August 2017

August 31, 2017

94年前・・・?

昔のことを思い出して書いてきたが、さすがに94年も前の事となれば無理である。
94年前の明日、つまり大正12年(1923)9月1日に発生したのが関東大地震だ。s-2017-08-31_084443
この大地震を教訓に、地震、津波、台風など災害に対処することの大切さを学び、思いを新たにするために設けられたのが防災の日(9月1日)である。
おりしも明日9月1日は立春より数えて210日目。二百十日である。
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私が子どもの頃、二百十日や二百二十日という言葉は台風の代名詞のように受け止めていたものだ。
s-2017-08-31_084823今日(8/31)の天気図を見ると関東地方南方の太平洋上にデッカイ台風15号が書き込まれていた。
因果関係が確かになっているわけではないが、我が家の月下美人は台風が近付くと不思議と花開くのだ。
写真の月下美人は、昨年に家内が大きくなった親木から分けたもので、初めて花をつけたのだ。
親木の枝先を切り取って挿したもので鉢物としては未だ小さい。それで私も見ることが出来るようにと家内が室内に運び入れてくれたのだ。
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しかし花の命は短いと言うように、ひと夜だけ精一杯に花咲かせるのが月下美人である。
s-2017-08-31_085322午後7時頃、つぼみが緩み始めて上の2葉の写真の通り午後10時頃に満開となり、何時間か満開の状態を維持するが、翌朝には長い花茎を垂れて花も力なく下向きに萎れてしまうのだ。
今回花が咲いたのは一株だけだったが、親木や他のものも暫く時期を開けて咲くことだろう。
大輪ではあるが名前の通り純白清楚で香しく、美人の名に相応しい花だと私は思っているのだ。
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今日は家内が朝から長兄宅へ出かけてくれているので一人留守番である。
留守番と言えば楽しみが・・・・・
これまでも書いているが今日のお昼は写真の通りインスタント焼きそばである。
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初めて食べるもので、うーん、先日食べた『焼きそばU.F.O』の方が私の好みと言えるかな。
ドリップ式のコーヒーは京都の小川珈琲。おやつは南部煎餅。
午前中にY・PTの訪問リハを受けたが、一人留守番もしっかり出来るようになってきた。
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August 30, 2017

記憶の広がり 《つづき》

50数年も昔(昭和37年・1962年)、夜食にチキンラーメンを食べていた記憶について書いたが、食べ物からの連想で、この年に初めて食べた物の記憶が甦ってきた。
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病を得てから丸々5年間は食べていない焼き肉を初めて食べたのも昭和37年。
もっとも当時は焼き肉とは言わず、ホルモン焼きと呼んでいた。s-2017-08-09_140919
今の焼肉屋ではロースだバラだミスジだなどと上等な肉を提供しているが、私が初めて食べたホルモン焼きの店ではミノ、レバ―、ハツなど臓物ばかりを扱っていた。(と、思う。)
在日のアジュモニが切り盛りする店は、夜はお酒も提供し毎夜賑わっていた。
初めて知人に連れてもらった時、店内は客たちの賑やかな声にホルモンを焼く煙と食欲をそそる香りが充満していた。
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この時の衝撃的な美味さが病みつきになったことは間違いなく、この後、小遣いをしまつして(貯めて)昼食を食べに行くようになったのだ。
ホルモン焼定食、70円。 s-2017-08-11_162351
その内容が、どんぶり鉢に入ったご飯、白菜キムチ、ミノとレバ―の盛り合わせ。
味噌ダレで和えたホルモンをカンテキの炭火で焼いて食べるのだが、味わいだけでなく香ばしさまでが絶妙の美味さを感じさせてくれたのだ。
アジュモニの作る味噌ダレはホンマ美味しいものであったが今もって味の再現は出来ていない。
s-2017-08-30_114733店へは客の少ない時間帯に行っていたこともあって、アジュモニは何やかやとよくサービスしてくれた。40年ほど前に尋ねたことがあるが店は無くアジュモニの行方も分からなかった。
思い出すままにホルモンを焼いてる絵を。




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季節の移ろい

今朝久し振りに携帯電話のカメラを使って東の空を撮ってみた。
※ 実景はもっと明るいが、太陽の位置をハッキリさせるため画面を暗く調整している。
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前回は7月20日の日の出時の写真を掲載したから今回は
40日ぶりになる。 しかし雲多く日の出時刻を過ぎての写真になってしまったが、日の出時刻が遅くなっていることや日の出位置が随分南へ移動していることは7月21日付ブログ掲載の写真と比べ見れば推認できよう。
明後日は二百十日、9月7日は白露。 いよいよ季節も秋に移る時節になってきたということだ。
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August 29, 2017

