January 2018

January 29, 2018

近頃のこと

切れるという言葉はあまり好きではない。しかし悪運を断ち切るとか病巣を切り取るなどと好める言葉もある。
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s-2017-12-22_100250三味線や箏は音を出したり音の高低を表現するために駒や琴柱を用いて糸をピンと張る。ピンと張らんことには音が出ないからだが、撥(バチ)や琴爪で同じ所を弾くものだから時にプツンと切れることもある。
この音の表現は難しい。プシッ、プチン、ピンッ。ともかく張り詰めていた糸が限界点で切れ飛ぶ時の音だから超々短い一瞬の音だ。
そうして切れた後の糸は当然のことダラリ。
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まあ糸が切れるに似たことが山の尾根歩きにも通じる。
さてこれから1mにも満たない幅の尾根道を歩み始めようとする時、リュックの荷や登山靴の紐、天候s-2017-12-22_100119の具合、風向きや強さなどに特段の注意を払い体中の神経が張り詰めるのを感じるものだ。
リュックを背負うだけでも不安定な度合いは高くなるものだが、尾根の両側は深い谷であり、稜線に吹く横風は勿論のこと谷底から吹き上げてくる風で体の安定を損ない尾根道を踏み外す危険もあるからなのだ。
ようやくのこと尾根道を脱して休息出来る小屋に着いた途端、極度に溜まっていた疲労感が一度にドッと。
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年が明けてからの長兄はずっと緊張の糸を張り詰めていたのだろう。
近年聴力は格段に落ち、視力は片眼のみ眼鏡使用で何とか。足腰については未だ未だ元気、とは言っても九十路を歩んでいるのだ。あれやこれやと立て続けに用事が続き、将に多事多端、休息する山小屋も無く尾根道を歩き続けてきたのである。
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漸く最後の峰を越えて山小屋へ。
尾根を一人で歩かせるな。山小屋で一人にさせるな。
行いは難しの私だが、家内にはずっと言ってきた。姉も同じ思いだったのだろう、家内と二人でよく長兄の守りを努めてくれた。 しかしそれぞれ家庭があるのだから24時間毎日というわけにはいかず、日々はヘルパーさんに短時間の訪問を依頼することに。
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二人が次回の訪問を約して2日後、ヘルパーさんが長兄の異常を発見して救急入院させてくれた。
診断は肺炎だった。当人の体が年齢の割には丈夫なこと、病気の発見が早く緊急入院出来たこと、抗生物質投与など迅速な治療が出来たことなど、様々な条件が功を奏したのだろう。今日現在は落ち着いているとの連絡を家内が送ってきた。
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担当のケアマネージャーが、「いくら仲が良かったからって病気まで奥さんと同じにならなくても良いのに」と語ったそうだ。
ぶっはははは
私は家で出来る仕事。大した収入も無い私だが、昨年は私が手術を受けるため入院したので税務申告をしていなかった。故にその仕事などもろもろ。寝る前にはベッドで山本一力氏の作品の追っかけを未だs-2018-01-29_164208に続けているが、日中の音楽や洋画鑑賞に読書はしていない。(出来ないのだ)
寒い折なので湯を注いで作る即席麺の昼食が続いている。が、これは私が懇望しての結果だ。ぶっはははは。
少し変化するのはおやつだけ。柿の種であったり自家製の干し柿であったり。

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尾根歩きと言う意味では姉も家内も休みなく歩き続けている。
二人とも今は元気でいるが共に七十路を歩んでいるのだ。何とか早く私も手伝えるようにと願うが、今は姉や家内までもがプチンと緊張の糸が切れぬよう祈るばかりだ。

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January 25, 2018

追 悼《補》

『生きているサイレンの音』(青春の頃)
          森山 久美子
ただの音だったサイレンを
大戦中から 心が聴きはじめた

女学生のころ 報道が緊迫を伝えると
サイレンの音は うごめく生きもののよう
空気を震わせ怖れの予告を孕み
耳から心臓まで刺すように響く

女学校帰り 他家の軒下で身をかがめ
飛行機が
去るのを待つことも屡々

かつて女学生だった私の耳底深く
貼りついてるサイレンの音が
今尚
屡々 目を覚ます

  ※ 新現代詩《19》2013年12月年末号より
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January 24, 2018

