February 2019

February 25, 2019

諸刃の剣 (Ⅰ)

『諸刃の剣(もろはのつるぎ)』という古諺がある。
諸刃、つまり日本刀のように切れる刃の側と切れはしない峰(棟)の側がある物ではなく、両方ともにs-2018-08-04_131723切れる刃を備えた刀、つまり両刃の刀を諸刃の剣と呼ぶのである。
刀、包丁、ナイフ、カミソリなどは物を裁断したり刻んだりと人々の生活には無くてはならない便利な物である。しかし便利さの半面、傷を負うという危険な面も合わせ持っている。
世のあらゆる物事には相対する立場や働きがあるものだ、と言って哲学的命題を論じようとするものではない。
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猿人の時代から現代人まで、その進化の過程は5~600万年と言われている。
人々は長い歴史の中で必要な道具を創りだし、それらに工夫改良を加えてより便利なものを手にするよs-2018-08-04_131934うになってきた。そして現代に生きる私たちは便利さの恩恵を受けており、これは有難いことと言わねばならない。
主神ゼウスに反対までして天上世界より盗んだ火を人類に与えたとされるプロメテウス。勿論神話である。しかし火を得た人類が急速急激な変化発展を遂げ、現代文明を生み出してきたとすることに誰も疑念は持たないだろう。
だが文明の元始まりとなった火も諸刃の剣であり、便利さとは逆の恐ろしい刃を合わせ持っていることを私たちは知っている。
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1970年の大阪万博は関西電力・美浜原子力発電所から送られてくる電気で賄われるとマスコミ各社は『原子の灯』という言葉を盛んに使っていたことを思い出す。
s-2018-08-04_132123当時のマスコミ各社は原子力発電の危険性を指摘するような姿勢を示してはいなかったと私は記憶している。広島、長崎の原爆被災、ビキニ環礁での水爆実験による第五福竜丸事件などを通し、放射能の恐ろしさを知っていた私は電力会社が原子力発電所を建設することに賛成では無かった。
原子炉の核燃料、使用済みと言っても『ただのゴミ』ではないのだ。核分裂によって生じる物質は放射能を帯び、プルトニウム239の生物的半減期は確か200年くらいだったように思う。
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積極的か消極的かは別に、現世での便利さや経済効率などから私たちは原子力発電を選んだ。
しかし一方で人々の生命の安全を脅かす使用済み核燃料の処理を次代、次々代へと先送りしているだけs-2018-08-04_132422の私たち。これは無責任というほかない。
2011年3月、東京電力福島第一原子力発電所の重大事故から丸8年目を迎えようとしているが、未だに核燃料の処理に手間取っているのが現実だ。
チェルノブイリ原子力発電所(ソ連)での事故(1986年
4月)からは33年。多くの人的被害だけでなく、発電所一帯の放射線量は高く今も近づくことは禁じられている。
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大阪には『ええとこ取り』という言葉がある。『ええとこ』とは良い部分、得する部分と言った意味だ。
原子力発電も『諸刃の剣』であり『ええとこ取り』は出来ないものと心得るべき。
《自戒》
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masatukamoto at 15:14|PermalinkComments(0)