記憶の広がり 〔エサ《3》から〕

私が即席麺を食した記憶は昭和37年(1962)、50数年も昔に遡る。
その頃はインスタント・ヌードルとは言わなかった。
確か即席ラーメン、或いはインスタント・ラーメンと呼んでいたように記憶しているが、私の場合、インスタント・ラーメンと言えばチキンラーメンを指していた。
黄緑-1
学寮の夕食時間帯というのは5時半から6時半と早く、日々の自習時間はどうしても夜遅くになってしまい、午後10時2017-08-29_075008頃になるとお腹がググーと鳴ったものだ。
そんな状況を予想していたのだろう、私の母親は時々チキンラーメンをも送ってきてくれたのだった。
毎日ではなかったが週に二度か三度、同室の友人と一袋のチキンラーメンを半分ずつにして夜食として食べていた。s-2017-08-29_101250
成長盛りの私たちにとって満腹感を満たすほどの量では無かったが、一時的にでも腹の虫を抑える食べ物としては贅沢この上ないものであった。
電気湯沸しポットは友人との共有で、蓋付きの丼鉢と箸はそれぞれが用意した。
チキンラーメンを半分に割った量は丼鉢に入れた時に丁度良く、ポットの熱湯を注ぎ蓋をする。
そうして『三分』。
蓋を開けると何とも言えぬ香りが鼻をくすぐり、腹の虫が今一度ググー。
s-2017-08-29_125516湯を吸って膨らんだ麺とスープが程よく丼を満たしているのだ。
とりわけ秋の中間、冬の期末テストの時期に食べた夜食のチキンラーメンが美味かった記憶は今なお鮮明に残っている。
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夜食のチキンラーメンのことを思い出していると、鍋で煮るラーメンのことも思い出してしまった。s-2017-08-09_141011
母が亡くなった昭和39年(1964)の冬から半年ばかり私は祖父の家で寝起きすることとなった。
祖父の世話など家事全般を従兄妹のTちゃんがしてくれていたが、Tちゃんも叔母も二人が講義に出かける時は私が祖父の世話にあたった。 K兄ちゃんが仕事で遅くなる時、Yちゃんが定時に仕事を終えて帰ってきてくれた。
Yちゃん、Tちゃんなどと呼んでいるが私よりも随分の年長者である。
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そのYちゃんが時々作ってくれた夕食が鍋で煮るマルタイ・ラーメンというものだった。2017-08-29_100621
これは湯を沸かし、その鍋でラーメンを煮て、麺が柔らかくなったら粉末スープの素を入れるというもので、チキンラーメンとは作り方が違っていた。
インスタント・ラーメンが何だか懐かしく思い出される。
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前回もインスタント・ヌードルについて書いたが、カップ麺と呼ばれるものを初めて食べたのは昭和59年頃のことだった。
関門トンネル門司側の和布刈神社あたりに設置されていた自動販売機で買ったカップヌードルs-2017-08-23_123224(シーフード)だった。家族でドライブ旅行した時、早朝に着いて朝食代わりに食べたことも思い出した。

※ 写真のカップ麺は家内が長兄宅へ向かった折に用意してくれたもの。



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August 27, 2017

近頃のエサ 《3》

表題を書きながら、やはり【エサ】という表現はいかんなあと思いつつも 「まっ、ええか。」 という思いもあって結局はそのまま。
そのエサについて《1》を書いたのがお盆の15日。その時点で近頃の範囲を7・8月と描いていたのだが、その8月も残すところ4日になってしまった。
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7と8の2ヶ月、日数にすれば62日。1日3食としてエサを頂いた回数は186。ほぼ毎日おやつも頂くので、それも加えると248回。
頂いたエサには同じものがあるにせよ248回分の1が一品なら248品なのだが、1回分に何種類かのエサが盛られているのだから、それらを全て記すことなど出来ない。
まあ時々に写真として記録したものに限定して書いてみることにしよう。
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昨日と本日、家内はレッスンのため朝から大阪市内へ出かけている。
s-2017-08-26_155910以前にも書いたが昼時に家内が留守をする場合は私の昼食を用意して出かけるのだ。
午後3時を過ぎて帰宅予定の場合、おやつも用意しておいてくれる。
昨日も本日も午後3時までに帰宅する予定なので、おやつは無い。
昨日用意してくれた昼食は写真の『焼きそば』であった。

s-2017-08-27_121119本日は写真の『ラーメン』。
昨日の『焼きそばU.F.O』は随分以前に食べたことはあるが、今日用意してくれていた『ラーメン』は初めて口にするものであった。
このような「お湯をかけて3分待つのだぞ」というインスタント・ヌードルの昼食とは何とも侘しいものだと思われるかもしれない。
が、私にすれば大変に嬉しいことなのだ。
家内にはどんどん出かけ、自分の時間を大いに楽しんでくれることを望んでいるのだ。
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私にすれば大変に嬉しいことと書いたが、一番は普段あまり食べさせてもらえないインスタント・ヌードルを食べるこs-2017-08-09_140345とが出来ることだ。 次に夏でも熱い(温かい)料理が好きな私にとって、「お湯をかけて3分待っ」て熱い(温かい)料理を食べることが出来ること。 3番目にお湯が少なくなった湯沸しポットへ家内が用意してくれたヤカンの水を継ぎ足し出来るまでに私自身の足が回復してきていることもある。
s-2017-08-09_140644勿論どんどん家内に出かけて欲しいと願う基底には、私の介助のため5年も(12月で)自分の時間を潰してくれたという経緯がある。 家内は潰したなどとは言わないが、私にとっては負い目になっていることは事実だ。
家内が留守の折、私の時間の過ごし方は本を読むか音楽を聴くか、勿論音楽を聴きながら読s-2017-08-09_140455書や物書き、パソコンをいじることもあるし、ビデオを観ることもある。
一人での外出は出来ないが、留守番は出来るようになってるので家内にはどんどん出かけてもらいたいものだ。


masatukamoto at 16:04|PermalinkComments(0)
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