November 2018

November 27, 2018

おおきに

特別なことが前日にない限り早朝(4時すぎ)に目を覚ますという睡眠パターンは今も変わりはない。s-2018-08-28_130341
若かった頃との変化を挙げれば、目覚めて以後もう一度眠るということが出来なくなったことと、睡眠中に尿意を催す間隔が時間的に短くなったことだろうか。
目覚めてからベッドで横たわったまま文庫本を読むスタイルは今も同じ。ずうっと追っかけをしてきた山本一力氏の作品も残り僅かとなった。新たな作品が出版されても当分追っかけはしないつもりだ。
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ところで先日読み終えた『梅咲きぬ』の中〔五十四章〕で、ちょっとした言葉に引っかかってしまった。
富岡八幡宮本祭に集結した八基の神輿を「わっしょい」「わっしょい」威勢よく揉み上げた担ぎ手たちに賄いの握り飯が供された場面でのこと。《以下に本文抜粋》
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極上の鰹節を削り、炊き立ての白米に混ぜ合わせたのが、江戸屋特製の握り飯だ。鰹節と醤油の按配がよく、こどもにも肝煎衆にも毎度大受けした。
甘味を利かした玉子焼きと、砂村で採れただいこんの漬物が、握り飯に添えられた。
「これを食わねえと、本祭が始まらねえやね」
「大きにその通りだ。握り飯と玉子焼きを食うたんびに、仲町に住んでてよかったと、しみじみ思うぜ」   
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本文を抜粋した箇所が上の部分だが、私が引っかかったという言葉が「大きに」である。
「大きに」は「まったく」とか「とっても」「たいへんに」といった意味合いで使われており、別段2018-08-31_073504引っかかるような言葉ではない。
ところが大阪で生まれ育った私には「大きに」の言葉は「おおきに」にも通ずるのだ。

関西、とりわけ大阪では「まいど おおきに」という言葉が商いの上でよく交わされる。
s-2018-10-19_080710「まいど」は「毎度」であり、『いつも有難うございます』の意味で使われているが、時に「おおきに」を省略して「まいど」とだけ元気良く声を掛けてくることもある。
これは「おはようさん」「こんにちわ」「こんばんわ」といった挨拶代わりの言葉でもあり、大阪に生まれ育った者には「まいど」という言葉の奥に込められた気持ちをも感じ取れるものなのだ。
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そして「大きに」と「おおきに」だが、音としては同じでも意味合いとしては異なっているのだ。
事実私は幼い頃から『有難う』と言う場合、「おおきに」と言ってきたのだ。
s-2018-09-22_155500もっとも、小学校高学年の頃よりは相手や場面に応じて『有難う』と「おおきに」を使い分けるようにしてきてはいる。つまり「おおきに」が方言のひとつだと理解したからなのだ。しかし現在も「おおきに」という言葉を使っているのには、いろんな思いがあってのこと。「大きに」の文字を見て「おおきに」の言葉を意識したのもいろんな思いがあってのことなのだが、これは置いておくことに。
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masatukamoto at 20:20|PermalinkComments(0)

November 25, 2018

勤労感謝の日

11月23日(金)。
早めの夕食を家内と食べながら、今日は勤労感謝の日で「戦前は新嘗祭言うて五穀豊穣を神様に感謝する日やった」と、父親から教えられてきたことなどを話していた。

そんな最中、東の丘陵上に丸いお月様が顔を出してきたのだ。
月齢15.44の満月であったが、雲が幾つもあったために綺麗な円形姿で留まることが無かった。
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それでも急いで食卓上に望遠鏡をセットして眺めた月を撮影。
テレビでは、藤原道長が『望月の歌』を詠んだのが1018年の旧暦10月16日で、今日(11月23日)がその日に当たるのだと語っていた。
今年は2018年。つまり道長が詠んでより1000年目の『望月』ということになる。
『この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば』
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権勢を誇った藤原道長だが臨終の際には阿弥陀如来と自分の手を糸で結んで念仏を唱えたのだとか。
現世では御堂関白と崇められた貴人も極楽浄土への確かな切符は持っていなかったということか。
諸行無常・盛者必衰は天の理。
コスト・カッターの異名を取る C・ゴーン氏にしても欠けぬ望月は無かったような。
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I氏の店で夏に頂いた塩茹で枝豆とホタルイカの沖漬け。



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関東煮、おでん?

一昨日(11/23)は家内と早めに夕食を食べ始めた。

関東煮(かんとうだき)がメインのおかずだったし、随分冷え込んできていたので関東煮の具を肴に熱燗でチビリチビリ楽しもうと思ったからだ。
私は関東煮と言ってきたが、食材を売る店だけでなく家内までも『おでん』と言うので近頃では私も『おでん』という言葉に抵抗を感じなくなってきている。
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まあ呼び名のことはさておき、関東煮の具材で私が好きなのは『厚揚げ』『大根』である。他に好きなものは『ころ』『さえずり』がある。しかし昔と違って高価な食品になってしまった今は好きなものとs-2018-11-25_104431して挙げることが出来ない。勿論我が家の関東煮の具に加えられることなど無い。
手術を受けて以来ミナミをぶらつくことも無くなったから、鯨料理を食べたのは6年前の12月以前のことだ。
私が鯨料理を食べるのは、ミナミだと千日前の『徳家』か、法善寺横丁の『㐂川』。
エサであるニンジンを鼻先にぶら下げられた馬が一生懸命に駆ける滑稽画を見たことがあるが、私も『ころ』や『さえずり』の関東煮を鼻先にぶら下げられたなら今以上に駆けることが出来る・・・かな?
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関東煮に合わせた(超)熱燗は2ℓ入りの安物パック酒(銘柄は秘密)を1合、それに冷酒を少し。
冷酒は写真の新十津川(北海道)。
新十津川という名前の由来は明治22年(1889年)にまで遡る。この年の8月、奈良県南部を襲った台風により山間地の十津川村は大水害に遭った。そのため多くの村民が新天地を求めて北海道に入植、その土地を新十津川村と呼んだことに由来するのだ。
酒とは直接関係の無い余談である。










