May 2020

May 26, 2020

歴史小説から《2》

物事を単純化して見れば難しいと思うことも分かりやすくなるものだ。先日読み終えた『戦後史の正体』もそうであった。1945年以降総理大臣となった人物を二つの立場に分ける手法で孫崎氏は書いていた。郵政民営化を主張した小泉首相は民営化に反対する者は全て抵抗勢力だと2色に分けて判断を求めs-2020-04-18_095655るという戦法を展開したが、これも単純化の例として挙げることができよう。
空色短
『令和万葉秘帖』も大伴・山上組 vs 藤原組の対立を基本にストーリーが展開されており、飛鳥時代から奈良時代の皇位継承に関わる複雑な権力闘争を単純化することで分かりやすさを提供してくれているように私は感じた。
ピンク短
太宰の帥として赴任した大伴旅人に山上憶良は自分が山辺衆の首領であることを明かし、奸計によって自殺に追い込まれた長屋王の無念を晴らす行動を旅人と共に進めていくのだ。山上憶良は家来である硃s-2020-04-18_093900や権や助、それに博多と難波を行き来する船の船長・甚らに命じて都の様子を探らせたり、長屋王奸計に関わった藤原組の者たちに対して次々と制裁を加えさせたりしていったのだ。
短青色
こうしたストーリーから山辺衆というのは伊賀衆や甲賀衆と同じ忍者集団で、その頭が山上憶良だと分かる。『令和万葉秘帖』の書名を見た時、随分昔に読んだ阿波藩に潜入した虚無僧姿の甲賀隠密を描いた『鳴門秘帖』を思s-2020-04-18_094301い浮かべたのだが、私の頭の中で『秘帖』『隠密』『忍者』という言葉の連想があったことにも思いついた。
緑短
そうした私の理解における忍者は子どもの頃に読んだ真田十勇士の猿飛佐助や霧隠才蔵から始まり、江戸期の伊賀者・甲賀者、お庭番といったものにつながってきたのだ。しかし盗み聞きをし、デマを流布し、密かに毒を盛るなs-2020-04-18_094903ど人を殺めることも厭わない忍者について良い印象を持つことは無く、忍法、忍術も極々上っ面な理解にとどまり、特別深く興味を持つということも無かった。
赤短
その忍法は『いつ』『どのような場で』『どのようなことが行えるか』といった方法を示すものであり、隠密や忍者といった特別な人のみが使う術を忍術と呼ぶのだと私は理解してきた。
しかし忍法・忍術について改めて見直してみると結構オモシロク、誰もが日常的に行うことが可能なこともあるようなのだ。
紫短s-2020-04-18_095142
隠密の隠は、かくす、かくれる、おおう、ひそむ、と言った意味があり、密には、ひそかに、人に見えず知られぬように、隙間なく細かく詰まる、と言った意味がある。忍術・忍者の忍には、人目を避け知られぬように、こっそり目立たぬように、しのぶ、といった意味があり、いずれも共通の意味を持った言葉であることが分かる。
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写真は或る日の私の夕食。
s-2020-04-28_070224赤飯、若竹煮物、鯨ベーコン、剣先いか刺身 etc
もともと嫌いな物など無い私だが、鯨のベーコンは子どもの頃より特に好きな物。それを知っている家内が見つけて買ってきてくれたのだ。10年ぶりぐらいになるだろうか。
色々出てきたバッジのひとつ。興味や関心を持つことについて将に全方位的に経験させてもらっていた時期のもの。某音研の女性指揮者にスカウトされて歌っていたのも同じ時期だった。
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歴史小説からの連想については、もう少しだけ次回に。



