October 2016

October 30, 2016

いつもながら I 氏に感謝

久し振りにお絵かきをしてみた。
波平氏を描くうち何だか我が似顔絵を描いている気分に・・・
もう家内が帰ってくる頃合いだ。
今日は定期の練習の為に大阪市内の某所へ出かけているのだが、そのため昨日は美容院へ出かけていた。
丁度家内が美容院へ出かけた折に寿司屋の大将 I 氏が訪ねてくれた。
いつも気遣い頂き有難い限りである。
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なかなかお店へ行けるようになるまで回復出来ない私のために I 氏が出向いて来て頂けると、全く嬉しく有難きことである。
しかも、いつも私どもの大好物を持って来て頂く。
昨日も写真の通りハモの焼き霜、マグロの赤身、タコ、イカの刺身。
それに赤海老?の唐揚げ
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更に私の好きなバッテラの海苔巻に家内の好きな海老マヨ巻に山ごぼう巻。
幸せいっぱいの夕食になったことを記し、I 氏への感謝としたい。


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髪の毛・・・

髪の毛と書いたが『髪』と言えば頭部に生える毛を指すので、わざわざ毛を加えることも無いと思うのだが・・・・・
頭髪との表現もあるが、子どもの頃に父親から聞いた『武士と言う侍が馬から落ちて落馬して・・・』と言う重複表現の戒めを思い出した。s-2016-10-19_125345
重複表現(重言)と考えられる言葉でも特段不思議だと感じられることも無く実社会でフツウに使われていることがよくあり、私が髪の毛について疑問を呈するほどのことではないのかもしれない。
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※当ページ掲載の人物は全てゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル。

その髪の毛だが、子どもの頃は父親が散髪屋(理髪店)へ連れてくれていた。 しかしその頃の私は散髪屋へ行くのが嫌で嫌で仕方がなかった。別段これといった理由があったと記憶していないが、成人してからは髪の毛が伸びすぎると《みっともない》との思いから仕方なく理髪店へ出向いていたので単にズボラ性であっただけなのかもしれない。s-2016-09-21_134255
ともかく髪の毛がどうのとか服装がどうのとか、そうしたことに関しては殆ど興味や関心を持たずに今日まで来ており、結婚して以降は家内が選んでくれたものを着ているのが常だ。

そんな私が髪の毛に対して初めて意識的に関心を抱いたのは同級女児Kの母親が頭部の禿げについて我が母に相談してきた時だった。
Kの母親の頭髪はほとんど無く、彼女の悩みの深さは話し言葉の調子や表情などから小学2年生の私でも充分察することの出来るものだった。s-2016-09-21_134722
今の時代はウィグと呼び、装いのための小道具として男女問わず多く使用されているが、当時は『かつら』と呼び、人毛で作る大変高価な代物でとても一般的と言えるものではなかった。そのような『かつら』でも求めたいと願うKの母親の悩みは将に悲しみと言えるほどのことだった。

長い黒髪、女の命、遺髪等々、とりわけ女性にとって髪の毛は大切なものだと後々徐々に徐々に知ることになって行ったが、私自身の髪の毛については全く関心が無かったと言って良い。s-2016-09-21_134047
初めて丸刈り頭にした時は青色頭で流石に少し恥ずかしい気がしたが、それも2、3日のことだった。
高校生の折に長髪運動を行ったことがある。多くの生徒は丸坊主が嫌だというのが理由だったが、私は長髪であれ丸坊主であれ、そうしたことを校則として押し付ける学校側の姿勢に反対することに運動の主眼を置いていた。

私の頭髪が禿げ始めたことに気付いたのは30歳を少し過ぎた頃だった。椅子に腰掛けていた私の背後に立った職場の先輩(お局様)が、「随分薄くなってきたね。」と声を掛けてくれたことが最初だった。s-2016-09-21_134919
それでも頭髪が禿げるというのは自然なことだと気にするほどのこともなく今日まで来ている。
母方の祖父が坊主頭の写真として残っているので遺伝かとも思うが、禿げていたのか丸刈りにしていたのか古い写真なので判別出来ない。明治期のことゆえ撮影の機会が少なかったろうし、あったとしても大阪大空襲の折に殆ど焼けてしまったことだろう。

