January 2019

January 31, 2019

年の初めにデモ無いが・・・

『年の初めに』を表題に何篇か綴ってみようと思って書きかけたものの一時留保状態になってしまい今日は既に睦月も晦日。と言っても月の満ち欠けをもとにする暦での晦日(三十日)ゆえ太陽暦での1月31日(本日)を晦日と呼ぶことは正しくない。s-2019-01-09_125855
確か今月21日がスーパームーンだとかテレビで言っていたから今日の月齢は25くらい。だから明日から如月、本日は睦月の最終日という意味での晦日と・・・
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少し理屈をこねることが出来るようになったが、人間というのは肉体的にも精神的にも満足な状態でないと何事に限らずスムースに事を進めることは難しいものだ。

少し拙ブログを遡り読み返すと文化に関わって書いてみようと始めたような、そんな記憶がふつふつ・・・
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文化というものは特定の環境において人間が生み出してきたことだけに生と死に関わる風俗・習慣については、どの地域の民族にあっても様態は異なれど現代まで承継されていると思われる。勿論全てを掌握しているわけではないが生誕から葬送まで各地域、各民族のそれらが思い浮かぶ。
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誕生日を祝うこともひとつだ。
我が家でも正月の祝いと兼ねて誕生日が近い家内と息子の誕生祝いを合わせて行った。
お節料理に加え、寿司屋の大将I氏には正月早々鯛やヒラメなどの船盛りに各種の寿司など造作をかけさせてしまった。
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通信技術や交通機関が発達した現代、何もかもがボーダレスの状況を呈してきており当然に文化全体において地域同士の交流が進んで混淆状態になっていることが沢山ある。
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誕生日を祝う席でのバースデーケーキに年齢を表すローソクと本数。
s-2019-01-14_125538先ず日本で洋菓子としてのケーキが伝わり食べられたのは多分キリスト教などと同時期に伝えられたポルトガルのカステラが最初であったろう。それがバースデーケーキとして一般に食べられ始めたのがいつなのかは知らないが元々日本において生み出されたことでないことは間違いないだろう。
ともあれ家内も71歳と全く同じペースで私を追っかけている。齢の差は当然のことだが、長くこの差を追っかけてほしいものだ。
ちなみにバースデーケーキは息子夫婦が用意してくれたのだが、不二家のイチゴ・ショート・ケーキであった。
s-2019-01-14_130005家内が母親と二人で暮らしていた頃、風邪で寝込んでいた家内を見舞うのに私が必ず買って行った物が不二家のイチゴ・ショート・ケーキであったことを思い出す。
ははははは、どうでもいいことだが・・・



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January 26, 2019

法事

日本語を学び始めた外国人の多くが疑問に思うことの一つに、物事に対する幾通りもの表現の違いがある。
それらの違いは抑揚、例えば前後の脈絡の無い中で『くも・
kumo』と言われた場合に『雲』なのかs-2018-11-04_180801『蜘蛛』なのかが分からないといったことが挙げられる。しかし例示したように漢字で表せば区別は出来る。
それは漢字が一字一字に意味を持つ表意文字だからである。
そんな漢字を取り入れて凡そ
1500年。日本独自に音読み・訓読み、ひらがな・カタカナ、国字と活用法を生み出してきたが、一つの漢字で幾通りかの意味を持たせている字があり、これらには外国人だけでなく日本人であっても疑問に思うことがある。
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表題を法事としたが、これは法要と同義語として広く定着している。法の元々の意味はサンスクリット語のダルマ
Dhárma)、つまり仏教における真理や悟りという大宇宙を対象とするような字であり、決しておろそかにしてはいけないという意味合いで使われていることが多いと私は理解している。
ラインオレンジ色濃い目
まあ漢字の意味合いは置いておくとして、過日行われた姉の法事に出席させてもらった。
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露往霜来という俚諺があるが、月日が経つのは全く早いものだ。仏説阿弥陀経を唱えるご住職の声明を聴きながら義姉のことがいろいろと思い浮かんだ。息子たちが小さかった40数年前のこともついこの間のことのように思えたのだった。
勤めてくれた女性住職は70歳になったと話していた。彼女の主人は公務員と住職の二足の草鞋を履いていた私の後輩。その後輩の父親が亡くなったので住職を継いだが、その彼も亡くなって・・・何もかもが早い。
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法事を行ったのが平日だったこともあって姉に近い者だけが集い、主人である兄を含めて8名。平均年齢は喜寿を超える。
せっかくのお斎なのでお酒をとも思ったが、医師より止められているからと缶ビールが少し空いただs-2019-01-14_112034け。酒豪を誇っていた?法事の主たる兄も今は酸素補助吸入パイプと導尿パックを装着している身。飲めるのは私と四兄だが、腎臓だ大腸だと手術を受けた回数では私より多い兄ゆえ無理に勧めることは出来ない。が、私が気遣わずに飲めるようにと細かな気配り、いつもいつも有難いことで感謝。
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ちなみに私が持ち込んだ酒は家内の友人から頂いたもの。
千代酒造(奈良)の『篠峯』720ml。辛口の酒で舌にシュワシュワッと刺激を受けた。
生きていると言うか、未だ発酵中といった感じ。
若い、ワカイ、わかい酒であった。
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テーマは法事だが、何だかまとまりのないことになってしまった。


