March 2016

March 31, 2016

年度末・・・

3月30日、31日。
今年度の晦日、大晦日と言ったところだろうか。 明日から新年度が始まるのだ。s-DSCF6748
1月2月3月と新しい年も
『いつの間に?』
と思うほど速くに三ヶ月が過ぎてしまった。
2度目の手術を受けたのが1月初めだから、それ以来ほぼ3ヶ月。 未だ自分が願うほどの歩行状態の回復には至っていない。
転倒しないように、膝関節を痛めないようにと医師から注意を受けている。
筋肉や腱は僅かずつだが確実に回復してきている。しかし回復の道のりは長いから焦らず無理しないことが大事だと言われているのだ。s-DSCF6750
事実頑張り過ぎた結果膝関節などに痛みが生じ、止む無く訓練を中止せざるを得なかったことが度々あった。
のんびり、ゆるゆるをリハビリの指針にしているのだが、
分かっちゃいるけど・・・・・
月日の経つのは本に速いもので、うーーーん。

昨朝も今朝もMidori女史が奏でるヴァイオリンの音曲を楽しんだ。
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昨日の朝は写真のような日の出を見ることが出来たが、今朝は雲に隠れて見ることが出来ず残念だった。
私が日の出に関心を持つのは天体の動きに興味があるだけではなく、空の色が徐々に変化し始め、やがて日の出の瞬間が訪れた時、何とも表現し難い不思議な感覚が胸の奥底からふつふつ湧いてくるからでもあるのs-DSCF6754だ。
この感覚は古代人が太陽を信仰の対象として畏れ崇めたことに近いように思うし、太陽に向かって自然と手を合わせる人たちの気持ちとも相通ずるような気もしているのだ。

もっとも日の出の位置が夏至《6/21》に向かって北へ北へと移動し、日の出時刻もどんどん早くなっていくため、私の定席は朝早くから眩しい上に暑い時間も長くなるのでシンドイ思いも強くはなるのだが、やはり曇り空よりも晴天で素敵な日の出を見れる方が良い。
新年度、第一日目の朝はどうなるだろうか。


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March 30, 2016

またまた小っちゃいお客

28日、H君が春休みに入ったことと、母親 M が辛いツワリの時期を過ぎ安定期に入ったこともあり、久し振りに二人で我が家を訪れてくれた。s-2016-03-12_131414
玄関まで迎えに出た家内には、
「おばあちゃん、H、来たよ。」とH君が言ったのだとか。
動けないので定席に座っていた私には、部屋に入ってくるなりニコニコ笑顔で「おじいちゃん、こんにちは。」と。

昨年来てくれた時のH君はブドウ(デラウェア)を抱え込んで食べていたが今はブドウの時期でs-2016-03-29_085658はないのでミカン(デコポン&せとか)を用意しておいてあげた。
我が家へ来るには電車やバスを乗り継いで片道2時間と少し。 やや膨らみが分かるお腹になり階段の昇り降りが苦痛になり始めたと語っていた M が未だ幼い H を連れて来るのだ。
しっかりしてきたように見えても、やっと年中組を終えたところだから体力的には未だまだ。
そんな H君だが私たちを『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼んでくれる。
いきおい何かで持て成してやらねばと思うが限られた時間である。
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昨年夏のブドウのことは書いたが、握り寿司の玉子焼きを好んで食べていたことも覚えていたので H君が特に好きな寿司は何かを家内が母親 M に問うた。
その返事がイクラにマグロだったので別途注文したのだが、玉子焼きが入って無かったので再度家内に尋ねさs-2016-03-29_101045せたところ玉子焼きも要るとのことで追加注文したのだった。
後に M が語ったところ、家内から尋ねられてイクラとマグロは伝えたが玉子焼きは大概入っているだろうと思って言わなかったのだそうな。
それで家内からの問いに対し、玉子焼きも H の好物だから加えて欲しいと答えたところ、s-2016-03-29_093142そばにいた H君が「ああ良かった。」とつぶやいたそうな。

