February 2017
February 19, 2017
ヴァレンタイン・デー 【1】
2月14日はヴァレンタイン・デーであった。
愛の告白だの世話になっているからだの義理だのと様々な理由付けがあるようだが、チョコレートを贈るという行為と合わせ、St. Valentine's Day も日本の年中行事のひとつとしてすっかり根付いてしまったようだ。
キリスト教と関わりなくとも結婚式をキリスト教会で挙げ、キリスト降誕を祝うクリスマスを我が年中行事にしてしまうなど、元々の意味合いなど関係なく、見かけ上、或いは形式上我が身にとって都合の良い部分だけを上手に取り入れてしまうと、これはひょっとすると日本人の特性かもしれぬ・・・・・と。
古くは自然崇拝も含め森羅万象様々な事象をも八百万の神々として崇拝していた日本人社会に仏教が伝えられてから以降、仏教に対する人々の姿勢にも日本人の特性の片鱗を見ることが出来るような・・・・・。
神仏混淆という将に色の異なる水飴を練っただけで飴という本質を変えることも存在を否定することも無い摩訶不思議なる術を使ってきたのだ。
興福寺と春日大社のように寺と神社が相互に守護するような関係や、後に仏様は人々を救うため様々な神様に姿形を変えて現れるのだという考えが受け容れられていったのだ。
『人の噂も七十五日』と言うが、こうして受け容れられていった飴は一千年もの長きにわたって定着してきたのである。 ちなみにこの飴を砕いたのは天皇中心の国家体制を作る目的で神仏分離(判然)令を出した明治新政府であった。
都合の良い部分を上手に取り入れるのが日本人の特性だと断言することは出来ないが、近頃思うのはハロウィンも都合よく取り入れ年中行事化してしまうのではということだ。
ハロウィン本来の収穫祭的意味合いそっちのけで祭の仮装部分だけを取り込んでしまうということだ。
『万物流転』『盛者必衰』との熟語もある。
無かった事物が生まれ、受け継がれる。しかし興味が薄れ伝承断絶となれば消滅することもある。
『諸行無常』である。
ヴァレンタイン・デーに関わって次回にも《つづく》
愛の告白だの世話になっているからだの義理だのと様々な理由付けがあるようだが、チョコレートを贈るという行為と合わせ、St. Valentine's Day も日本の年中行事のひとつとしてすっかり根付いてしまったようだ。
キリスト教と関わりなくとも結婚式をキリスト教会で挙げ、キリスト降誕を祝うクリスマスを我が年中行事にしてしまうなど、元々の意味合いなど関係なく、見かけ上、或いは形式上我が身にとって都合の良い部分だけを上手に取り入れてしまうと、これはひょっとすると日本人の特性かもしれぬ・・・・・と。
古くは自然崇拝も含め森羅万象様々な事象をも八百万の神々として崇拝していた日本人社会に仏教が伝えられてから以降、仏教に対する人々の姿勢にも日本人の特性の片鱗を見ることが出来るような・・・・・。
神仏混淆という将に色の異なる水飴を練っただけで飴という本質を変えることも存在を否定することも無い摩訶不思議なる術を使ってきたのだ。
興福寺と春日大社のように寺と神社が相互に守護するような関係や、後に仏様は人々を救うため様々な神様に姿形を変えて現れるのだという考えが受け容れられていったのだ。
『人の噂も七十五日』と言うが、こうして受け容れられていった飴は一千年もの長きにわたって定着してきたのである。 ちなみにこの飴を砕いたのは天皇中心の国家体制を作る目的で神仏分離(判然)令を出した明治新政府であった。
