November 2016
November 27, 2016
怖ろしいこと(もの)
今日は雨だが、一昨日久し振りに日の出前の写真を撮ってみた。
窓際に寄りガラスにカメラをくっつけて撮影したのだが、日の出位置は右手視界外になっており、その瞬間を見ることは出来なくなっていた。
それでも夜明け前、少しずつ少しずつ変化していく空の様子を眺めていることが出来るという何とも幸せな時間を過ごせたのだった。
のんびり穏やかなのが一番。
これが私の望みなのだが、火曜日(22日)の朝、ニュースでも見ようとテレビの電源を入れて直ぐのこと地震発生のテロップが表示されたのだった。
その後スタジオのアナウンサーが、震源地が福島県沖で津波襲来の危険性が高いと繰り返し地震と津波に関する報道と注意喚起を行っていた。
震源地が遠いため我が家で揺れは感じなかったし津波を心配することも無かったが、東北地方を襲った地震と津波(2011年3月11日)による大災害を思い出し、大きい被害が出なければ良いがと祈る思いでTV報道を見ていた。
以前にも書いたが古来怖いものとして語られてきた言葉に『地震・雷・火事・親父』がある。
これら4つの恐ろしさは並列的でなく、地震がトップになっているのはそれなりの意味があると私は思っている。
親父が怖ろしい対象に入れられているが、それは家父長制度の時代、当時は父親が働き手の中心として家族全体の生活を守っていたことに対する畏敬の念からきているものと私は思っている。
事実私は我が父親に畏れは抱くものの恐れを感じたことはなく、私にとって怖ろしいことは『地震・雷・火事・台風』であり、突然に家屋が揺れる地震というのは一番に怖ろしいことだ。
私の経験上記憶している揺れで最も大きい地震の揺れは震度 3 だと思う。
南海地震(1946.12.)や福井地震(1948.6.)など大阪でも大きい揺れがあったようだがこれらについては幼過ぎて記憶には無い。
震源地が近い大地震ということでは阪神・淡路地震(1995.1.
17)を挙げることが出来る。
1月17日、2階寝室のベッドで職場に出かけるため起きようとしたところに揺れが始まり、殆ど間を置かずに大きい揺れが起きたのだった。
随分大きい揺れが長い時間続いたように思うのだが、後の報道によれば我が町の震度は 2 だったとのこと。
地震時に2階にいたから揺れを大きく感じたのかもしれない。
今年揺れを感じた地震を思い出すと4月10日震源を兵庫県淡路島あたりとするものが震度 1 。
4月16日の熊本地震が震度 1 。いずれも夜中の地震だったが熊本地震の場合の揺れは同じ震度 1 でも弱く感じた。やはり地震波の伝播距離が長いからというのが一つの理由なのだろう。
10月21日の鳥取地震の場合は震度 2 で結構揺れた。
11月6日夕刻の地震は大阪北部を震源とするもので震度は 2 であった。 この時は初めの揺れの後ほとんど間を空けることなく大きい揺れがきたので震源が近いと予想できた。
震源地が近いか遠いかは初めの揺れ《P波=初期微動》と次に来る揺れ《S波=主要動》の時間差によって予想出来るからだ。
―――ガタガタ ・ グラグラ、ユッサユッサ―――
11月19日のお昼前に起きた地震もガタガタと音鳴りと揺れが始まって直ぐグラグラ、ユッサユッサと大きい揺れが続いたのだった。
テレビの情報で震源地が和歌山県南部であることと我が町での震度が 3 であったことを知った。
揺れ具合では11月6日の地震と同じぐらい大きいように思えたが発表された震度では 2 と 3 と異なっていた。
が、2 でも 3 でも怖ろしいことに変わりなく私にとって地震は一番に怖ろしいことなのだ。
『備えよ常に』《Be Prepared》はボーイスカウト基本の教えだが、何人も座右の銘だとすべき言葉と私は思っている。
私は怖がりだから突然に起きる地震に対し、如何に対処すべきか常にイメージしており、ベッド上にいる場合、私の定席に座っている場合など様々な局面ごとに思い描いている。