玉子焼きも海老も H の口には大き過ぎて一口では食べきれずにいたが、好きな物ゆえムシャムシャ喜んで食べていた。 この喜ぶ H の姿を見てジジ&ババは嬉しく思っていたのだ。

好物だというイクラは山盛りになっていたが、H は盛られたイクラのみを食べ、海苔で巻かれたシャリ部分は母親に回していた。
s-2016-03-29_090326何と・・・、ちょっと我がまま気ままな面を垣間見たような・・・・・

握り寿司大好きという H の好みのひとつがマグロなのだが、この日 H がイメージするマグロが入ってなかった。
H がイメージするマグロはクロやミナミ、メバチの赤色をした背身(天身)であり、これについては残念だったけど次回に楽しみを持ち越すことに。

家内が用意しておいたプレゼントが写真のもの。s-2016-03-29_110119
いろんな形のタイルを組み合わせて課題の形づくりに挑むのだが、興味を持ったのか随分熱心に取り組んでいた。

私の退院祝いなどメールひとつで十分なのに遠路訪ねてくれたことに感謝。
入院前には「がんばってや」と励ましの言葉と絵を送ってくれた H君。
M が出産を控えているので、今度来てくれるのは随分先のことになるだろうが、また元気な顔を見せてほしいものだ。







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March 29, 2016

朝の様子

近頃の朝は暖かい・・・
かと言って暖房を効かせないと足元が寒いというのが実感である。
最近早朝コンサートを再開していることは先日に書いた。s-2016-03-28_110713
素敵な音楽に耳を傾けていると窓の外、向こうに見える山並みの
上に広がる空の濃いオレンジ色が徐々に徐々に白っぽく変化し、明るさを増して行くのがよく分かるのだ。
その良き音だが、ここのところ
五嶋みどり女史のヴァイオリンの音色を楽しんでいる。
そのコンサートの最中に日の出を迎えるのだが、毎日毎日その瞬間が確かめられるわけではない。
雨天や曇りの日には日の出は望めないし、お天気が良くても日の出の時点に雲が多ければ日の出を見ることは出来ない。
下は日の出時の様子を比較できるよう近頃の写真を並べてみたものだ。
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日の出時刻が少しずつ早くなるのに連れて、太陽が顔を出す位置も左へ左へ移動していることが分かる。
写真での左は北方向を指す。
この日の出位置が秋から冬の間、私の定位置(定席)からは見ることが出来なかったため、上の3枚の写真は窓ガラスに接して撮影したのだ。
ところが3月28日(月曜)の朝、下の写真のように私の定席から日の出の瞬間を見ることが出来るようになったのだ。
日の出比較-A
雲が東の空に広がっている状況だったため太陽は赤く輪郭もはっきり見えた。
いつも通り窓ガラスに固定して撮影したのだが、今日は我が定席からも日の出を見ることが出来ると感じたので、改めて我が席より撮影したのがカーテン越しの写真で時刻も1分のズレが出ている。

ところで3月26日(土曜)、日の出時の写真を撮影していた時、1羽の鳥が北西方向に飛んで行くのが目に入ったのだった。
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撮影出来るかどうか自信はなかったが、取りあえず撮ってみたのが上の写真。
この時は携帯電話の撮影機能を用いたのだが、先ず先ずの映像のように思った。
羽根の色や飛んでいる姿から多分アオサギかと思ったのだが、これはワカラン。
肉眼では撮った写真以上に鮮明な鳥の姿を見たのだが・・・・・・
2016-03-26_102451
ぜったいアオサギとは言い切れないが、多分、多分確か、だろうとオモフのだ。
写真は此の程度だったが、我が目はもっともっと精度高く捉え、記憶もしっかりしたものだったのだが・・・・・








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March 23, 2016

小っちゃな訪問客

日の出を見ることは出来なかったが天気は回復傾向にあって穏やかな日差しの一日となった春分の日、久し振りに小っちゃな訪問客が来てくれた。
H-Bocashi
「退院おめでとうございます。お花です。」