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歴史小説から《1》

昨日安倍首相は緊急事態解除を宣した。
社会経済活動は段階的に徐々に再開していくことや、補正予算など関連実施する施策など当面の方針について語っていた。
コロナ禍で世界中が大混乱の中、日本も大変な状況の月日を過ごして来たのだから政府として緊急事態の解除可能と認定出来る状況になったことは喜ぶべきことである。
s-紫蘭DSC_0029
外出自粛。身体事情により外出しにくい私だが、それでも自粛していたのだから、ずうっと家にいたも同然。出たと言えば庭先へ出て花を見たことぐらい。
家の中で私がしたことと言えば、書斎の整理(断捨離)、音楽鑑賞、テレビ視聴、読書ぐらいだろう。
s-読了-xxxx-1その読書も読み進めるスピードが落ちていることを書いてきた。
写真は先月初めに送って頂いた『令和万葉秘帖ー隠流しー』だ。
大杉耕一氏の作品で『令和万葉秘帖ー長屋王の変ー』に続く第二作である。
我が家へ来る銀行マンには君たちの先輩の著作だと紹介してきた。作品に関する私の説明にはふんふんと頷いていたが、顧客としての私の前ゆえの振る舞いであったろうと思う。
緑短
それはともかく作品は飛鳥時代から奈良時代にかけてが舞台になっており、この時代に権力を掌握していった藤原一族と対立する大伴旅人や山上憶良らとの権力争いについて書かれているのだ。
『ふーん、そうだったのか』と新たに得た知識や新たに興味を持ったこともあった。それと疑問に思っs-ゼラニウムDSC_0038たこともあった。
空色短
ついでだが山上憶良と言えば万葉集、『貧窮問答歌』で有名な歌人だ。太宰の帥として赴任した大伴旅人の邸宅にて『梅花の宴』を催すなどしている。この宴にて詠まれた歌は万葉集の巻五に梅花歌三十二首として採録されている。大伴旅人、山上憶良、大伴坂上郎女、沙弥満誓、小野老、葛井大成らの他に防人の歌も入っている。大宰府歌壇と言うか文化人の集いのようなことが行われていたのだ。
紫短
第2作目のテーマ『ー隠流しー』《しのびながし》とは左遷を意味する言葉。聖武天s-DSC_0035皇の皇位継承を企む藤原一族が長屋王を自殺に追い込んだ事件、『ー長屋王の変ー』が第1作目のテーマだった。
この事変に関わって大伴旅人を太宰の帥に任じたことを左遷と想定、追って太宰の少弐として派遣された小野老を藤原氏側のスパイに第1作目で設定していた。
小野老は
「あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の薫(にほ)ふがごとく今盛りなり」
を詠んだ人物だ。
短青色
大伴旅人を太宰の帥に任じたことが左遷であったのかどうか、小野老が藤原氏側のスパイであったかどうか、それらを証明する直接的で明確な証拠は無い。史実に基づき著者の頭の中で描かれたフィクショs-DSC_0028ン、つまり歴史小説なのだ。気楽に流し読めば良いのだが我が国最古の歌集『万葉集』や歴史上実在した人物が登場してくると、なかなかサッサと読み進めることが出来ずに立ち止まることが多い。
赤短
山上憶良に関して思ったことを次回に。


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May 25, 2020

はあ?

『はあ?』
どのような感じに聞こえる言葉なのか、少し補完してみることに
『HAA
音の高低・大小を図示すると下のような具合だ。
s-2020-05-25_064046
私自身このような声を発する時は、単に驚き不思議だと感じる場合だけでなく、呆れ・非道・不正・不法など道理に合わない『怒り』の気持ちを含める場合もある。
ピンク短
衆議院法務委員会(5月22日)で山尾志桜里議員(無所属)の質問に対する森法務大臣の答弁を聞いた。
これまでさんざんな、答弁とも言えないような答弁を重ねてきた人物だから何を聞かされようと最早驚きも期待もしていない。この時の答弁では、黒川検事長の件で進退伺いを出すと安倍首相に強く慰留さs-2020-04-28_084909れ「検察の信頼回復のために引き続き業務にあたってほしいと」言われたんだと。そして「辛い道だが信頼回復のために出来ることをしていきたい」と森法務大臣が語ったのだ。
まあ検察の信頼回復などと言う前に、安倍首相も森法務大臣も自らの信頼回復に『真摯』に取り組まねばならないと私は思っているのだが。
緑短
衆議院厚生労働委員会での宮本徹議員(日本共産党)の追求に対し、安倍首相は「最終的な責任は内閣総理大臣である私にある」とし「ご批判は『真摯』に受け止めたい」と語った。
宮本議員は、責任があると言いながら行動がともなっていないと指摘し、責任をどうとるのかと質問しs-DSC_0031たところ、安倍首相は「国民の皆様の信頼を回復するために全力を尽くしていきたい」と全く具体的な返答をせず、『責任』『真摯に』『信頼回復』といった言葉をまたまた用いたのだ。
空色短
安倍晋三氏が総理大臣となって8年目。彼の言葉に『責任』『真摯に』『信頼回復』一体何回聞いたろうか。具体化具現化されたことがあったろうか。相も変わらず私の目には『口先晋三』としか映っていない。
赤短
ところで私が『HAA』と声を上げたのは法務委員会での川原隆司・法務省刑事局長の説明を聞いた時だった。
「具体的に申し上げますと、1000点を100円と換算されるものでございまして、勿論賭けマージャンは許されるものではありませんが、社会の実情を見ましたところ、必ずしも高額と言えないレート、社会のs-DSC_0029実情を見ると必ずしも高額とは言えないレートでした」と。
『HAA
紫短
これを法務省の刑事局長ドノが国会でヌケヌケ堂々と語ったのだ。
1000点を100円として賭けるのは賭け事では無いと。
法務省・川原刑事局長ドノの親分は勿論、森法務大臣。
短青色
『口先晋三』氏は今回も自らの責任と明言しておきながら、実際的には法務省、検事総長、黒川氏の責任にして済まそうという魂胆のような。