が、11月6日の地震の場合、先ずテーブルの下に潜り込むのが正解であったが、膝を崩して潜り込み、揺れが収まってから立ち上がるという動作をとることが難しいという私自身の体の現状況を忘れていたと、何とも恥ずかしい思いを・・・・・
誰にも醜態を見せることもなく事無きを得たのは何よりのことであった。
※11月22日付の写真は息子の嫁が持って来てくれたカレー。
ウズラ卵やブロッコリーは家内が添えてくれたもので、お米は家内の友人(京都・精華町)の田んぼの新米。
いわずもがな、書かずもがなのことながら『美味かった』こと『ウマかった』こと。
窓際に寄りガラスにカメラをくっつけて撮影したのだが、日の出位置は右手視界外になっており、その瞬間を見ることは出来なくなっていた。
それでも夜明け前、少しずつ少しずつ変化していく空の様子を眺めていることが出来るという何とも幸せな時間を過ごせたのだった。
のんびり穏やかなのが一番。
これが私の望みなのだが、火曜日(22日)の朝、ニュースでも見ようとテレビの電源を入れて直ぐのこと地震発生のテロップが表示されたのだった。
その後スタジオのアナウンサーが、震源地が福島県沖で津波襲来の危険性が高いと繰り返し地震と津波に関する報道と注意喚起を行っていた。
震源地が遠いため我が家で揺れは感じなかったし津波を心配することも無かったが、東北地方を襲った地震と津波(2011年3月11日)による大災害を思い出し、大きい被害が出なければ良いがと祈る思いでTV報道を見ていた。
以前にも書いたが古来怖いものとして語られてきた言葉に『地震・雷・火事・親父』がある。
これら4つの恐ろしさは並列的でなく、地震がトップになっているのはそれなりの意味があると私は思っている。
親父が怖ろしい対象に入れられているが、それは家父長制度の時代、当時は父親が働き手の中心として家族全体の生活を守っていたことに対する畏敬の念からきているものと私は思っている。
事実私は我が父親に畏れは抱くものの恐れを感じたことはなく、私にとって怖ろしいことは『地震・雷・火事・台風』であり、突然に家屋が揺れる地震というのは一番に怖ろしいことだ。
私の経験上記憶している揺れで最も大きい地震の揺れは震度 3 だと思う。
南海地震(1946.12.)や福井地震(1948.6.)など大阪でも大きい揺れがあったようだがこれらについては幼過ぎて記憶には無い。
震源地が近い大地震ということでは阪神・淡路地震(1995.1.
17)を挙げることが出来る。
1月17日、2階寝室のベッドで職場に出かけるため起きようとしたところに揺れが始まり、殆ど間を置かずに大きい揺れが起きたのだった。
随分大きい揺れが長い時間続いたように思うのだが、後の報道によれば我が町の震度は 2 だったとのこと。
地震時に2階にいたから揺れを大きく感じたのかもしれない。
今年揺れを感じた地震を思い出すと4月10日震源を兵庫県淡路島あたりとするものが震度 1 。
4月16日の熊本地震が震度 1 。いずれも夜中の地震だったが熊本地震の場合の揺れは同じ震度 1 でも弱く感じた。やはり地震波の伝播距離が長いからというのが一つの理由なのだろう。
10月21日の鳥取地震の場合は震度 2 で結構揺れた。
11月6日夕刻の地震は大阪北部を震源とするもので震度は 2 であった。 この時は初めの揺れの後ほとんど間を空けることなく大きい揺れがきたので震源が近いと予想できた。
震源地が近いか遠いかは初めの揺れ《P波=初期微動》と次に来る揺れ《S波=主要動》の時間差によって予想出来るからだ。
―――ガタガタ ・ グラグラ、ユッサユッサ―――
11月19日のお昼前に起きた地震もガタガタと音鳴りと揺れが始まって直ぐグラグラ、ユッサユッサと大きい揺れが続いたのだった。
テレビの情報で震源地が和歌山県南部であることと我が町での震度が 3 であったことを知った。
揺れ具合では11月6日の地震と同じぐらい大きいように思えたが発表された震度では 2 と 3 と異なっていた。