追 悼

詩人・森山久美子女史がお浄土への旅に出られた。
これまで物心にわたり頂いたご恩情に対し深く深く感謝申し上げる。
s-2018-01-21_101138《合掌》






詩人と書いたが、女史は生計を立てるという生業、つまり職業という意味合いでの詩人ではない。
女史の顔は実に様々である。
主婦であり事業家でもある。時に茶道、華道の師範を務め、箏を奏でるかと思えばイタリア民謡を口ずs-2018-01-21_095703さむと、実に多芸多才と評するに相応しい人であった。

そんな女史の詩は彼女の人柄を表すように『やさしさ』『おもいやり』といった慈愛に満ちた作品が殆どであると言って良いだろう。
彼女が生まれ育ってきた環境が彼女の人格形成に大きい役割を果たしてきたことは間違いない。
そんな彼女の人柄が想像出来る童謡詩のひとつを紹介しよう。
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  《かあさんネコ》

かあさんネコが
コネコをナメナメすると
あらったように
まっしろになる
したにせっけん かくしてるのかな

かあさんネコが
コネコをナメナメすると
きづぐち
すっかりなおっちゃう
したにおくすり かくしてるのかな
   ※ 『木曜手帖』(創刊30周年記念童謡集)より
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2011年4月に他界した詩人・島田陽子女史と森山女史は一つ違いである。
島田女史は豊中高女(大阪)、森山女史は第一高女(岡山)と学び舎は異なるが共に戦時という異常な状況下で青春期を過ごさざるを得なかったのだ。
s-2018-01-23_154030森山女史の作品に『生きているサイレンの音(青春の頃)』【別掲】がある。彼女は戦争や飢餓に関する報道がある度、女学生の頃の怖ろしい記憶とが重なり心が痛むとよく語っていた。
召集令状(赤紙)、出征、戦死公報、学徒動員、疎開、空襲、防空壕、焼野原、米穀通帳、食糧不足、栄養失調・・・
s-2018-01-23_153915戦時下、日々悲惨な状況と直面してきた彼女たちにとって、戦争に反対し、平和な世界を求める心は生半可なものではない。
女史の平和な世界を実現したいという願いはベトナムなどの留学生の里親として支援する行為としても顕れた。
9年前になるが彼女は夫と共に里子の娘、つまり孫の結婚式に招かれて米国加州へ飛んだ。彼女にとって最初で最後の海外旅行となってしまったが、里親としてしっかり努めてきたことを示す傍証のひとつと言えよう。
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年をとっても美人だったから若い頃はさぞかし・・・
女史曰く、「100人に求められようとも生涯添い遂げるのは自分が心から好いた人だけ』と。
s-2018-01-21_102332女史の夫君は旧制六高から京大への道を歩んだ。
旧制六高、いわゆるナンバースクールで岡山に設立された旧制高校だから県立第一高女の女史との出会いが烏城を舞台にあったのかどうか、これについては聞いたことがないので分からない。
分かっていることは、女史の夫君が100人より優れた面を持っていたということだろう。その先のことは聞けないままになってしまった。
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女史のお宅を訪れた折、私は彼女が供してくれるお茶が楽しみであった。
濃茶、薄茶、煎茶と、いつ訪れても茶と菓子が用意されており、私が茶を好むことを知っている彼女はs-2018-01-21_103410いつも「もう一服いかが?」と勧めてくれるのだ。
美味い茶を断る言葉など私は知らん。
そんな言葉を聞くことも、美味い茶を戴くことも出来なくなった。
これは全く寂しい限りであるが、今はただ女史が阿弥陀佛の膝下で安寧の日々を送られることを祈るばかりである。
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January 22, 2018

