July 2017

July 30, 2017

おみやげ

このところ家内が出かけてもおみやげが無いことが多くチョット残念な気分になることが多い。
自由に出かけることの出来ない私の立場からは、子どもみたいだと笑われるかもしれないが自宅以外の外の空気を感じるモノに触れることがとても嬉しいことなのだ。
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市場、銀行、郵便局など散歩のついでに寄って来るような外出におみやげを期待しているわけではない。
もう少し遠方へ出かける場合のことなので、しょっちゅう機会があるわけではない。s-2017-07-30_115630
ごく最近に絞って言えば、日曜日のレッスンは午後一番にひとつだけだったので私のおやつを用意して夕刻に帰宅。 早い時間帯に帰宅したのでデパ地下に立ち寄る必要が無かったと言うわけ。木曜の27日は友人たちとの月一度の会食があったが、私の夕食を用意して出かけたのでデパ地下に寄る必要もないし、帰宅時にはデパートも閉店している為おみやげを買うことも出来なかったと。
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今日は午後一番のレッスンに続いて二番目を行い、夕刻よりは仲間たちと先日の演奏会の打ち上げ会を催すのだと。
そんなわけで今日は早めの昼食を11時に。
高校生の頃の早弁を思い出すが、今は年齢的にも体力的にも・・・・・
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で、家内は私のおやつと夕食を用意して12時前に出かけて行った。
s-2017-07-30_130610今の時期だからおやつは時間が経っても大丈夫な『柿の種わさび』。
ワビシイおやつだが私の好みだから、マッいいか。
夕飯・・・・と言ってもご飯抜き。まあ少しお酒を頂くので酒肴としてのおかずばかりだが、それらは冷蔵庫に入れてくれている。
今日は何を用意してくれているのか分からない。
s-2017-07-30_125140が、ともかく冷蔵庫に入れてある物をテーブルに運び移すことぐらいは出来るまでに私が回復してきたということ。
ついでにこのことを報告しておこう。
もっとも、「イイチ・ニイー」「イイチ・ニイー」と超ゆっくりなリズムで掛け声を掛けながらの歩行ではあるが。
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そういうわけで今夜の家内の帰宅は多分遅くなるのでおみやげを期待することは出来ないということ。
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masatukamoto at 15:28|PermalinkComments(0)