私の現況は例えてみれば『サザエさん』の父親・波平氏に似ているが、波平氏の髪と異なるのは私の髪は白いとs-2016-10-30_163953いうことだ。
私も彼同様禿げていることを特段不足に思っているわけでなく、ヘンデルのようなウィグをかぶりたいということもない。
あるがまま、自然なままが
一番良い。






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October 28, 2016

『ジジ・ババの集い in KOBE』 《3》

『ジジ・ババの集い』と記してきたが、同時代人としては『ジジ・ババ』と記しても間違いではないと私は思っている。しかし集いに出席した個々の立場からは不同意と表する者もいるはずだ。s-s-2016-08-27_172757
つまり『ジジ・ババ』と言っても明確な定義が無い。
年齢的に幾つから『ジジ・ババ』とするのか、孫が出来たら『ジジ・ババ』とするのか、見かけ上年老いたから『ジジ・ババ』とするのか、ハッキリと線引き区分け出来るものではないのだ。
まあ一般的状況などを考え合わせながら、それぞれが判断するというのが最も確かであろうと私は思っているのだ。
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ところでルミナスについてだが、30年ほど前のこと、職場の男性10人ばかりで近場の観光にと神戸を訪れた折に乗船したことがあるのだ。 しかしその時に乗ったルミナスと今回のルミナスとは違っていたように感じたが記憶が明瞭ではない。その明瞭ではない記憶だが、宿泊先が六甲山上のオリエンタルホテルであったこととホテル外壁の色がグリーンに統一されていた印象の他、神戸の街の夜景が綺麗であったことなどが不連続に思い出される。
今回のクルージング・ルートを赤色の太い線で表してみた(下図)。
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ルミナス 2 は中突堤メリケン波止場を出て、神戸空港沖を通り明石海峡大橋近くまで行ってUターンするというコースであった。
22ジジ・ババが主として食事と会話を楽しむ2時間だから移り変わる景色は時々眺めるだけ。 しかし30年ほど前には無かった神戸空港に明石海峡大橋。それも海から眺めるのは今回が初めてのことゆえ嬉しい気分で眺めることが出来た。
丁度ルミナス 2 が空港沖に長く突き出している誘導灯群の先を航行中、スカイマーク・エアの飛行機が着陸のため降下してくる光景も見ることが出来たのだ。
ランチクルーズだったので食事についても触れておこう。
ぺコロス
上は前菜。
サヨリとタチウオの切り身の上にアワビ、椎茸、ぺコロスなど、ひと口サイズのものを載せ、ラディッシュのスライスと緑の葉?をあしらい、ソースはマヨネーズ風であったような。
クリーム
スープはトマト、カボチャ或はポテトとクリーム仕立てだったような・・・。
主菜は牛肉ステーキに一口サイズのぺコロス、マッシュポテト、ロマネスコをあしらったもの。
マッシュポテト
2種類のパンとバターが出たが、とても美味しいパンで私はお代わりまでしたほどだった。
もちろん味と言うのは個人的嗜好によるので念のため。
洋風料理の昼食だったが私は日本酒の燗酒を注文した。s-菊正宗銘柄は灘の菊正宗。神戸港を基点に運航するルミナスゆえナルホドと頷ける。しかし古来灘五郷と呼ばれるように今津・西宮・魚崎・御影・西と五つのムラ(郷)が東西に広がり、それらの郷に幾つもの酒蔵所が散在しているので酒の銘柄は菊正宗に限らない。
菊正宗や昨年のノーベル賞晩餐会で提供された福寿などは酒蔵が御影郷にある。
今回の集いに出席してくれたH女史の寺は魚崎郷で松竹梅(白壁蔵)の酒蔵に近い。
チョコ飾り
デザートはプリンにコーヒーだった。
私と家内が『ジジ・ババの集い』を楽しんでいる間、息子夫婦は南京町での食べ歩きで時間をつぶしてくれたらしい。
私達以外のジジ・ババはハーバーランド・モザイクへ移動して更に会話を楽しんだようだが、私たち夫婦は埠頭で待ってくれていた息子の車で帰宅。
s-2016-09-26_094246帰りの道は渋滞も無く、スイスイスイーーーと気持ち良いドライブで無事帰宅。
多くの人の世話になり沢山の楽しさを頂いた。
改めて感謝の気持ちを表しておくことにする。『ありがとう』

