March 2017

March 29, 2017

一里塚

前回、歩行の調子について小っちゃな目標だが立てることが出来るようになってきていると書いた。
私の目標が一里ごとにあるわけではないが、長く続くリハビリ街道の一つの通過点であり次の通過点への出発点でもあるという意味で一里塚と呼ぶことにした。s-2017-03-29_155144
3/19が二つ目の一里塚だが、一つ目の一里塚は3/6~3/11と定めていたのだった。
しかし最初の一里塚は体調イマイチのところへ悲報を受け取ったこともあってオモイを断念。
6年ぶりに画廊へ、そして武本氏の顔も見せてもらおうと思っていたのだが残念。
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19日は何とかなったが、この時のことは別途書くことに。
第3の塚は4/1。
多分、桜の花が見ごろになっているだろう。
長い時間を立っていることは未だ無理なので車椅子が必需だが、今のところ何とか行事をこなs-2017-03-29_155750せそうだ。
第4の塚は5月6月になる。
知り合いが女子大の公開講座を担当するというので何とか聴講にと思っているのだ。
果たしてどうなるか。
例えダメであっても『継続は力』であり、ダメ点も一里塚である。






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March 26, 2017

18日(土曜日)のこと

前日(17日)足の回復具合は先ず先ずのように思えたが医療に関して素人の私が感じたことなので、リハビリに訪れたY・PTに骨や筋肉の動きについて専門の立場からの評価を求めてみた。
と言うのも、ひとつの区切りとして当面19日を目途に歩行の安定性をより確かなものにしようと訓練を続けてきたので、一里塚にあたるその日の歩ける具合を想像してみたかったのである。
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これまでも折々に回復状況を記してきた通り、回復は一足飛びに進むものではないし常に上向きに進展するわs-2017-03-15_154750けではない。正に紆余曲折、山あり谷ありの道を三歩進んで二歩下がる状況でやって来たのだった。
一定の目途すらつけることが出来なかった以前に比べ、このところ
10日とか20日といった期間を定めて『コレくらい・なら』という、ほんに小っちゃな目標だが立てることが出来るようになってきているのだ。
つまり闇雲にというのではなく、或る程度明瞭な目標とそこに至る道筋をはっきりとイメージすることが出来るという幸せ街道をヨチヨチ歩き始めたということだ。
歩行の調子を図で示すなら正弦波形が最適である。以前は黒色の波線が示すように良い時と悪い時の差が大きく時間的にも短い周期であった。
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実際の周期は一定ではないが、現状も山あり谷ありの状態でピンク色の線が示すように歩行調子の良し悪しは高低差少なく時間軸でも長く安定感が増していると感じている。
望みは赤い平坦な線が示す如き安定歩行が出来ることだ。
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18日(土曜)。
翌日のことを考え、両足の浮腫みに対し着圧靴下をはき、両膝・腰の不安定に対しサポーターを装着。
更に湿布薬を左右腰に各1枚、左右ふくらはぎ各1枚、両膝に2枚、両腿に2枚と合計8枚貼るのだが、一袋は7枚入りだからいつも1枚足りないのだ。
医師の処方数を制限しているため常に不足状態が続いているのだ。
四角四面で机上の空論、痒い所に手が届かないのが厚生行政。まったくツマラン。
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三時のおやつに頂いた『たねや』のお菓子。
紫色の花はクリスマス・ローズ。
昨秋Fさんに頂いた株を家内が鉢植えにしていたのだが、クリスマスに咲かず3月半ばになって花が咲いたのだ。
何とケッタイナ花だと思ったのだが、もともとの種はヨーロッパで冬の時期に咲いていたことから名付けられたようだが、交配種が多く日本では1月から3月が開花時期なのだと。
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ふーん。
この日、家内も美容院へ行くなど何やかやと忙しい日であった。
寿司屋の大将Ⅰ氏が出前に使った桶や皿を引き取りに来てくれたのもこの日だった。
16日に春のご馳走を頂いたところなのに、またまた好物を差し入れてもらった。
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バッテラの黒鉄(くろがね)だ。
お刺身はマグロと・・・・・
サワラ、ビンチョウ、カジキ、ワニ・・・??
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色合いや食感、切り身の大きさやナマモノ、季節等々、いろいろ想像したが結局ワカラン。
Ⅰ氏に教えてもらわねばならんことの一つ目。
差し入れ、二品目は海鼠(ナマコ)。
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ナマコも旬としてはぼちぼち終わりに近づいたかな?
私個人としては今の時代、好物に旬などなくて良いと思っているのだが。
ナマコと言えば今は貴重な海鼠腸(このわた)。
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ナマコのハラワタだがナマコ1匹に僅か1本。
塩辛として保存出来るが、私はナマコから取り出したものに軽く塩を振って頂くことが多い。
もう半世紀も昔のこと、石川県輪島だったか富山だったかで竹筒に入ったコノワタの塩辛や蒸しアワビを酒肴に友s-2017031819250001人たちと飲んだ記憶があるが、当時は安かった。
Ⅰ氏に教えてもらわねばならんことの二つ目。
魚の身をたたいたものとネギだかニラだかとを混ぜて蒸したような・・・・・
ワカラン。
ワカランものの美味しく頂いた。
いつもいつも有難う。








