May 2018
May 23, 2018
期待はできん
名門の再起を期待して『証拠(3)』(May 16 付)を書いた。
その際、当該選手は勿論のこと監督やコーチも当然、そして大学自体も明確な姿勢を示すべきだとも書いた。この時点で私が判断した資料は日大VS関学大の試合(6日)映像のみであった。だから試合中に意図的に傷害を与える行為は以後ヤラナイ、ヤラセナイことを関係する個人・団体が共通認識することを公けにすることでイチから再スタート出来るものと思ったのだった。
しかし以後の日大アメフト部の監督やコーチの言動、日本大学としての姿勢、当該(宮川)選手の言葉などを総合して見直すと、早期の『再起』は無いと判断した。
大学本体とアメフト部、それに監督&コーチを擁護する姿勢ばっかりで、問題の起因と責任を当該学生個人のものと矮小限定化しようとする将に『我が身カワイイ』という卑怯な姿勢に日本大学が終始しているように私には見えたからだ。
50数年前のこと、私の友人に大阪の某私大応援団長を務める者がいた。
当時、関東でも関西でも大学応援団というのはバンカラの良い面も持っていたが、他面暴力団と見紛うような言動をとり、ヤクザ社会同様の厳しいタテ社会を構成していた。
当時の運動部もタテ社会で先輩後輩の関係が明確に線引きされ、応援団とよく似た組織であった。そんなことを思い出しながら日大アメフト部を見ると、大昔の運動部や応援団と変わりがないように思うのだ。
先の応援団だが、1回生は『人に非ず』、2回生は『奴隷』、3回生でやっと『人』、4回生が『神』といった身分と聞いた記憶がある。
事実、下級生は上級生の『小間使い』であり、靴磨きや買い物などの他、上級生がタバコを出せば直ぐにマッチの火を差し出すなど常に側にいて用事を引き受けていたのだ。
団長だった友人には親衛隊なる者たち数人が常に控え、ヤクザの親分もかくやあらんといった体だった。
彼の友人ということで私は神様扱いだったが、彼らが歩いてくるのに出会ったら怖さを感じるのがフツウの人だと思ったものだった。
上意下達は絶対であり、逆、つまりボトムアップなど考えられない事で、日大アメフト部の宮川選手の立場も同じなのだろうと私は思うのだ。
masatukamoto at 16:52|Permalink│Comments(0)│
May 22, 2018
発熱・・・(2)
私のアレルギー性鼻炎のような症状は風邪の初期症状に似ていると書いた。
4月末に元気でいた家内が体調を崩したが、この時は私が風邪を移したと思ったのだった。ところが私の方は風邪の初期症状のまま変化なく推移、家内の体調が戻って良かったと安堵して数日後、今度は私が38度の発熱。
5年半前に手術を受けて以来風邪とは縁のない状態で来たが、アレルギー性鼻炎のような症状が昨年頃より復活。それでも体がだるいと感じるほどの発熱にまで至ることは無かったのだ。
万事健常な時でも発熱による頭痛や倦怠感、鼻が詰まって呼吸しにくいといった症状が重なって出て来ると不安な気持ちがいやが上にも増幅させられるものだ。
医療機関へ行って受診と、これが安心材料のひとつであることは十二分に分かっている。しかし歩行困難な状態では直ぐに行動出来ない。これが増幅した不安を更に拡大させることにもなるのだ。
まあそんなこんなで Y・PT の訪問リハも私の方から休むことを願い出た。初めてのことだ。
充分な施療を受ける体調でないことが一番の理由だったが、Y・PT の勤務先は介護老人保健施設が併設されていること、それに自宅には幼児がいるので風邪を移してはいけないとの思いもあった。それはともかく、3日目に漸く熱が下がり微熱に。
しかし、あー良かったと思ったのも束の間。将に一難去ってまた一難であった。
あらゆる部位の筋力が弱っているためかと思うが、歩行するにも妙な部分に力が入り過ぎてか至る所に筋肉痛が発生。そのため湿布を貼った場所にカブレが生じて火傷をしたように皮膚面が発赤。とりわけひどいのが左足の膝下から足指の付け根まで。熱がある上に痛みが加わっており、泣きっ面に蜂の体(てい)だ。
家内は忙しく外出続き。歩行困難な上に風邪だカブレだと出歩くことの出来ない私にとって留守番は将に打って付け。しかも我が家の保守工事のために連日鳶職数人が来訪することも私自身をシッカリさせるための鞭のような働きを成して、何とももうまく物事が絡み合っている此の頃だ。
そんな中、I氏が我が大好物を届けてくれた。(5/27)