『と』付き

いろいろと用事が重なり家内の外出する日が続くようになった。
以前にも書いたが、家内が昼食や夕食時間をまたいで外出する際、外歩きが出来ない私でも簡単に食事が出来る即席の麺類を用意しておいてくれることが多い。
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つい先日のこと、昼食を用意して出かけた家内の用事が長引き夕食の心配をしなければならない時があった。
s-2018-01-21_120145家内には「気にせんでいいよ」って携帯メールで返事しておいた。
何とか留守番が出来るまでになってきた私であり、家内の外出の後ろ盾をしているとの自負や喜びもある。武士は食わねど高楊枝とも言うが決して痩せ我慢ではない。
まあ一食くらい抜いてもどうってことはないのだから。
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そう思っていたところ、たまたま我が家に用があるからという息子が夕食を買って行くと電話で言い、『親子丼』と『きつねうどん』を持って来てくれた。
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学生時代にはよく『と』付きの食事をしたと書いたことがある。
私が最も印象深く記憶しているのは離島調査の準備を終えて、同行のWとYと私の三人で食べた『と』s-2018-01-21_120448付きの夕食だ。
京都まで帰る汽車賃、勿論のこと鈍行の夜行だが、切符を買った後の3人の持ち金は少ししか残ってなかった。その持ち金を合わせて夕食をとったのだが、天ぷらうどん一杯と飯(小)を三杯であった。
飯だけでは食べづらいが、天ぷらうどんを3等分し、飯の上に天ぷらを乗せれば天丼に化ける。
それにうどんだから、『天丼』と『うどん』、豪勢な『と』付きの3人の夕食になったのだった。
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息子が持って来てくれた『親子丼』と『きつねうどん』。
長らく『と』付きの食事などしたことがなかったから思い出も絡めて大変に嬉しかった。
味わいについては両方とも及第点をあげても良いと感じた。持ち帰りの容器は充分保温できていたし、親子丼の玉子の半熟具合は私好みで良かったのだ。

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January 10, 2018

2018 我が家の正月(4)

八日、家内は大阪市内へ稽古に出かけたので留守番。
s-2017-12-17_091333昨年来ビデオ録画していたデンゼル・ワシントン主演の洋画『イコライザー』を観たり、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートのビデオを楽しんだりした。
九日、家内は演奏練習。肩や背中が痛いと言いつつも練習は欠かさない。将に根性という言葉が当たる。
s-2017-12-22_095850家内が練習中、私はヘッドフォーンを両耳に当ててマーチを聴くことにしている。何故にマーチか。ぶっはははは、マーチというのは基本的に2拍子で聴く者の気持ちを高め鼓舞する目的で作られているから音量がほぼ一定で他から聞こえてくる音を封じる働きが期待出来るからなのだ。
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正月も今日は早10日。
大阪で言う『えべっさん』、つまり戎神社の祭典日である十日戎である。
2018-01-10_140626「商売繁盛で笹持って来い」とリズミカルに掛けられる声に合わせながら昨年頂いた笹を返納しに参拝するのだ。そして帰りには緑の葉色の笹を授かり、様々な縁起物の飾りを福娘に結わえてもらい、持ち帰るのだ。
私が子どもの頃は両親に連れられて堀川戎へよく詣でたものだ。成人してからは今宮s-2018-01-10_132719戎や布施戎に行くことが多かったが、福男選びで有名な西宮神社へは行ったことがない。
詣でた、行ったと言葉を違えているが、勿論意図的に変えているのだが説明は省く。
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今日、家内は長兄宅へ行ったので私は留守番。
正しくは宅ではなく、姉の転入院先にと希望している病院へ行ったのだが、今日のカンファレンスは難儀が予想される。スムースに行けば良いのだが、医療・福祉など行政そのものに問題があり、それが話s-2018-01-10_132402を難しいものにさせていると私は思っているのだ。つまるところ行政のトップである政府がアカンということだ。
そんなこんなで昼ご飯は即席焼きそば。おやつは昨年秋に作った小ぶりの干し柿を2個。(確かI氏に頂いた渋柿だったと・・・)
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masatukamoto at 16:22|PermalinkComments(0)
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