December 2016

December 31, 2016

大晦日に

今年は正月三ヶ日を明けて直ぐの入院(手術)生活から始まり、1年間多くの人たちに支え助けてもらって今日の大晦日を迎えることが出来た。
s-2016-12-18_215450それらについては拙ブログで都度紹介して謝意を表してきたが、とても全てを記すことは出来なかった。
本日今年最終のブログを綴るにあたり、お世話になった方たち全てにお礼を申し上げることにしたい。

姪っ子Мには美味しい手製のクッキーを送ってもらったが、写真を掲載することでお礼の気持ちとしたい。
外を自由に出歩くことが出来ない私には町の様子を伝え聞くことだけでも大層な楽しみであs-2016-12-18_165205り、ほとんどの時間を我が家の中で過ごさざるを得ないため楽しみ事は必然的に限られたことになる。
以前にも書いているが、音楽を聴き、本を読むなどのほか、食事、おやつなどに関心が集中してしまうのだ。
だから当ブログでもそうしたことに関する記述が多くなるのは必然と言えるのだ。
この師走に入って三兄から頂いたお菓子は少し変わっていた。
長野から名古屋へ繋がる木曾谷は『栗きんとん』を名産とすることで有名である。
s-2016-12-18_165446『栗きんとん』は美味しいお菓子であり、私も家内も好きだから恵那の某菓子匠の品物を取り寄せて頂くほどなのだ。
栗の実を少量の砂糖と共に煮たものを裏ごしし、それを布巾で絞る『茶巾栗きんとん』と言えるものだ。
そのようなものと思って包みを開いてみると、写真のとおり『茶巾栗きんとん』を更に市田柿を干したもので包み込んである代物だった。
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白い粉をふくほどの甘く上等な干し柿である。
その中に栗きんとんが包まれているのだ。
何とモッタイナイお菓子である。
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頂いていて文句を言うつもりはないが、安物好きの私には干し柿は干し柿として、栗きんとんは栗きんとんとして頂くほうが良いように・・・ 
二つの味わいをミックスして同時に味わうなら1回分の味でしかない。 が、それぞれに美味しい干し柿と栗きんとんを別々に食べれば味わいは2回分になる。 ぶっはははは。
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菓子詰め合わせの右側、棹菓子のようなのは『栗きんとん』を蒸し羊羹で巻いたものを朴(ホウ)の木の葉で巻いたものだ。(写真上)
信州や木曾谷一帯では朴葉味噌という食べ方がある。 殺菌作用に香りのある朴葉の上に味噌やキノコなどを載せ、火の上で炙るように熱する料理だ。
上の菓子は『くり壱』という商品名。 味わいとしては、『栗きんとん』の甘味を主に全体としては甘味を抑えた家内や私が好みとするものだった。
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来年は酉年。
戴いた菓子には目出度く来年の干支が記されたものもあった。
来年がどのような年になるのか今は期待する気持ちが強く大きい。
ともかく今年の締めくくりにと家内がプレゼントしてくれた年末ジャンボ宝くじの当選番号を調べてみた。
1等は、104組。 ははははは。端から組番号が違った。
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10枚で3000円。その10分の1枚は必ず300円当たるから
2700円の損になる。
うーむ、まあ何か公的事業に回るのだろうし、私が買ったわけでもないから良しとするか。
s-2016-12-04_161650今年はコレで終わり。