都合の良い部分を上手に取り入れるのが日本人の特性だと断言することは出来ないが、近頃思うのはハロウィンも都合よく取り入れ年中行事化してしまうのではということだ。
ハロウィン本来の収穫祭的意味合いそっちのけで祭の仮装部分だけを取り込んでしまうということだ。
『万物流転』『盛者必衰』との熟語もある。
無かった事物が生まれ、受け継がれる。しかし興味が薄れ伝承断絶となれば消滅することもある。
『諸行無常』である。
ヴァレンタイン・デーに関わって次回にも《つづく》
February 10, 2017
雪の予報
ゆき、雪、ユキ。
2月8日夕刻、西日本では積雪との予報がテレビで語られていた。
雪深い地域に住む人たちには叱られそうだが、雪が積もるということが殆ど無い地域で過ごしてきた私にはエエ歳しても猶、
♪ 雪やこんこん あられやこんこん
降っても降っても まだ降りやまぬ
犬は喜び 庭かけまわり 猫はこたつで丸くなる
の犬の気分になるのだ。(正しい歌詞不詳)
しかし昨日は訪問リハのため Y・PTが車で来てくれることになっていたので雪が降り積もると困るなあと、半ば雪が降ることを半ば雪が降らないことを願うという何ともエエ加減な気分で朝を迎えたのだった。
近頃は日の出の時刻も7時15分頃と早くなってきているので
6時半頃には外の様子も判別がつくようになっている。
時折り雪がちらつくものの路面はアスファルトの黒い色が見えていたので、うーん、残念という気持ちと、ああ良かったという安堵の気持ちが将に半々。
全くお子ちゃま並みだと内心クスクス笑いが込み上げてくるのを抑えることが出来なかった。
天気予報では相変わらず大雪の警戒を呼びかけるものの、私の視界の雪はチラチラするものの積もる気配は無く、朝方には白かった家々の屋根も夕刻には瓦の色合いを見せるまでになってしまっていた。
そうしてすっかり日が暮れた6時半頃、未だ満月には至らないが随分膨らんだ月が東の空に見えたのだが、テレビの天気予報では、西日本の降雪は明くる10日もほぼ
一日中続くようなことを言っていた。
10日も Y・PTが来てくれるので、今回は雪が降っても積もらないようにと念じて眠りについたのだった。
単車が通常のエンジン音を響かせながら移動しているということは積雪は無いか、あったとしても大したことは無いと推測出来たのだ。
そのうち毎朝6時少し前に聞こえる自動車のエンジン音と、その音が遠ざかっていく音も普段通りに聞こえたので今朝は『積雪無し』と確信したのだった。
事実確信したことに間違いなく、夕刻の現在まで怪しい雲の動きは何度もあったが、雪が降るようなことは無かった。
うーん、果たして明日はどうなるだろうか。
明日、家内がレッスンに出かける予定になっている。
大きいケースを持っての移動だから積雪も降雪もお断りなのだが・・・
2月8日夕刻、西日本では積雪との予報がテレビで語られていた。
雪深い地域に住む人たちには叱られそうだが、雪が積もるということが殆ど無い地域で過ごしてきた私にはエエ歳しても猶、
♪ 雪やこんこん あられやこんこん
降っても降っても まだ降りやまぬ
犬は喜び 庭かけまわり 猫はこたつで丸くなる
の犬の気分になるのだ。(正しい歌詞不詳)
しかし昨日は訪問リハのため Y・PTが車で来てくれることになっていたので雪が降り積もると困るなあと、半ば雪が降ることを半ば雪が降らないことを願うという何ともエエ加減な気分で朝を迎えたのだった。
近頃は日の出の時刻も7時15分頃と早くなってきているので
6時半頃には外の様子も判別がつくようになっている。