July 29, 2017

スズメの鳴き声から

今朝5時20分頃、チュンチュンチュンチュンという雀の鳴き声が飛んで行くのを聞いた。
2017-07-29_090808既に日の出の時刻は過ぎているが、空全体がどんより曇っているためにお日様は見れない。
と、カナカナカナカナとヒグラシの鳴き声を今夏初めて聞いた。
ミンミンゼミを小さくしたようなセミだが、こ奴『日暮(ひぐらし)』という名前の通り、日暮れの頃によく鳴くので薄暗い状況が好きなのかもしれない。
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セミは夏の虫を代表するもののひとつだが、鳴き声ではなく視覚的に楽しませてくれる虫にホタルがいる。s-2017-07-30_074058
私が子どもの頃は大阪市内のいずれでも(多分)ホタルを見ることは出来なかった。近頃は一部の料亭やホテルの庭園でホタルを放って観賞会を催しているが、大阪市内にはホタルの幼虫が食すカワニナなどが生息する自然環境が無かったからだろう。
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大阪市内を流れる川は地域によって新淀川、大川、堂島川、寝屋川、横堀川、道頓堀川、木津川など様々な名前で呼ばれるが全て淀川と大和川水系の川である。
近頃は随分と川も綺麗になってきたが、私の高校生時代頃までは濁った藍色のドブ川のようなもので安治川や大阪港などは赤茶けた、とても川や海を思い浮かべることの出来る色ではなかった。
戦後、朝鮮戦争を期に重工業や化学工業などの発展で経済復興を成してきた日本だが、一方で環境汚染も同時進行していたのだ。
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そんなこんなで私は成人するまでホタルが飛び交う光景を見たことが無かったのだ。
ホタルと言えば子どもの頃、『 ほ、ほ、ほたる来い。あっちの水は苦いぞ。こっちの水は甘いぞ。』と歌っていた。
しかし実態を知らないものだから知識上のホタルを経験的に知っている情景とを頭の中で合成し、そんな仮想状況を思い浮かべながら歌っていたのである。
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小学校卒業式での『蛍の光』斉唱も同じこと。
源氏や平家は日本史での知識としても物語名としても知っていたし、勿論ホタルの種名としても知っていた。
高校時代、『蛍雪時代』という雑誌を読んだこともあったが、言葉や意味として知っているだけのことだった。
桃色-1
上のホタル狩りのような光景に私が初めて出会ったのは1980年(S.55)頃だった。
城崎温泉へ流れる円山川の上流・八木川にそそぐ沢のひとつ、丁度時期的には7月末から8月初め、鉢伏山のキャンプ場のあたりだった。
無数のホタルが将に乱舞する光景に接したのは1991年(H3)か1992年の6月初めの頃だったように思う。
長門市(山口県)三隅町の湯免温泉近くの用水路わきの農道で、これは本に素晴らしいものであった。
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この時に千畳敷(長門市)にも案内してもらったのだが、日本海で漁するイカ釣り船の漁火を高台から眺めた時の光景が双璧となって印象に残っている。
【7月29日記】
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昨夕6時すぎ、ジジジジジジジーと音。
セミの鳴き声かと思ったが、一定の音量で休みなく続くものだから当初は私の耳鳴り症状かと。
s-2017-07-19_085211が、違うようなのでエアコンなど電気器具の電源を切ったが変わらず。 やって来た家内に部屋の外、家の外にまで出て聴き確かめてもらったところ音源場所は特定出来ないものの外部には違いないとの返答。
水道管から水が噴き出している様子も無かったので一安心。
7時頃、気が付かぬ間に音は消えていた。
どうも音の感じからはクマゼミが集団で鳴いていたような・・・・・
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July 28, 2017

夫唱婦随

家内と知り合って以来、あと何年かで半世紀を迎える。
この間夫婦の力関係で言えばずっと夫唱婦随と言える間柄であった。
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私が我が儘だったことにもよるが、決して亭主関白と言う言葉に含まれるような威張り散らす暴君のような存在ではなかった。
夫が唱え妻がそれに従うという間柄に違いは無いが、夫唱と婦随の間には必ず私からの提案理由説明と家内からの質問や意見などの交換があり、その後に婦随という恰好になっていたということだ。
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しかしそれが何時の頃からか唱と随の間での家内の主張する力が強まり、夫唱婦随の関係式が成り立たないことが多くなってきていた。
とりわけ私が病を得てからは完全に婦唱夫随となり、不承不承ながら私が従うことが多くなった。s-2017-07-19_085658
まあ已むを得まい。
フショウブショウは韻のつながりからの洒落のつもりだが、こういうのをオジンギャグとかオヤジギャグと言うのかな?
気持ちの上では2割程度の不足を感じるものの8割は満足と感謝なので、不足分を差し引いても6割は嬉しく有難く思っているということだ。
夫唱婦随でも婦唱夫随でも、どっちでもええこっちゃ。
『仲良きことは美しき哉』やったかな、実篤の言葉は。
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s-2017-07-18_072544写真の花(レイン・リリー)は家内が昨年頂いてきたものだが、今年初めて花が咲いたと写真に撮ったのだ。
我が家には白い花が咲くタマスダレが植わっているが、どちらもゼフィランティス属と同じらしい。


