February 2016

February 29, 2016

入院あれこれ 《5》

入院患者が検査や治療のために一定時間を費やすのは当然だが、そうしたこと以外での時間が入院生活では結構長いのだ。
もっとも長いのは睡眠時間だが、昔とは違ってベッドを含めて寝具も結構良いものが提供されている。しかし睡s-2016-02-22_094552眠を楽しむというのは・・・
病院ではナイナイ。

入院を受け入れる施設側が提供するもので患者が最も楽しみとするもの、それは食事ではなかろうか。
好きな物を好きなだけ食べることの出来ない立場の入院患者にとって、三度の食事は食いしん坊の私でなくとも当然楽しみの筆頭に挙げられるものと思う。
3年前の入院時、正月料理の工夫に驚きと喜びs-2016-02-22_094943を感じたことを書いた。
今回は正月三が日を明けての入院だったので正月料理を頂くことは出来なかったが、成人の日(1月11日)の料理を頂くことができた。
朝食の例として2枚の写真を挙げたが、主食は食パンとバターロールが交互に、副菜とデザートは日替わりで提供される。フルーツはバs-2016022919340000ナナ、キウイ、オレンジが代わる代わるで。牛乳とバターは毎回提供される。(黒っぽいカップは自分で淹れたコーヒー。インスタントだがNESCAFEはレギュラーソリュブルだと言っている。私にとってはウマイことが大切で呼称は二の次なのだが。)

下が成人の日(1月11日)の夕食で、松花堂の容器のようなものに盛られた料理は見栄えも良くて何だか特別な日の食事だと感じるものだった。
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1日3食、これが月間30日分日々献立が変わるのだが、変わるというのは料理に用いる原材料の仕入れも変わるわけで、季節感、栄養素、原価、手間と献立とトータルにアタマを使わねばならない。s-2016-02-22_114815
しかも調理については病院食として摂取カロリーはもとより調味料の加減など使用・不使用だけでなく使用する量についてもミリグラム単位まで考慮しなければならない。
ここまでの仕事をこなす管理栄養士。
私に言わせれば『スゴーイ』の一言だ。
s-2016-02-22_125406一度も会ったことはないが敬意と感謝の意を表しておきたい。

給食の写真は極一部だが、それぞれに工夫をこらしていることが感じられるものなので紹介しておこう。
入院患者は何にしても好きな時に好きな場所で好きな物を好きなだけ食べるこs-2016-02-22_130230とは出来ないし、通常は病院内での行動のみで、テレビなどのメディアから得る情報以外に外界との接触が無いのが普通である。
病院食はそうした入院患者の不足感を補充したり情報を補完したりといった、目立ちはしない縁の下の力持ちといった役割をも果たしているのだと私は考えているs-2016-02-22_131606のだ。

病院食は入院患者の栄養管理面だけでなく精神的安定面でも寄与していると、これは私の捉え方だが紹介してみた。
病院において安全で安定、そして安心という言葉は単に言葉上だけでなく実践上の『必須要項』である。
病院食がその一翼を担っていることは私の考えも入れて紹介したが、入院患者と直接的に密に関わるのが看護師であり、次回看護師たちについて少しだけ触れることにしよう。





masatukamoto at 21:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

入院あれこれ 《4》

《つづく》と書いておきながら早1週間が過ぎて今日は
2月29日。
今年は閏年なので2月が28日でなく1日多い29日になる。s-2016011407540000
1年を365日と計算すると1年あたり0.25日程度を切り捨てることになるので4年に一度調整の為、2月の日数に1日分を加えているのだ。

《我が病室冷蔵庫・常備の大好物イチゴ》

暦のことなどすっかり忘れていたが、病室には大学のカレンダーが吊るされ、2月は確かに29日までと表示されていた。
s-2016011215510000入院中、このカレンダーのマグロと『にらめっこ』をしていたことも楽しみのひとつだったことを思い出す。
海の中を泳ぐマグロが写真のように愛嬌のある目つきをするなんて。
多分このポスターを制作したイラストレーターの『いちびり』と言うか、いたずら心が生んだものだろう。
マグロ大学と言われているとポスターには書かれていたが私は聞いたことがない。s-2016012307390000
勿論近大水産研究所がマグロ養殖を行ってきていることも、卵から成魚への完全養殖に成功したことも知ってはいる。
もう20数年も前のことだが、某寿司店の主人が近大の養殖マグロを食べてくれないかと、言わば試食品として提供されたことがあった。
マグロの体全体を見たわけではないが、せいぜい3~40㎏程度の小ぶりなものだったと思うのだ。
しかし背も腹も全身がトロで私が好んで食べる味わいとはちょっと違うと主人に感想を話したことがあった。
寿司店の主人も関係者?から感想をと頼まれたようだったから、当時の蓄養マグロを市場へ出すための調査を水産研と出荷契約企業で行っていたのかもしれなs-2016011215510002い。
マグロ大好きな私だが、全身トロだという記憶が残る私は以来近大マグロを食べてはいない。

