January 2017

January 31, 2017

『つぶやき』

近頃はツイッターでつぶやく(呟く)ということが随分幅を利かせているような。

当ブログの表題も『つぶやき』である。 s-2017-01-22_100312
私がホームページブログ用にとページを開設したのは1999年末のこと。 当時は文字より写真が殆どを占め、ページの更新も月に1度行うかどうかといった程度であった。
そのページを開設していた会社が無料ページの閉鎖を決めたので止む無く他社にページを開設。 
その後いろいろあってPCは休眠状態になっていた。
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2005年にブログ書き込みを再開し、その際ページの表題を『MASAのつぶやき』にしたのだった。
当時は『呟く』も『つぶやき』という言葉も今ほど使われてはいなかった。s-2017-01-29_161359
私は『つぶやき』を『ひとりごち』という意味合いで使っており、状況的には、《ぶつぶつ》と不平・不満・不足を言う場合もあれば、『やれっ』とか、『行けっ』とか言うように決して大きな声ではないが、叱咤激励するつもりで『呟く』場合もある。勿論、《ひそひそ》どころか音としては発しない心の中での様々な思いとしての『つぶやき』を記した日記のようなものなので全く個人的なもの、と、コレは私の思い。
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社会的に何ら影響力を持たない年金生活の年寄りが日記を公開しているだけのことなのだ。
だから、公の職務、それも世界の耳目を集めるアメリカ合衆国大統領の立場にある者がツイッターで『つぶやく』こs-2017-01-29_161901ととは天と地ほどの違いがあるものなのだ。
トランプ自身が何ら世界に影響を与えるつもりがなくとも、アメリカ合衆国大統領の『つぶやき』となれば世界中が黙って見過ごすことなど皆無であり、彼自身もそのことを理解していて当然である。 つまり彼の『つぶやき』は意図的であり、事実名指しで批判された世界的企業はトランプの『つぶやき』に沿った方針への転換を表明しているのだ。
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それが単に自国経済が成長するための国内政策だけのことならば、他国の内政問題だからと黙って見過ごすところだが、トランプの『つぶやき』は次々と大統領令として発令され、アメリカ合衆国の国内問題で済ますことの出来ないものも出てきたのだ。s-2017-01-28_111927
メキシコ国境に壁を建設し、建設費をメキシコに負担させるというのも一方的でメチャな話だと思うが2国間の問題としよう。
また地球温暖化を低減させるため欧州連合ほか192の国々が結んだパリ協定に否定的なトランプがダコタとキーストン2ルートの石油パイプライン建設を承認する大統領令を出した。
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s-2017-01-30_162653これは米国内の産業問題だと見れぬこともないが、パリ協定加盟国全体の温室ガス排出量の内約42パーセントを占めているのが中国、インドとアメリカ合衆国であることを考えると看過出来ぬ問題だと私は思う。
もっともひどい大統領令はテロ対策強化のためとしながらも、中東やアフリカの国々(7ヶ国)の人たちの入国を一時的にせよ禁止したことだ。
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語る言葉もないほど私は怒り呆れている。
こんな差別者が世界のトップリーダーの一人だと。
私が知る素晴らしい国アメリカは既に遠い遠い記憶の彼方にのみ存在しているのかもしれぬ。





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January 25, 2017

四文字熟語から

大相撲で大関・稀勢の里が優勝し、横綱に推薦されたとのこと。 当人だけではなく相撲界にとっても真にメデタイことだと私も思っている。
先ほど横綱昇進伝達の使者が田子の浦部屋を訪れ、稀勢の里は「横綱の名に恥じぬよう精進・・・」と受諾の言葉を語ったが、新横綱がどんな四文字熟語を交えて語るか今朝ほどまでテレビの話題に上がっていた。
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四文字熟語と言えば禅語に多く見られるが、禅語には『ふーむ』と考えさせられたり、『なるほど』と納得・共感させられる言葉が多いことから禅語を座右の銘に挙げている人も多い。
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『脚下照顧』
この四文字熟語も禅語で、私が常々念頭に置いている言葉のひとつだ。
『照顧脚下』とか『看脚下』とも書くが、意味合いとしては同じ言葉だ。 けれど私は先に挙げた表現の方を好んでいる。
同じような意味合いならどれでも良いではないか・・・
《なるほど》、そうかもしれぬ。 が、ヒトの感覚というのはビミョウ、微細な違いを敏感に感じるもので、人によっては拘りとも、高じて頑固とも言い得ることかもしれぬ。
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感じ方のことだから説明するようなことではないが、『照顧~』とか『看~』というのは英語での『 Look~(Think~ )』のようなものだ。
動詞を先頭に置く表現は、私の場合関西の河内や泉州風に言う、
『こらっ!よう見んかい。どこ見てんねん。(ボケ)』
と言った上から目線の命令的意志を言葉の裏に感じてしまうのだ。
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勿論言葉には大小強弱や抑揚の他、TPO(時・場・状況)に応じて語られるものであり、言葉の裏に意志を感じるのは私独特の感性に因るので念のため。
それと、誤解の無いように書き加えると、関西の言葉が怒りや叱咤だけでなく注意を促したり、時に励ましの意味合いを込めている場合もあり、禅寺に於ける《喝!》という言葉と共通している面もあるということだ。
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禅語や四文字熟語は人としての生き方や考え方に対して的確な助言を与えてくれるものだ。
不言実行や有言実行という言葉もあるが、マトモな人物がこの言葉に従って行動するなら大いに賛同奨励すべきことと思うが、トランプ大統領の有言実行には認容し難いものがある。
大統領就任演説で具体策は語られなかったが、大統領選挙中に彼が語ったことを結んで行くと、有言不実行にすべきだと思うことが・・・・・
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よく似た言葉に『言行一致』という四文字熟語もある。
安倍首相が真珠湾で語った演説内容は素晴らしく、この作文力について評価するなら『優』をあげて良いと私はs-2017-01-22_100108思ったものだ。
物事の遂行についてはよく登山に例えられる。 ピークは一点だがそこに至るルートは様々だと。
安倍首相の演説に見えた山頂は作文の内容共にスバラシイと私も賛意を表したい。
しかし、総理大臣(自民党総裁)として行ってきたこと、また今国会で行おうとしている各種法案制定の動きは『言行一致』と私には思えないのだ。
作文では平和を語りながら、一方で平和を柱とする日本国憲法をなし崩しに・・・・・
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我らが総理大臣が如何なる登山路を歩むのか、彼の『言行』が『一致』しているのか否か、しっかり見続けていかねばならん。