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March 24, 2017

3月17日、留守番

3月17日、彼岸の入り。
夕刻に会食があると家内が出掛けて行った。
カターイ言葉で言えば晩餐会。ディナー・パーティーということになるが家内たちの集いは大層なものではない。
集いのメンバーにお酒を飲む男性が一人いるが、他は飲まない女性陣なので毎回殆どアルコール抜き状態で料理と会話を楽しむ宴になっているらしい。
私に言わせれば、そんなのは宴でもパーティーでもないのだが、別にケチをつけるつもりはないのでココまで。
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留守番をする時の私の過ごし方は大体決まっているが、夕刻よりの場合、家内が作ってくれている夕食と共に晩酌を楽しむことにしている。
晩酌と言っても家内と食事をする時は熱燗、冷酒、ワイン、焼酎の湯割り、まあ何でも来い来いなのだが、一人で夕食の場合は冷蔵庫からビンを出して食卓に運ぶことが困難だし、熱燗をとコンロに向かうことも出来ないので、座ったままで簡単に出来る焼酎の湯割りを飲むことにしている。
 千代香
湯沸しポットが食卓に載っているので思い通りに出来るし、冬場は何と言っても温かいのがいい。
もっとも、お刺身など日本風の料理の場合、いつもの『蔵人の詩』を冷蔵庫から取り出してくるようにしている。
足が悪くても、持つことが困難でも、ぶっははははは。 美味しく味わうことを美徳のひとつと心得ている貪欲で卑しい私のことだから両手の杖に命を託して四合瓶をテーブルに運ぶことにしている。
テレビを見ることもあるがニュース以外に好んで観る番組は少ない。
この夜は前日に届いたCDを食事と共に楽しんだ。
s-2017-03-15_143439『ラーメンな女たち』。
何ともケッタイナ表題の
CDだが、『矢野顕子と
上原ひろみ』、共にアメリカと日本を股にかけて活躍しているジャズ・ピアニスト&シンガーである。
詩も書くし多彩な人たちに違いはない。
『上原ひろみ』については、何年か前R子に頂いたCDによって彼女の音楽感性を知り、その後何枚かCDを仕入れたのだが、この二人の合作CDが販売されているのを知って発注していたのだ。
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私には珍しい買い物ではあるが、音楽を聴くことは嫌いではない。好みはあるが、基本的に・・・・・音楽に限らず私に排除の論理は無い。
お二人ともにラーメンが大好きとのことだが、日本語として『ラーメンな』という表現はオカシイだろう。
音楽家としては素晴らしいと思うが、ケッタイナ日本語を使うのはムムムムム。
この夜、10時前だったか帰宅した家内がプレゼントだと頂いてきたCDを手渡してくれた。
『中島みゆき』のCDだった。
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彼女の曲や歌い方には共通するものがあり、ちょっと聴けば『中島みゆき』だと分かるものが多いが、私はそれが嫌いではない。
『中島みゆき』と初めて出会ったのは1970年代の終わり頃だったろうか、後輩Mの車に乗せてもらった時に聴いたカセットテープの歌声だった。
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どんな音楽も、音楽はほんに良いものだ。








