、夜が長い・・・etc。

寒く暗いイメージが強いように思える冬至は12月22日だ。
その冬の始まり、つまり立冬は4日前の11月8日(日曜)だった。 
いよいよサッブイ冬に向かって歩むことになったのだが、10月30日の夜に電気ストーブの火入れを行った私の冬は既に始まっていたのだ。

右上の写真はカボス。 下の写真はユズ。
どちらも家内の友人Sさんが柑橘の香り大好きな私たちに今年も庭に実った物s-2015-11-10_140042だと届けてくれたものだ。
カボスもユズも種とヘタ以外、果汁・皮とも全て余すことなく頂くことになる。
沢山頂いたが冬至まで保存するのは無理なので柚子湯用には別途購入することになるかな。

立冬のこの時期、関西ではあちらこちらの木々の葉の色付きも伝えられている。
昼夜の寒暖差が大きくなってきているので多分綺麗な紅葉が見られるのだろう。s-2015111215490000
以前にも書いたがポーランドではゴールデン・オータムと呼ぶように秋の素晴らしさは黄色が代表する。
しかし日本は黄色のみではなく錦織りなすと例えられるほど様々な色調で秋を見せる。
濃い緑色から緑、黄緑、黄色、それに淡い紅色から唐紅、薄い茶色から深い茶色と色相の幅広く、しかも何日にもわたって色の変化を演出してくれる。
これほどまでに見事な秋を見せてくれる地域は地球広しと言え、そうそうは無い。
気温の低下とともに葉っぱの緑色の素であるクロロフィルが減り黄色い色素のs-2015111216120000カロチノイドが目立ち、赤色色素のアントシアニンが生成されるなーんて化学的説明など必要ない。
美しいものは美しい、綺麗なものは綺麗だと、感じるままに受け止め愛(め)でれば良いのだ。

そして気温が低くなってきた昨日より写真のように家内と共に干し柿づくりを始めた。
我が家に柿の木が植わっているわけではないので渋柿は購入した物だ。
写真は渋柿の一部だが大玉の物。 この柿の皮は剥きやすいが大きく重いので吊るすのに苦労するのだ。 大きいだけに干している期間も長くかかs-2015111313020000り、メジロやヒヨドリに食い荒らされる度合いも必然的に高くなる。

「これはヒヨ、これはメジロって書いて・・・・・」
ぶっはははは。
家内の気持ちも分かる。
鳥たちが字を読めたら良いのだが、むむむむむ。

渋取りのために焼酎と共にビニル袋に封じた物。(写真)

暗いイメージが強い冬だが立冬の今頃は木々の葉も実の色も賑やか多彩で良いものだ。

今朝は6時10分頃に東の空が朝焼けだったから雨の予兆だったかな?
私の定席から日の出の太陽を見ることが出来なくなって1ヶ月が過ぎた。東の稜線が水平ではないから多少のズレはあるものの、ここ数日の日の出時刻は6時44~5分であり、夕刻
5時の外の景色は暗くて見えなくなっている。







masatukamoto at 14:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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