October 2017
October 31, 2017
《続》 中華料理
北京料理か北京〔風〕料理かはさておき、かれこれ30何年かぶりに土佐堀の徐園を訪れた。
以前訪れた時はジェトロだったか貿易に関わるパーティーだったように記憶しているので多分叔父の仕事に関わってのことだったのだろう。
随分久し振りだったが兄の好みが中華料理であることや内輪でゆっくり落ち着いて会食したいと、私の希望も入れて『個室・円卓・4人』という条件で店を探したのだった。
私は中華料理に限らず円卓というのが結構好きなのだ。勿論方形のテーブルも悪くはないが人数が多くなると向かい合う席は良いが頭を右に左に振らねばならないのがオモシロクないのだ。
ともあれ見事な飾り掘り(切り)の前菜から会食が始まった。
この席を設けた目的はいろいろとある。が、呼びかけは私の半快祝いとしておいた。
早く全快祝いをしたいのだが現状は未だ未だ遠いが故に、半分快癒で半分壊れているという何とも中途半端な祝いとも言えぬ祝いとしたのだ。
ともかく何やかやと気遣い苦労してくれている姉夫婦と家内に僅かなひと時でも寛いでもらえたらと、そんな思いも込めての席であった。
今回の料理もあっさり系の味わいで食材・調理・盛り付け・料理提供のタイミングなど、私にとっては満足出来る内容であった。
コース料理もフカひれ煮込みまでは写真に収めたものの、後はお喋りを楽しみながら美味し料理に舌鼓を打ち、兄とは旨酒を酌み交わすのに夢中で写真撮影は何処かへ飛んでしまっていた。
写真を撮るのは忘れたが、北京ダックの他、牛肉や海老、アワビや松茸の料理などなど食べたものは覚えている。
私は大満足だったが、厳しくアルコールなど食事制限をしている兄の体が大丈夫か気になりながら・・・・・ついつい、楽しみの方に重きを置いてしまった。
以前訪れた時はジェトロだったか貿易に関わるパーティーだったように記憶しているので多分叔父の仕事に関わってのことだったのだろう。
随分久し振りだったが兄の好みが中華料理であることや内輪でゆっくり落ち着いて会食したいと、私の希望も入れて『個室・円卓・4人』という条件で店を探したのだった。
私は中華料理に限らず円卓というのが結構好きなのだ。勿論方形のテーブルも悪くはないが人数が多くなると向かい合う席は良いが頭を右に左に振らねばならないのがオモシロクないのだ。
ともあれ見事な飾り掘り(切り)の前菜から会食が始まった。
この席を設けた目的はいろいろとある。が、呼びかけは私の半快祝いとしておいた。
早く全快祝いをしたいのだが現状は未だ未だ遠いが故に、半分快癒で半分壊れているという何とも中途半端な祝いとも言えぬ祝いとしたのだ。
ともかく何やかやと気遣い苦労してくれている姉夫婦と家内に僅かなひと時でも寛いでもらえたらと、そんな思いも込めての席であった。
北京料理は宮廷料理の流れを汲むものと聞くが中国の宮廷料理など食べたことがないので北京料理と宮廷料理の繫がりなど分からない。ただ私は北京料理として食べたものについて、あっさりした料理という印象をもってきた。
今回の料理もあっさり系の味わいで食材・調理・盛り付け・料理提供のタイミングなど、私にとっては満足出来る内容であった。
私たちが使った個室は多分8~10人程度対象の部屋だろうと推量したが、とても静かで落ち着いた感じを受け、環境的にも満足出来るものであった。
コース料理もフカひれ煮込みまでは写真に収めたものの、後はお喋りを楽しみながら美味し料理に舌鼓を打ち、兄とは旨酒を酌み交わすのに夢中で写真撮影は何処かへ飛んでしまっていた。
写真を撮るのは忘れたが、北京ダックの他、牛肉や海老、アワビや松茸の料理などなど食べたものは覚えている。