が、2 でも 3 でも怖ろしいことに変わりなく私にとって地震は一番に怖ろしいことなのだ。
『備えよ常に』《Be Prepared》はボーイスカウト基本の教えだが、何人も座右の銘だとすべき言葉と私は思っている。
私は怖がりだから突然に起きる地震に対し、如何に対処すべきか常にイメージしており、ベッド上にいる場合、私の定席に座っている場合など様々な局面ごとに思い描いている。
が、11月6日の地震の場合、先ずテーブルの下に潜り込むのが正解であったが、膝を崩して潜り込み、揺れが収まってから立ち上がるという動作をとることが難しいという私自身の体の現状況を忘れていたと、何とも恥ずかしい思いを・・・・・
誰にも醜態を見せることもなく事無きを得たのは何よりのことであった。
※11月22日付の写真は息子の嫁が持って来てくれたカレー。
ウズラ卵やブロッコリーは家内が添えてくれたもので、お米は家内の友人(京都・精華町)の田んぼの新米。
いわずもがな、書かずもがなのことながら『美味かった』こと『ウマかった』こと。
November 24, 2016
旬は・・・
美容院へ行くからと私の三時のおやつを置いて家内が出かけて行った。
美容院が近くにあって女の人たちが気軽に行け、それでいて手ごろな料金で美しくなれるのなら素晴らしいことだ。
しかし数年前、我が町の美容院の数は多過ぎるのではないかと思ったことがあったのだが今はどうなのか知らない。
私が心配することではないが、美容院が乱立するということは美容師の有資格者がどんどん増えているということであり、労働力の需要と供給という関係から見ると、ウーーム。
生き残りをかけた熾烈な戦い? 互いに技術、接客態度など切磋琢磨する結果、全体の質的向上につながる? が、大資本が弱小店舗を押し潰していくのが通常。客が支払う料金が安くなるかもしれないが美容師の賃金も安くなるかも・・・だ。
まあそんなことはさておき、おやつは写真の通り『抹茶わらびもち』だった。
もう冬が始まるというこの時期、『わらびもち』でもないだろうと。
いつ食べても良いだろうが、『わらびもち』の季節と言えば私は夏を思い浮かべるのだが。
写真の『抹茶わらびもち』は福寿製茶(株)《京都・木津川市山城町》の商品。
抹茶わらびもちに砂糖と黄な粉を混ぜ合わせたものをまぶして食べるのだが甘さは超控え目で私は嫌いではないが、やはり旬と言うなら夏だろう。
もっとも『わらびもち』と食べ方の説明の英文表記の栞が入っていたので季節に関わりなく売ろうと言うのが会社の方針なのだろう。
旬と言えば品種によって異なるがブドウは夏から秋と思って良いだろう。
私が好む巨峰やピオーネの時期は過ぎ、先日少々値が張るが私にとって初物となる写真のブドウを買ってもらった。
私はブドウを皮ごと食べるのがフツウだが、このブドウの皮は食べることが出来なかった。 種無しで果汁多く甘味も強いが私はピオーネの方が好きだ。
同じく夏が旬のものに冬瓜(とうがん)がある。
子どもの頃の私は『冬瓜の餡かけ』が好きで、暑い夏に母親がよく作ってくれたことを思い出す。
上は『冬瓜の餡かけ』。
家内が冬瓜を好きではないことを知っていたから冬瓜を買うことも料理してほしいと頼むことも無かったから、家内と一緒になって以来40数年間冬瓜を食べたことがなかった。
それが、たまたま冬瓜を頂いたので家内が作ってくれたのだ。 家内が作るのが初めてなら、それを私が食べるのも初めてのことで将に初物づくしであった。
味? 全く久し振りに味わったがゴマスリやオベンチャラではなく子どもの頃を思い出すものであった。
前頁で干し柿作りを紹介したが、今回の渋柿は上のものを使った。
昨年と違い今年は冷え込みが早いようなので出来上がりも早くなるだろうか。
美容院が近くにあって女の人たちが気軽に行け、それでいて手ごろな料金で美しくなれるのなら素晴らしいことだ。
しかし数年前、我が町の美容院の数は多過ぎるのではないかと思ったことがあったのだが今はどうなのか知らない。