1・2月を一面に印刷したカレンダーはマグロと赤井英和氏が載っていた。

病室でのマグロとの『にらめっこ』など予想だにしなかったことだが、ベッドに寝転ぶ私をジッと見つめるマグロは可愛くって可愛くって、何だかついつい『にらめっこ』という具合になっていた。
この『にらめっこ』という楽しみの他、USBレコーダーや文庫本の持ち込みなどは、退屈な入院生活の時間を少しでも紛らわせるために患者の私が用意したことである。
《また、つづく》


masatukamoto at 14:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

February 21, 2016

入院あれこれ (3)

前回の入院は胴腹部全体の激痛と下半身の麻痺により歩くどころか這うことも出来ない状況においての緊急入院であった。
この時の痛みを説明するのは難しい。 が、敢えて言うなら胃や腸などの代わりにイガグリをいっぱい詰めs-2016-02-03_063554込まれた状態であったような。 ほんの1mm体を動かすだけでも強烈な痛みが脳天を衝き、呼吸することさへ拒否したい気分でいたのだ。
だから救急車で搬送してもらっている間も、病院で痛みの原因を特定するための諸検査を受ける間も常に針の筵(むしろ)の上を転がされている気分であった。
MRIの検査台に横たわるまでが我慢の限界であったような・・・・・
s-2016012805550000その後は気絶していたのかもしれない。 

しかし今回は病因が特定し、その手術を受けるための入院であり、気持ちの面での踏ん切りを少しばかり残してはいたものの入院生活の準備に怠りはなかった。 
入院生活の準備で考えるべき第一は病室での時間の過ごし方である。s-2016022012580000
日々の治療や検査に要する時間と食事や洗面の時間の他、大半は入院患者が自由に出来る時間である。(病気の種類や治療経過により異なるが)

病室にはテレビが備え付けられているが私はテレビを見ることが余り好きじゃないので本とUSBレコーダーを準備しておいた。
ベッドで横になって読める本だから軽くて持ちやすい文庫本をと上原 和 氏の聖徳太子論と池田弥三郎氏 の日本故事物語を、そして音楽についてはブッフベルガー四重奏団が演奏するハイドン弦楽四重奏曲全集を録音したUSBレコーダーを持ち込んだ。
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日当たりの良い病室で読書するには最適だったのだが、思惑が少し外れたのが文庫本の活字の小ささ。
老眼鏡の世話になり始めて20数年になるが、最近は眼鏡をかけた上に天眼鏡を使用することもままある。 このことを失念していた。
だから読み進めるスピードは遅いし、肩が凝った凝った。
14-1そんなわけで家内に月刊の漢字ナンクロ雑誌を買ってきてもらい、これを解くことで結構楽しむ時間を持てたのだった。
入院生活というのは楽しみが少ないのがアタリマエ。
スムースな治療・治癒が目的となる生活なのだから入院患者は勿論、受け入れる病院側も医療行為とそれに関連する様々な環境条件を整備していくことが必要だと私は思っているのだが・・・・・
《つづく》



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February 15, 2016

がんばらねば (退院後)

退院してより20日を過ぎたが、この間『無理はしない、しかし鍛錬は欠かさない』ことを日々の目標の第一として過ごしてきた。s-2016-02-15_144321
手術を受ける直前1ヶ月半は車椅子が無ければ自宅内の移動すら出来ないほど酷い痛みを感じていた足腰であった。
それが今は腰や背筋を伸ばして立つことが出来るし、不安定ながらも歩行訓練を再開出来るまでになった。
両手に杖は未だ未だ必要な状況だが車椅子を使わなくとも室内(1階部分だけ)の移動が可能s-2016020807370000となったことは有難いことだ。
現況を簡単に書いたが回復の速度は以前同様遅々としている。しかし再び回復への道を歩み始めていることを実感しており、この感覚を更に確かなものにしていきたいと思っているところだ。
継続は力であり、実践あるのみとの思いを新たにしている。

歩きたいのに歩けない、行きたい所があるのに行けない。
これは私にとっては大変辛いことだが、そんな辛さに負けず克服してきている人たちが世の中には沢山いることを私は知っている。
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以前シベリウスの音楽に関わって紹介したフィンランドで活躍中のピアニスト・舘野 泉 氏。
彼は脳溢血の後遺症により右手が不自由となったが左手での演奏活動を続けている。s-2016-02-15_144006
体のある機能が不能になったり衰えたりすると他の器官がそれの代替作用をするようになる場合もあることを私も知ってはいる。
しかし、それは簡単に置換出来ない極度に困難な過程と長い修練の期間を経なければならないことも私は知っている。