ちなみにお酒は乾杯時のビールの他、日本酒(冷酒)と瓶ごと温めてもらった紹興酒。
私は大満足だったが、厳しくアルコールなど食事制限をしている兄の体が大丈夫か気になりながら・・・・・ついつい、楽しみの方に重きを置いてしまった。
masatukamoto at 13:22|Permalink│Comments(0)│
October 29, 2017
秋の便り
季節の移ろいは様々なことから感じられる。
1番はカレンダーで。
ぶっはははは、後の順番は付けにくいが強いて付けるとすれば下のようになろうか。
2番、日の出と日の入り時刻の変化。目覚めた時の窓外の明るさの違い。
3番、気温の変化。暖かいとか肌寒いとか微妙な変化。
4番、食べ物、特に食材の変化。
5番、生けてくれる花によっても感じるものだ。
外歩きが自由に出来ない私だが、色付いた柿が摘まれる季節になってきたのだと視覚的に感じ取れたのだった。
昨年は11月半ばから干し柿作りに取り掛かったが今年は
20日ばかり早くなった。
今年はⅠ氏から柿を頂いたので買わなくても良いかもしれないと思いつつ、どうしようかと思案している。
毎年結構美味しい干し柿に仕上がるので私たちのおやつに丁度良いし、プレゼントしても喜ばれるので家内も楽しんで作業してくれるものだから・・・。
ともかく家内が皮むきをして私が紐かけ、外へ吊るすのは家内がと、協同作業である。
日が前後するが、9月20日の彼岸の入りに家内が栗ご飯を炊いてくれた。
食べ物の変化で季節を感じるのは何とも楽しく、食いしん坊の私にとってはサイコーに嬉しいことである。
もう暫くすれば柚子もレモンも黄色く色付くが、9月29日にⅠ氏の店で食事をした時、庭に成っていた実だと頂いたのが下の青柚子と青レモン。
黄色くなったレモンは酸味が強くなるが青レモンは甘味さえ感じるほどで私は好きだ。
沢山手に入った時は果実・汁だけでなく、皮は蜂蜜と混ぜてマーマレードにしていた。
10月に入ってSさんが実家の山の栗だとどっさり持って来てくれたので栗ご飯を炊く日が続いた。
かやくご飯(炊きこみご飯)が好きな私には嬉しい毎日。
写真左上の漬物は水菜で家内の作。
栗ご飯は大好きなのだが、栗は皮むきが大変。
簡単で上手にむける方法を聞いて真似をするが私には出来ない作業だ。
栗は皮をむくのが大変だが魚は骨を取るのがタイヘン。
上はサンマご飯。
タイに比べれば大した骨ではないが、それでも骨があると
ご飯全体がマズイものになってしまう。
かと言って中骨、腹骨をゴッソリ取り去ると身が情けないほどのモノになる。
しかし、そんなことはナイナイの、実に美味いウマイ炊きこみご飯であった。
季節を感じさせてくれるということでは枝豆ご飯も今の旬のものだ。
食で旬を感じ味わう。
何とスバラシイことではないか。
1番はカレンダーで。
ぶっはははは、後の順番は付けにくいが強いて付けるとすれば下のようになろうか。
2番、日の出と日の入り時刻の変化。目覚めた時の窓外の明るさの違い。
3番、気温の変化。暖かいとか肌寒いとか微妙な変化。
4番、食べ物、特に食材の変化。
5番、生けてくれる花によっても感じるものだ。
先日、寿司屋の大将Ⅰ氏が自宅庭の渋柿を摘んで持って来てくれた。
外歩きが自由に出来ない私だが、色付いた柿が摘まれる季節になってきたのだと視覚的に感じ取れたのだった。
昨年は11月半ばから干し柿作りに取り掛かったが今年は
20日ばかり早くなった。
今年はⅠ氏から柿を頂いたので買わなくても良いかもしれないと思いつつ、どうしようかと思案している。
毎年結構美味しい干し柿に仕上がるので私たちのおやつに丁度良いし、プレゼントしても喜ばれるので家内も楽しんで作業してくれるものだから・・・。
