January 2020
January 23, 2020
傲慢・慢心
『桜を見る会』の名簿に関して菅官房長官は記録媒体を含め文書は廃棄したと、その存在を否定する旨を公言してきた。
ところが存在しない筈の関係文書が出てきたのだ。
そのために17日、菅官房長官自身が『公文書管理法違反・内閣府の文書管理規則違反』を認める結果となった。
国会で求められた時に何故提出させなかったか。また探すことを拒否してきたのは何故か。
安倍政府の報道官たる菅氏が国民に対してウソをついてきたのだと私は見ている。
彼はこれまで記者会見の場で、法令・規則に照らし適切(テキセツ)に対処している旨答えてきたことを私は何度も聞いてきた。
ところが適切どころか法律違反を内閣府がやっていたのだ。内閣府のトップは安倍総理大臣。その内閣府を実質的に取り仕切っている責任者が菅官房長官だ。
法令に照らし適切に対処しているハズの菅官房長官だが、適切ではなく適当(テキトー)に対処してきたと言ったほうが良いような。
日本の法体系では最高法が憲法であることは常識。この憲法に基づいて行政法の他、民事、刑事、教育、社会、産業など全ての法律や規則が作られているのだ。
そうした法令・規則をテキトーに扱っているなら憲法をもテキトーにしてるってことに。
有るものを無いことに、公文書改ざんなど法律違反をしてもテキトーに、不祥事があってもダンマリを続ける。なんでもかでも閣議決定で問答無用とばかり突進しているのが安倍政府の姿勢と私には見えるのだ。
全ての省庁の予算・人事まで握る、つまり日本国の権力のすべてが内閣府に集中しているのだ。
そのトップが自民党総裁でもある安倍首相。そうした権力の笠を着て威を振るっているのが菅官房長官と私には見える。
菅官房長官は、安倍政権にとっては不都合な加計学園獣医学部新設疑惑の際に『安倍首相の意向』との文書を本物と証言した前川喜平(当時・前文部科学事務次官)氏に対し、「地位に恋々としがみついていた」などと記者会見の席で個人攻撃を行ったことがあった。記者会見など一般人が設定するのは出来ないのがフツウ。官房長官だからこそ記者会見が出来るのであって、その場で一般個人を中傷するのはフェアではなく驕りそのものである。
いろんな考え方や生き方があることは認めなければならない。
しかし、ウソつきだとか傲慢だとか、勿論社会正義に反する言動などについて私は認めない。
安倍首相も菅官房長官も『実るほど頭を垂れる稲穂かな』を座右の銘に加え実践してくれればと願う。
masatukamoto at 20:16|Permalink│Comments(0)│
予の辞書《2》
さて、中学生の頃に読んだ本に書かれていたナポレオンの『余の辞書に不可能という文字は無い』という言葉を何故私が思い出したのか。このことについて先ず書いておこう。
『仏の・・・』と呼ばれる私でも、社会正義に反する言動を行う輩に対し、怒りの矛を収めることは無いと年末に書いておいた。
新しい年になったからといって昨年までの不祥事が洗い流され『真っ新(まっさら)』になるわけではないのだ。
まだ犯罪が確定したわけではないが、収賄の疑いで逮捕された秋元司衆院議員の他、公職選挙法違反が疑われて昨年から雲隠れしていた菅原一秀衆院議員(前経産大臣)、河井案里参院議員、河井克行衆院議員(前法務大臣)らだ。
先日漸く顔を見せた奴らの口は説明とは言えぬ見苦しい弁解のみ。
彼らの姿を見ていて思いついた言葉が、
『吾輩の辞書に恥という言葉は無い』ということだった。
『The word shame is not in my dictionary.』
ナポレオン風に言えば、
『Le mot honte n'est pas dans mon dictionnaire. 』かな?
『菊と刀』においてR・ベネディクトは日本人と欧米人の行動様式をもとに、日本の文化を『恥の文化』、欧米人の文化を『罪の文化』と定義している。
二つの文化の違いは、欧米人は神(の教え)との関わり(契約)に罪を意識する文化であり、日本人の場合は他人の目を気にして自らを律するという文化、つまり周囲の人たちから嘲笑されることは恥ずかしいことであり笑われないよう努めることが正しい道だという考え方に立っているのが日本人の文化意識だというのだ。
この定義に対しては批判もあるが、まわりの人たちから笑われることを恥ずかしいと思う感性は日本人のみが持つものではない。神仏の教えにおける罪や罰についても、多くはご利益といったものかもしれないが日本人の文化意識に欧米人の『罪の文化』意識が無いわけでもない。
上に挙げた国会議員らの言動を見れば、奴らの頭は『恥の文化』も『罪の文化』も意識できていないようだ。
国民の信託を得て国民のために働くという職責を忘れとるアホウだと私は思っている。
『予の辞書』の結論としては《人としての恥を知れ》ということだ。
masatukamoto at 13:32|Permalink│Comments(0)│
予の辞書《1》
中学生の頃、何の本だったか『余の辞書に不可能という文字は無い』とナポレオンが語ったと書いてあるのを読んだことがあった。
ナポレオンとは勿論フランス皇帝ナポレオン1世のことである。
ナポレオン軍がロシアへ侵攻する様子と、結果ロシアが勝利した様子をチャイコフスキーが序曲1812年と題して楽譜に表している。
進軍するフランス軍の様子をラ・マルセイエーズの演奏に例え、凄まじい戦の様子を大砲の音で、やがてロシアの勝利を祝う様子をキリスト教会の鐘を乱打することで表現している。当時の歴史を踏まえてこの曲を聴くとイメージが一層広がるのだ。
このロシアとの戦いにナポレオンが敗れたことを機に、翌1813年からオーストリア、プロイセン、スウェーデンなどの同盟軍がナポレオン・フランス軍との戦争を始めることになったのだ。
この1813年のドイツ戦争でフランス軍は大変な敗北を期すことになるのだが、前線地の司令官から守備は不可能との書簡を受け取ったナポレオンが返書に記した中に下の一文が含まれていたのだとか。
『Impossible n'est pas français.』
上のフランス語を英語で書けば
『Impossible is not French』
となろうか。
不可能はフランス語に無いという意味に解釈できるが、『余の辞書に不可能という文字は無い』をそのまま英語に直すなら、
『The word impossible is not in my dictionary.』
となるかな?
