April 2018

April 23, 2018

揚げ物(1)

もう何十年も天ぷらを揚げなかった家内が天ぷらを揚げてくれた。
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揚げ物と言って私が一番に思い出すのは公設市場入り口に店を構える肉屋が揚げていたコロッケだ。
今思えばただのコロッケだったのだが、ラードとヘッドで揚げる香ばしい洋食の揚げ物は家庭で作るのが難しかったので大変なご馳走と思っていたのだ。
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母はいろんな料理を作ってくれたが、揚げ物として私の記憶に残っているのは小アジの南蛮漬で天ぷらの記憶は薄い。家族が少ない我が家の場合、天ぷらが欲しい時には惣菜屋で買ってくるのが手っ取り早く安上がりだったのかも。
s-2018-04-21_110821今思えば、子どもの頃は小骨のある魚、酢の物、冷たい料理といったものが嫌いだった私ゆえに南蛮漬けの記憶が特別強く残っているのかもしれない。
高校時代には通天閣下のジャンジャン横丁で Nや Mと学校帰りによく串カツを食べた。当時は串カツ1本が6円。キャベツはタダだったので腹の虫のエサに串カツ以上に食べたような・・・
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そのほか揚げ物としては天ぷらうどんを食べた。と言っても専門店が出す立派な素材を使った高価な天ぷらではなく、天ぷらの衣だけを寄せて円盤状に揚げたような超安物の天ぷらだ。しかし、この天ぷらがうどんの出し汁にとろけることで汁とうどんが特級の味わいに変化したのものだった。
素うどんに天かすを載せたものを大阪ではハイカラうどんと言うが、味わいとしては良く似ている。
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揚げ物としては和の天ぷらも洋のビフカツやトンカツ、コロッケも好きではあったが、学生にとってはビーフやポークは贅沢な品でいつも口に出来るものではなかった。
     《 以下揚げ物(2)に続く 》
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masatukamoto at 11:11|PermalinkComments(0)

April 20, 2018

静 ➡ 騒

ひとり留守番をする日は減ったが、日々私の過ごし方に大きい変化はない。
内転筋に炎症を起こしたため回復傾向にあった歩くという動きが出来ずに情けない思いをし続けてきた。それが近頃漸く痛みが和らいできたので喜んでいるところだ。s-2018-04-15_125539
家内が出かける日、つまり私が留守番をする日の昼食はモノは変われど湯沸しポットの湯を入れるだけで仕上がるインスタント麺に変わりはない。
音楽を聴き、本を読み、テレビを見たり物書きをしたり、自由にアッチコッチと動き回ることが出来ない身ゆえ出来ることは限られ、日々の過ごし方に変化の起きようがないのだ。
三時になれば柿ピーをつまみにチョコっとやることもあるが、勿論グヴィグヴィやることはない。
s-2018-04-01_152500ワンショットに満たない程度だから多分15~20mlぐらい、かな?
そして頻繁ではないが来訪者が来ればインターコムで応対し、家の電話のベルが鳴ればこれにも応答している。
このような生活を続けているので私の携帯電話機は充電はしているが、ほぼ仮死状態にある。
時々覚醒させるために写真撮影機能を使うのみで、殆ど食卓の上で寝かせている。
たまにブーブーブーと3度呼び出し音が鳴るが、その後またスヤスヤと眠り続ける。
3度音が鳴るのはメール着信の報せだから急ぎ応答することもない。
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と、或る日、メール着信音が何度も何度も。
常に静かな携帯が・・・『静 ➡ 騒』と。
メール内容から『騒』という字は失礼だが、『静』に対する反対の意味を持つ字として使っただけなので誤解無きように。オネガイ。
と、その夜ブーブーブーブーブーブーと携帯電話の着信音が。
慌てて受信ボタンを押して携帯電話を耳に当てると、
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Happy birthday to you, Happy birthday
to you,
Happy birthday dear Jiji,
Happy birthday to you.

Y氏からの電話だったので直ぐに K 君の歌声だと分かった。
こんな音なら『騒』でも『喧』でも大歓迎だ。
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April 18, 2018

集 い《補》

4月10日付の『集い』でジジ&ババの集いについて書いた。
その集いの世話人をもう何年かずうっと T 氏が担ってくれている。これはなかなか出来ることでないことは世話取りをさせて頂いたことがある私にはよく分かる。有難いことだ。
その T 氏が地震の見舞いを兼ねて集い仲間の A 氏も連れて、昨年ネパールを訪れたことを知った。
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ネパールを大地震が襲ったのは2015年4月25日。ジジ&ババの集いを開催して20日ばかり後のことだった。甚大な被災の様子や以後の復旧が困難を極めている情報はテレビ報道などで私も知っていた。
T 氏は以前から何度もヒマラヤを訪れており、現地ネパールに親しい友人が多くいるので大変心配だと語っていたのだった。
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何年前だったかエベレストのトレッキング程度ならとお誘いを受け、乾季の冬の時期が良いと聞いた記憶もある。
 T 氏に送ってもらった素晴らしい写真を見ながら、今の私には、これから先の私でも山歩きは無理かと・・・
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April 15, 2018