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January 22, 2019

謹んで・・・

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九十路を歩んでおられたゆえ長寿を全うされたのだという思いも無いでは無い。
いつかは別れるのが定めであるということも理解はしている。
それでもなお残念な思いを消しきれないまま数日が過ぎた。
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先生には教育・研究面でご指導ご助言を頂いただけでなく、先生が歩んで来られた人生からも多くのことを学ばせて頂いた。
大正15年〔1926年〕は12月25日に即日昭和に改元された。そのため昭和元年は僅か7日しかなかった。だから昭和元年と昭和2年は実質的に同じと思っても良く、昭和2年生まれの先生は将に昭和・平成の二つの時代を駆けて来られたと言えるのだ。
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この二つの時代を生き抜いてこられた先生は常に『命と平和』ということを心の芯に据えておられた。
先生は京都府立三中生として学徒勤労動員で中島飛行機半田製作所〔愛知県〕に行かれたが、先生が滞2019-01-22_214006在中に東南海地震(昭和19年12月7日)が起きたのだ。
この大地震による被害は愛知・三重両県を中心に広範囲に及び、半田製作所でも動員されていた学生96人が亡くなり、先生の同級生や下級生も犠牲になった。
戦時下の中島飛行機半田製作所は軍の管理下にあり、地震被害に関する一切を極秘扱いとして勤労動員された学生らにも緘口令を敷いた。被害にあった学生らの葬儀を申し出ても認められなかったとか。
実際に東南海地震発生と被害実態が広く知られるようになったのは戦後随分経ってからのことである。
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戦時中の食糧難に医薬品不足の状況下、先生のお姉さんの栄養失調症が日に日に深刻な容態になっていった。何かしてあげたいと思うものの何も出来ないでいることに心が痛んだと話されていたこともあった。
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三高からの勤労動員先は大阪・桜島の金属工場(住友or三井)。1945年3月より8月にかけて大阪は米軍飛行機による空襲を何度も受けた。これらの空襲で大阪は焼け野原となり、勤労動員先の工場も爆撃を受けて壊滅。この時の思いを「恐ろしい、将に九死に一生を得た思いだった。」と語っておられたことを思い出す。
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先生との思い出が次々浮かび、さんざん迷ったあげくだったが家内と共に京都へ向かうことにした。
先生の奥様からは私の体を気遣って来なくていいと電話を頂いていたが、お参りしてお別れを言えたことで少しだけ気持ちが落ち着いた。
思い出は尽きないが全て大切にしまっておこう。
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January 15, 2019

