April 2018

April 29, 2018

ボラに関連して(つづき)

安政江戸地震はNHKの大河ドラマ『西郷どん』の一場面としても撮られており、3月に放映されたのだったか・・・。
地震発生の折、薩摩藩邸上屋敷(三田)に駆け付けた吉之助〔西郷〕が崩れる屋敷の中で篤姫を救うというシーンであった。
緑色-2
篤姫や吉之助が、その時実際にどのよう行動をとったのか、そんな記録があるとは聞いたことがないのs-2018-04-21_153323で、分からない或いは知らないと言うのが正しい。しかし、当時の吉之助は一介の御庭番に過ぎぬ身分。それが如何に危急の事態とは言え、将軍のもとへ輿入れしようとする女御の寝所へ立ち入るなど有り得ないことである。
s-2018-04-21_153429史実として明確になっていることについての作り話は許されない。しかし、曖昧な部分について空言を並べ綴るのは自由である。作家にすれば自分の思いや考えを好き放題に広げられる場がこの曖昧で不明瞭な部分なのだ。地震の際の篤姫と吉之助の言動は、実は作家が思い願っていたことのアラワレ?
音符-13
ところでボラの旬だが卵を抱える晩秋から冬場だと聞く。が、私は食べない。所謂食わず嫌いの類いかs-2018-04-21_153950もしれないが、ボラの姿形を思い浮かべると、もう
ダメ。
もっともボラの卵巣を加工したカラスミは台湾のものを一番として大好物である。
病いを得て以来出来ていないが、I氏にカラスミ造りを教えてもらって以来毎年造ってきた。塩加減、飴色の色加減など自分の好み通りに仕上げることが出来ない年もあったが、楽しさプラス美味しさを味わえるので、今年は何とか再開してみたいものだ。
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masatukamoto at 16:25|PermalinkComments(0)

ボラに関連して(1)

随分以前になるが夏初めに洲本(淡路島)の小さな川でボラの一群が泳いでいる様子を見たことがある。頭が扁平で三角形だから直ぐにボラだと分かったが、大きさはイナ程度であった。川上に向かって一群を形成、編隊飛行をしているように見えたのだった。
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ボラについては山本一力氏が彼の作品『いすゞ鳴る』で書いている。
彼は安政江戸地震の前兆現象としてボラの異常行動を取り上げていた。地震発生とその予兆と考えられる様々な現象や行動についての報告は多い。しかし未だそれらの因果関係が証明されたとは聞いていない。が、それはともかく関係する部分を抜き書きしてみる。
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『群れになったボラが、川面を膨らませ』『小さな川舟の底がボラに押し上げられ』『舟底にぶつかったボラが、鈍い音をたてた』『川面を魚の群れが埋めているさまは、不気味で』『大横川が盛り上がっ2018-04-27_131228て見えるほどの群れを目にすると、気丈なおきねでも腰がひけた』『見た目にきれいなはずのボラの背なのに、いまはおきねも朝太も耕造も、身体を震わせながら見ていた。朝日に照らされた大横川が、群青色の染料を流したような色味に見えた。数え切れない数のボラが、大川を目指して泳いでいる』『船着き場につないだ耕造の川舟が、ゴツン、ゴツンと音を立てている。小舟の底に、ボラの群れがぶつかり続けているからだろう』
水色線-5
江戸時代の大横川は仙台掘などと共に大川(隅田川)につながる運河で、現代は『お江戸深川さくらまつり』が催され、川舟による花見クルーズも行われているようだ。
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ところで安政の頃は天変地異が集中的に起きた時期。『泰平の眠りを覚ます上喜撰、たった四はいで夜s-2018-04-25_104130も寝られず』との狂歌の通り、ペリーが4隻の蒸気船で浦賀に来航、鎖国中の日本に大混乱を起こしたのが1853年7月8日(嘉永6年
6月3日)、伊賀上野地震1854年7月9日(嘉永7年6月15日)、安政東海地震
1854年12月23日(嘉永7年11月4日)
安政南海地震1854年12月24日(嘉永7年11月5日)と災厄が続いたため年号を嘉永から安政に改めた《1855年1月
15日(嘉永7年11月27日)》のだ。
そして1855年11月11日(安政2年10月2日)『いすゞ鳴る』の一場面『安政江戸地震』が起きたのだ。
ラインオレンジ色濃い目
上に挙げた地震は古記録などからマグニチュード 7.0 或いはそれ以上とされる大地震で、『いすゞ鳴る』では『地震で家屋が潰された町は真ったいらである。かろうじて潰れずに残った町の大木戸に立つと、隣町のみならず、そのはるか先まで見通すことができた。』と地震被害の大きさを書いている。
       《もう少し続く》
※ スズランも咲いた。今春の風蘭は花数が多く16も咲いた。
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masatukamoto at 11:40|PermalinkComments(0)