私が心配することではないが、美容院が乱立するということは美容師の有資格者がどんどん増えているということであり、労働力の需要と供給という関係から見ると、ウーーム。
生き残りをかけた熾烈な戦い? 互いに技術、接客態度など切磋琢磨する結果、全体の質的向上につながる? が、大資本が弱小店舗を押し潰していくのが通常。客が支払う料金が安くなるかもしれないが美容師の賃金も安くなるかも・・・だ。
まあそんなことはさておき、おやつは写真の通り『抹茶わらびもち』だった。
もう冬が始まるというこの時期、『わらびもち』でもないだろうと。
いつ食べても良いだろうが、『わらびもち』の季節と言えば私は夏を思い浮かべるのだが。
写真の『抹茶わらびもち』は福寿製茶(株)《京都・木津川市山城町》の商品。
抹茶わらびもちに砂糖と黄な粉を混ぜ合わせたものをまぶして食べるのだが甘さは超控え目で私は嫌いではないが、やはり旬と言うなら夏だろう。
もっとも『わらびもち』と食べ方の説明の英文表記の栞が入っていたので季節に関わりなく売ろうと言うのが会社の方針なのだろう。
旬と言えば品種によって異なるがブドウは夏から秋と思って良いだろう。
私が好む巨峰やピオーネの時期は過ぎ、先日少々値が張るが私にとって初物となる写真のブドウを買ってもらった。
私はブドウを皮ごと食べるのがフツウだが、このブドウの皮は食べることが出来なかった。 種無しで果汁多く甘味も強いが私はピオーネの方が好きだ。
同じく夏が旬のものに冬瓜(とうがん)がある。
子どもの頃の私は『冬瓜の餡かけ』が好きで、暑い夏に母親がよく作ってくれたことを思い出す。
上は『冬瓜の餡かけ』。
家内が冬瓜を好きではないことを知っていたから冬瓜を買うことも料理してほしいと頼むことも無かったから、家内と一緒になって以来40数年間冬瓜を食べたことがなかった。
それが、たまたま冬瓜を頂いたので家内が作ってくれたのだ。 家内が作るのが初めてなら、それを私が食べるのも初めてのことで将に初物づくしであった。
味? 全く久し振りに味わったがゴマスリやオベンチャラではなく子どもの頃を思い出すものであった。
前頁で干し柿作りを紹介したが、今回の渋柿は上のものを使った。
昨年と違い今年は冷え込みが早いようなので出来上がりも早くなるだろうか。
November 22, 2016
秋色濃し
昨日のテレビ番組だったと思うが、東福寺での写真撮影が禁止になったことで観光客に戸惑いや不満が起きていると報じていた。
東福寺と言えば秋色濃い今の時期、紅葉の美しさでは京都でも屈指の寺社のひとつである。
通天橋や臥雲橋から眺めた紅葉の素晴らしさや重森三玲・作の方丈の庭など、学生時代の記憶を今もはっきり思い浮かべることが出来る。
50年も昔の今頃も観光客はそこそこにいたが、昨日のテレビ映像の人出は将に雲霞押し寄せるが如し状況であった。
何故の写真撮影禁止なのか直ぐに思い至った。
三脚(スタンド)を使用せずとも景観写真を撮るために立ち止まる、その為混雑に一層拍車がかかる。
寺側としては・・・・・
うーーん、分からぬでもない。
が、素晴らしい景観、写真に収めたい気持ちも良く分かる。
東福寺開祖は円爾弁円(後の聖一国師)。宋から博多に帰国して崇福寺と承天寺を創建、禅の教えを広めたことで良く知られている。弁円については当ブログの博多編で何度か紹介している。
仏教を広めることが弁円の仕事であり、多くの人々が東福寺に来ることを彼は嬉しく喜ぶべきことと思っているだろう。 しかし、ただ紅葉を愛で写真を撮ることだけを目的にやって来る観光客の来訪をはたして喜んでいるだろうか。
ワカラン。
だが一方、文化財であり信仰精進のための僧房伽藍と境内地の維持管理を考え合わせると観光的開放事業も止む無しと・・・・・
ことこのことに関して私は結論を出すことが出来ない。
仏教にしろ他の宗教宗派にしろ本筋を踏み外さないでと願うばかりだ。
ところで一連の秋の色合いを示す写真は兄が撮影して送ってくれたものだ。