最後に今一度お世話になった皆さんに『ありがとう』と記し感謝の気持ちを表しておきたい。












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December 29, 2016

この時期・・・【7】 ガンという奴

先日この時期は鍋物が美味しいと書いたが御用納めの昨日の夕食は合鴨鍋になった。
私たちが仕事をしているわけではないが、官庁のほか一部企業の年内最後の仕事日になっているので御用納めの日としたが、先日年末の挨拶にと来宅した某銀行の女性は30日が今年最後の日だと語っていた。
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勿論のこと防衛、海上保安、警察・消防・救急・医療や報道関係など年末・正月に関わりなく業務を行っている機関もある。 勤務に当番・非番の別はあるだろうが『ご苦労様』の気持ちは表しておきたい。
この合鴨鍋、岩手県産の合鴨と出汁がセットされたもので野菜などを加えて煮れば合鴨鍋になるし、小芋などと煮れば治部煮にもなる。
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この日の夕食が合鴨鍋になったのは前日に家内の友人Sさんがご主人の労作を持って来てくれたからである。
Sさんのご主人については以前にも書いた通り、某銀行を退職後野菜等の栽培をしている人だ。
そのご主人の作物については品種の多さや出来具合など、とても俄か仕立ての農業従事者の作物とは思えないほど立派なものなのだ。
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今回は上の立派な白菜などを頂いたので合鴨鍋になった次第。
合鴨は頂くこともあって時々食べる機会があるが、この冬場が狩猟シーズンのマガモは50年近く以前に琵琶湖・長浜あたりの料理屋で食べて以来口にしたことがない。
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マガモは渡り鳥だから鳥インフルエンザが気になるし、ネギを背負って飛んで来てくれるわけでもない。 まして同じ仲間とは言えアイガモが葱を背負ってくるなど有り得ない。 と言うわけで頂いた白菜、大根、人参にキノコや豆腐を加えた合鴨鍋に。
白菜は白菜であって葱に非ず。 当然、Sさんはネギでも白菜でもない。
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このSさん、『乳癌で手術してきたところ 』 なのだと ご主人運転の車で来てくれたのだ。
まだ痛みがあるのだがと、いつもの調子で明るく話していたが、抜糸は終えたとは言え、術後は何かと痛みが出て辛いものだ。 しかも初期だったとは言うもののガンという病名を聞くだけで私は平静ではおれない。
Sさんは何と剛毅な人だろうと感服の極みであった。
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ところで私が子どもの頃の知識でガンと言えばカモ、鴨(カモ)と言えば雁(ガン)のことであった。
今やガンと言えば癌(cancer)を思い浮かべるほどの言葉に私の脳内では成長してしまった。
カニ(cancer)なら食ってやるが、キャンサーはヒトの細胞を荒らしまわる食えん奴だ。
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この秋、神戸でジジ&ババの集いをもったが、毎年出席するうちの数人が欠席した。 どうしたのかと気になっていたが、つい先日S君から元気な声で電話があった。
「胃ガンの手術を受けて退院してきたとこなんや。」と。
もともと某劇団の俳優で平幹二朗だか仲代達矢だかとも芝居をしたらしいから元気でよく通る声ではある。
しかし内視鏡を使っての手術だったとは言え癌部分を切り取ったのだから何も無かったわけではない。 第一段階は上手くいったらしいが以後転移などの検査の為、その都度受診せねばならぬことになったのだとか。
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癌という何とも憎々しい難儀な奴だこと。
癌と言う奴、何とも厄介な奴だが、こ奴以外にもヤヤコシイ奴は沢山いる。
厄介とまで言わないまでも人間が自由自在に動けないようになる原因となる輩は全くツマラン奴である。
そのツマラン何者かにやられたと長兄の嫁(義姉)が入院したことを知り、即刻家内に入院先の病院へ行ってもらった。
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ニュートンの法則ではないが、水は高きより低きへ流れるが如くこの報せは最後の最後のド最後に我が耳に入った。  末妹末弟ゆえ已むを得ぬ、兄の心遣い等々、嬉しく有難い思いを感ぜぬでも無いが、何か一抹の寂しさを感じたのは私の思い過ごしだろうか、うーーむ。
何事につけてもなかなか達観出来ず、今も彷徨っているばかりの私である。
先日、U氏著の書籍贈呈を受けた。
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H (旧姓)氏はデューイ研究を本筋に行っていたが、院の頃よりその研究は随分参考にさせてもらってきた。
私は旧姓の方に親しみがあるのでH氏と呼ぶが、彼は御父君を白血病で亡くし、奥方は乳ガンを患って以後直腸、肺、脳、骨盤、大腸と転移の後に亡くされた。 彼自身も食道ガン、肺ガンを患うという大変な道を歩み、病を受け容れ病と共に生きるという道を究めているようにこの書籍から読み取れたが、私には、ムムムム。
H氏は大学での教育学研究・教育と併せ、広島県の某寺住職として宗教家としても活動して来られた。
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H氏の書物ではガンという厄介な奴とも共に生きる道を達観したかの如く記されていた。
しかし私にはツマラン難儀で厄介な奴としか思えないガンであり、とても受け容れ共に歩めるような奴ではないと思っている。 が、なりたくなくても病というもの勝手に人の身に忍び込んで来るものである。 受け容れがたき奴だが我が身に入り込んで来れば精一杯戦い、ねじ伏せてやろうというのが今の私の思考(生きる)レベルである。
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年の瀬となり、家内の身に災厄無く、我が身の回復に進歩を実感することの嬉しさにただただ感謝するのみだ。