年の初めに〔3〕

前回にも書いたが文化というものは人間が創出することであり、その当該する人間を囲む自然環境などs-2019-01-14_115202地域性や民族性といった様々な要因によってそれぞれに異なる文化が形成されていくものだ。
そうして作り上げられたことなどが次代の者たちに次々と受け継がれていき、それがやがて伝統という言葉を冠せられるようになったり慣習とか作法などと日常生活に溶け込んでしまって殊更これが文化だと示さないこともそれぞれの地域には沢山あるものだ。
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斯様に文化というものはグローバル・スタンダードと言うか世界に共通することもあれば、特定の地域s-2018-11-07_125049や分野に限定されることもあるのだ。
日本料理は随分世界に知られるようになったが、世界レベルで見れば未だ未だ局地的、グローバルに対するローカルな文化と言えよう。
日本の食文化として正月のお節料理やお雑煮を挙げることが出来るが、お雑煮ひとつ見るだけで文化の地域性を知ることが出来る。
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お雑煮が味噌仕立てか澄まし汁か、丸餅か切り餅か、餅は焼いて入れるか焼かずに入れるか、たったこれだけのことで地域の異なりが分かる。
四国・高松のお雑煮は白みそ仕立てで大根や人参に小芋などの具材に丸餅を入れたもので我が家のお雑煮と見かけ上変わらぬものである。ところが丸餅の中には餡子が・・・
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我が家のお雑煮については何度か書いた通りに元旦は白みそ雑煮である。
しかし、その餅の食べ方には地域特性があるようで、私の父はお雑煮の餅を砂糖と混ぜた黄な粉の皿にs-2019-01-09_153409移して食べていた。
父のお雑煮の餅の食べ方は毎年毎年見て知ってはいたが、私はそれを真似ることはしなかった。母と私は黄な粉を必要としなかった。ちなみに母は代々浪速、父は父の祖父以前が大和の在で、お雑煮の餅を黄な粉に付けて食べる習わしは大和地方のものだとか。
今年は父のやり様を真似て写真の通り雑煮の餅を黄な粉に付けて食べてみた。
お雑煮と安倍川餅を食べているという感じで、特別に美味しいとも不味いとも感じなかったし、特に違和感を覚えるものでもなかった。
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父が食べていたのはこんな物だったんだと、この齢になって初めて感じ得たことに何だかしみじみとした気分になったのだが、うーむ。
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masatukamoto at 15:16|PermalinkComments(0)

January 14, 2019

年の初めに〔2〕

いろんな場面で文化と言う言葉が使われているが『文化って何?』と改めて自らに問うと、一言でまとめるのはなかなか難しいことに気付いた。s-2018-11-06_174245
敢えて私なりに定義するなら『人間が生きて行く上で必要とする思想や行為を創意工夫し表現することの総体』。
うーむ、ちょっと硬いけど極力簡単に言えばこんなところだろうか。つまり文化は人間が関わる全ての事柄を包含する言葉と捉えて、まあ間違っているとは言えないだろうというのが私の理解だ。
《独り善がりにならぬよう広辞苑で確かめたのは当然のこと》
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だから日本人が創作工夫して継承してきた正月のお節料理も日本の食文化の一つだと言えるのだ。
今年の元旦は家内と新年を祝った。
寿司屋の大将I氏特製のお重を開き、互いに祝辞を述べてお屠蘇を頂いた。もっとも生薬を入れていなs-2019-01-14_114449いから唯の冷酒だが。
その後に白みそ仕立ての丸餅雑煮を頂いた。
我が家では元日に丸餅入りの白みそ雑煮、二日に焼き餅と水菜を入れた澄まし雑煮と決めている。
元日の丸餅は焼かないで雑煮に入れるが、電子レンジを使用し始めた50数年前より加熱した餅を入れている。
白みそ雑煮に入れる物も「代々まめに働き・・・」などと、お節料理と同じ様に健康長寿や子孫繁栄を願って語呂合わせの如くに決まった具材が入る。
s-2019-01-14_125134大根、人参、小芋、豆腐・・・
今年は元日のお昼前に来るという息子夫婦のために家内は牛肉を用意していた。正月に牛肉など長き私の人生においても多分初めての経験。こういう機会がちょくちょくあれば良いのにと、ぶっはははは。



masatukamoto at 20:24|PermalinkComments(0)
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