そう言って花束をくれたは T ちゃん。
母親 R子 に教えてもらったのだろうが、緊張しながらもハッキリ語る T ちゃんの言葉に随分の成長を感じることがA出来たジイジイは、「ありがとう。後で写真に撮らせてね。」と言うのがやっと。
しばらく会わなかったが、お姉ちゃんを自覚し始めてきたのだろう。

弟の K 君はイマイチ事情が分からないまま母親の手を握って離さない。
K 君と声を掛けると母親の膝に顔をうずめてしまう。
B慣れぬ場所へ来て恥ずかしいのだろう。
この K 君が新築なった家に引っ越して間もなく、2階への階段から転げ落ちるほどのわんぱく坊主であるなど想像もつかないほどだった。s-2016-03-21_195543

Y 氏一家は昨年末以降何度か我が家を訪問してくれることになっていたのだが、家内の風邪ひきなど体調不良や彼らも正月休みには双方の実家へ年始挨拶に行かねばならぬ忙しい時期であった上、私が正月三ヶ日明けには入院することが決まっていたことなど何やかやで延び延びになっていたのだ。
そんなわけで春分の日に家族そろって来てくれたのだ。
G
ここ2、3日、各地から開花宣言なるものが発せられている。
我が家玄関に活けている桜はぼちぼち散り初めの時期なのだが・・・・・

ともかく3ヶ月遅れながら正月の祝い、我が退院祝い、その他もろもろを祝う宴席を開いたのだ。
C
そのため、それとなく電車で来るように我が心を R子 に伝えておいた。 亭主の M 君も嫁の R子 も少しばかりお酒のお付き合いをしてくれるので、私にとってはそうした点でも嬉しい客なのだ。

我が家の宴は寿司屋の大将 氏に頼むことが殆ど。
F私自身が寿司や魚が好きだということもあるが、何やかや少々の無理を言っても聞き入れてくれるし、特段言わずとも季節の物を私の好みも踏まえた上で調理提供してくれるので私にとってはアリガタイ有難い存在なのだ。そんな訳で今回も大将の料理で Y 氏一家との宴を楽しんだのだ。
D
春、産卵時期となるホタルイカ(刺身と茹で)、桜鯛、コノシロ(大)。
少し小さいけれどガッチョ(てんこち・メゴチ)の唐揚げ。ぼちぼち最終時期になるが寒サバの刺身。そのほかヒラメを中心に剣先イカやタコなど、私の好きなものがタップリ盛られていた。
ワカメと筍を煮た若竹まで春春春々春いっぱいであった。
桜鯛塩蒸し-11
春イッパイと言えば退院祝いとして Y 氏夫妻に頂いた桜鯛の塩蒸しも春の代表と言える。
真鯛が春の産卵期になると沖合から浅瀬の方へ移動してくるが、この時の鯛を乗っ込みの桜鯛と呼んでいる。
つまり産卵前の脂の乗った鯛のことで一段とウマイのだ。
桜鯛酒蒸し-12
写真は頂戴した岡山産の塩蒸し桜鯛だが、これは初めてのものだ。
子どもの頃、明石(兵庫県)だったか鞆の浦(広島県・福山)だったか笠(伝八笠)で挟み包んだ鯛の浜焼きを頂いs-2016-03-21_195727たことがあった。 これは塩蒸しではなく塩焼きの鯛だったが忘れていた記憶が少しだけよみがえってきた。

私の病気による障害が完全に回復したわけではないので、快気についても退院についても内祝いといったことは未だしていない。 
なのに Y 氏一家には我が家に来て頂き、T ちゃんには花束まで頂き退院を祝ってもらった。
E何と有難く嬉しいことか。
大将 氏にも常々気遣ってもらっている。
なかなか感謝の気持ちを伝えきれずにいるのだが、この場で一言記しておくことにしたい。








