January 2016

January 25, 2016

帰 宅

手術を終えて本日帰宅。
いろいろご心配頂いたこと今は謝すのみ。s-2016-01-25_160247
昨夏の身体状況まで戻すには未だ未だ不安定極まりない状態だが、今後はリハビリを中心とした日常生活をとの医師の言葉もあり、我が家に戻ってきた。
昨7月末以来、ほぼ半年間の体(筋)力の衰えは自分でも呆れるほど惨めなものであり これの取り返し修復にかかる期間と日々の努力は相当長く厳しいものになると思料される。
が、しかし、ヤラネバ・・・・・
足を、ただの一歩さえ動かすことが出来なかったほどの痛みが手術によって解消されたのだ。
最大の障壁を取り除いてもらえたのだから後は何とか、何としてでも・・・・・
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拘束の印のような腕輪も外してもらい自由の身となった。



masatukamoto at 16:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

January 04, 2016

暫くのお休み

頂いた猶予期間は今日まで。
明日は勇躍・・・・・

なーんて言いたいところだが、本音を有体に申せば
『嫌』
の一言。
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でも、イヤを乗り越えないと現状改善の期待も持てない。
と、なれば土井たか子女史じゃないが『やるっきゃない』。
山が動くことを期待して・・・・・

で、今日を限りに当分は本ページの更新もお休みに。



※ 上
の写真のビル群左手に環状線・京橋駅、右手に大阪城公園駅がある。

大阪城天守閣と大阪城ホール(円形屋根)、晴れていれば写真後方に生駒山系が連なって見えるのだ。



masatukamoto at 15:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

雑煮から・・・

我が家の雑煮は元日は白味噌雑煮。
正月二日は水菜を入れたすまし汁の雑煮。s-2016-01-04_105406
この流れは私が子どもの頃から、ほぼずうーっと毎年変わることなく繰り返してきたことだ。
基本的に正月は家族で祝うもの、又そうありたいと願う心から元日は我が家にいるように努めてきた。

しかし異なる正月があったことも記憶にはある。
年末から正月にかけて下北半島、津軽海峡に面した下風呂温泉の旅館で過ごした時だった。
井上 靖が『海峡』を執筆した宿で、その部屋でのことだった。
s-2016-01-04_143130正月のことで他に泊まり客もいず、のんびりさせてもらったが北国のサッブイ冬を経験させてもらったのだった。
母親が亡くなって後だったから多分昭和40年だったと思う。38豪雪ほどではなかったらしいが、この時も積雪量多く私の乗った列車は4時間を超える大延着。青森駅に到着した時は日付が翌日に変わっていた。
ごった返す駅構内で某旅館の番頭と宿泊の契約。背丈を超える雪壁の通路s-2016-01-04_141057を宿まで案内されるままに歩いたのだった。
明くる朝、陽光が眩しいガラス戸を開けると雪原が広がっていたが、私の部屋は
2階だったのだ。
ところが下風呂あたりに積雪無く、未舗装の道路はコンクリートで舗装されたようにカチンコチンに凍てつき、粉雪状の白いものは地吹雪の如く地面を走っていた。
同じ青森でありながら随分の違いがあるものだと思ったものだった。

それと、2012年から2013年にかけては正月も含めて病院にいたのでお雑煮すまし雑煮どころかお餅を食べさせてはもらえなかった。

今回は年末から正月三が日を我が家で過ごさせてもらう猶予を頂いたので、大晦日には出雲の蕎麦を頂き、正月には寿司屋の大将 I 氏のお節料理に家内の餅雑煮などを頂き大変嬉しい思いをさせてもらった。
ちなみに今年は三が日とも白味噌雑煮を頂き、今日4日に写真のすまし雑煮を頂いた。
(昨日も本日もアルコールは断。明日からも・・・・・いつまでになるかなあ)


masatukamoto at 14:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

January 03, 2016

粕 汁

雑煮のことを書いたが、汁物として私は『かす汁』が好きだ。s-2016-01-02_075443
母親は私のために『かす汁』を作ってくれたが父親はそれを食べなかった。 以前にも書いたことがあるかもしれない。
母親はビールをコップに
2杯程度は飲めていたようだ。 ようだと言うのは法事などの場で母親が勧められるままにビールを飲む様子を見たことがあるというだけのこと。 父親が全くお酒を飲めなかったので母親も酒を飲むことは無かったのだ。
お酒の酔いが明くる日に残ると二日酔いと言うが、お酒を全く飲めなかった父親s-2016-01-03_162648は奈良漬ひと切れで三日酔いだったから『かす汁』も食べることが出来なかったのだ。
父親は食べることが出来なかったけど、母親はこんな食べ物があるのだと私に教えてくれたのだろうと思う。
それが私には美味しく思え、寒い時期になると私は母親に『かす汁』を作って欲しいとよくねだったのだった。

今は家内が『かす汁』を作ってくれるが、母親が作ってくれていた味に似てきた。
母親は大根や人参のほかコロを入れて作ってくれていたが、鯨の漁獲量が激減s-2016-01-03_163039状況の現在、コロは高価な食材となり私の口に入ることは殆ど無くなってしまった。
家内は鮭を入れて作ってくれるが、これもなかなか美味しいものだ。
私は豚肉なども美味しいのではと思うが未だ味わったことは無い(と思う)。

新酒の出来る時期だ。
s-2015-12-23_124641搾った後の酒粕も大量に出る。
昨年末、好んで飲んでいる『蔵人の詩』を造る中本酒造店の酒粕を仕入れた。
発酵状態にあるのでフリーザーで眠らせているが、原料から製品までトータルに味わっているのだ。
何とも贅沢なことだ。
でも、ウマイ。




masatukamoto at 20:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

今年のお重

今年も穏やかな日和の元日を迎えさせてもらった。
若い頃はアレやコレやと家内が頑張ってお節料理を作ったものだった。
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お魚など生ものやお酒の肴になるものは私が作ったのだった。
しかし二人で祝う正月のためにお節料理を作るのも面倒で、このところは毎年外注することにしている。
綺麗に飾られたお重を大晦日に届けてもらうので、お重に盛られていないものや量的に追加したいものだけを別途用意することにしているのだ。
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例年寿司屋の大将 I 氏にお願いしているのだが昨年は祇園の某料理屋のお重を頂いたのだった。
今年はまた I 氏にお願いした。
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私が両親から伝え教えてもらった元日のお雑煮は白味噌雑煮である。
丸餅をいろんな具材と共に煮るのだが、雑煮に入れる具材を語呂合わせのように口ずさんでいた記憶があるのだが忘れてしまった。
確か『だいだい・まめに働き・・・』とか何とか。
忘れはしたけど、家内が作るお雑煮の具材もほぼ同じものが入っていると思う。
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豆腐、大根、人参、里芋、青ねぎ、柚子、もちろん丸餅が入ることは言うまでも無い。
大和(奈良)が出身の父親は、お椀に入っている柔らかいお餅を砂糖を混ぜた黄な粉の入ったお皿に取り出し、安倍川餅のようにして食べていた。
大和の一部地域の伝統的な食べ方のようだが、この食べ方について私は今も父親には反抗している。



masatukamoto at 18:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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