August 2016

August 31, 2016

出た出た・・・

『出た出た・・・』との語りに続く言葉と言えば、『お化け or 幽霊』、或は『月が、』が多いかな?
石炭産業が盛んだった私の子ども時代には
『 ♪ 月が出た出た~月が出た~ヨイヨイ』
という(三池)炭坑節が盆踊りの曲であった。 
しかし出たのが朝のことなら『お化け』や『月』ではピッタリ来ない。
テーマに掲げた『出た出た・・・』のは今朝の日の出。
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雲ひとつない綺麗な青空に、見事だった。(左右色調の異なりは網戸の有無)
将に台風一過の空だが、東北・北海道では台風被害が広がっているとのこと、お見舞い申し上げる。
多分空気は乾燥、気温はグングン上がることだろう。
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買い物、郵便局に薬局と一度に用事を済まそうと出かけた家内だがお昼過ぎには帰って来るだろう。日射のきつい中の外出だから・・・
私の足がもう少ししっかりしてくれれば車の運転も大丈夫なのだが今は未だ留守番だ。
今朝から何度も休憩をはさみながらだがヴェルディの『イル・トロヴァトーレ』を聴いている。
ミラノ・スカラ座でのトゥリオ・セラフィン(Tullio Serafin・写真)指揮(1962年録音)のもの。彼はスカラ座やローマ歌劇場の音楽監督も務めたイタリアの大指揮者だが1968年、9
トゥリオ・セラフィン0歳で亡くなっている。
歌い手は吟遊詩人でもある騎士・マンリーコ役をカルロ・ベルゴンツィ
(Carlo Bergonzi、テノール)。恋人でアラゴン王妃の美しい女官・レオノーラ役はフィオレンツァ・コッソット
(Fiorenza Cossotto、ソプラノ)。レオノーラに想いを寄せるルーナ伯爵はエットレ・バスティアニーニ(Ettore Bastianini、バリトン)が務めている。
フィオレンツァ・コッソット
それぞれ素晴らしい歌い手さんだがフィオレンツァ・コッソット女史(81歳)のみが存命だ。美しいのは歌声だけではないようだ。




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August 30, 2016

今朝のこと

今朝の日の出は見ることが出来ないだろうと予想していることを書いた。
午前4時40分の時点で東の空は真っ暗であった。 それが5時過ぎになると黒い雲の間に僅かだが白い部分が現れ始め、時間の経過とと共に黒い雲の上空に青空が広がっていった。
今日だと東側に位置する山並みから太陽が顔を出すのは凡そ5時45分くらいなのだが、下の写真の通り稜線と平行するように黒い雲が広がっているため日の出は
の写真の通り
6時2分となった。

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これを日の出とは言えないが、太陽が顔を見せたのは確かなことで輪郭を確かめ得ないほどに眩しく輝いていた。 これを日の出とするなら、このような日の出は多分6月中旬に見て以来ではなかったろうか。
地平線上に綺麗に顔を出し、水蒸気でぼやけない日の出はほんに珍しい。 もっとも日の出時にはボケていても日中はカンカン照りという日が多かった。





masatukamoto at 12:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

此の頃のこと

27、28、29日と3日間連続でカメラを触っていないが今朝も同じになるだろう。
日の出前ほぼ1時間、ただ今の時刻は午前4時40分。 東の空は未だ真っ暗。 夜中2時を過ぎても雨音が聞こえていたから今朝も日の出を撮影することは出来ないと思うのだ。
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そんな夜明け前の今、デュ・プレの演奏を楽しんでいる。

このところ膝に痛みが出ていないことに加え足踏み運動をしている時の安定度、つまり立位姿勢の保持が出来てきていることを感じて嬉しく思っているのだ。
勿論元気でいた頃に比べれば『雲泥の差』で、4年前の頃をゼロとするなら未だマイナス
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100も1000もといった状態ではあるが牛歩に例えることも出来ぬほど極々僅かながらも回復の道を歩んでいることを実感し、心ワクワクする思いでいるのだ。


暫くリハビリの状況を書いていなかったのでもう少しだけ。

ほぼ1年前になるが歩行時に感じた左膝の激痛や足の親指の爪を左右交代で痛めたことなどがあって屋外での歩行訓練が出来なくなっていた。 更に晩秋に入って足腰の
s-s-2016-08-30_101427痛みが酷くなり家の中での移動も困難になってしまった。その為、狭い我が家の中でさえ車椅子が無ければ生活出来ない状況に陥り、種々の検査結果をもとにした医師の説明を受けて今年正月に脊椎管狭窄症の手術を受けたのだった。以来9ヶ月目を迎えようとする今、漸く昨春頃の状態に戻ってきたなと感じている此の頃だ。若く元気でいた頃の我が身体、怪我や病気をした時の回復にかかる期間や状況、そうしたことを比べ思うと今は明らかに異なることを認めざるを得ない。s-s-2016-08-30_101519
が、しかしほぼ4年前、手術により激痛から解放されたものの執刀医から『寝たきりか良くても車椅子生活』と告げられた時には真っ暗闇の谷底に落ち込んだという表現がピッタリの心境だったことを今も思い出す。

s-s-2016-08-30_101946科学を知った人間というのは馬鹿なもので比較によって価値を見出そうとし、比較対象するものが見当たらなければ信ずることもしないものだ。
私自身もそうだが、『今・生きている』ことを素直(無心)に受け容れ(信じ・認め)喜び感謝することが出来ないでいるものなのだ。
うーーん、いささか宗教めいた話になるのでペンディングとしたいが、普段、息をしていることに有難さや喜びを殊更に感じ思う人は余りいないだろう。
s-s-2016-08-30_101707以前に書いたように思うが、海水か真水かとか、深山の湧水か水道水かといったことではなく、ただの水に味があることを。
味わいを感じるのは舌の働きだが、私が言う味わいは舌ではなく・・・・・
― pending ― 
久し振りに私のリハビリ現況について書いてみた。
今は未だ戸外での歩行練習はしていないが、日々喜び勇んでガンバっているので近々には理学療法士のOKサインも出るかと。