私が秋を求めて出歩けないものだから私の目の保養にと兄が送ってくれたものと私は解している。
紅葉黄葉とグラデーションが楽しい秋がずんずん深まっていることを感じる写真だ。
ところで下の 2 葉の写真だが、上は姉が家内に送ってくれたもの。(少しだけコントラストを強く加工したが)
下の方は兄が送ってくれたもの。 被写体は同じなので、写真で判別する限り、姉が先に撮影し、その後何歩か進んで兄が撮影したのであろうことが分かる。
更に写真を細かく比較してみると、画像からは兄の右側を姉が歩いていたような。
ぶっははははは。私は捜査官ではないが写真から読み取れることは多い。
兄夫婦が仲良く公園を散歩している後姿が目に浮かぶ。
秋色濃くなる中、我が家でも恒例の干し柿造りが始まった。
つい先日のことだが冷凍保存しておいた昨年の干し柿をおやつに食べた。
自然の甘さのみであり、最高の仕上がり。今年の渋柿も最上級の出来となりますように・・・・・
東福寺と言えば秋色濃い今の時期、紅葉の美しさでは京都でも屈指の寺社のひとつである。
通天橋や臥雲橋から眺めた紅葉の素晴らしさや重森三玲・作の方丈の庭など、学生時代の記憶を今もはっきり思い浮かべることが出来る。
50年も昔の今頃も観光客はそこそこにいたが、昨日のテレビ映像の人出は将に雲霞押し寄せるが如し状況であった。
何故の写真撮影禁止なのか直ぐに思い至った。
三脚(スタンド)を使用せずとも景観写真を撮るために立ち止まる、その為混雑に一層拍車がかかる。
寺側としては・・・・・
うーーん、分からぬでもない。
が、素晴らしい景観、写真に収めたい気持ちも良く分かる。
東福寺開祖は円爾弁円(後の聖一国師)。宋から博多に帰国して崇福寺と承天寺を創建、禅の教えを広めたことで良く知られている。弁円については当ブログの博多編で何度か紹介している。
仏教を広めることが弁円の仕事であり、多くの人々が東福寺に来ることを彼は嬉しく喜ぶべきことと思っているだろう。 しかし、ただ紅葉を愛で写真を撮ることだけを目的にやって来る観光客の来訪をはたして喜んでいるだろうか。
ワカラン。
だが一方、文化財であり信仰精進のための僧房伽藍と境内地の維持管理を考え合わせると観光的開放事業も止む無しと・・・・・
ことこのことに関して私は結論を出すことが出来ない。
仏教にしろ他の宗教宗派にしろ本筋を踏み外さないでと願うばかりだ。
ところで一連の秋の色合いを示す写真は兄が撮影して送ってくれたものだ。
私が秋を求めて出歩けないものだから私の目の保養にと兄が送ってくれたものと私は解している。
紅葉黄葉とグラデーションが楽しい秋がずんずん深まっていることを感じる写真だ。
ところで下の 2 葉の写真だが、上は姉が家内に送ってくれたもの。(少しだけコントラストを強く加工したが)
下の方は兄が送ってくれたもの。 被写体は同じなので、写真で判別する限り、姉が先に撮影し、その後何歩か進んで兄が撮影したのであろうことが分かる。
更に写真を細かく比較してみると、画像からは兄の右側を姉が歩いていたような。
ぶっははははは。私は捜査官ではないが写真から読み取れることは多い。
兄夫婦が仲良く公園を散歩している後姿が目に浮かぶ。
秋色濃くなる中、我が家でも恒例の干し柿造りが始まった。
つい先日のことだが冷凍保存しておいた昨年の干し柿をおやつに食べた。
自然の甘さのみであり、最高の仕上がり。今年の渋柿も最上級の出来となりますように・・・・・
November 20, 2016
聴いてみた
届けてもらった『連祷(Litany)』《新垣 隆 作曲》を聴いた。
『交響曲第一番(HIROSHIMA)』のゴーストライターが新垣氏であったことが明らかにされたので、彼にとって交響曲第二番となる作品である。
CD『交響曲第一番(HROSHIMAI)』を手にした時、広島・長崎への原爆投下とその行為によって起こされた被害の大きさは勿論だが、70年近く経った今なお原爆症に苦しんでいる人々がいるという悲惨な現実を重ね合わせながら聴いたのだった。 だから佐村河内 守という人物はなかなかの感性の持ち主だと思ったものだった。