ともかく家内が皮むきをして私が紐かけ、外へ吊るすのは家内がと、協同作業である。
日が前後するが、9月20日の彼岸の入りに家内が栗ご飯を炊いてくれた。
食べ物の変化で季節を感じるのは何とも楽しく、食いしん坊の私にとってはサイコーに嬉しいことである。
もう暫くすれば柚子もレモンも黄色く色付くが、9月29日にⅠ氏の店で食事をした時、庭に成っていた実だと頂いたのが下の青柚子と青レモン。
黄色くなったレモンは酸味が強くなるが青レモンは甘味さえ感じるほどで私は好きだ。
沢山手に入った時は果実・汁だけでなく、皮は蜂蜜と混ぜてマーマレードにしていた。
10月に入ってSさんが実家の山の栗だとどっさり持って来てくれたので栗ご飯を炊く日が続いた。
かやくご飯(炊きこみご飯)が好きな私には嬉しい毎日。
写真左上の漬物は水菜で家内の作。
栗ご飯は大好きなのだが、栗は皮むきが大変。
簡単で上手にむける方法を聞いて真似をするが私には出来ない作業だ。
栗は皮をむくのが大変だが魚は骨を取るのがタイヘン。
上はサンマご飯。
タイに比べれば大した骨ではないが、それでも骨があると
ご飯全体がマズイものになってしまう。
かと言って中骨、腹骨をゴッソリ取り去ると身が情けないほどのモノになる。
しかし、そんなことはナイナイの、実に美味いウマイ炊きこみご飯であった。
季節を感じさせてくれるということでは枝豆ご飯も今の旬のものだ。
食で旬を感じ味わう。
何とスバラシイことではないか。
masatukamoto at 20:56|Permalink│Comments(0)│
『~風』、一考
中華料理を代表するものとして広東料理・上海料理・北京料理・四川料理の4つが挙げられる。
しかし料理というものは都市名を冠するだけで単純に分類出来るものではないと私は思っている。細かなことを言うつもりはないが、強いて言えば広東風とか四川風などの表現の方が良いように思うのだ。
つまり、時代が進み人間の生活や文化が変化するのに伴い食材や調理法などでの融合・取捨が繰り返されてきたものと推測するのだ。
四川料理は知らないが辛い味が好きな私はタイでも辛い料理をよく食べた。
日本語で辛いと味覚を表現する素材は塩・コショウ・唐辛子・ワサビ・からし・山椒・ショウガ・大根・ネギ・ニンニク・玉ネギなど様々で、ただ辛いというだけでは何故辛いのか、辛さの原因、辛さの様子や具合、辛さの程度などを補足せねば味わいを伝達するのが難しい。
【写真は、やっと口に出来た新物の安芸菜(山豊)】
この料理を大阪のタイ・レストランで頂くと、唐辛子の辛さが随分まろやかな味わいになっており、私は常に『ペッ・マーク』と注文時に言っていた。
【下は特別純米酒・蔵人の詩(中本酒造)】
日本製の車をアメリカに輸出する際にはハンドル位置を左仕様にするように、タイ・レストランで提供する料理も日本人の舌に合うように変化させているのだ。そしてそれがやがて定着・拡大・変容していくものだと私は捉えている。
『郷に入らば郷に従え』の古諺同様に人間の文化というものは水とアルコールの関係のように自由な割合で際限なく自由に混じり合っていくものであり、純粋とか純一無雑などとは言えないのだ。
つまり、広東料理ではなく広東風料理の方が・・・・・
しかし料理というものは都市名を冠するだけで単純に分類出来るものではないと私は思っている。細かなことを言うつもりはないが、強いて言えば広東風とか四川風などの表現の方が良いように思うのだ。
何千年も昔なら食材や調理法など地域の特性があったかもしれない。しかし交通機関の発達などによって人間はもとよりあらゆる物資の移動もボーダーレスの現代、特定地域のモノと銘打つのは無理があるのではないかと私は思っている。