 
 



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August 27, 2016

今日は・・・

日の出のことから切り出せば、今朝は雨が降っていたので撮影は無し。
早朝から鉢植えの草花に水やりと花柄(枯れた)摘みを日課とする家内のルーティン・ワークも本日は無し。
家内の本日の行動予定からすれば雨降りは好都合ではあるのだが9時までには止んでもらわないと具合が悪いのだ。
と願っていたら・・・・・
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家内は普段の行いが良いということなのだろう、大きいラゲージをゴロゴロ転がして出かける時には晴れ間も見えていた。
今日の演奏会は午後にあるのだが、会場が遠いので9時前に出かけて行った。 当然帰宅も遅くなるので本日は『オミヤゲ』を期待出来ない。
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今日のためのクァルテットの音合わせが20日(土)、叔母の葬儀が21日(日)、友人らとの夕食会が24日(水)、そして今日27日(土)が本番。
家としての用事もあるが、外へ出ることで家内の気分転換に役立っているようには思うのだ。
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ともあれそんな訳で家内は奏でる方で、私は聴く方でコンサートに出席という一日である。
ちなみに私のコンサートの演目はチェロ協奏曲いろいろ。
演奏者は若くして亡くなったイギリスのチェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレ。
息抜きと言っては失礼だが、耳の感覚を新しくするために
谷山浩子のCD『フィンランドはどこですか?』を聴いている。
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元興寺地蔵会の万燈供養は8月
24日、25日に行われたが、
家内たちはこれの参拝後、『ならまち』での食事会を楽しんだのだと。

出歩くことの出来ない私の目となり耳となり家内は情景を伝え教えてくれるのだ。
s-s-2016082615010000もっとも味わうことについての代理はして欲しくないのだが・・・・・

おやつの柚子餅。
安いイコール悪いマズイというものではないが、私の好みの味ということでは鶴屋吉信の柚餅が一番。 不足を言うつもりはないのだが・・・・・
 
 


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August 26, 2016

私のルーティン

昨年9月から10月にかけラグビー・ワールドカップが英国で開催された。
ジャパン、日本のナショナルチームだが、何と何と南アフリカに勝つという驚天動地の事を起こしたのだった。
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2003年のオーストラリア大会を思い出すのだが、ニュージーランド、オーストラリア、イングランド、フランスなどと並び南アフリカは強豪国であり、これらの国々は今尚世界トップクラスにあるのだ。
その南アフリカ戦で勝利を手中にするなどオーストラリア大会時のジャパンには想像だに出来ぬことであった。 だからだとは言わないが、私は応援にも行かずオージービーフの本場で分厚いビーフステーキを食べまくっていたことを思い出す。
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まあ思い出は置いておくとして、南アに勝った頃よりルーティンという言葉がやたらと使われ始めたように思うのだ。
言わずと知れた五郎丸選手お決まりのポーズが基になったと思うのだが、イチロー選手やオリンピック体操の内村選手など様々なルーティンが紹介されてきた。
私が毎日行っている日の出の写真撮影もルーティン(・ワーク)の範疇に入ることだ。
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上は今朝の東の空だが見ての通り日の出ずる位置は黒っぽい雲が・・・
7月から全くお日様の姿を見ることが出来ない曇(雨)天の日が3~4日くらいはあったと思う。勿論そんな日は写真を撮ることもない。
下に示すように一応撮るだけは撮っているのだ。 カメラの位置が左右上下に多少ズレているが厳密さ正確さを求めるものではないので、「マッ、いいか。」ってことに。  
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写真に示すように、マアマア『まし』であったのは20日(上)と21日(下)の日の出のみ。
この日、私が動けぬため次男がお通夜に参列したが、我が家の名代としての役割をきちんと果たして来てくれたことを嬉しく思ったのだった。
日の出-5
空を見れば分かるように、日曜日のこの日は早朝から気温はウナギ登りであった。
私の足の具合がマアマア『まし』だったのと、家内の体調も少し回復していたので当初は欠礼をと思っていた葬儀だが家内にお参りに行ってもらった。
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8月25日は撮影不能。
本日分は冒頭に掲載。
斯様に日の出の写真撮影は私のルーティン(・ワーク)と言えるのだ。
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頂き物のCD(ドリカム)。
クラシックは勿論楽しいが、音楽もいろんな姿形があって楽しいものだ。
ところで何やらインターネット・エクスプローラに不具合があるのか当ブログ更新がまともに従前通りに出来ず、今回はグーグルから開いてみたのだが、写真の操作が自由に出来ず、時間がかかったかかった。
何だか時間を無駄遣いしたような、大損した気分でここんとこ落ち込み中。




 

masatukamoto at 16:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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