そんな外の様子を見ると、屋根に薄っすら積もった雪が光を反射してか、いつも以上に明るく見えた。
時折り雪がちらつくものの路面はアスファルトの黒い色が見えていたので、うーん、残念という気持ちと、ああ良かったという安堵の気持ちが将に半々。
全くお子ちゃま並みだと内心クスクス笑いが込み上げてくるのを抑えることが出来なかった。
天気予報では相変わらず大雪の警戒を呼びかけるものの、私の視界の雪はチラチラするものの積もる気配は無く、朝方には白かった家々の屋根も夕刻には瓦の色合いを見せるまでになってしまっていた。
そうしてすっかり日が暮れた6時半頃、未だ満月には至らないが随分膨らんだ月が東の空に見えたのだが、テレビの天気予報では、西日本の降雪は明くる10日もほぼ
一日中続くようなことを言っていた。
10日も Y・PTが来てくれるので、今回は雪が降っても積もらないようにと念じて眠りについたのだった。
夜明け前、単車のエンジン音が聞こえたので多分新聞配達の人だろうと注意して聴いていると、暫くしてエンジン音が移動していくのが分かったのだ。
単車が通常のエンジン音を響かせながら移動しているということは積雪は無いか、あったとしても大したことは無いと推測出来たのだ。
そのうち毎朝6時少し前に聞こえる自動車のエンジン音と、その音が遠ざかっていく音も普段通りに聞こえたので今朝は『積雪無し』と確信したのだった。
事実確信したことに間違いなく、夕刻の現在まで怪しい雲の動きは何度もあったが、雪が降るようなことは無かった。
しかしテレビでは西日本の降雪・積雪の注意が明日も猶必要だと報じている。
うーん、果たして明日はどうなるだろうか。
明日、家内がレッスンに出かける予定になっている。
大きいケースを持っての移動だから積雪も降雪もお断りなのだが・・・
February 08, 2017
立 春 《蕎麦打ち見学》
2月4日、蕎麦打ちの見学と打ち立て蕎麦を味わう催しに誘いを受けたからと家内は出かけて行った。
蕎麦打ちを披露してくれたのは本職の蕎麦職人ではなく、あくまで趣味で学んだだけ、でも蕎麦打ちは趣味や仕事以上に好きで、とりわけ蕎麦の香りが大好きなのだと語る人だったのだと。
その蕎麦打ち氏、仮にA氏としておこう。
以下、携帯電話でA氏の蕎麦打ちの様子を家内が撮影したので、それらの写真を紹介することに。
蕎麦こね鉢を前に、A氏は福井(越前)の師匠に蕎麦打ちを学んだと語り始めたとか。
関東の蕎麦は蕎麦殻を取り去り、蕎麦の実の白い部分を蕎麦粉として使っているため白っぽい蕎麦が一般的なのだと。
《 蕎麦の実は最も外側に黒っぽい色をした蕎麦殻があり、その内側に薄い緑色の甘皮部分、更にその内側に白い胚乳部分と胚芽部分によって成り立っている。》
しかし越前の蕎麦は黒っぽい色の蕎麦殻ごと挽くので蕎麦自体が黒っぽくなるのだと。
この越前蕎麦について、関東の白っぽい蕎麦に比べて香りが強く、もちもち感も強くて美味しいのだとA氏が語っていたとか。
この日は蕎麦粉に小麦粉を混ぜて打たれたらしいが、8:2だか 7:3だか割合を聞いたものの私が忘れてしまった。
写真-1-の最初は粉全体を湿らせる程度に固まらないように軽くサラサラ混ぜることから始めるのだと。
そして身体は常に蕎麦こね鉢に向き合い、状態は前屈みにして蕎麦粉の香りを顔全体で嗅ぐようにこねるのが大切らしい。
写真-4-あたりで粉全体に湿気が均等に馴染み、粉がダマ状になってくるので、それらを鉢全体を使ってこねるようにしていくと写真-6-のようになる。
その後は鉢の中の蕎麦生地を綺麗にまとめて練り込む作業が続いたのだと。