気持ちは飛び上がるほど嬉しいのだが、現況はまだまだヨチヨチ歩きの域を出ない。が、感謝の気持ちだけは書くことが出来るので。
『いつもご馳走様。』
masatukamoto at 18:10|Permalink│Comments(0)│
発熱・・・(1)
2月に入ってより特にひどくなったアレルギー性鼻炎のような症状が今月になっても続いている。
『ような症状』と書いたのはアレルギーの抗原を特定する検査などしたことがないからだ。
しかし鼻の奥と喉が繋がる辺りに水洟の出を感じてムズ痒くなりクシャミが出たり、そのクシャミが二度三度どころか八度九度と連続して出るなどアレルギー性鼻炎に似た症状が出るためだ。
クシャミを一度するだけでも随分と体力の消耗を感じるものだが、連続してクシャミをし続けると治まった時には体全体が強い脱力感に襲われるのだ。鼻孔からは水洟が出て、その一部は咽頭部へも流れて扁桃が脹れて涙目にもなる。時に微熱が出て風邪の初期症状に似た状態にもなる。
こうした症状は20歳代の頃に頻繁に出たが、それ以後は消滅していた。それが昨年頃より復活?、したかのように思うのだ。
20歳代の頃、このクシャミが出そうになった時には熱いオシボリで鼻と口を覆った状態を暫く続けるか、風呂に浸かっているとクシャミが治まるという妙手を発見していた。だからこのところ熱いオシボリのお世話になっていることが多い。
効果の理由は分からないが、二つの方法に共通することは42か43度くらいの湯気たっぷりの中で呼吸することだろうか。
湯気たっぷりということで思い出すことに子どもの頃経験した吸入器がある。
中学生の頃まで私はよく喉を腫らし、その折は40度もの熱を出すのが普通で数日間はツライ日々が続いた。5歳頃からだったか、吸入器の湯気を口中に受けるということをS先生(医師)の指示で行ってきたが、私自身は何のためなのか理解できていなかった。吸入器のイメージを図にしてみたが記憶に曖昧な部分もあって正確とは言えない。ただ仕組みとしては図のようなものだった。
masatukamoto at 18:09|Permalink│Comments(0)│
May 19, 2018
5/13
母の日は5月の第二日曜だが祝日ではない。
我が国の祝日法には17の祝日が定められている。しかしその日にちや定義について知悉している人の割合は結構少いのではないかと私は見ている。むしろ祝日法に定められてはいない母の日が人々の間では広く知られているように思うのだ。
祝日は休みと認識するものの、それ以上でもそれ以下でもないと思っている人が結構多いと思うのだ。
正月や子どもの日などは休日という以外に他の日とは明らかな違いを幼い頃より経験的に感じ育って来ているのだ。正月行事や鯉のぼり、或いはそれらに関する歌など生活上身近に経験してきていることが認識の差に影響しているのであろうと思う。
祝日法に定められてはいない母の日だが、私としては母の日をも祝日と定めて良いと以前から思ってきたことだ。
『親孝行 したい時に 親はなし』
有形であれ無形であれ母親への感謝が十分であったかと自問すれば、常に『大きく不足』との答えしか見い出せないまま、今では家内が感謝される側に立つようになってしまった。
左上方の写真は息子が送ってきたサラダ用野菜各種のアレンジメント。
13日には Y君が長男 K君を連れてカーネーションの花(右上と下の写真)を持って来てくれた。
K君は私の誕生日に Happy Birthday・・・と電話口で歌ってくれた彼。早いもので来春には K君も小学生になるのだ。
電話での英語発音に感心していたのでそのことを問うと、今も H君が主宰する自然門武術(ZIRANMEN WUSHU)教室に通っており、教室では数か国の生徒が共に学んでいるので外国語会話も自然に身に付いてきたのだとか。
テキストと辞書しかなかった自分の学生時代を思うと羨ましいことしきり。
我が国の祝日法には17の祝日が定められている。しかしその日にちや定義について知悉している人の割合は結構少いのではないかと私は見ている。むしろ祝日法に定められてはいない母の日が人々の間では広く知られているように思うのだ。
祝日は休みと認識するものの、それ以上でもそれ以下でもないと思っている人が結構多いと思うのだ。
正月や子どもの日などは休日という以外に他の日とは明らかな違いを幼い頃より経験的に感じ育って来ているのだ。正月行事や鯉のぼり、或いはそれらに関する歌など生活上身近に経験してきていることが認識の差に影響しているのであろうと思う。