広東、上海、北京はいずれも大河の河口域に近いことから、食材として川魚の他に海産の魚介類をも用いたであろうが四川は中国内陸部の奥深い場所である。人や物資の移動が短時間で行えなかった四、五千年前の中国を想像すれば四川の料理に生鮮海産物を用いることは出来なかったことが想像出来るだろう。
【上の写真は、たまに出る昼食の、きつねうどん】
四川料理と言えば辛いのが特徴だと聞き知っている。その四川料理を看板に掲げるレストランが大阪の某ホテルにあるが、私は未だ四川料理をうたったものを口にしたことが無い。だから四川料理を四川風料理と『表現する方が良い』とは思うものの『表現すべき』とまで言いきれないでいる。
中国とタイ、歴史・民族・国家・文化と何もかも異なると言えよう。勿論似ているものはあって料理にも言えることだ。
四川料理は知らないが辛い味が好きな私はタイでも辛い料理をよく食べた。
日本語で辛いと味覚を表現する素材は塩・コショウ・唐辛子・ワサビ・からし・山椒・ショウガ・大根・ネギ・ニンニク・玉ネギなど様々で、ただ辛いというだけでは何故辛いのか、辛さの原因、辛さの様子や具合、辛さの程度などを補足せねば味わいを伝達するのが難しい。
【写真は、やっと口に出来た新物の安芸菜(山豊)】
私が好きなタイでの辛い料理のひとつが『ヤム・ウンセン』。春雨とイカや海老、それに玉ネギやパクチーなどの香辛野菜を混ぜ合わせ、酸味・甘味・辛味で味を調えたサラダである。この辛味成分の中心が唐辛子《プリッ(ク)キーヌー》だが結構な辛さである。
この料理を大阪のタイ・レストランで頂くと、唐辛子の辛さが随分まろやかな味わいになっており、私は常に『ペッ・マーク』と注文時に言っていた。
【下は特別純米酒・蔵人の詩(中本酒造)】
日本製の車をアメリカに輸出する際にはハンドル位置を左仕様にするように、タイ・レストランで提供する料理も日本人の舌に合うように変化させているのだ。そしてそれがやがて定着・拡大・変容していくものだと私は捉えている。
『郷に入らば郷に従え』の古諺同様に人間の文化というものは水とアルコールの関係のように自由な割合で際限なく自由に混じり合っていくものであり、純粋とか純一無雑などとは言えないのだ。
つまり、広東料理ではなく広東風料理の方が・・・・・
【姉が漬けた小梅の梅干し】
《上の『~風』は全く独りよがりの個人的オモイを書いただけ。》
masatukamoto at 13:24|Permalink│Comments(0)│
October 27, 2017
中華料理の思い出
中華料理・花閒(ホテル・ブライトン京都)での食事について食材、見栄え、味わい等も含め大変満足するものであったことを前ページで書いた。
この花閒の料理は『食在広州』と広東料理に属するものらしい。
しかし中国は何といっても広い国である。
私が中国語に触れたのは1965年。貿易会社を経営していた叔父からは中国語は方言や発声が7つも8つもあることを聞いていたから北京語の四声は正直拍子抜けの感がしたことを覚えている。
もっとも自分の専攻との関係から中国語は2年で終了し、ドイツ語の習得に移ったものだから中国語は全くモノにならず、中国語は舐めた程度、将に語学を舐めきっていた時期でもあったが、決して不真面目に取り組んでいたわけではない。
その時にもらった中国の国旗を模した赤いバッジは長い間私の机の引き出しに入っていたが今は・・・分からない。
その代表されるという4つが上海・広東・北京・四川の料理である。
先にも書いたように花閒の料理は広東料理。
私の記憶での広東料理は油っこいという印象があるのだが、間違っていたのかもしれない。