※ 野菜と梨はSさんより。 菓子はО君より頂戴したもの。






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December 25, 2016

この時期・・・【6】X'mas

師走も半ばを過ぎ、昨日は年内最後のレッスンがあるからと家内は出かけて行った。
24日、クリスマス・イブである。
街中では至る所でクリスマス・ミュージックが流れ、夜遅くまでケーキを売る声が聞こえたなあと懐かしく思い出される。
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何度も書いているがキリスト者でない私にクリスマスなど関係ないことだが、長い年月の間に国民的行事と思えるまでなったクリスマスを無視することも出来ない。
別に私が洋風かぶれしているわけではないのだが、日本人という私のバックボーンには八百万の神信仰・神仏習合からキリスト教の受容と、融通無碍と言うか自由で柔軟な気質が組み込まれているのかもしれない。
以前にも書いたが、そんな日本人を無節操な八方美人だと評した欧米のキリスト教信者と言い合ったことがあった。 誤解無きように書くが、言い争ったのではなく言い合っただけで勝ち負けがあったわけでも無い。
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そのことを思うたび、イスラム教徒を危険視し、また逆にキリスト教信徒を十字軍と敵対視してテロ行為や武力行使により互いに多数の人の命を奪っている状況が残念でならない。
いったい宗教って何やねん、信仰するってどういうことやねんと思い暗い気持ちになってしまうのだ。
しかし大多数の信仰者が求める道は互いが平穏安寧に暮らせる平和な世界であると信じたい。
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クリスマス、新年が近付いてくると海外の友人からカードが送られてくる。
フィンランドの友人 U さんは今も難病と闘っているらしい。s-2016-12-15_150600
私が激痛のため手術を受けたのと同じ時期に U さんもヘルシンキで入院と聞いているから互いに
4年の闘病・リハビリ生活を送っていることになる。
60年近い友人だ。何とか健康を取り戻してほしいと切に切に願い念ずるばかりだ。

しばらく前にシャコバ・サボテンをクリスマス・カクタスとも言うと書いた。
その際のシャコバ・サボテンがクリスマス・イブを前に下のように満開状態になった。
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クリスマス・カクタス、納得である。
クリスマス、この時期の草花と言えばポインセチアのほかシクラメンも目に楽しい。
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シクラメンの写真を撮ったのは師走初めであったが、次々と花を咲かせている。
例年春先まで花を咲かせているので寒い時期も楽しみだ。
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昨日レッスンに出かけていた家内が夕べ6時過ぎに帰宅した。
帰宅時刻が遅くなる時は必ずデパ地下で夕食を買って帰る家内が昨日はクリスマスだからとお寿司に鶏のから揚s-2016-12-25_103250げを持ち帰ってくれた。
お土産を楽しみ待つ年齢でもないが、出歩けない私には家内が持ち帰る土産が嬉しい。
私の好きなマグロの握り(イカ・タイ)だったが、赤い実のついたヒイラギの緑葉が飾らs-2016-12-25_103049れていた。
うーん、お寿司にもクリスマスの雰囲気が・・・