作業は常に太鼓状になるよう胴の部分を太鼓の皮の部分へ包み込むように練っていたらしく、体重をかけるように随分力が入っているように見えたのだと。
讃岐うどんはコシがあるといわれるが、それは足で踏み固める作業のためと聞いている。
写真-5-から写真-7-に至る蕎麦生地を練り込む作業が讃岐うどんの踏み固める作業にあたるのだろうか。
写真-9-で延ばした蕎麦生地をのし棒で延ばしていく作業が写真-10-から写真-12-だ。
当初円形に延ばした生地をのし棒に巻き(写真-12-)、向きを回転して更にのし棒を転がし延ばす作業を繰り返すことで蕎麦生地が円形から方形に変わっていく。
このA氏、蕎麦生地を巻く時と延ばす時では湿気をもった棒と乾燥している棒の2本を使い分けしているのだと。
どうしてなのか、これは忘れてしまった。
写真-14-は、こま板に合わせて蕎麦切り包丁で生地を裁つ。
写真15-、蕎麦打ち終了。
次は茹でる作業に。
私は蕎麦よりも饂飩の方が好きだが、蕎麦を美味しく頂くには①蕎麦打ち、②茹で具合、③蕎麦つゆ、④薬味の四拍子揃うことが大事ではと思っている。
更に言えば天ぷらと日本酒があれば、これはもう言うこと無しだ。
この蕎麦打ち見学と蕎麦を味わう催しを行ったのは『ぶどう組』。
お店は樟蔭女子大の直ぐ近くにあり、私も何度か訪れたことのある居酒屋で主人(中央奥)と女将(右手前)二人が切り盛りしている。
料理素材やお酒にこだわりを持ち、万事徹底している二人である。多分蕎麦つゆは主人が作ったであろうから、この日の催しに参加した者たちは皆ほっぺたを落としたことだろう。
賢くお留守番をしていた私には家内が頂戴してきた蕎麦を茹で、デパ地下で買ってきてくれた天ぷらを、それに冷酒(蔵人の詩)を添えてくれた。
蕎麦打ちを披露してくれたのは本職の蕎麦職人ではなく、あくまで趣味で学んだだけ、でも蕎麦打ちは趣味や仕事以上に好きで、とりわけ蕎麦の香りが大好きなのだと語る人だったのだと。
その蕎麦打ち氏、仮にA氏としておこう。
以下、携帯電話でA氏の蕎麦打ちの様子を家内が撮影したので、それらの写真を紹介することに。
蕎麦こね鉢を前に、A氏は福井(越前)の師匠に蕎麦打ちを学んだと語り始めたとか。
関東の蕎麦は蕎麦殻を取り去り、蕎麦の実の白い部分を蕎麦粉として使っているため白っぽい蕎麦が一般的なのだと。
《 蕎麦の実は最も外側に黒っぽい色をした蕎麦殻があり、その内側に薄い緑色の甘皮部分、更にその内側に白い胚乳部分と胚芽部分によって成り立っている。》
しかし越前の蕎麦は黒っぽい色の蕎麦殻ごと挽くので蕎麦自体が黒っぽくなるのだと。
この越前蕎麦について、関東の白っぽい蕎麦に比べて香りが強く、もちもち感も強くて美味しいのだとA氏が語っていたとか。
この日は蕎麦粉に小麦粉を混ぜて打たれたらしいが、8:2だか 7:3だか割合を聞いたものの私が忘れてしまった。
写真-1-の最初は粉全体を湿らせる程度に固まらないように軽くサラサラ混ぜることから始めるのだと。
そして身体は常に蕎麦こね鉢に向き合い、状態は前屈みにして蕎麦粉の香りを顔全体で嗅ぐようにこねるのが大切らしい。
写真-4-あたりで粉全体に湿気が均等に馴染み、粉がダマ状になってくるので、それらを鉢全体を使ってこねるようにしていくと写真-6-のようになる。
その後は鉢の中の蕎麦生地を綺麗にまとめて練り込む作業が続いたのだと。
作業は常に太鼓状になるよう胴の部分を太鼓の皮の部分へ包み込むように練っていたらしく、体重をかけるように随分力が入っているように見えたのだと。
