April 2019
April 16, 2019
奇遇から・・・
12日に起きた出来事。
奇は取り分け珍しく不思議、遇は全く思いもかけず巡り合うという意味に私は解しているから、金曜日の出来事は字が意味する通り将に奇遇であったのだ。
私が奇遇と感じるのは、そうした予測がほぼ不可能と思う場合である。
大阪の或るホテルに行った時、某企業が系列企業の代表を集めてパーティーを開いていた。
卒業生の一人が系列企業の役員をしていたので、
だからホテルのロビーで「せんせ。」と声を掛けられた時も然程驚くことは無かった。むしろ華やかな訪問着のご婦人からの声掛けに恥ずかしい思いをしたことに強烈な印象を受けた。
今年頂いた年賀状では彼女も還暦を迎え、孫も出来たのだと。
私自身が歳を取るのも当然・・・分かっちゃいるが、歳の差だけは詰めることも離すことも出来ないのだ。
通常、教師に任じられる年齢は23才から27才程度である。小学生から高校生の年齢を考えると教師と子どもの年齢差は 6年から21年。
通常、教師に任じられる年齢は23才から27才程度である。小学生から高校生の年齢を考えると教師と子どもの年齢差は 6年から21年。
私が高校生の時、T先生(体育)は24歳だった。年齢差は今も勿論縮まることなく先生は私を弟の如くに接してくれる。しかし私にとって師は師であり、兄ではなく師として向き合っていることは書いておこう。これは私の信条というか節義と言えるものだから。
masatukamoto at 18:58|Permalink│Comments(0)│
April 14, 2019
最近の楽しみ
私のことだから楽しみと言っても大層なことではない。
食事量を制限しているので常に空腹感が消えず、そのため近頃は飴を舐めて誤魔化している。
龍角散ののどすっきり飴、パイン飴、それと姉に頂いた昔ながらの組飴。
糖質摂取量を抑えるための食事量制限なのに一体何をしとることやら。
昔ながらの市松模様の組飴だ。
ハッカ味で甘過ぎず、どこを切っても金太郎飴の仲間である。
懐かしい思いのする飴だ。
ハッカと言えば昨年に植えた二ホンハッカが育ってきている。
どのように使ってみようかと今はいろいろ考案中。
今も楽しみ、これからも楽しみ。
今日は珍しく私も家内もカレンダーが空枠の日だった。
元気な家内も風邪気味のため本日は完全休養日。
明日からは又忙しくなるのだ。
masatukamoto at 21:16|Permalink│Comments(0)│
奇遇…《2》
4月12日(金)。
運転免許更新時の高齢者講習が義務付けられたため昨年12月に受講申し込みをしたのだった。
その講習日が一昨日だったのだが、県内自動車教習所4か所に連絡し、それらの内で最も早い日を予約できたのがN自動車教習所だったのだ。講習を予約するのに4ヶ月も5ヶ月もかかるなんて。
まあそれは置いておくとして、家内を助手席に乗せて1時間近く走ってN自動車教習所に到着。
駐車場から建物までの距離80m。極力杖を頼らずにゆっくり歩いた。
「ふうー、よっこらしょ。」
椅子に腰掛けた私たちに受付カウンターの女性が受講手続きの説明を始めた。
言われるまま書類に必要事項を記入し、納入した受講費を出納係に納めて戻って来る女性の顔を見て私の記憶信号が点滅し始めた。
うん? まさか・・・ よく似てる。
と、チラッと見えたその女性の名札の名前と私の記憶信号が一致。
思わず「Oさん ?」と声を掛けた、途端
「先生。」
「Nちゃん ?」
「やっぱり・・・。」
彼女とは40数年前に大阪の某校で担任したのが出会い。その後は彼女の結婚披露宴で会っただけだ。旧姓Tが O姓となり、やがて子どもが出来て奈良へ転居、何年か前にご亭主が亡くなり彼女も彼女の母親と同じ境遇になったことなど欠かさず頂いてきた年賀状で知ってはいたが・・・。
彼女がこの教習所に勤めるようになって7ヶ月、それにいつもこの事務所にいるわけではなく他の場所へ行くこともあり今日はたまたまだったのだと。何人もいる事務員の中で私を受け付けることになったのもたまたま。
私にしても高齢者講習受講が義務付けられたから教習所へ行くことになったのであり、そして彼女が働いているということも、まして私がたまたま選んだ自動車教習所に彼女が勤めていることなど到底知る由も無かったことなのだ。
私たちもええ歳だが彼女も既に50半ば・・・。
食事でもしながら昔話をしようと約して別れた。
写真は帰路に通った郡山城の桜。
masatukamoto at 20:11|Permalink│Comments(0)│
奇遇…《1》
私が『奇』の文字を使う場合はかなり限定的である。
とりわけ奇遇と私が感じて使ってきたのは記憶に基づく限り3度だ。
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2度目は母親(父の後妻)が救急車で搬送された病院に家内と駆けつけた折、担当看護師だと出迎え応対してくれた女性(Iさん)が卒業生であったことだ。
彼女には母親の入院から最後の最期まで世話を頂き今も感謝の気持ちは忘れてはいない。
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3度目の年月は覚えていないが私がミナミで飲んで帰る時に難波の地下道で出会った女性(Mさん)、当ブログではR子と表記している人だ。
IさんもMさんも20年ほどの時間的隔たりがあっての出会いであったし、いずれの出会いも思いもよらぬ場所と時間帯と、私にとっては全く『奇』の文字を冠すべき出来事だったのだ。
『奇』、つまり予期できぬ奇しきことで人為ではない何か見えぬ力が働いたとさへ私には感じられることなのだ。これを神仏の力と思うかどうかは人それぞれ。
こんな奇遇の4度目を経験することになったのだ。《続く》
masatukamoto at 13:34|Permalink│Comments(0)│
April 13, 2019
選択に迷う
通常モノが沢山あると好き放題に選ぶことが出来て嬉しいものだが、逆に有り過ぎると選ぶのに迷い決めることが出来ず却って困ってしまうものだ。
ブログを書こうと思いつつ書けないでいるこのところの私が将にそれだ。
書きかけたものの中途半端で終えて続きを書けなかったり、構想が纏まっていたのに時機を失して没にせざるを得なかったり、病気治療や会合出席など外出することも多かったし、自宅にいても来客の応対などでパソコンに触れる時間が無かったり、体調悪く寝込んでいたりと様々な理由があったのだ。
小学生の頃『あすなろ物語』(井上靖)を読んだ。
「明日は檜になろう、明日は檜になろうと思って・・・」
記憶が曖昧だが、立派になろうと願う志の大切さと、所詮『あすなろ』は『あすなろ』であって檜ではないという二通りのことを学んだような。
八甲田山に登った折(大学1年時)、酸ヶ湯温泉で会った営林署の人に『あすなろ』というのは青森ヒバのことなんだと教えてもらったことを思い出した。
ヒバと檜は違う、故に『あすなろ』は檜に非ず。
『あすなろ物語』は別にして、明日は書こうと私は思う。
masatukamoto at 21:35|Permalink│Comments(0)│