香港で食べた料理も花閒の料理も意外と、あっさり系のものであったからなのだが。
『来来』へは母親によく連れてもらったが、この店の雲吞を食べるのが私の好みだった。
コース料理としては1957~8年頃、大阪駅近くのビルディングにあった『新北京』(だったと思う)での円卓で頂いたのが最初であった。
『新北京』でのコース料理、これは家族3人で食べるには多過ぎて、母親が用意しておいた弁当箱に食べきれない料理を詰めていたが、当時の私は何とも恥ずかしい思いをしたものだった。
今の私なら店の人に持ち帰るためのプラスチック・ケースを求めることを恥ずかしいとは思わないのだが・・・・・
だから中華料理と言っても、学生時代には京都・三条大橋たもとの珉珉で餃子とレバニラかチャーハンを食べるのが私の思い出としては深く残っていることなのだ。
もっとも10数年前より蓬莱や王将でランチ・メニューとして出ている料理は食べている。
これは嬉しいことに幾つかの単品をワンプレートに盛ってくれているから量的にも好みからも充分満足できるように組み合わされているからなのだ。
昼間っからビール1本との組み合わせは大満足で贅沢の極みと言えよう。
この花閒の料理は『食在広州』と広東料理に属するものらしい。
私は中華料理に詳しいわけではないが、油っこいとか、あっさりとか辛いとかいった大まかなグループ分けぐらいは出来る。
しかし中国は何といっても広い国である。
私が中国語に触れたのは1965年。貿易会社を経営していた叔父からは中国語は方言や発声が7つも8つもあることを聞いていたから北京語の四声は正直拍子抜けの感がしたことを覚えている。
もっとも自分の専攻との関係から中国語は2年で終了し、ドイツ語の習得に移ったものだから中国語は全くモノにならず、中国語は舐めた程度、将に語学を舐めきっていた時期でもあったが、決して不真面目に取り組んでいたわけではない。
当時、中国では文化大革命が起きている最中、中国語の先生と名古屋で開催されていた中国展(中華人民共和国経済貿易博覧会)へも学習の延長で行ったのだった。
その時にもらった中国の国旗を模した赤いバッジは長い間私の机の引き出しに入っていたが今は・・・分からない。
そんな記憶の中で、叔父からは日本語の方言も幾つかのグループに分けることが出来るが、中国語も7つから8つ、中華料理も大きくは四つに代表されるが、更に分ければ地域の特性を踏まえて7つにも8つにもに分類されると聞いていた。
その代表されるという4つが上海・広東・北京・四川の料理である。
私の記憶での広東料理は油っこいという印象があるのだが、間違っていたのかもしれない。
香港で食べた料理も花閒の料理も意外と、あっさり系のものであったからなのだが。
中華料理として私が頂いた記憶は、単品では大阪・北、阪急東通りにあった『来来』、ミナミの『蓬莱』のもの。
『来来』へは母親によく連れてもらったが、この店の雲吞を食べるのが私の好みだった。
コース料理としては1957~8年頃、大阪駅近くのビルディングにあった『新北京』(だったと思う)での円卓で頂いたのが最初であった。
『新北京』でのコース料理、これは家族3人で食べるには多過ぎて、母親が用意しておいた弁当箱に食べきれない料理を詰めていたが、当時の私は何とも恥ずかしい思いをしたものだった。
今の私なら店の人に持ち帰るためのプラスチック・ケースを求めることを恥ずかしいとは思わないのだが・・・・・
そうした思いだけでなく、中華料理店の1品料理の量は多く、一人で食べに行く料理店として私は中華料理店を敬遠すべき対象としていた。