讃岐うどんはコシがあるといわれるが、それは足で踏み固める作業のためと聞いている。
写真-5-から写真-7-に至る蕎麦生地を練り込む作業が讃岐うどんの踏み固める作業にあたるのだろうか。
写真-9-で延ばした蕎麦生地をのし棒で延ばしていく作業が写真-10-から写真-12-だ。
当初円形に延ばした生地をのし棒に巻き(写真-12-)、向きを回転して更にのし棒を転がし延ばす作業を繰り返すことで蕎麦生地が円形から方形に変わっていく。
このA氏、蕎麦生地を巻く時と延ばす時では湿気をもった棒と乾燥している棒の2本を使い分けしているのだと。
どうしてなのか、これは忘れてしまった。
写真-14-は、こま板に合わせて蕎麦切り包丁で生地を裁つ。
写真15-、蕎麦打ち終了。
次は茹でる作業に。
私は蕎麦よりも饂飩の方が好きだが、蕎麦を美味しく頂くには①蕎麦打ち、②茹で具合、③蕎麦つゆ、④薬味の四拍子揃うことが大事ではと思っている。
更に言えば天ぷらと日本酒があれば、これはもう言うこと無しだ。
この蕎麦打ち見学と蕎麦を味わう催しを行ったのは『ぶどう組』。
お店は樟蔭女子大の直ぐ近くにあり、私も何度か訪れたことのある居酒屋で主人(中央奥)と女将(右手前)二人が切り盛りしている。
料理素材やお酒にこだわりを持ち、万事徹底している二人である。多分蕎麦つゆは主人が作ったであろうから、この日の催しに参加した者たちは皆ほっぺたを落としたことだろう。
賢くお留守番をしていた私には家内が頂戴してきた蕎麦を茹で、デパ地下で買ってきてくれた天ぷらを、それに冷酒(蔵人の詩)を添えてくれた。
February 07, 2017
節分前後・・・Ⅲ
節分前日の2日、友人と会うことになっているからと出かけた家内が夕刻に帰宅。
「元気そうだった?」
「うん、とっても。」
普段なら「おかえり」の言葉をかけるのだが、この時は違っていた。
家内が会って来た友人は3年ほど前にヤヤコシイ病気で手術を受けた女性。退院した現在も治療を受けつつ経過観察中の人だからだ。
もともと快活な人で家でジッとしているのが嫌いらしい。しかも病気との闘争で負けたくないからと、あちらこちらへ出かけて買い物をしたり友人と会話を楽しんだりすることで気分転換を図っているらしいのだ。
そんなこともあってか、お土産を沢山頂いてしまったと手荷物を提げた家内が申し訳なさそうな顔をしながら友人の様子を語ってくれたのだった。
先ずは良かった良かったと。
家内が出かけて私が留守番をする時はCDを聴いているか録画しておいたN響コンサートか洋画を観て過ごすことが多い。
この日はイタリア・オペラを主に。ジーノ・マリヌッツィのジャクリー、ジョアキーノ・ロッシーニのセビリアの理髪師、 ジャコモ・プッチーニの妖精ヴィッリ。
盛り沢山だが何度も聴いているセビリアの理髪師は好みの場面のみを。
レコード盤ならこのような贅沢な聴き方は出来なかったがCDにしろビデオにしろ便利で有難いものだと思う。
帰宅した家内がお風呂に行ったので妖精ヴィッリの最後の場面を聴いていた。
詫びる婚約者ロベルトに対してアンナ(の声)が詰り責める。妖精ヴィッリたちの踊りに巻き込まれたロベルトは精根尽き果て落命するのだ。
そこへ「お先に」と・・・・・
「ギャーッ」
現れ出たのは妖怪?それとも鬼?
正直不気味であった。
気色悪―い。一体何者。
「お土産に頂いたフェース・パックを付けてみたの。」
と家内。
ぶっはははは。
「ピエロか?」
「ドラえもんらしいよ。」
あまりに気色悪いから写真に色を付けてやった。
少しくらいドラえもんに近付いたかな?