小説家が自らの作品をペンネームで公表することは世に認められていることで、石川啄木の本名は『一(はじめ)』だし、司馬遼太郎は『福田定一』である。
彼らはニセの名前(偽名)を用いてはいるがニセモノ(偽者)でなく本人である。 が、佐村河内 守は新垣 隆の名を伏せて世間を欺いたニセモノだったのだ。 後にゴーストライターであることを認め謝罪はしたものの新垣も佐村河内の行為に対して黙っていたのだから同罪だと言える。 だから以後『交響曲第一番
(HIROSHIMA)』を聴くことはなかった。しかし今回新垣氏は反省の上に立って改めて作曲の道を進み、交響曲『連祷(Litany)』を発表することを公けにしたのだった。 私は彼の『交響曲第一番(HIROSHIMA)』を楽曲として好かんというわけではないし、HIROSHIMAからFUKUSHIMAへ繋げるという彼の曲想に興味を感じたし、少しばかり応援してあげようという気持ちなど様々な思いから購入したのだった。
交響曲『連祷(Litany)』のCDにはピアノ協奏曲『新生』と管弦楽曲『流るる翠碧』が含まれている。
荘厳さを感じる響きから始まる『連祷(Litany)』だが、讃美歌をイメージさせる木管楽器の響きや和(日本的)を感じさせる表現があったりで全体としては現代音楽様の曲と言えようか。
私には少々ムツカシイ曲であり、初めて聴いたピアノ協奏曲『新生』の方が馴染みやすかった。
外は今にも雨がふりそうな空模様だが、リコーダーのレッスンがあるからと早めの昼食を済ませて先ほど家内は出かけて行った。
先日も紹介したが私の昼食が時に上のような冷凍食品で出されることがある。
以前なら「なんだ、冷凍食品か」と不足に思ったが今は違う。
先ず第一に、いつもの昼食である糸コンニャクの焼きそばモドキが変化すること。
第二に冷凍食品と言えど味・香り・食感と申し分なくウマイことである。
第三に、家内は食べないのに私一人のためにパスタを茹でて具材を・・・なーんて、手間や経済効率を考えれば文句や不足を言うことなど罰が当たると思うのだ。
上のパスタの場合、外側の袋を開いて中の袋のまま電子レンジでチン。
袋の中のパスタを皿の上に載せて全体を少し絡めるだけでパスタはアルデンテに仕上がり、居ながらにしてトラットリアでの食事といった感じ。
本日はベーコンとブロッコリーのカルボナーラであった。
『交響曲第一番(HIROSHIMA)』のゴーストライターが新垣氏であったことが明らかにされたので、彼にとって交響曲第二番となる作品である。
CD『交響曲第一番(HROSHIMAI)』を手にした時、広島・長崎への原爆投下とその行為によって起こされた被害の大きさは勿論だが、70年近く経った今なお原爆症に苦しんでいる人々がいるという悲惨な現実を重ね合わせながら聴いたのだった。 だから佐村河内 守という人物はなかなかの感性の持ち主だと思ったものだった。
小説家が自らの作品をペンネームで公表することは世に認められていることで、石川啄木の本名は『一(はじめ)』だし、司馬遼太郎は『福田定一』である。
彼らはニセの名前(偽名)を用いてはいるがニセモノ(偽者)でなく本人である。 が、佐村河内 守は新垣 隆の名を伏せて世間を欺いたニセモノだったのだ。 後にゴーストライターであることを認め謝罪はしたものの新垣も佐村河内の行為に対して黙っていたのだから同罪だと言える。 だから以後『交響曲第一番
(HIROSHIMA)』を聴くことはなかった。しかし今回新垣氏は反省の上に立って改めて作曲の道を進み、交響曲『連祷(Litany)』を発表することを公けにしたのだった。 私は彼の『交響曲第一番(HIROSHIMA)』を楽曲として好かんというわけではないし、HIROSHIMAからFUKUSHIMAへ繋げるという彼の曲想に興味を感じたし、少しばかり応援してあげようという気持ちなど様々な思いから購入したのだった。