April 27, 2018

慣用句・・・

いろんな場面や状況に応じて使われる慣用句は多い。
s-2018-04-21_153002そうした慣用句も他の言葉と同様赤ん坊の頃より聞き覚え、その言葉が使われる状況と、その状況に合った正しい使い方であるかどうかを確かめ使うことによって私たちは自らの語彙量を増やしてきたのだ。
しかし慣用句の成り立ちまでは確かめずに不明のまま一人合点している言葉も無くはない。(ハズ)。
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私が思い出すのは『とどのつまり』という慣用句だ。
中学生の頃には使いこなしていた言葉だが、『とど』はオットセイのデッカイ奴との理解で、何ゆえにs-2018-03-11_191941『つまり』なのか分からないままで済ませてきた。
この部分に突然スポットライトが当たったのは高3の秋頃だったように思う。
日暮れ時、新淀川に架かる十三大橋の欄干から長い釣り糸を垂らしている老人を見つけ、何を釣っているのか尋ねたのだ。
その老人は「イナダや。ボラの手前やな」と応えてくれた。
老人は更にボラは出世魚で大きくなるにつれて名前が変わり、オボコ⇒イナダ⇒ボラ⇒トドとなると教えてくれた。
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併せて挙句の果てと言う時、『とどのつまり』とも言うけど、この『とど』はボラの最後の名前のことなのだと。
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出世魚と言えばブリ(鰤)だけだと思っていた私にとって、『とど』はボラのこと、ボラも出世魚であること、この二つを一度に知ることが出来、棚ボタと言うか僥倖に巡り合えた気分であった。
後に調べたら《ハク⇒オボコ⇒スバシリ⇒イナ⇒ボラ⇒トド》だった。

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新淀川は明治期に大阪港から毛馬の閘門(大阪・都島区)まで開削された川で、満潮時には枚方近くまで海水と淡水が混じり合い、十三辺りではフナ、コイ、クサフグ、ハゼ、ボラなど淡水魚や海水魚が釣れるのだ。
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このボラ、成長段階ではイナであったが仁方港(広島県)で釣り上げたことがある。が、イナもボラも食べたことはない。と言うのは食べる機会が無かっただけではなく、背中が平らで、正面から顔を見た時に逆三角形の形は何とも気味悪い思いをしたからだ。
もっともボラの卵巣を加工したカラスミは大好物である。
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April 23, 2018

揚げ物(3)

タコに限らず天ぷらは好きだ。
物によって天つゆで食べたり塩を付けて食べたり。
s-2018-04-23_090606そんな私の好みを知っている友人たちが結婚祝いに電気天ぷら鍋をプレゼントしてくれた。
油温度は一定に出来るし油は飛びにくいし、二人で揚げたての天ぷらを味わうには申し分のない道具でよく使わせてもらったものだ。
子どもが誕生してからは危ないので使わなくなり、我が家で天ぷらを揚げるということもなくなってしまった。
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子どもたちが大きくなったこともあり、天ぷらを揚げてと家内にリクエストしたところ天ぷら油で酔っぱらうからダメだと、そしてこれは母親が抱えていたのと同じ感覚なのだと結婚して以来初めて聞かさs-2018-03-31_164030れたのだった。
家族の食事のおかずとして天ぷらを揚げるとなると量は多いし揚げている時間も長い。揚げ終えた時には天ぷら油の臭いで参ってしまい食べるどころではないだろう。
この感覚は私にも想像出来るので以後家内に頼んだことはなかった。
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そんな家内も天ぷらが嫌いなのではない。
だから天ぷらを食べたいと思ったら Ⅰ氏の店へ行って無理を聞いてもらってきたのだ。
そんな家内が40数年ぶりに天ぷらを揚げてくれたのだ。
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40数年ぶりの挑戦。
それはタラの芽を頂いたことが最大の理由。それに私が歩きづらい状況にあったので Ⅰ氏の店へ行くことが出来なかったということだ。
美味しかったかって?
勿論、言わずもがなのこと。
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揚げ物(2)