「元気そうだった?」
「うん、とっても。」
普段なら「おかえり」の言葉をかけるのだが、この時は違っていた。
家内が会って来た友人は3年ほど前にヤヤコシイ病気で手術を受けた女性。退院した現在も治療を受けつつ経過観察中の人だからだ。
もともと快活な人で家でジッとしているのが嫌いらしい。しかも病気との闘争で負けたくないからと、あちらこちらへ出かけて買い物をしたり友人と会話を楽しんだりすることで気分転換を図っているらしいのだ。
そんなこともあってか、お土産を沢山頂いてしまったと手荷物を提げた家内が申し訳なさそうな顔をしながら友人の様子を語ってくれたのだった。
先ずは良かった良かったと。
家内が出かけて私が留守番をする時はCDを聴いているか録画しておいたN響コンサートか洋画を観て過ごすことが多い。
この日はイタリア・オペラを主に。ジーノ・マリヌッツィのジャクリー、ジョアキーノ・ロッシーニのセビリアの理髪師、 ジャコモ・プッチーニの妖精ヴィッリ。
盛り沢山だが何度も聴いているセビリアの理髪師は好みの場面のみを。
レコード盤ならこのような贅沢な聴き方は出来なかったがCDにしろビデオにしろ便利で有難いものだと思う。
帰宅した家内がお風呂に行ったので妖精ヴィッリの最後の場面を聴いていた。
詫びる婚約者ロベルトに対してアンナ(の声)が詰り責める。妖精ヴィッリたちの踊りに巻き込まれたロベルトは精根尽き果て落命するのだ。
そこへ「お先に」と・・・・・
「ギャーッ」
現れ出たのは妖怪?それとも鬼?
正直不気味であった。
気色悪―い。一体何者。
「お土産に頂いたフェース・パックを付けてみたの。」
と家内。
ぶっはははは。
「ピエロか?」
「ドラえもんらしいよ。」
あまりに気色悪いから写真に色を付けてやった。
少しくらいドラえもんに近付いたかな?
February 06, 2017
節分前後・・・そのⅡ
節分と聞いて大方の人たちが思い浮かべるのは『豆撒き・鬼・立春』の三つだと思う。この予想は多分9割9分間違ってはいないだろう。
そしてこれらの言葉から派生的に『鬼は外・福は内』の掛け声と共に『赤鬼・青鬼』の顔や姿が連想され、更に『どうして立春だけ?』という疑問までも思い浮かんでくるのだ。
節分の意味は季節を分けることであって、温帯域に位置する日本には四季があるのだから当然節分も四つなければならない。
つまり立春のほか、立夏、立秋、立冬の前日も節分なのだ。
それが何故に立春と節分の結び付きのみが強く意識されるようになったのか。
昔の人たちが春を待ちわびる気持ちが作用したかもしれないし、暦学、易学、陰陽道、神道や仏教などの思想も影響を与えてきた結果かもしれない。
五穀豊穣や病魔退散を願い、大難は小難に小難は無難にとの祈りや願いは、結果除災招福の人々の思いを表すものとして立春前日の節分豆撒きの儀式と強く繋がることになったのかもしれない。
では豆を投げつけられる鬼は実在したものか想像上のものか、一体いつごろ現れたものか、赤色か青色か、それとも両方?、角や牙はあったのか、虎のパンツをはいて金棒を持っていたのか。
鬼についての疑問も広がる。
『出雲国風土記』大原郡(阿用郷)の項には目一鬼(まひとつおに)が山田へやって来て男を食べたということが書かれており、本書は奈良時代(733年)の編纂だから私が知る鬼の話では最も古いものになる。
興福寺(奈良)国宝館では木造の天燈鬼と龍燈鬼立像を保管しているが、これらは鎌倉期に制作されたものだ。
鬼の話と言えば『桃太郎』もある。
桃から生まれた桃太郎がキビ団子を与えて家来にした犬、猿、雉と共に鬼ヶ島へ鬼退治に行った話だ。
また、姫をさらって喰らう鬼で有名な大江山の『酒呑童子』の話もある。
この話は御伽草子に書かれており、桃太郎の話も共に室町時代より語られてきたものである。
酒呑童子は源頼光と頼光四天王と呼ばれる者たちによって退治されたが、この四天王のメンバーには坂田金時が含まれている。
ハイシドウドウ ハイドウドウ
この童謡で有名な足柄山の金太郎、その人である。
鬼がいつ頃出現したのか浅学菲才の私になど分かろうはずもない。 ただ私が知る限り今より1284年以前には既に鬼と思えるものが人々の思い《ココロ》の中に現れていたことは確かだと。
人のココロには善に対する悪、恐怖に対する安堵、攻撃に対する守備(退避)など様々な相対する考えや思いというものがあり、同時にそれらを様々な事象に見立てて分かろうとする思考も働く。つまり鬼というのは人々にとって相容れない怖ろしく危険な悪の象徴として描き出していたのではないだろうか。
みんなが、そんな青鬼や赤鬼のココロを持ったなら豆撒きという伝統的行事は無くなる?