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November 16, 2018

ヌーヴォー

ずいぶん昔のことで誰だか覚えていないが、女優さんが「おニューなの」と自分が着ている洋服について語っていた場面だけ思い浮かぶ。s-2018-10-30_160222
おニュー、つまり『お』+『New』で新しい・新物だと言うことだ。
それにしても英単語に『お』を付けて丁寧に表現しているつもりだったのだろうか。その当時「~ざあます」などと気取った物言いのご婦人たちがいたことも思い出す。

『New』は中学校に入学する前から知っていた英単語だが、同じ意味では『Nuevo』(ヌs-2018-10-25_145710エヴォ)というスペイン語を父親に教えてもらっていた。
Feliz año nuevo. 英単語に置き換えるとHappy year newの順となる。
新しい『新』と言えば昨15日が
ボージョレー・ヌーヴォー
(Beaujolais nouveau)の解禁日であった。
『Nuevo』(西)『Nouveau』(仏)『Nuovo』(伊)
『Novo』(葡)、共にラテン系言語ゆえによく似ている。
ついでに書けば英語の『New』とドイツ語の『Neu』は発音こそ違うが同じゲルマン語系ゆえに似ている。s-2018101006450000

言語のことはさておき、どうしてフランス・ボージョレー地区のワイン新酒が騒がれるのか私には理解できないことだ。
この時期、南半球の国でない限りワイン生産地域ではほぼみな同じように新酒が出来ているはず。
11月15日かどうかは知らないが日本と言えど例外ではなく甲州、信州、河内でも新酒解禁日はあるはずなのだが・・・
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ワインと言えば基本的にはブドウを原料とする醸造酒だが、リンゴを原料とするリンゴ・ワインつまりアップル・ワインもある。
ドイツ・フランクフルトに着いたらザクゼンハウゼン地区へ行ってアプフェルヴァイン(Apfelwein)s-2018-10-09_101241を飲もうと家内と話していたが、フランクフルト中央駅に近いル・メリディアン・フランクフルトにチェックインして直ぐ家内が熱を出して寝込んでしまったのだった。そのためホテルを起点にハイデルベルグなどを巡る幾つかの小旅行をキャンセルせざるを得なかった。
そのため二人でアプフェルヴァインを飲みに出かけることも出来ず、ホテル前のヴィーゼンs-2018-11-15_113907ヒュッテン広場の屋台で私だけが飲んで直ぐに部屋へ戻ったという寂しい記憶がある。

ところが先日偶然『ニッカ・シードル・ヌーヴォ・スパークリング 2018』という新酒を見つけたので家内と飲んでみようと買ったのだ。ニッカのマッサンこと竹鶴政孝氏が北海道・余市で作り始めたリンゴ酒と同様のものだ。
フランクフルトのアプフェルヴァインのアルコール度は5~6%でビールと同程度だがニッカ・シードルは2%と低いから家内には良いかも。
まだ飲んでいないが、二人でフランクフルトのやり直しをしてみようと思っているのだ。



masatukamoto at 22:01|PermalinkComments(0)

ちょっとした自信

未だ冬の寒さではないが随分と冷え込んできている此の頃である。
昨朝も今朝もだが日の出前の東天の青色は深く澄みわたっていた。
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《 お日様が顔を出す20分ほど前に撮った写真 》
このところ蜂窩織炎の原因となる細菌との戦いを続けるという情けない状況を抱えながらも、歩行機能の回復という面では何段もの階段を急ぎ上がっていることを実感する喜びも味わっている。
そのひとつ。
11月4日(日)朝6時過ぎ、家内を助手席に乗せて我が家の墓参りに行ってきたのだが、ブレーキ・ペダルを踏み込む足の力に確かさを感じたり、ペダルを踏む足のスムースな動きにも満足感を感じる運転が出来たことだ。
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墓地の桜も枝先の葉は既に落ち、枝の中ほどの葉がすっかり秋色。陽光が当たりにくかった幹に近い葉が散るのももう少しといったところだった。
石部金吉ほど堅物でも慎重居士でもない私だが、運転に自信が無ければ冒険的に車を動かすことはしない。しかし高齢者運転講習の受講が義務付けられ、私も受講せねばならない。
高齢者が運転する自動車事故が増えていると問題視され運転免許返納の声も大きくなってきている。
高齢者運転による事故防止のひとつの方法であることに違いは無い。
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私の場合歩行が困難ゆえに外出が制限される。車を運転することが出来れば行動範囲が広がるのだが、自分で運転出来ないとなれば現状ではタクシーを利用するほか無いのだ。バスも電車も今は無理だから。タクシー利用となれば、むむむむむ。

運転免許返納は、口で簡単に言える程度のことではないというのが今の私の思いだ。
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masatukamoto at 16:09|PermalinkComments(0)
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