祝日法に定められてはいない母の日だが、私としては母の日をも祝日と定めて良いと以前から思ってきたことだ。
まあ祝日に関する話は別の機会にまわすとして、私も家内もだが今は母の日を迎えても懐かしい母や父と過ごした往年の日々を思い浮かべるばかりだ。
『親孝行 したい時に 親はなし』
有形であれ無形であれ母親への感謝が十分であったかと自問すれば、常に『大きく不足』との答えしか見い出せないまま、今では家内が感謝される側に立つようになってしまった。
左上方の写真は息子が送ってきたサラダ用野菜各種のアレンジメント。
13日には Y君が長男 K君を連れてカーネーションの花(右上と下の写真)を持って来てくれた。
K君は私の誕生日に Happy Birthday・・・と電話口で歌ってくれた彼。早いもので来春には K君も小学生になるのだ。
電話での英語発音に感心していたのでそのことを問うと、今も H君が主宰する自然門武術(ZIRANMEN WUSHU)教室に通っており、教室では数か国の生徒が共に学んでいるので外国語会話も自然に身に付いてきたのだとか。
テキストと辞書しかなかった自分の学生時代を思うと羨ましいことしきり。
まあそれはともかくお花を頂いたこともだが暫くぶりに K君が顔を見せてくれたことが母の日の家内の喜びを一層大きくしたようだ。
masatukamoto at 14:09|Permalink│Comments(0)│
May 16, 2018
証 拠 (3)
さて、証拠ということでは日大と関学大のアメリカンフットボールの試合映像、これは隠すことも改竄することも出来ない公開されているものだ。
ラグビーを少しばかりかじった私に言わせれば、映像に見た日大選手〔DL〕の行為は信じられないものだった。
しかし試合映像を見る限り、日大選手の行為はレイトタックルとは言えないもので、試合に名を借りた意図的な傷害行為だと私は思った。
個々の能力も必要だがティームとして試合を行うアメフト部としては部としての結束力は欠かせないものだ。そのまとまりの芯となり統率するのは監督である。その監督の命令は部員たちにとって将に絶対者の言葉となるものだ。
いかに監督命令であったとしても大学人としての選手自身の責任は免れない。監督やコーチは当然責を負うべきだし、大学としても応援団事件の折同様に明確な姿勢を示すべきだろうと私は思う。
関東学生アメフト連盟や日本アメフト協会も同じだ
《名門の再起を期待しつつ記す。》
ラグビーを少しばかりかじった私に言わせれば、映像に見た日大選手〔DL〕の行為は信じられないものだった。
同じフットボールだがラグビーとアメリカンではルールその他で違いがある。 が、映像の日大選手〔DL〕が関学大の選手〔QB〕に対して行ったレイトタックルはラグビーにもアメリカンにも共通する反則である。
しかし試合映像を見る限り、日大選手の行為はレイトタックルとは言えないもので、試合に名を借りた意図的な傷害行為だと私は思った。
タイミングによるが、ボールを持つ相手にタックルしようと動作をかけてしまった段階では止めることが出来ず、結果としてレイトタックルを宣される場合があることは私にも理解出来る。しかし日大選手がタックルをかけた相手は既にボールをパスした後であり、日大選手がタックル姿勢に入る段階で関学大選手がボールを持っていないことを確認出来る十分な時間があったはずだ。更に加えて、日大選手の立ち位置からは前方0度に関学大選手、ボールはその左前60度方向にあることも確認できていたはずであり、これをレイトタックルと判じてはいけないと私は思った。
昨日今日の報道によれば日大の監督の指示があったとか。
個々の能力も必要だがティームとして試合を行うアメフト部としては部としての結束力は欠かせないものだ。そのまとまりの芯となり統率するのは監督である。その監督の命令は部員たちにとって将に絶対者の言葉となるものだ。
いかに監督命令であったとしても大学人としての選手自身の責任は免れない。監督やコーチは当然責を負うべきだし、大学としても応援団事件の折同様に明確な姿勢を示すべきだろうと私は思う。
関東学生アメフト連盟や日本アメフト協会も同じだ
《名門の再起を期待しつつ記す。》
masatukamoto at 17:56|Permalink│Comments(0)│