去年だったろうか、25日か24日に鶏モモ肉のローストを出してくれたのだった。 しかし私が食べにくいと言ったことを覚えていて今年は唐揚げにしてくれたのかと思ったのだ。
実際にはデパ地下のローストチキンの売り場に沢山の買い物客が並んでいたからだったのだとか。
s-2016-12-25_104818まあどうでも良いことだが、楽器を持ち運ぶだけでも大層なのにケーキまでも買ってきてくれて嬉しい限りだ。
ケーキにクリスマス仕様の飾りを付けるのに不思議はないのだが、やっぱり握り寿司のパックにクリスマス仕様の飾りは、私にはなじめないなあ。
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ところでクリスマスと言えばプレゼントにカードを添えてということになるが、家内はお友達とカードの交換をしているようで、それらのカードを見せてもらった。
私が海外の友人に送ったカードは浮世絵の飛び出す工夫がされたものだった。
s-2016-12-25_103818家内が送っていたのは音や光の出る飛び出し立体カードで結構高価なものだったので、私にも欲しいなあとつぶやいたのだった。
それでクリスマス・イブの昨夜、夕食事にくれたカードが写真のもの。
Merry Christmasの文字とツリーの星が青白く輝き、ボタンを押すとジングルベルなど3曲が奏でられるものだ。

クリスマスもイイものだ。






 



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この時期・・・【5】

『食べることが出来る』
このことを成立させる条件は沢山たくさんある。
若く元気な頃には深く考えることも無かったような・・・
ただ食べるのではない。 美味しく頂けることが出来る。 私の頭(ココロ)は日々進化・深化しているような。
家内にアリガトウの気持ちを込めて、フグづくし『てっちりデー』としたのが8日だった。
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それが何と、18日(日)に寿司屋の大将 氏が差し入れてくれたのだ。
いつもいつも気に掛けてくれて、ほんに有難いことだと感謝するばかりだ。
きれいに引かれたトラフグの刺身『てっさ』。
s-2016-12-18_164517皮の湯引き。
これは私の好きな酒の
アテだ。
薄く引かれた皮だけでなく、少しばかり身が付いているところがウマイのだ。
ポン酢に紅葉おろし、それに刻んだ青ネギが加われば誠にウマイ。
思えば猛毒を持つフグの安全な部分の身と、サメの皮に似たザラザラの皮を削ぎ、そのザラザラ皮と身の間の薄い僅かな部分を食すという大発見を誰が成し遂げたのか。
これはノーベル賞ものだと私は思っているのだ。s-2016-12-18_164303
そしてこれらフグの差し入れは 氏が私の介助賞として尽くしてくれている家内に授けてくれたものと思いたい。
高価なトラフグを原材料・調理・運送費込みで労力に時間までもプレゼントしてもらっているのだから幾度感謝しても足りない思いでいる。
《 深 謝 》
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勿論のことヒレ酒も頂いた。
アルコールにあまり強くない家内もヒレ酒なら少し、ほんのほんの少し味わう程度には飲めるのだ。つまり超熱燗にするものだからアルコール分が飛んで飲みやすくなっているからなのだろう。
寒くなって来たこの時期、やはり鍋ものが美味しいねと家内と話しながら生協の商品カタログを見ていたら『きりたんぽ鍋』の写真が掲載されているのを発見した。
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『きりたんぽ』は竹輪に似ているが原料が魚のすり身ではなく炊いたご飯を竹筒を芯に握り固めたものだ。
新米が出来る頃から作られ、焼いたり鍋の具材として煮て食べる秋田の郷土料理であることを私は学生の頃よりよく知っている。
信州や飛騨・木曽などが有名な五平餅も形は異なるが『きりたんぽ』と同様の発想によるものと私は思っている。
東北旅行に息子らを連れて行った折、秋田の郷土料理だと鶏肉と沢山のキノコやセリ、ミズなどを入れての『きりたんぽ鍋』を経験させたこともあった。
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生協商品は『肉厚きりたんぽ』『あきたこまち米』『南部どり』とビニル袋に印刷されていたので秋田県と岩手県の合作のようなもの。 我が家では白菜、大根、人参、水菜、キノコ、豆腐を加えての『きりたんぽ鍋』にしたので何処の郷土料理と言えるのか分からない『ごちゃまぜ鍋』になったが美味しい鍋であった。
その美味しい鍋続きだが、いつ頂こうかと楽しみにしているものがまだ冷凍庫にあるのだ。
 君のご実家から送って頂いた真フグの鍋だ。  君のご両親にも、いつも気遣い頂き感謝している。 ここに記すことで気持ちを表しておきたい。
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写真の如く真フクの身、フクつみれ、フク白子豆腐、たれ、それに大根おろしまで付いていて、鍋・水・火力を確保出来れば直ぐにでも食べることができ、野菜や豆腐などを加えれば言うこと無しだ。
楽しみにしているのは『てっちり鍋』だけでなく、真フグを食べるのが初めてなので、その味わいや食感に興味津々s-2016-12-09_161236ということもあるのだ。
普通にフグと言えば私の場合はトラフグのことを思うのだ。
これまでに食べたことのあるフグはトラフグの他、ショウサイフグ、サバフグ、ハコフグだけ。
新しく経験出来るという楽しみまで与えて頂き有難いことだ。