今日は家内の月に一度の食事会。メンバーは勿論『ジジ・ババ』だが私は参加しない。
s-2016-10-25_090433エルビス・プレスリーにしろピーター、ポール&マリーにしろ私たちの『ジジ・ババ』世代には馴染み深い歌手であり、彼らの歌には懐かしさを感じるものが多い。
今宵『ジジ・ババ』たちの話題はどんなものになるのだろうか。
私の夕飯を用意して先ほど家内は出かけて行った。 帰宅するのは10時くらいかな?
雨がひどくなりそうだが気を付けて楽しんできてくれればいい。



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October 26, 2016

『ジジ・ババの集い in KOBE』 《2》

私が集いに出席するには何人もの人たちの手助けが必要不可欠だ。 この現況を思うと欠席と返事するのが最も私らしい選択だと思ってきたのだ。
以前にも書いているが歩行回復の状況には波があり、1週間程度の間隔でガクッと落ち込み再び回復の道を歩むのだが、この波は1日の内でも起きており安定しているとは言い難いのだ。
このように歩行回復のスピードは超々超ゆるやかだが前向き上向きに進んでいることを実感出来ていることもあって出席することにしたのだ。
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勿論、前回も書いたが家族の支援を得られていることが一番だが、幹事役を務めてくれているWの支援も出席を決意する大きい牽引力になったことを記しておかねばならない。
このWの支援については拙ブログ『励ましの一里塚(May 20, 2016)』に記しているので参考までに。
当初はモザイク発着のコンチェルトでのランチクルーズを考えてくれていたようだが、車椅子対応が出来ないとのことからルミナス 2 に変更してくれたのだと。
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実際、車椅子を貸してらったり、乗下船の手助け、それに乗船してからもルミナス 2 のスタッフには大変お世話になったのだが、それらを紹介することでお礼の気持ちに代えたい。
通常、神戸メリケンパークオリエンタルホテル2階のチケット売り場で乗船券を購入後、乗船開始時刻を待つことになる。
今回の私の場合はルミナス 2 が接岸している直ぐ傍まで息子の車で乗り入れさせてもらい、そこで用意してもらった車椅子に乗り換えた。
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ルミナス神戸 2 と旅客ターミナルを結ぶボーディング・ブリッジ(タラップ)。
一般乗船の場合は2階旅客ターミナルからボーディング・ブリッジを経由するのだが、車椅子利用の私はリフトを利用して2階へ上げてもらった。
下はボーディング・ブリッジを上から見たもの。
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他の一般乗客に先んじて乗船させてもらえたので気遣い無くスムースに移動出来て良かった。
写真の通り私の車椅子を上げるために乗船スタッフが一人付き添ってくれたのだ。
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下の写真は乗船して直ぐ息子に撮ってもらったのだ。 乗船したこの階はCデッキで私たちが食事をとるのはひとつ上の階、写真に見えるルミナスのエンブレムが架けられたBデッキであった。
後にパーサーかと思える人物が若い男性スタッフ3名を連れ来て、予約の席は上の階だがエレベーターが設置されていないので運び上げると言ってくれたのだ。
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元気でいた頃の私は車椅子や担架などを担ぎ上げる作業を幾度も経験しているから、この作業の大変さはよく分かるのだ。
4点を4人で支えるから1人が負担する重量は4分の1になると考えがちだが、実際はそんなものではない。平らな土地で御輿を担ぐなら重量等分も分かる。しかし階段など斜面で担ぐ場合、傾けずに担ぐために別途な負荷がかかるものなのだ。
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スタッフの皆さんにお世話頂いたことを全て紹介することは出来ない。私が移動することに気付き、先に進んでドアを開けるという気遣いを頂いていたことも私は気付いていた。
ルミナス 2 のスタッフの方たち、仕事だからと言えばそれまでだが、細やかな気配りと介助に感謝の思いいっぱいである。
重ねて有難う。