February 18, 2019

記憶の符合

枕元に亡くなった人が立つことはある。
こうしたことは精神分析屋さんや一部の宗教屋さんが得意とするところなので任せておくことに。
まあ何々と特定出来ることや出来ないことなど様々ではあるが、故人との繋がりが深かったことによるのだろうと私は思っているが、大方の人も同じ思いであろうと思う。
私の夢に出られるのが先月に亡くなられた恩師。その恩師との出会いは既に半世紀以上も昔のことになるが、出会いと言う言葉よりも一層深い意味合いを持つ邂逅という言葉の方がピッタリくるように私は思っているのだ。
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関西心理学会大会事務局の手伝いを皮切りに、研究調査資料の統計処理やら恩師が主宰する研究会事務局長など長年にわたり様々な仕事をさせてもらってきた。
先生の仕事の関係もあって、打ち合わせや作業、それに研究会会場も龍谷大学の大宮学舎を借りることが多かった。
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以前に書いたことがあるかもしれないが私はテレビがあまり好きではない。勿論好きじゃないというだけで見ないということではない。朝夕のニュースはほぼ毎日見ているし、洋画、クイズ番組なども観ている。気楽に見ることが出来る『笑点』は好みの番組だ。その他ではNHKの大河ドラマを見ている。
その大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』を録画したものを見ていた時だった。
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うん? 門柱の額には『東京高等師範学校』とあるが・・・
恩師との思い出が次々と浮かんできた。
それで何度もビデオを見直してみたが龍谷大学の大宮学舎に間違いない。
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随分以前の写真だが門柱には龍谷大学の額。
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2年前、ジジ&ババの集いを開いた時の見学コースの出発点だったのが龍谷大学であった。
私は昼食会場のブライトンホテルのみの参加であったが、当時撮影のジジ&ババの写真とNHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の映像を合わせてみると上の通り。
東京高等師範学校の校長・嘉納治五郎(役所広司)の執務室としてジジ&ババの後ろの大宮学舎本館が使われているのだ。
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日本が初めて参加したオリンピック・ストックホルム大会(スウェーデン・1912年)。
この大会には嘉納治五郎と大森兵蔵が役員として、陸上短距離に三島弥彦(東京帝大)、マラソンに金栗四三(東京高師)が参加した。
大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』は、現在までのところストックホルム大会に参加した当時の状況を金栗四三に焦点を当てて展開しているように思える。
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ドラマの今後の展開は分からないが、テレビ映像に恩師との様々な思い出を浮かべながら私は見ているのだ。



masatukamoto at 21:18|PermalinkComments(0)

February 10, 2019

因【間】果

何事にも因果関係はあり、原因と結果の間には長短の時間差はあれ過程(プロセス)があるものだ。
これは先日の演奏会を終えた家内にも当てはまる。演奏曲を決めた時が原因であり、過程にあたるのがs-2019-01-09_131836日々時間を問わず行っていた練習で、会場で演奏したのが結果と言える。
演奏会前の10日と少し、家内は他の用事も含め練習のためにほぼ連日外出していた。当然この間の我が家はウルサイという言葉と無縁となったが、静けさの代償は私の留守番・・・ぶっはははは。

物事において良い出来栄え(結果)を得るためには過程が大切ということだ。

ところで私たちがポーランドを訪れた時に知り合ったアンナさんからグリーティング・カードと共にクリスマス・キャロルのCDを頂いた。
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随分以前に頂いたのはポズナン・ナイチンゲール合唱団が歌うクリスマス・キャロルのCDだったが、この度はクラクフ・教皇ヨハネパウロⅡ世大学合唱団のソリストとして彼女自身が参加しているクリスマス・キャロルのCDだ。
私はキリスト者ではないがキリスト教会音楽が好きである。キリスト教にかかる音楽と西洋音楽とは表裏一体のものと言えるからだ。
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それはそれとしてアンナさんが某カトリック教会聖歌隊の指揮を行っていることは以前に書いた。
普段私はオーケストラや室内楽団など器楽合奏を主に聴いているが、器楽と声楽互いが協力協同して演ずるオペラやオラトリオも楽しんでいる。
クリスマスに関わって言えばキリスト生誕に係るバッハの『クリスマス・オラトリオ』やヘンデルの『メサイア』を思い浮かべる。
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この度頂いたクリスマス・キャロルのCD14曲の第2番
(Lulajże Jezuniu ねむれイエス)を歌うアンナさんの声は勿論のこと、いずれの曲も歌い手一人一人の声が合わさって曲全体を作り上げている全く素晴らしいものだ。s-2019-01-09_132341
合唱団員ひとりひとりの力量も大したものだろうが、それでも発表会だ録音だと決まった時点以後それなりに厳しい練習のプロセスを経て来ているはずで、いきなり録音という結果に到達したわけではないだろう。

何事にも原因と結果の間にはプロセスがあり、その過程の先にゴールと言える結果があるものなのだが、近頃は・・・。
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masatukamoto at 16:27|PermalinkComments(0)

February 09, 2019

節分(続き)