神戸ルミナリエ、師走2日から11日までの開催であった。
写真は家内の友人が撮影して送ってくれたもの。(THX)


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December 24, 2016

この時期・・・【4】

ふぐヒレ酒までいかなかったほど鱈腹フグを食べたことを書いた。
河豚を食べて鱈とは・・・・・
タラフクならぬフグフク。
こういうのをオジン・ギャグと言うらしい。
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15日、用事で出かけた家内がデパ地下で握り寿司を買ってきてくれたので晩酌にフグのヒレ酒を飲んだ。
s-2016-12-18_215843ヒレ酒を作る場合、私はあまり上等な酒や辛口の酒は使わない。 個々人の好みではあるが超熱燗にするため日本酒自体の味が変わるし、焼いたフグヒレの風味が加わるからといったことが理由になるだろうか。
酒と言えばこの時期、新酒の搾り作業が始まっている。
通常日本酒の搾り作業に先だつ11月第3
木曜日ににフランス・ボジョレーワインの
新酒の販売が開始される。
s-2016-12-18_215716ちなみに今年は11月17日がその日に当たっていたが、ぶどうジュースを飲んでいるようなもので騒がれるほど美味しいと私は思わないので買わない。 
勿論ワイン造りをしている所はどこでも新酒が搾られるので飲みたいと思えば飲むことが出来る。
私は大阪・河内のワイン新酒を飲んだことがあるが、私には少し濃いグレープジュースでしかなかった。
写真のワインは姉からの頂き物のドイツ、ピーロート・ルージュ(ラインヘッセン)とピーロート・ブルー・ヌーヴォー(ナーヘ)。 フルーティーで飲みやすいワインではある。
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日本酒の酒造所は新酒の搾り作業が始まると店の軒先に杉の葉で作った『杉玉』を吊るすようにしている。
つまり杉玉が吊り下げられれば搾りたての新酒が飲めるし酒粕が手に入るということだ。
s-2016-12-17_075010私も早速『蔵人の詩』を造る中本酒造店の新酒と酒粕を買い入れた。
搾りたて、何も足さない、何も引かない。
ウィスキーのキャッチコピーのようだが、その通りだ。
酒粕も生原酒も基本的には発酵が進む状態にある。
写真の酒粕は姉からの頂き物で梅錦(愛媛県四国中央市)のもの。
我が家の冷凍庫には山鶴の酒粕も眠っているが、粕汁が大好きな私には嬉しいことだ。
大根や人参など根菜類を沢山入れる粕汁だから家内の好みでもある。s-2016-12-18_215148
昨年私が所望した豚肉入りの粕汁は既に食べることができたし鮭を入れたものや薄揚げ(厚揚げも)を入れた粕汁も食べた。
粕汁には何か油っ気があるものを入れると、より美味しくなるように私は思っているのだ。
勿論甘酒を作って下ろし生姜と共に飲むのも良い。
サッブイ冬にはサイコーである。
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サイコーと言えば6月に赤紫蘇と共に漬けておいた新生姜が見事な浸かり具合になり、このところ酒肴の一品にしたり、昼食の糸コンニャクの焼きソバもどきに刻んで入れたりと大活躍しているのだ。
s-2016-12-15_144959上の紅生姜を漬けたのと同じ頃、青山椒の実とチリメンジャコで作ったちりめん山椒も冷凍庫で保存しておいたのだが、これも美味しく食べている。

「食べることが出来る」、このことが幸せなことだと心の底から日々アリガタイという気持ちと共に頭に浮かぶ。






masatukamoto at 17:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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