March 2019

March 30, 2019

忍法〇〇術

新天皇即位(5月1日)に伴って元号が変わる。
どのような元号になるのか興味・関心がゼロという日本国民は皆無かと思う。
西暦と元号が混在する日本では混乱を起こさないよう新年度が始まる4月1日に新元号を発表すると政府は決定している。
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そうした状況を踏まえ、このところ新聞やテレビなどマスコミ全てが競い合うように新元号を取り上げ国民の関心を煽り立てている。s-2018-12-29_113313
マスコミが煽り立てようと意図してやっているのか、結果として煽り立てることになっているのか、これは相乗的現象と見るのが正しいと私は思う。が、少々騒ぎ過ぎではと私は冷めた思いで見ているのだ。
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ところで自然界では自らの身を変化させることで身を守ったり攻撃したりする姿を見ることが出来る。
体の色を環境に合わせて変える保護色、体の形などを環境に合わせて変える擬態、タコのように墨を吐いて限定的ではあっても環境を変えてしまうようなのもある。
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伊賀や甲賀の忍者も自然の知恵を用いたり、認識上の錯覚などを忍法に取り入れている。
タコの墨吐きに似たものには白煙や轟音を発する忍法があるし、保護色ということでは暗闇での黒色の装束を挙げることが出来る。s-2018-12-29_113208
親鳥がヒナを守るため巣から離れた所から飛び立つように、忍者は居場所を特定されないよう石を投げるなどして敵の注意を逸らす忍法を用いたりもする。
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人々の関心が新しい元号に集中している新年度始まりのこの時期、当然のごと人々の他の事象への注意力は薄れることになる。
新元号の公表で祝いだ祭りだといった浮かれた気分でいると、将に悪い奴らの思う壺ということになる。
『忍法・元号の術』、使うのは・・・
政治屋?官僚?企業経営屋?

私は冷静に注視していよう。
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masatukamoto at 21:47|PermalinkComments(0)

March 28, 2019

雨降らない方が・・・

昨日の日の出(写真)は気持ちの良いものだった。と言っても家の中からガラス窓越しに眺めるだけのことだが曇天や雨天の景色を眺めるのとは大きな違いを私は感じるのだ。
私は曇りや雨降りの日よりお日様が明るく照らしてくれている日の方が元々好きなのだ。
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しかし今朝はどんより曇り空。
雨が降らなければ良いが・・・と願う。
毎日何らかの用事で外出している家内だ。用事と言えるほどのことが無くとも嵐にならない限り2時間程度の散歩は欠かさないでいる。
斯様に家内が健康でいてくれることは私が健康であることと同様に有難いことだ。
いろんな気持ちは全て『有難い』という言葉に込めておこう。
テレクサイ カラ ネ。
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ちみに毎週木曜日は家内と私の勤務日、?。
昔話では『爺さんは山へ柴刈りに、婆さんは川へ洗濯に』となっているが、我が家の場合『爺さんは家で訪問リハと留守番を、婆さんは兄宅のお手伝いに』と。
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雨が降らなければ良いと願うワケは理学療法士に我が家へ来てもらうからなのだ。PTが仕事だからと割り切っても私は雨降りなのに悪いなあとの思いを捨てられないのだ。
家内は何も言わないが、家内の通勤は徒歩・バス・電車・電車・電車・バス・徒歩と目的地までの乗り換え回数の多さと移動にかかる時間が長い。それに加えて雨降りとなれば・・・私なら気分消沈。
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私がモウチョット元気なら車で一緒に行けるのだ。そうすれば片道3~40分(道路が空いていれば)での移動で雨に濡れることもない。
早い回復を念じて鍛錬するも思い通りにいかないのが辛い。





masatukamoto at 11:44|PermalinkComments(0)

March 23, 2019

春 《2》

随分の昔、私が小学6年生の時の担任であったK先生。母親より少し年下だったから多分50歳手前だっs-2019-03-22_170944たろう。反抗したこともあったが、先生にすれば私は指示通りに動く優等生であったはず。私にしても先生という名が付いた母親のように思え、甘えや尊敬の入り混じった接し方をしていたように記憶する。

知らないことに対する発見の驚き、それを自分なりに経験することで確かなものにしていくという図式。
K先生が提示したことに私の探求心が見事に呼応したということだ。例えとしては悪いがs-2019-03-22_170534先生がバラまいた餌にパクパク喰い付いたということになるかな?