あっちもこっちも寄り道をするので長くなってしまう。
まず中学生の頃の記憶が甦ったことと、その枝に付いていた葉っぱの何枚かについて上に書いてみた。
どうしてナポレオンの言葉が甦ったか、その訳や結論としての私の思いについては書いていない。
まあ長くなるので2回に分けて書く方が良かろうと単純に思っただけのことだ。次回《2》として続きを書くことに。
masatukamoto at 13:31|Permalink│Comments(0)│
January 21, 2020
報 告
私の回復度合いについては折々に書いてきたが、見違えるほどとか目を瞠(みは)るほどといった急激な変化は今もって表れ出てはいない。回復スピードはイライラするほどの超低速である。しかし今の私の心は平静で苛立ったものではなく落ち着いている。勿論健常な時と比べると、もっと早く、もっと高く、もっと長く、もっと沢山出来ていたのになどと不足に思うことはある。
これらの不足を有難く受け止め楽しむことが出来るほどに堪能できるようになれば、これはもはや悟りの境地に到達したと。頭では理解できるが、今の私は未だ未だである。しかし決して回復することを諦めているわけでも苛立たしさを募らせているわけでもない。
これらの不足を有難く受け止め楽しむことが出来るほどに堪能できるようになれば、これはもはや悟りの境地に到達したと。頭では理解できるが、今の私は未だ未だである。しかし決して回復することを諦めているわけでも苛立たしさを募らせているわけでもない。
日々の回復の変化は微細であり漸く分かる程度、それも私自身が感じる程度で冒頭にも書いたように客観的に確認できるほど大きな変化ではない。しかし時間が経過することで見えてくる変化もある。
川は山中の湧き水から始まる。その流れが沢や渓谷を造り、やがては大河となって海に至る。そうした川の流れには瀬もあれば淵もある。部分部分では異なる姿を見せているが全体としては海に向かって流れている。
私の回復も既に8年の歳月を費やしているが、全体として海に、つまり良い方向へ動いていることは私自身が感じていることだ。
回復の例をひとつ。
8年前までよく行っていた焼き肉店『千草』へ行きたいとY氏に介助を頼み、実行したことだ。
Y氏の体躯は大きくて頑丈ゆえ、仮に私が倒れかけても支えてくれると思い同行を依頼したのだった。
と言うのも焼き肉店『千草』はビルの2階にあり階段を昇らねばならなかったし、その階段が結構急であったことが8年間訪れなかったことの理由のひとつだ。
二つには、私の足の筋肉の回復に自信が無かったため、店へ行きたいという思いが浮かんでこなかったのだ。
写真は注文品の一部。私が好きなのは厚切りタンの塩焼き、上ミノサンド、その他はハツ、ツラミ。
食べる量は少なくなったが久し振りにY氏とマッコリを酌み交わし楽しいひと時になった。
Y氏の長男K君も一緒だったが、厚切りの焼き肉はイマイチだったようで、『千草』を出た後にI氏の店に寄った。8年ぶりの梯子である。
店内はカウンターも小座敷も客でいっぱい。小座敷はてっちり鍋を囲む人たちで煩いほどの賑やかさであった。客が多い時は注文するのも気を遣うが、K君が興味を持ったようなので水槽のアジを活け造りと寿司ネタにしてもらった。
口、パクパク。ひれ、ピクピクには少々驚いていたが、何を学ぶかはK君次第。
それにK君が好きだと言うウニを。
写真はウニ寿司を食べるK君。
K君には私の回復度合いのテストに付き合わせて悪かった。
Y氏にはまた一献とリハビリ介護のお付き合いをお願いしておきたい。
masatukamoto at 19:30|Permalink│Comments(0)│
January 19, 2020
一体・・・《つづき》
動きは遅いが何とか駆動するようになった我がPC。
何が原因でフリーズしていたのか、これは今もなおハッキリしたことは分かっていない。
分かっていない現状ではあるが、状態から疑いを持っているソフトウェアが二つある。
マイクロソフト・ワード2010とマイクロソフト・アウトルックだ。
ワードもアウトルック(以前はエクスプレス)もウィンドウズ 98 の頃から重宝してきたが、今回のようにノロイ動作やフリーズするといった状況は初めての経験で、この辺りに原因が隠れているのではないかと思っているのだ。
以前の状態と変わって大いに弱っていることに、アウトルックに保存していた連絡先やメールのフォルダーが消えてしまったことだ。
これらのファイルを消去する指示など出すはずもなく、全てのファイルに検索をかけたものの見つからないのだ。神隠しなど有り得ないことだが、何処かへ飛んで消えてしまったことは事実なのだ。
つまり、これまで交信してきた方たちのメールアドレスなどの情報が消えてしまったので私の方からメールを送信することが出来なくなってしまったということだ。
まことに申し訳ないことだが、空メールを送って頂きたく宜しくお願いしたいのだ。
masatukamoto at 09:30|Permalink│Comments(0)│