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March 20, 2016

一喜一憂

喜びに対する憂い。
この二つの言葉は意味として対極にあり、互いの言葉の反対語(対義語)と呼ばれている。s-2016-03-18_085423
今日、春分の日が彼岸の中日であり、彼岸の対極にあるのが此岸(しがん)であると先日にも触れた。
つまり煩悩満つる此の世の岸に対し阿弥陀仏が住まう悟りの世界である彼の岸と、こちら側と向こう側というように正反対の関係を示しているのだ。

テーマに掲げた一喜一憂という言葉に関連して思い出すのは木下恵介監督の『喜びも悲しみも幾年月』という映画である。
s-2016-03-18_085812戦前から戦後にかけ各地の灯台を守るという仕事に生きた夫婦の生き様を描いたものだが、灯台守の夫役が佐田啓二、その女房役が高峰秀子であった。

『喜:憂』も『喜:悲』も、どちらも正反対の意味を持つ言葉だが、どちらか片方の言葉が無ければ対極にある言葉は意味を成さず言葉の存在そのものが否定される。
よく例えられる上下とか左右などと同じことである。
英語では正反対を『opposite』と言い、アパジットと発音するが、中学生の頃だったろうか、オッポサイトと読んで指導を受けた覚えがある。

『喜びも悲しみも幾年月』という映画、山本有三の作品『路傍の石』や井上靖の『あすなろ物語』、槇有恒氏らが登頂に成功したマナスルの記録映画など、人としての生き方に大きい影響を受けたことを派生的に思い出す。
発達心理学上の児童期から青年期へ移る11~13歳頃のことだったような。
日の出6時23分
一喜一憂とのテーマで書き始めたので直近の喜びと憂いに触れておこう。
喜びは木曜日(17日)のこと。
昨年7月末以来、足や腰の痛みが続いたため屋外での歩行訓練が出来なかった。 その結果として今年の正月三ヶ日を明けての入院手術となったのだったが、まったくほぼ8ヶ月ぶりに S ・OTの伴歩で戸外を歩いたのだ。
伴歩という言葉があるのかどうか知らないが、伴走という言葉があるので使ってみた。 
s-2016-03-18_070230
勿論走るなんてことは今の私には出来ないことだし、昨年
7月に歩いていた距離の6分の1程度を歩いた所で帰ることが出来るかどうか心配しなければならないほどの疲れを感じたのだった。
それでも戸外を自分の足で歩けたという喜びはとても大きいものであった。
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ところが一転して憂いになるが、これは明くる日の金曜日のこと。
前日は天気穏やかで歩行の調子も良かった。そして金曜日の天気も良かったので、" やってやろうう " という意気に燃え、Y ・PTに伴歩を頼んで出かけた。s-2016-02-17_152910
前日歩いたコースの折り返し点の先に続く下り坂に少しだけ挑戦しようと歩みだして2~3歩の所で左膝に痛みが。
両手に杖を持っているので倒れることはなく反射的に体を支えることは出来たが、Y ・PTは驚いたことと思う。
Y ・PTに申し訳ないという思いと、昨年夏以降、時に発した痛みと同じ感じが同じ部位に発したことに私はショックを受けたのだ。
原因が明確なれば良いのだが、これについては不明確ゆえ気分晴れずに憂う感強く、一喜一憂しs-2016-03-21_094002ているというわけだ。

ともあれ春分の日の今朝は昨・雨空の雲が厚く日の出を見ることは出来なかった。
そのためというわけではないが、17日と18日の日の出を見ることが出来たので写真に撮っておいたので掲載することに。 我が町に於ける、ほs-2016-03-21_070717ぼ春分点に近い日の出の位置と時刻となる。

そうそう、このところ早朝コンサートを楽しみ始めているのだが、今朝は『五嶋みどり』の作品集からパガニーニの『24の奇想曲』(Paganini: 24 Caprices)の一部を聴いた。
文句なく素敵である。


masatukamoto at 11:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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