そんな餌の中には弁当箱のご飯の真ん中に赤い梅干しを入れた『日の丸弁当』、頭から尻尾まで残さず食べることが出来るカルシウム豊富な『メザシ』、食糧の無かった戦時中は『つくし』『タンポポ』などの雑草も食べたといった話もあった。
『日の丸弁当』や『メザシ』は直ぐに母親に作ってもらったし、『つくし』や『タンポポ』は淀川の堤防などで摘んで母親に調理してもらった。
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「三つ子の魂百まで」などと言うが、幼少の時期に体験した事柄というものは後々記憶の底で生き続けるもので『つくし』や『タンポポ』は今でも機会があれば摘んで食べてみたいと思っている。
そんな話を聞いていた理学療法士のY氏が出歩けない私のために『つくし』を摘んできてくれたのだ。
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日当たり良く『つくし』が群生している場所を4年ほど前に発見し、私が自由に外歩きが出来るようになれば摘みに行こうと決めていたのだ。その場所はY・PTも知っており、摘むのに要した時間はほんの僅かとY氏は言っていた。しかし僅かな時間で僅かな労力であっても私の春待ち心を大満足させてくれたのだから私にとっては決して僅かなことではなかったのだ。
アリガトウ。
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22日の夕膳は上の通り、『つくし』の炒め物とムラサキイカ(冷凍)の天ぷら、メカブのスープ、巻きs-2019031909260000寿司、それに酔心。
長いこと広島へも行くことができずに懐かしい思いで仕入れた酔心。
初めて見たラベルで春の純米酒とプリントしてあった。
春らしく桜の花が咲き誇り、『つくし』共々春を食す膳に大満足であった。

あとしばらくすれば『タンポポ』の黄色い花を見ることも出来るだろう。
昔は二ホンタンポポだったが、今はセイヨウタンポポがほとんど。
以前にセイヨウタンポポも食べたことがあるが大きい違いは感じなかった。
『タンポポ』はサッと湯がいてお浸しというのが私の食べ方だが、いろんな食べ方が出来そうだ。






masatukamoto at 14:53|PermalinkComments(0)

春 《1》

冬至(2018/12/22)の折には最も南に行っていたお日様。
それが元日には少しだけ北へ戻って顔を出したのが午前7時
19分だった。(当ブログ1月1日分参照)
そのお日様の日の出が本日(3月23日)は下の写真の通り。
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正確には日の出とは言えないが久しぶりに撮れた写真である。今朝も撮影後まもなくお日様は雲の中に。
元日から80日目のお日様。ようやく私の定席から日の出の姿を見ることが出来るようになった。
春、実感である。
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masatukamoto at 09:33|PermalinkComments(0)

March 22, 2019

相応しい

原因有るがゆえに結果有り、結果あるは原因あるゆえなり。
あらゆる物事に対し、こうした観点に立つことが科学するイロハと言える。s-2018-12-12_152105
近頃、科学するなんて言葉もあまり聞かないが・・・

まあそれはさておき、物事には始まりがあり終わりがある。
以前にも少し触れたが、長いか短いかは別にして原因と結果の間には何らかの過程があるもので、始点と終点の間でも同様である。
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今朝の朝刊第一面はイチロー選手の引退記事が目を引いた。
彼の業績や人柄については既に多くの人たちが語っており、多分9割がた悪いことを挙げる人はいないだろう。かく言う私もその一部に入っているのだ。
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ところで彼の引退をどう見るか。
これは見る人の観点によって変わるもので、彼をプロ野球の選手として見るなら引退は結果でありゴールに到達したと言えよう。
しかし彼を一人の人と見るなら、まだ長い人生(過程)の幾つもある通過点の一つを越えたに過ぎないのだ。
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すごい人であり、私は彼のこれからの人生にも頗る興味を感じているのだ。
勿論のことながら面白半分週刊誌的興味ではない。
大阪のツマラン選挙告示記事より遥かに相応しい第一面記事だと私には思えたので一筆啓上。




masatukamoto at 19:37|PermalinkComments(0)
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