思い出すままに揚げ物の記憶を辿っている。

揚げ物、特に天ぷらについては心底美味いと感心したものがある。
s-2018-02-27_1241531969年当時、近鉄電車(奈良線・大阪線)のターミナル駅は上本町で駅は地上にあった。
上本町六丁目交差点の南東角に近鉄上本町駅舎とデパートのビルがあり、上町筋を挟んで西側、現在はハイハイタウン・ビルが建っている辺りは平地で、その辺りは屋台を含む飲み屋街が形成されていた。
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当時上席に連れられ上本町界隈もよくハシゴしたが、その中の一軒『弁天』という屋台で酒の肴に出してもらった『タコの天ぷら』が今も思い出す絶品なのだ。
タコの足を1本、足先を切り落として長さは20センチくらい、いつも結構太めの足だったが、それをs-2018-03-02_142933水でといた天ぷら粉に浸けて揚げてくれたのだ。
揚げたてのタコ天をまな板の上でサクッ・サクッとブツ切りにして天つゆを入れた鉢と共に出してくれた。
天ぷらは嫌いじゃないところへ大好物のタコである。しかも天つゆのダシが効いて美味いことウマイこと。
上席に連れてもらって以後、私一人でもよく通ったものだった。
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美味しいものを見つけると、その後も何度かその店を訪れるのが私のクセのようなものだ。
勿論、料理を美味しいと感じても二度と行かなかった店も沢山あった。
s-2018-04-21_111359企業が採用後の人材活用の方向性により様々に篩(ふるい)をかけることで望む人材を確保することに努めるのと同様、私も美味しい料理をより楽しく頂くために何度か訪れ、美味しさにプラスされる因子を感じられるかどうか気を配ってきた。その結果、プラス因子の多い所イコール私が好んで通う店となってきたのだった。
これは日本に限ったわけではない。
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揚げ物という点ではウィンナーシュニッツェルが一例だ。
ウィンナーシュニッツェル、つまり仔牛肉のカツ(レツ)だが家内とウィーンに滞在した折、連日市立公園(Stadtpark)内のレストランを訪れて昼食か夕食の際に食べていた。
カツ(レツ)は好物だが、カリカリに上がったパン粉で口の中を何度か切って以来30数年食べることを止めていた。カリカリに上がったカツ(レツ)の表面は私にとってカミソリの刃が何枚も貼られているのと同じだったのだ。
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しかしウィーン市立公園内のレストランで食べたウィンナーシュニッツェルは美味しかったのは勿論のこと、表面のパン粉が小さな粒状で口の中を切ることもなかったことが再度訪れることとなった大きい理由だ。次いでウェイターと仲良くなったことや店の雰囲気、それに滞在していたホテルからぶらぶら歩いてでも行ける距離であったことなどが通うことになった理由だ。
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カリカリに上がったカツ(レツ)は血を見るのが怖くて30数年食べなかったが、玉子とじのカツ丼は食べていた。
カツ丼のカツ(レツ)は丼に盛ったご飯に載せる前に出し汁で煮て玉子をとじるから、その段階でカツの表面は柔らかく変容する。だから安心して食べることが出来たのだ。
《 以下揚げ物(3)に続く 》
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masatukamoto at 11:13|PermalinkComments(0)
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