酒 盗

昨日の本稿でも山本一力 氏の作品の追っかけをしていることを書いたが、氏の作品の9割以上が時代小説であると私は推測する。追っかけの最中ゆえに全作品を承知していないので推測と表現したが多分間違ってはいないだろう。
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以前にも書いたが山本氏の作品に触れたのは『ジョン万次郎漂流記』(井伏鱒二・著)をもう一度読んでみたいと思ったところ氏の作品『ジョン・マン』を発見したからだった。
『ジョン・マン』は中浜万次郎の人生を柱とする作品ゆえ、彼の生地・土佐と、遭難した彼を救った米国捕鯨船船長ホイットフィールドとの関わりから米国や捕鯨船の寄港地が舞台になっている。
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私が読んだ限り、山本一力 氏の作品は江戸時代後期、とりわけ1700年代の江戸・深川を舞台とするものが多いようだ。s-2018-04-15_210106
勿論深川以外の町も舞台となり、加賀・金沢、紀州・新宮、大坂や土佐が舞台となる作品もある。
それらの作品に見られる人々の暮らし(貨幣価値、物流、風俗習慣など)について私が幼少期に経験してきたことと重なることも多く、そうしたことが作品のストーリーや作者の表現力にプラスして氏の作品を余計に楽しめているというわけだ。
s-2018-04-15_202654勿論私は昭和生まれで江戸の生まれではない、が、私の幼児期には箱膳を使ったし母親が箱枕を使った様子も記憶しているなど江戸後期と昭和との文化的共通性が結構あるのだ。
山本氏の作品の追っかけをしていると時代考証に関する取材もしっかりしておられると感じるのだ。
ただ『牡丹酒』という作品を読んだ折に『ええっ?』『そやったかなあ?』と、以前より聞き知っていたこととの違いに戸惑ったのだった。
s-2018-03-21_085852鰹のハラワタの塩辛『酒盗』だ。
山本氏は『牡丹酒』の中で酒盗と名付けたのは柳沢吉保だと書いていたが、私の古ーい記憶では高知の殿様、山内氏だったと。
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山本氏の取材はしっかりしているから多分根拠があるのだろうが、いったいどちらが・・・。
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masatukamoto at 21:40|PermalinkComments(0)

April 14, 2018

転 機

先日 A 氏に頂いた作品の猪口で酒盛りのつもりが酒漏りしたので大笑いしたのだった。
酒豪の多い土佐では手から離せぬ、膳に置けぬ盃、可杯(べくはい)というものがあることも書いておs-2018-04-14_104821いた。
ラインオレンジ色濃い目
その土佐で少年期まで過ごした山本一力 氏の作品の追っかけをしていると昨年に書いた。追っかけなどと言っても目が覚めた折と眠る前にベッドで読むだけのファンである。だから未だに氏が発表されている作品の半分ほどを読了したに過ぎない。
それでも追っかけと自称するのは、小説について現在は氏の作品のみを楽しんでおり他を読み漁ることをしないからだ。
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これについては私の読書との向き合い方を書かねばならない。
小学生や中学1年生頃までは、凡そ文学作品というものは手当たり次第に読んでいた。しかし以後は存命作家の作品か否かで分けてきた。その理由は物故作家の作品だけでも読み切れないほど膨大な量があることと、何事も今を知るには元始まりより今に至る道筋を辿ることが最重要であるとする私自身の価値観が作用していたと言える。
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そうした私の姿勢が崩れたのは昭和55年頃、何かと支援頂いていた出版会社社長・某氏と北新地のクラブで飲んでいた時だった。
信条とも言うべき私の読書姿勢を知っている某氏が「 T 氏の作品だが面白いし直ぐに読み終わるから」と『権力の朝』(和久俊三・文庫本)をくれたのだ。
s-2018-04-14_102834確かに翌日には読み終えたが、存命作家の作品を読むという私にとっては宗旨替えとも言える大転機となったのだった。
一人の作家さんを追っかけるという読書姿勢は今も変化はないが、推理小説の類いも含めて本選びの制限枠を取っ払ったのがこの時だったのだ。
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ところで10年ほど前のこと、古紙回収業者に軽トラックの荷台がいっぱいになるほど専門書は勿論のこと読み終えた文庫本や新書などを引き取ってもらった。
書籍を積み終えた荷台の本の山を見た業者、「全部、紙クズでんな。」だと。
悲しく、寂しく、情けなかったが、『本は財産』と思う世代も私たちが最後かも。
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山本一力 氏の作品については私が読み終えた後に全て引き受け読んでくれる人がいるので嬉しい限りだ。
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masatukamoto at 14:36|PermalinkComments(0)
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