ご飯大好きお寿司大好きな私の食事について強力に炭水化物摂取制限を行っている家内が、節分の巻寿司の丸かぶりについては大目に見てくれたことを先に書いた。
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炭水化物の制限は病院食に準じたカロリーでの食事を家内が作ってくれていて、これは大変手間なことであり感謝はしている。しかし、ご飯大好きな私にとっては不満が・・・。
もっとも私の機嫌が悪いことを感じてか近頃は制限が緩やかになっているように思える節も。
近頃は私自身の運動量も少しばかり(微々たるものだが)増えているので私としては「当然やろ」との思いもある。
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上は巻寿司の丸かぶりを大目に見てくれることになった(多分)演奏会。
家内が練習している時の音は正直うるさく感じることも多い。でも炭水化物の制限が緩むことと演奏することが比例するなら大いに我慢しようと思うのだ。



masatukamoto at 11:16|PermalinkComments(0)

February 07, 2019

節 分

♪ 春よ来い 早く来い・・・
1番の歌詞では歩き始めた『みいちゃん』が、おんもへ出たいと待っていると歌い、2番では桃の木の蕾が皆ふくらんで、はよ咲きたいと待っていると歌う。
ほんわか優しい思いを感じさせる詩で作詞は良寛研究者の相馬御風…うーむナットク。
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私も春を待ち望んでいる一人だが、私が早く来いと期待するのは暖かく花咲き誇る季節の春だけではなく、安定した歩行が出来るようになり喜び祝いたい春も入っているのだ。
その春だが今年は大寒が1月20日、したがって立春は2月4日なので前日3日が節分。暦の上では今週月曜日より春が始まったことになるのだ。s-2019-02-01_100550
日本では明治期に旧暦から新暦に変わったが、暦というのは長い人類の歴史全体を通して生み出し継承してきた人類文化を代表する貴重なものだと私は思っている。
太陽と月の動きに着目して生み出された太陽暦と太陰暦、それぞれの良さを合わせたり補正を加えた太陰太陽暦やグレゴリオ暦。暦は同時に人々に対して時間と時刻の概念をも形成させていったことを思うと、やはり凄いことだと思うのだ。
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節分の日、家内の表情は見るからに穏やかで春を迎えたような・・・と、まあこれは少々誇張し過ぎの感が強いが、前日の演奏会を何とか終えることが出来て家内の緊張の糸もほつれたのだと私は感じたのだった。
夕食時には大きいイワシの塩焼きと恵方を向いて丸かぶりする巻寿司を用意してくれた。
「お寿司は量が多いから切ろうか。」だと。
いつもなら尋ねもせずに切り分けてご飯の量を加減するのだが、やはり演奏会を終えたことの効果だろうか。大きさそのままの巻寿司を私も家内も丸かぶりで食べきってしまった。
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節分と言えば伝統的行事に『豆まき』、そしてイワシの頭をヒイラギの枝に刺して鬼門に飾るということを幼い頃からやってきた。しかし、子どもたちが大きくなるにつれて『豆まき』などはやらない年が続いてきたような・・・
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そう言えば某テレビが或る幼稚園の『豆まき』行事を紹介しているのを見たが、うーむ。
『豆まき』と言えば「鬼は外、福は内」の掛け声に合わせて豆を屋外に投げたり屋内に投げたりするものだ。ところが紹介された幼稚園の『豆まき』は、「鬼は外」の場合に掛け声は同じでも豆をまくのは自分の足元に。「福は内」の場合は屋内に豆を投げるよう指導されていた。
鬼というのは人間の心の中にいるものだから屋外ではなく足元に、なんだと。s-2018-11-20_184125
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なるほど。と、うなずけるような、首をかしげたくなるような・・・

文化というものは長い時間経過の中で継承され、時に修正・変容され、或いは廃れてしまうことがあったりするものだ。
日本語ひとつ取ってみても同様のことが言えるし、新たに生まれてきた言葉もあるのだ。
今では節分行事のひとつとされる巻寿司の丸かぶりも私の学生時代までは無かったことだ。
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masatukamoto at 17:55|PermalinkComments(0)
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