交響曲『連祷(Litany)』のCDにはピアノ協奏曲『新生』と管弦楽曲『流るる翠碧』が含まれている。
荘厳さを感じる響きから始まる『連祷(Litany)』だが、讃美歌をイメージさせる木管楽器の響きや和(日本的)を感じさせる表現があったりで全体としては現代音楽様の曲と言えようか。
私には少々ムツカシイ曲であり、初めて聴いたピアノ協奏曲『新生』の方が馴染みやすかった。
外は今にも雨がふりそうな空模様だが、リコーダーのレッスンがあるからと早めの昼食を済ませて先ほど家内は出かけて行った。
先日も紹介したが私の昼食が時に上のような冷凍食品で出されることがある。
以前なら「なんだ、冷凍食品か」と不足に思ったが今は違う。
先ず第一に、いつもの昼食である糸コンニャクの焼きそばモドキが変化すること。
第二に冷凍食品と言えど味・香り・食感と申し分なくウマイことである。
第三に、家内は食べないのに私一人のためにパスタを茹でて具材を・・・なーんて、手間や経済効率を考えれば文句や不足を言うことなど罰が当たると思うのだ。
上のパスタの場合、外側の袋を開いて中の袋のまま電子レンジでチン。
袋の中のパスタを皿の上に載せて全体を少し絡めるだけでパスタはアルデンテに仕上がり、居ながらにしてトラットリアでの食事といった感じ。
本日はベーコンとブロッコリーのカルボナーラであった。
November 16, 2016
楽しみ入手
近頃、屋内の平坦な床面に限るが杖をつかずに歩けるようになり嬉しいことと喜んでいる。
背筋を伸ばし視線を遠方に向ける。そんな姿勢を持続させても安定感を得られるようになってきた。
勿論感性に基づく変化だからビミョウではある。が、感じることによって判断し、次の行動へと繋げ発展させることになるので私としてはとってもとっても嬉しいことと喜んでいるのだ。
しかし未だ未だ安定して外歩きが出来る状態にない私にとっては家の中で自らの五感を通して得る楽しみを求める外ない。
テレビを見たり新聞を読むことも楽しみだが、PKOでの駆けつけ警護を閣議決定したなどツマランことも知ってしまう。いったい奴らは日本をどうしようとしているのか、私には怖ろしく危険なことだと感じられるのだが。
子どもたちの『~ごっこ』や、サバイバル・ゲームとは違うのだ。
『おもしろきこともなき世をおもしろく』は高杉晋作の辞世の句だった。
政治屋が国を牛耳り、殺人・強盗・詐欺・交通事故が連日紙面を賑わす世だ。高杉晋作とは彼が生きた時代も彼の感性とも異なりはするが、オモシロイと感じられることが無い世の中という点では共通するかも。
だからと言うわけでは無いが、音楽を聴き、本を読み、囲碁・麻雀などのゲーム(PC)をする他、食べること飲むことが今の私の楽しみだと言える。
オペラのCDジャケット写真を幾つか掲載したが最近楽しんだものだ。
ただ以前にも書いたが映像なく音だけで鑑賞する場合のオペラの理解は難しい。 日本の歌舞伎などの場合は謡やセリフが古文表現ではあるが一応日本語なので何とか理解は出来るものだ。
しかし物語の筋書が理解出来ていない上、言語が外国語となるといよいよダメである。
上は全てイタリア語で演じられたもの。だから私の場合、物語のあらすじを基に劇の展開を想像する外なく、楽しみとしては随分損をしていると思う。
しかし楽しみは他にもあり、下は11月12日の昼食だ。
常には糸コンニャクを使った焼きそばモドキのようなものだが、極々たまに上のようなものが出るのだ。
小海老とフェットチーネのトマトクリームソース。多分冷凍食品だろうが大変美味しいパスタだった。
レタスと豆腐のスープ、ニューピオーネ。
楽しみは三時のお茶でも。
お薄はいつでも点ててもらえるが、お菓子はその時々で珍しいものが出る時もあればただの落雁の時もある。
写真のお菓子は抹茶入りレアチーズケーキ。
甘さ控えめでこれはこれで美味しいのだが更なる美味しさの秘密が下の写真。