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July 25, 2017

土用丑の日

昨24日は天満の天神さんの夏祭りの宵宮で今日が本宮。
夕刻からは船渡御が行われる。s-2017-07-19_085833
私が子どもの頃、つまり戦後何年かは祭りもおとなしいもんやった。
天神様を乗せる御金幣船は大川を上ったが、お供のどんどこ船は今ほど沢山無かったし、花火が打ち上げられることも無かったように思うのだ。
が、まあ賑やかなことは良いこと。天神様もお喜びだろう。
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そして25日の今日は土用丑の日。
新聞の折り込み広告はウナギ・うなぎ・鰻の蒲焼き写真が満載。
いつもなら匂いや味わいまで明瞭にイメージし、口の中には唾が溜まるのだが今日は少しの刺激を受けただけだった。
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と言うのは、頂いた大きい立派な蒲焼きがまだ冷凍庫に眠っているからなのだ。
嬉しいことで、送って下さった方たちには厚くお礼を申し上げる。
先日来少しずつ家内と頂いているが、肉厚で美味い。
下のように切り分け温めるだけで頂くことが多いが、『う巻き』や『うざく』にして頂いたり、『うな重』や『うな丼』のようにご飯の上に載せて頂いたりと嬉しい限りだ。
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大阪では『うな丼』を『まむし』と言うのだが、私が子どもの頃、恐くて大嫌いなマムシ(蛇)を食べさせられるのかと戦々恐々の思いをしたものだった。
しかし、ひとたび食べてみて、その美味しさを知ると・・・・・・
母親に連れられ道頓堀へ出る度に『まむし』を食べさせてもらったが、確か『いづもや』という芝居茶屋のひとつだったような。
父親には北新地の確か『凡』という店や淀屋橋の『柴藤』という鰻屋に連れてもらったことを思い出す。
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今にして思えば、多分父も母も鰻料理が好きだったのだろう。
うまいもの続きで書けば、先月末頃より家内が出してくれている泉州・水なすの漬物もウマイ。
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そうそう、今日の昼は先に掲げた写真のように『うな丼』風にして頂いたのだが、夕食には鰻の蒲焼きを芯に巻いた玉子焼き、『う巻き』にして出してくれた。
写真は撮っていないが、美味しかった。
s-すいか夏



masatukamoto at 21:46|PermalinkComments(0)

仏の顔も三度まで

安倍首相の作文能力を誉めたことがあったが、昨日のテレビ中継における首相の殊勝な表情を見ていると演技賞もあげて良いと思った。
勿論皮肉である。
演技というのは虚構を事実に、仮想を現実に演じ見せる技(わざ)・能力を意味する言葉だ。
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安倍首相はこれまで「政府への不信を招いたことは、率直に認めなければならない」と言い、昨日の衆院予算委s-2017-07-15_114336では国民に「疑念の目で見られることはもっともだ」とも語っていた。
これまで、『真摯に説明責任を果たしていく』『ひとつひとつ丁寧に説明する努力を積み重ねる』とも語っていた首相である。
『李下に冠を正さず』他のセリフ言上もなかなかの演者であった。
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私が安倍首相に演技賞をあげても良いと思ったのは、結局のところ言行不一致、つまり舌s-2017-07-15_114820先三寸に過ぎなかったと感じたからだ。
質問者からの要請に対し、安倍首相は『国会が決めることで、その決定に従う』と、民主的手法を尊重しているように見せかけているが、心の中では『拒否スル』と決めているのだ。
現在国会での多数派は自民党なのだから、安倍首相お得意のイメージ操作をしているに過ぎないってことだ。
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それに、『記録が無い』とか『記憶して無い』とか、こんなことしか言えない輩が高い給料を取っているという不合s-2017-07-15_114438理さもオカシイだろう。
官邸主導政治を強力に実践している安倍首相である。
総理が上意下達、トップダウンで命ずれば従順なる高給取り諸君は
「ははぁ、仰せのままに。」と、
即刻記録を見つけ、記憶を呼び覚ますことだろう。
にも拘わらず命じないのは安倍首相の『真摯に・丁寧に・説明する』という発言とは矛盾すると私は思うのだが。
赤色-1
いつぞやも書いた。
お前、口先で誤魔化していただけか。
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masatukamoto at 11:46|PermalinkComments(0)
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