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March 23, 2017

ご褒美

3月に入って2週間、連日二月堂で修二会の本行が勤められ、15日に満行を迎えた。
今年は3月20日が彼岸の中日(春分の日)となるので彼岸の入りは17日、明けが23日となる。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言う。
春ももう直ぐだなあと思っていた3月8日に悲報を受け取り、暫く追憶の日々を過ごしていた。
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追憶はMs.U とフィンランドについてだったが、追想はグラナダのアルハンブラ宮殿(スペイン)を訪れた時にも繫がっていった。
思い出すままにパソコンのお絵描きをやってみたが、早く足の調子が回復し、家内と今一度訪ねてみたいものだと思う。
アルハンブラ宮殿もグラナダの街も歩くことが出来なければ楽しむことが出来ない。
歩行機能が一気に回復することは無い。そんなことは百も承知だ。しかしこれまで毎日リハビリを続けてきたことで何とか少しばかり歩くことが出来るようになってきている。将に継続は力なのだ。
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頑張っている体には褒美をあげて気力を翌日に繋げるようにもしている。
『春』を味わいたいと寿司屋の大将Ⅰ氏に天ぷらを揚げて持って来てもらった。
こごみ、タラの芽、ふきのとう、にんにくの芽、等々。
春・春・春・春、春いっぱい。
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桜鯛、タコ、ホタルイカ。
ぼちぼち終わりかとフグの白子の塩焼きも頼んだのだった。s-2015012710310000
大きい立派な白子があれば勿論ヒレ酒も。
下関の料亭・春帆楼と京都伏見の黄桜酒蔵のコラボ商品『ふくのひれ酒カップ』(写真・右)だが、それに大将Ⅰ氏に頂いたトラフグのヒレを焼いて加えた香ばしいヒレ酒を家内に作ってもらった。
下の写真が家内・作の香り味わい共に美味なるヒレ酒。
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豪華なご褒美であった。
こんなご褒美を毎晩頂けるならサイコーなのだが・・・・・

久し振りにブログ更新となった。
明日も書けるかな。
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March 11, 2017

哀しい報せ

3日前、フィンランドから航空便が届いた。
宛名の文字に胸騒ぎを覚えつつ封を切った。
窓の外は雪が降っているとの書き出しから、哀しいお知らせを伝えねばならない・・・と。
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病気療養中であった U が1月末に亡くなり、親しい者たちによって町の墓地に埋葬したとの内容であった。
『生者必滅、会者定離』。
そんなことは百も承知だが、落ち込んでいく気持ちはどうしようもない。

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昨年末のクリスマス・カードに体調が思わしくないと書いていたので気になってはいたのだが・・・・・
私が緊急手術を受けて入院生活を送っていた時と同じく彼女もヘルシンキの病院で血液系難病の治療を受けていたのだった。
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彼女との交流は私が中学生になった4月末に頂いた航空便から始まったのだった。
現代はエアメールなど珍しくもない時代である。 テレビ、インターネット情報は勿論のこと、あらゆる物資の流通も時間や地域など何もかもがボーダーレスになっている。
s-2017-03-11_100312しかし中学生になるまでに私が知った国はそう多くはない。知ったと言っても国の名前程度のことで、日本史や偉人伝記に出てくる国のほか、進駐軍のアメリカ、シベリア引揚げ船からソ連邦、朝鮮動乱や李承晩ラインから韓国・朝鮮、バナナの台湾ぐらいだった。
フィンランドという国は Ms.U から手紙をもらったことで初めて知ったのだ。
60年近くも前のことだが思い出が次々と繫がり広がる。
決してオーバーではなく、私がいろんな国や文化などに興味・関心を持つきっかけを与えてくれたのが彼女だったのだ。
サイナトサロ(Säynätsalo)からの手紙は私の英語学習に力を与えてもくれたのだった。
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やがて彼女が大学入学試験に合格して
白い学生帽Ylioppilaslakkiをかぶりユヴァスキュラ大学(Univ of Jyväskylä)へ進学したと同じく私も大学へ。その後、彼女も私も教育(研究)職にと進む道筋も似ていた。

仕事、結婚、子育てと互いに忙しい時期になって手紙のやり取りが少なくなったが、20数年前、私がヘルシンキを訪れた際に片道3時間かけて宿泊ホテルまで来てくれたのだった。

これが最初で最後、互いの人生でただ一度のデートとなってしまった

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フィンランドの景色を思い出して色付けしてみたが想い出は尽きぬ。
元気であれば飛んで行くだろうが・・・・・






masatukamoto at 15:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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