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January 21, 2017

良かった

厳しい寒気団が日本列島上空に南下、低気圧の東への移動に伴って我が寝室は昨夜から明け方近くまで又々嵐のような激しい北風をまともに受け続けてきた。
演奏会に出かける家内のことが気になっていたのだが、積雪なく、朝食時には薄曇りながら雨が降るような感じも無くて良かった良かったと安堵したのだった。
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ここ2~3日前から風邪気味で体調を崩していた家内だが、今朝の顔色はまずまずと言ったところだった、かな?
風邪気味に加えて演奏のことが精神的に緊張度を高めてしまっていたのかもしれない。 
例は異なるが、出来ることなら飛行機には乗りたくない私も、搭乗した飛行機が離陸の為に滑走を始めた途端、諦めという言葉など存在しないほど腹が据わってしまうのだが、それに似ているのかも。
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とにもかくにも演奏を無事に終えること、それにホールへの往き帰りに事故無ければ万々歳である。
s-2017-01-13_165418ちょっと欲ボケかもしれないが。

昨日は大寒。今月末には旧正月(28日)。 来月初めには立春。月日の移ろいは早いと思いつつ、今日の私の予定は歩行訓練と、他は・・・ははははは、いつも通りだ。


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January 18, 2017

老々介護 (報告も兼ねて)

私の人生のスタート地点というのは、食糧をはじめとする栄養摂取状態、医療衛生状態、そして人口にしても何もかもが最低の状態であった。
s-2017-01-18_144808それが戦後の復興期から高度経済成長の時代へと移り、日本人の平均寿命が徐々に延びている報道を受け、嬉しくも誇らしくも感じていた頃から随分になる。
それが今や高齢化社会として誰もが避けては通れない様々な課題と向き合わねばならなくなった。
もっとも高齢化と言いつつ高齢の定義が定まっているとは言い難く、世上かまびすしい昨今だ。
法令上、年齢などで一定の線引きをせざるを得ないことは理解出来る。 しかし高齢というs-2017-01-18_135034言葉が人々のコンセンサスを得ているとしても所詮感覚的なものであって、年齢を基に一律に高齢(者)と決めつけるのは難しいと思うのだ。
ともあれ高齢化については国民全てが考えるべきことで、最善の道を求めねばならないことも当然のこと。決して安易に姥捨て山の如きを暗夜の光明としてはならないと私は考えている。

高齢化社会での様々な課題は私自身が介護を受ける立場になって一層現実的で身近なs-2017-01-18_141410問題となった。
私も家内も高齢者とは思っていないが保険制度上は二人とも高齢者(前・後期)に該当する。
その一方の私が介護を受けざるを得ない状況に陥り、一方の家内が私の介護を行うという将に老々介護の状態にあるのだ。
我が家の場合、家内が元気でいてくれるから私の日常生活も何とか出来ている。 しかし独身者ならどうか、家内の方に介護が必要ならどうか、私が寝たままの状態だとしたら家内ひとりで介護出来るだろうか、などと様々な状況を想定すると私の心はどんどん暗い色に染まっていくのだ。
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昨年末に足腰立たずという緊急事態により入院加療中だった義姉が、内臓等の検査結果良好とのことで運動機能回復のリハビリを受けて昨日退院することが出来た。
これは年明け早々目出度く嬉しいことだ。
家内と家内の姉が手伝いに参じ、帰宅した家内が私に語った第一は元気そうであったということだ。
s-2017-01-18_141903長兄の自宅を思い浮かべつつ聞いたのだが、門に至る石段を手すりを使いながらも自力で上がったこと、椅子ほどの高さがある玄関の式台も、一度腰を下ろして後自ら上がることが出来たとか。
病院での余り良くない状況を聞いていたので、退院、タクシーの乗降、自宅・部屋への入室、自宅内の移動時(敷居、手洗い、浴室など)の障害、炊事や洗濯等々、それぞれに状況を想定しながら家内の報告を聞いたのだった。
理学療法士や介護ヘルパーが訪問してくれるそうだが毎日ではないし時間的にも限られs-2017-01-18_135907ているので、自費で家政婦さんにも来てもらうことにしたらしい。 
しかしいずれも家人ではないので訪問時には長兄が在宅していなければならない。が、その長兄が難聴気味なので来客の報せが分かるかどうか。
長兄は町などから引き受けていた職は辞めたそうだが、某市の講師は年度末までの契約のため代務者無く担当せざるをえないのだとか。
s-2017-01-17_103912長兄89歳、義姉87歳。 
老々介護そのものである。