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October 25, 2016

『ジジ・ババの集い in KOBE』 《1》

昨年の『ジジ・ババの集い』は10月4日に宇治・萬福寺に、一昨年は9月27日に京都・祇園の中村楼に、そして今年は10月22日に神戸・中突堤のレストラン船・ルミナス神戸2に集うたのだ。
昨年も一昨年も金木犀が満開で我が家の出発時と帰宅時に強い芳香を放っていたことs-2016-10-24_150909を記憶しているが、その金木犀が今回(22日)も満開状態であった。

姫路城での集いは退院直後で外出など出来る状態ではなかった。
その翌年の祇園、昨年の宇治、そして今年の神戸と、家内が付き添ってくれることと息子が自動車で送迎してくれることで出席させてもらっている。
既に他界した者もいるが普段顔を合わせることの無い者たちが七夕の如く1年に1度顔を合わせて言葉を交わすという機会を与えてもらっているのだ。
大した話をするわけではないが元気な顔で話が出来る、ただそれだけのことなのだが、そのことが私にはとても幸せに思えるのだ。
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家内と息子夫婦に感謝することは当然だが、地元の神戸や姫路の他、名古屋や福井から馳せ参じてくれた者たちにも感謝である。が、一番に感謝すべきはやはり今回の会場が地元とは言え早くから集い実施の為の案内や会場確保のための交渉に時間と労力を割いてくれたWに対してであろう。
この集いを催すようになって以来ずっと幹事役を務めてくれている細やかな気遣いの出来る人物である。
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随分以前になるが、私が小豆餡入りの食パンの販売店を探していた時に神戸・三宮にトミーズというパン屋があることを知り、ついでの折に買って送ってくれって冗談まじりに語ったことがあった。
と、何と、今回の集いの手土産にとWが用意してくれていたのだ。
話した私が話したことすら忘れていたほどのことなのだ。しかも私の送迎にあたった息子にまで手土産を用意してくれていた。そんな奴なのだ。
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翌朝、Wの気持ちと共に餡食パンを頂戴した。 もっとも写真の通り少し厚めにカットした1枚分の内の3分の2の量だ。 この量については不足感ありだが家内の指示ゆえ仕方ない。味わいについては書かずとも分かろうs-2016-10-23_104419モン、気持ち入りだ。 残りは冷凍保存にしたので
1週間は楽しませてもらえるだろう。
ありがとう。

お土産と言えば名古屋のT女史から郡上八幡で仕入れてきた日本酒を頂いた。
郡上踊りを観に行ってきたのかと思ったが用件は違っていたらしい。 郡上八幡は宗祇水をはじめとする湧水も多く水の綺麗な所なので良いお酒が造られているはずと買ってきたのだと。
私やWが日本酒を好むことを知ってくれているからだろうが、郡上八幡から名古屋の自宅s-2016-10-25_101742へ、そして名古屋から神戸へと運ぶだけでも大変だったろうと思うのだ。 日本酒は水と同じようなものだから1000ml(1リットル)=1㎏だ。それにビンの重量が加わる。
そんなT女史の思ひをも併せ味わいたいと今は未だ床の間に飾っている。

1年に一度の集いだが毎回メンバー全てが出席出来るわけではない。
私自身普請中の姫路城を組み足場から見学するという又と無い機会を逸したことがあるように、昨年は会えたけれど今回は会えなかった者もいる。そんな中、昨年会えなかったH女史が今回は出席してくれた。
阪神淡路大地震による寺の壊滅(本堂・鐘楼・庫裡全壊)、住職(ご主人)の逝去など大きい災厄に見舞われながらも坊守として見事に寺院を復興させ、先年子息の住職継承法要をも務めた女傑である。
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上は神戸・元町の亀井堂総本家の瓦せんべい。お店が湊川神社に近いことから楠正成に菊水の焼きが入っている。H女史から頂いた物なので彼女のお寺『御用達』の物かもしれない。
そのH女史、女傑と言うと強かという意味合いが濃くなるように感じるが、実際には女性的な優しさも併せ持つ人なので書き加えておく。
【次に続く】





masatukamoto at 13:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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