うーーむ。ぶっはははは。
節分のことから随分と発想が広がってしまった。
※ 青鬼は閑にまかせてお絵かきを。 興福寺・立像二体はクリアブックより。
そしてこれらの言葉から派生的に『鬼は外・福は内』の掛け声と共に『赤鬼・青鬼』の顔や姿が連想され、更に『どうして立春だけ?』という疑問までも思い浮かんでくるのだ。
節分の意味は季節を分けることであって、温帯域に位置する日本には四季があるのだから当然節分も四つなければならない。
つまり立春のほか、立夏、立秋、立冬の前日も節分なのだ。
それが何故に立春と節分の結び付きのみが強く意識されるようになったのか。
昔の人たちが春を待ちわびる気持ちが作用したかもしれないし、暦学、易学、陰陽道、神道や仏教などの思想も影響を与えてきた結果かもしれない。
五穀豊穣や病魔退散を願い、大難は小難に小難は無難にとの祈りや願いは、結果除災招福の人々の思いを表すものとして立春前日の節分豆撒きの儀式と強く繋がることになったのかもしれない。
では豆を投げつけられる鬼は実在したものか想像上のものか、一体いつごろ現れたものか、赤色か青色か、それとも両方?、角や牙はあったのか、虎のパンツをはいて金棒を持っていたのか。
鬼についての疑問も広がる。
『出雲国風土記』大原郡(阿用郷)の項には目一鬼(まひとつおに)が山田へやって来て男を食べたということが書かれており、本書は奈良時代(733年)の編纂だから私が知る鬼の話では最も古いものになる。
興福寺(奈良)国宝館では木造の天燈鬼と龍燈鬼立像を保管しているが、これらは鎌倉期に制作されたものだ。
鬼の話と言えば『桃太郎』もある。
桃から生まれた桃太郎がキビ団子を与えて家来にした犬、猿、雉と共に鬼ヶ島へ鬼退治に行った話だ。
また、姫をさらって喰らう鬼で有名な大江山の『酒呑童子』の話もある。
この話は御伽草子に書かれており、桃太郎の話も共に室町時代より語られてきたものである。
酒呑童子は源頼光と頼光四天王と呼ばれる者たちによって退治されたが、この四天王のメンバーには坂田金時が含まれている。
♪ まさかり担いで金太郎 熊にまたがりお馬のけいこ
ハイシドウドウ ハイドウドウ
この童謡で有名な足柄山の金太郎、その人である。
話が反れそうなので整理すると、昔の人たちが鬼をどのように思っていたかを想像してみると、姿形については興福寺の天燈鬼・龍燈鬼などから、そして鬼が人間を喰らう怖ろしい奴だということは書物や語りから理解し想像したのではないだろうか。
鬼がいつ頃出現したのか浅学菲才の私になど分かろうはずもない。 ただ私が知る限り今より1284年以前には既に鬼と思えるものが人々の思い《ココロ》の中に現れていたことは確かだと。
人のココロには善に対する悪、恐怖に対する安堵、攻撃に対する守備(退避)など様々な相対する考えや思いというものがあり、同時にそれらを様々な事象に見立てて分かろうとする思考も働く。つまり鬼というのは人々にとって相容れない怖ろしく危険な悪の象徴として描き出していたのではないだろうか。
浜田廣介氏の童話『泣いた赤鬼』に見られる人間的善性を持つ鬼が描かれたことが昭和期以前にあったかどうか知らない。人間を食う鬼というのは許せないが『一寸の虫にも五分の魂』と言うではないか。浜田廣介氏が描く青鬼や赤鬼のココロ持たば世界の紛争も・・・・・
みんなが、そんな青鬼や赤鬼のココロを持ったなら豆撒きという伝統的行事は無くなる?
うーーむ。ぶっはははは。
節分のことから随分と発想が広がってしまった。
※ 青鬼は閑にまかせてお絵かきを。 興福寺・立像二体はクリアブックより。