だから中華料理と言っても、学生時代には京都・三条大橋たもとの珉珉で餃子とレバニラかチャーハンを食べるのが私の思い出としては深く残っていることなのだ。
もっとも10数年前より蓬莱や王将でランチ・メニューとして出ている料理は食べている。
これは嬉しいことに幾つかの単品をワンプレートに盛ってくれているから量的にも好みからも充分満足できるように組み合わされているからなのだ。
昼間っからビール1本との組み合わせは大満足で贅沢の極みと言えよう。
masatukamoto at 20:43|Permalink│Comments(0)│
October 25, 2017
ジジ&ババの集い
1年に一度、同時代人の集いを持っている。
昨年は神戸、今年は京都に集うたが、こうした催しを毎年毎年続けて持つことが出来るのは縁の下で誰かが力を発揮してくれているからで、このことはどのような集まりでも共通して言えることである。
現在は齢60代から80代というジジ&ババたち、今や家族かと見紛う一面も感じられるこのグループの集いを続けて来られたのは、やはり縁の下に力持ち有りで、私も知るM氏が世話取りをしてきているからだ。
しかし出席する者たちの居住地が各地各府県にまたがっていることや70歳代のジジ&ババがメンバーであることを考慮すれば、年一回の開催もうなづけるし、6年も継続していることに感心するのだ。
当然縁の下の力持ちがおり、その役割りを果たしてくれているのがW氏である。
W氏の尽力には勿論のこと感謝している。
が、物事を科学的に見るなら右あるが故に左ありであって、作用に対して反作用ありだ。
W氏の尽力という行為に対し、メンバーたちの出席という行為。つまり相互に作用し合う打てば響く太鼓の如く直ぐに共鳴し合うジジ・ババのグループと言って良いだろう。
この会合を持ったのが9月16日。あいにく雨模様の一日となったが西本願寺から御所への見学コースの中、ホテル・ブライトン京都での昼食会に私も出席することが出来た。
年に一度の集いを私が楽しめたのもW氏のお膳立てがあり、家内の付き添いと息子が車で送り迎えをしてくれたからであった。
一年ぶりの生存確認。ぶっはははは
私は口も胃腸もアタマも元気だが車椅子の世話にならなければならん・・・・・。
しかし脳梗塞だ心筋梗塞だ癌だなどと夫々に克服したとは言うものの大概皆何かの病気持ちの年寄りであった。
だからと言うわけではないがジジ・ババと言ったら「ババは失礼だ。」とクレームがついた。
クレームをつけるほど元気な50年前のお嬢様はワイン好きが高じてカリフォルニアのナパ・ヴァレーまで行って飲みまくったのだとか。
美味い料理には美味い酒。
お嬢はヴァン・ルージュを、W氏は紹興酒、私は純米大吟醸。他はビールだったりお茶だったり元々下戸の者や医師から止められている者も。
お酒と共に楽しんだ料理は写真の通りオシャレに盛られた前菜から始まりフカひれスープに。
ひれを丸ごと煮込んだのが好きだが、スープも食感味わい共に美味しかった。
続いてパオピンで巻いた北京ダックとカニの爪の二種。
その後、牛肉料理や海老料理が出て、上海カニ味噌入りのお粥、ラストは中華揚げ餅とシャーベットだった、かな?。
お昼からのご馳走と円卓でのお喋りに大満足の会合であった。
段数にすれば僅かな階段だが、杖を頼りに歩く私にとっては大いなる助けとなった。
更にひとつ、ホテル・ブライトン京都の食パンのお土産まで気配りしてもらった。
このパンが、また美味かったのだ。
あれもこれも礼を言わねばならないことが沢山たくさんあるが、今年の集いの一端を記すことで感謝の気持ちに代えたい。
昨年は神戸、今年は京都に集うたが、こうした催しを毎年毎年続けて持つことが出来るのは縁の下で誰かが力を発揮してくれているからで、このことはどのような集まりでも共通して言えることである。