パイ生地と抹茶レアチーズに包まれた物が渋栗。
味の感じ方は人それぞれ。百人百様なので説明は省くが私は美味いと思うし好きな菓子である。
日本のお茶、紅茶、コーヒーでもよく合った。
今日は新たな楽しみを手に入れた。
新垣 隆 氏の交響曲『連祷(LITANY)』がDECCAから発売されたのだ。
11月16日、本日が発売日だが昨日私の手元に届いた。
新垣氏は交響曲『HIROSHIMA』のゴーストライターとして話題になった人だ。
広島から福島へと曲想は彼の思いを繋げるものらしい。
まだ聴いてはいないが応援するつもりで購入予約しておいたものだ。
高杉晋作辞世の句に『すみなしものは心なりけり』と野村望東尼が下の句として詠んだとか。
オモシロイこと楽しいこと、全て心の持ち様ということか。
背筋を伸ばし視線を遠方に向ける。そんな姿勢を持続させても安定感を得られるようになってきた。
勿論感性に基づく変化だからビミョウではある。が、感じることによって判断し、次の行動へと繋げ発展させることになるので私としてはとってもとっても嬉しいことと喜んでいるのだ。
しかし未だ未だ安定して外歩きが出来る状態にない私にとっては家の中で自らの五感を通して得る楽しみを求める外ない。
テレビを見たり新聞を読むことも楽しみだが、PKOでの駆けつけ警護を閣議決定したなどツマランことも知ってしまう。いったい奴らは日本をどうしようとしているのか、私には怖ろしく危険なことだと感じられるのだが。
子どもたちの『~ごっこ』や、サバイバル・ゲームとは違うのだ。
『おもしろきこともなき世をおもしろく』は高杉晋作の辞世の句だった。
政治屋が国を牛耳り、殺人・強盗・詐欺・交通事故が連日紙面を賑わす世だ。高杉晋作とは彼が生きた時代も彼の感性とも異なりはするが、オモシロイと感じられることが無い世の中という点では共通するかも。
だからと言うわけでは無いが、音楽を聴き、本を読み、囲碁・麻雀などのゲーム(PC)をする他、食べること飲むことが今の私の楽しみだと言える。
オペラのCDジャケット写真を幾つか掲載したが最近楽しんだものだ。
ただ以前にも書いたが映像なく音だけで鑑賞する場合のオペラの理解は難しい。 日本の歌舞伎などの場合は謡やセリフが古文表現ではあるが一応日本語なので何とか理解は出来るものだ。
しかし物語の筋書が理解出来ていない上、言語が外国語となるといよいよダメである。
上は全てイタリア語で演じられたもの。だから私の場合、物語のあらすじを基に劇の展開を想像する外なく、楽しみとしては随分損をしていると思う。
しかし楽しみは他にもあり、下は11月12日の昼食だ。
常には糸コンニャクを使った焼きそばモドキのようなものだが、極々たまに上のようなものが出るのだ。
小海老とフェットチーネのトマトクリームソース。多分冷凍食品だろうが大変美味しいパスタだった。
レタスと豆腐のスープ、ニューピオーネ。
楽しみは三時のお茶でも。
お薄はいつでも点ててもらえるが、お菓子はその時々で珍しいものが出る時もあればただの落雁の時もある。
写真のお菓子は抹茶入りレアチーズケーキ。
甘さ控えめでこれはこれで美味しいのだが更なる美味しさの秘密が下の写真。
パイ生地と抹茶レアチーズに包まれた物が渋栗。
味の感じ方は人それぞれ。百人百様なので説明は省くが私は美味いと思うし好きな菓子である。
日本のお茶、紅茶、コーヒーでもよく合った。
今日は新たな楽しみを手に入れた。
新垣 隆 氏の交響曲『連祷(LITANY)』がDECCAから発売されたのだ。
11月16日、本日が発売日だが昨日私の手元に届いた。
新垣氏は交響曲『HIROSHIMA』のゴーストライターとして話題になった人だ。
広島から福島へと曲想は彼の思いを繋げるものらしい。
まだ聴いてはいないが応援するつもりで購入予約しておいたものだ。
高杉晋作辞世の句に『すみなしものは心なりけり』と野村望東尼が下の句として詠んだとか。
オモシロイこと楽しいこと、全て心の持ち様ということか。