介護保険制度無くば、個人の蓄え無くば・・・・
心が暗くなるのは私だけではないと思うが。

☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*
直ぐ上の写真2葉はフランスのピアニス、・リチャード・クレイダーマン。 若く優しい音を奏でる人だなあと気に入り、カセットテープを買って聴いていたのは1970年代後半だった。 
その彼も既に60歳を過ぎているはずだ。
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『センチメンタル・ジャーニー』や『ケセラセラ』を歌ったアメリカの素敵な女性歌手、ドリス・デイは大正生まれのはず。 Whatever will be, will be・・・何度も口ずさんだものだ。
赤い帽子のビング・クロスビーもアメリカの歌手。 ホワイト・クリスマスと言えば先ず彼の名前が浮かぶ。
アンディ・ウィリアムスにペリー・コモもアメリカの歌手だ。 白黒テレビの頃、ペリー・コモ・ショウを見ていたことを思い出す。
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記録された声や記憶に高齢化は無いのだ。



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January 16, 2017

我が家の正月 【3】

正月。
私は昔っから正月イコール松の内、つまり1月1日から7日までを正月と解してきた。
勿論、正月三が日は特別だが、松の内は小・中・高等学校の始業式期日とも相まって何の不都合も感じなかった。
しかし、成人式の日が以前は1月15日であり、15日を小正月とか女正月と呼ぶ風習もあることから、この日までは正月かな?と、正月の期間についてはかなり大まかに対応していたことも事実だ。
これには年賀状の当選番号の抽選が15日(確か)に行われていたことも理由のひとつだった。
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上は韓国の友人からの年賀カード。 韓国は旧正月を祝うが日本人の私に合わせて送ってくれるのだ。
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我が家の正月・松の内に行うことを思い出してみると、子どもたちが小さかった頃は二日に書初め、それに私の両親がやってきて共に子どもの誕生祝いをしたものだった。
近頃は先に書いたように来客と共に新年を寿ぐ祝いの宴を楽しませてもらっている。
5日、炉を切っているわけではないが初釜の真似事のような茶事を。 
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と言っても客を招くわけでもないし、正座が出来ない現在の私ゆえに食卓で椅子に座ったままお茶を戴いたのだった。
茶菓子は毎年『花びら餅』と決めている。
白味噌あんに牛蒡を求肥で巻き包んだ菓子で、食感に味わい共に私好みである。色合いも花びらを感じさせるようで良いものだ
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そして7日は『七草粥』を。 と言っても、これも七草が手に入らないので『七草粥もどき』を戴いた。
《『せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ』これぞ七草》
小さかった頃に両親が教えてくれたことだ。
『三つ子の魂百まで』とも言う。 両親に教わったのは何十年も昔のことだが今もってよく覚えているものだ。
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写真では分かりにくいが、白色の『すずしろ=大根』は入っているが他の草は入っていない。
《七草粥もどき》と赤字で記入した通り、代用品として人参、白菜、しめじ、ねぎ、ワカメが入っているので『六草粥』と言えるかな。
品数で言えば1種類少ない『六草粥』だ。
しかし雪がちらつく寒々とした荒れ野で、ひたすら春を待つ『なずな』や『ごぎょう』を摘んできて『七草粥』を作っていs-2017-01-13_164340たであろう平安時代の宮廷女人たちからすれば家内が作ってくれた『六草粥』は贅沢極まりない物に見えることだろう。

この7日、デザートに我が好物のイチゴが出てきた。
温室やハウスといった栽培手法の開発によって真冬でもイチゴを食べることが出来るようになった。
いまでは当たり前と思えることだが、昔の人たちにとっては豪奢な食べ物と思ったに違いない。 私自身贅沢だと思うくらいだから。
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上は昨年秋が深まった頃に吊るした渋柿で、とても良い色合いに仕上がっているので7日に初めて食べてみたのだ。
「うまい。甘ーい。」------------上出来だった。
このところ度々デザートや三時の茶請けに頂いている干し柿だ。

 




masatukamoto at 19:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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