左手のみの演奏という点では最近買ったCDがある。
s-2016021020150000ニコラス・マッカーシー
(Nicholas McCarthy)の
ソロ~左手のためのピアノ編曲集』だ。
1989年生まれだから日本では平成元年、今年27歳になる彼は生まれつき右腕が無く、左手のみのピアニストとして英国王立音楽院を卒業後世界各地で演奏活動を行っている。
彼は今月初めに来日、東京の小学校を訪問してピアノ演奏を行い、彼の生き方における真の柱とも言うべき言葉を語ったのだと。

『 Anything is possible 』 

震災・津波による甚大な被害を受けた東北地方の人たちの復興の意気込みにも相通じる言葉だ。
2011/3/11・・・・・・もう直ぐ5年になる。
 


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February 14, 2016

入院あれこれ (2)

年末から年始の猶予期間?が過ぎ、家内に付き添ってもらって入院患者の身となった。
今回の病室は以前入院していた時の部屋の直ぐ近くで、当時いろいろ世話になったナースたちの多くが移動なく仕事を続けていたことも分かり、入院・手術という事態を前に不安だった気分も少し和らいだように感じたのO後-Aだった。
いかに剛直豪胆な人であっても手術を受けるとなれば少しの不安は感じるものだと私は思うが、果たして如何であろうか。 
手術は切る者と切られる者という関係により成り立っている。 私の心臓が蚤ほどに小さいとは思っていないが、切られることに対する不安は大きいものがあった。
前回、病因を特定できない状況下で助けてくれた中西Drに対する信頼は厚いものがある。 しかし手術というのは人間が行うもので作用を受ける私自身も含め『絶対』ということはあり得ないのである。
中西Drも整形外科医も病因は明らかだしそれに対する手術も簡単なものだと語っていたが、切ることを専門とする外科医と、そうしたこととは無縁の暮らしをしている私とでは若干埋めがたい溝があったことは確かだ。O後-B
それでも猶手術を受ける決断をしたのは強烈な痛みの除去と健常な時の機能回復を早くにしたいという願いが強かったからに他ない。
だから『しゃあない』という或る種諦観めいた思いもない交ぜに、手術を受けるという最後の最後の決断をしたのは、手術室に運ばれ麻酔医が太い針を腕の血管に刺し込んだ瞬間であった。

この後どれくらいの時間が・・・と思うほどもなく眠りに落ちてしまった。

だから簡単な手術が、どのように簡単だったのか、私には何も分からない。

微かな記憶は手術室を出る時に我が名前を呼ばれたことと、手術室を出たところで家内と義姉が声を掛けてくれたような・・・・・
ともかく手術後は病室で何とも無様な恰好で横たわっていたのだ。
目に見えるものは分かるが、背中の方は分からない。脊椎ドレーンによって髄液コントロールがされていたのだろう。麻酔下でなければ腰椎間に針が刺されるなどトンデモナイコトダ。
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しかし手術の結果だが、上の画像の通り圧迫していた部分は除圧解放されていることが分かる。 見やすくするため少しばかり部分的に強調してはいるが・・・。
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術後経過順調で最後となった作業が切開縫合部分の抜糸であった。 ところがナースが言うには、今は抜糸ではなく抜針なんだと。
現在は医療用のホッチキスがあり、傷口の縫合をホッチキスで止めているというのだ。
右の写真の通り、縫合糸ではなく金属色をしたホッチキスの針である。
多分前回の手術時も同じ金属針で縫合してあったのだろうが、背中のことで私には分からなかったのだ。それより何より寝たきりか車椅子生活になると言われていたものだから切開部の縫合が何であろうと関心すら無かったというのが正直なところだ。
下の写真は中西Drがホッチキス針を抜いてくれた後の傷痕だが、家内が携帯で写真を撮ってく2016-02-13_175453れたので我が目でも確認出来たのだ。
ホッチキスの針で止めてあるのだとナースから聞いてはいたが、中西Drがピンセット状の道具でピンを抜いて金属皿に入れる度、コチンと音がするので 「やっぱり金属製の針なんだ。」 と。
しかし、どんなものか興味が湧いたので中西Drに見せてもらったが、ほんまにホッチキスの針だったので驚きと感心。
ただただ
『ふーーん』。

ともかくも手術をきちんとやり遂げてくれた中西Drには感謝するばかりである。


masatukamoto at 20:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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