家内が出席する月に一度開かれる食事会は、昔々、某職場へ同時期に赴任した者たちのグルーブだが、何と33年も続いているのだから驚き恐れ入るばかりだ。
現在は齢60代から80代というジジ&ババたち、今や家族かと見紛う一面も感じられるこのグループの集いを続けて来られたのは、やはり縁の下に力持ち有りで、私も知るM氏が世話取りをしてきているからだ。
私が参加する集いは年に一度の開催で今年が6回目。家内が参加するグループの33年には遥かに及ばない。
しかし出席する者たちの居住地が各地各府県にまたがっていることや70歳代のジジ&ババがメンバーであることを考慮すれば、年一回の開催もうなづけるし、6年も継続していることに感心するのだ。
当然縁の下の力持ちがおり、その役割りを果たしてくれているのがW氏である。
W氏の尽力には勿論のこと感謝している。
が、物事を科学的に見るなら右あるが故に左ありであって、作用に対して反作用ありだ。
W氏の尽力という行為に対し、メンバーたちの出席という行為。つまり相互に作用し合う打てば響く太鼓の如く直ぐに共鳴し合うジジ・ババのグループと言って良いだろう。
この会合を持ったのが9月16日。あいにく雨模様の一日となったが西本願寺から御所への見学コースの中、ホテル・ブライトン京都での昼食会に私も出席することが出来た。
年に一度の集いを私が楽しめたのもW氏のお膳立てがあり、家内の付き添いと息子が車で送り迎えをしてくれたからであった。
一年ぶりの生存確認。ぶっはははは
私は口も胃腸もアタマも元気だが車椅子の世話にならなければならん・・・・・。
しかし脳梗塞だ心筋梗塞だ癌だなどと夫々に克服したとは言うものの大概皆何かの病気持ちの年寄りであった。
だからと言うわけではないがジジ・ババと言ったら「ババは失礼だ。」とクレームがついた。
クレームをつけるほど元気な50年前のお嬢様はワイン好きが高じてカリフォルニアのナパ・ヴァレーまで行って飲みまくったのだとか。
美味い料理には美味い酒。
お嬢はヴァン・ルージュを、W氏は紹興酒、私は純米大吟醸。他はビールだったりお茶だったり元々下戸の者や医師から止められている者も。
お酒と共に楽しんだ料理は写真の通りオシャレに盛られた前菜から始まりフカひれスープに。
ひれを丸ごと煮込んだのが好きだが、スープも食感味わい共に美味しかった。
続いてパオピンで巻いた北京ダックとカニの爪の二種。
その後、牛肉料理や海老料理が出て、上海カニ味噌入りのお粥、ラストは中華揚げ餅とシャーベットだった、かな?。
お昼からのご馳走と円卓でのお喋りに大満足の会合であった。
円卓でナパ・ヴァレーのワインのことが話題になったが、この集いから半月ばかり後の10月初めに発生した山火事がナパ・ヴァレー一帯のブドウ畑と18ものワイン醸造所の他、一般民家多数を燃やし尽くしたという情報を耳にしている。 何とも気の毒な思いでいっぱいだ。早い立ち直りを心より祈りたい。
集いの企画実施についてW氏には感謝するばかりだが、今回もホテルでの車椅子の手配の他、エレベーターに階段昇降機、手洗い所など私に対応する細々したところにまで気遣いを頂いた。全く有難いことと思っている。
段数にすれば僅かな階段だが、杖を頼りに歩く私にとっては大いなる助けとなった。
更にひとつ、ホテル・ブライトン京都の食パンのお土産まで気配りしてもらった。
このパンが、また美味かったのだ。
あれもこれも礼を言わねばならないことが沢山たくさんあるが、今年の集いの一端を記すことで感謝の気持ちに代えたい。
masatukamoto at 13:23|Permalink│Comments(0)│