masatukamoto at 09:30|PermalinkComments(0)

May 24, 2020

むかし・むかし 《続-1》

前頁でユースホステルに触れたが、ユースホステルもワンダーフォーゲルも共にドイツから広まった運動である。どちらの運動思想にも実践にも賛同する立場にあったが、ユースホステルの場合は会員登録をしてメンバーにならなければならなかったため少しばかり抵抗を感じていたことを記憶している。
s-2020-04-28_083929しかし、ユースホステル(宿泊施設)が各地にあり、シーツさえあれば安価で1泊2食付きの宿に泊まることが出来るという魅力に負けたのだった。
空色短
テントは必要ないが宿泊の際に自分専用のホステル・シーツが要るので母親に縫ってもらったことがあった。自分一人が入って寝ることが出来る封筒状のシーツだ。これはユースホステル運動の柱のひとつでもある協力協同精神の実践として、訪れた時よりも綺麗にとの考えが自分専用のシーツ使用といs-2020-04-28_084337うことに象徴的に表れていたように思うのだ。
ピンク短
当時の宿泊費は450円か500円だったように思う。このブログを書いていて私が泊まったことのあるホステルは現在どうなっているのか調べてみたら、全て無くなっていた。
紀伊半島の西南部の徒歩旅行を行った際には日ノ岬ユースホステルや潮岬ユースホステルに宿泊させて頂いたのだ。時代の変化とは言え寂しい思いがしてならない。
当時ユースホステルを利用すれば会員証に当該施設のスタンプが押されることになっs-2020-04-28_084157ていた。この会員証が見つからないのだが、出てくればまたひと時当時の世界に浸ることになるだろう。
紫短
3つの写真は比良山の登山記念のバッジだ。
琵琶湖西岸の南北に延びる比良山地、その最高峰が武奈ヶ岳(1214m)である。
比良山地の南には比叡山、北の方には朽木峠があり、歴史上名高い地名である。
今はJR湖西線だが当時は江若鉄道。便利が良かったとは言い難いが京都から距離がs-2020-05-22_103222近いので何度も登りに出かけたものだ。
青短
比良山に飽きたわけではないが、土曜日に京都駅から鈍行の夜行列車で米子駅に行き、バスで大山寺まで行って大山(弥山 1709m )に登って下山。日曜日の夜に帰宅するということを2度やった。
s-2020-05-22_133058ともかく私の青年・思春期はよく歩いた走った。
せめて10分の1でも機能が回復してくれれば嬉しいのだが・・・
そうそう、大山行ではお金に余裕が無かったのでバッジを購入していなかったのだ。



masatukamoto at 16:30|PermalinkComments(0)

むかし・むかし

『むかし・むかし』はお伽話の語り始めに用いる言葉だ。
『10年ひと昔』という言葉は、10年をひとつの区切りとして昔という期間を表すと解されている。s-2020-05-22_133648と同時に、10年と言えば長いように感じるが、月日の経つのは早いという意味合いも込められた言葉でもある。
緑短
中学生や高校生が『むかし』という言葉を使って自分に起きたことを話しているのを何度も耳にしてきた。その都度何とも可笑しくソグワナイ感じを私は抱いてきたのだ。何となれば、中・高生と言えば通常
12歳から18歳なのだから。
青短
まあそれほど、彼らが『むかし』という言葉をフツウに使うほど世の中の移り変わりが早まっているのかもしれない、とも思う。
s-2020-05-07_140515
さて、私の『むかし・むかし』だが、お伽話ほどの『むかし』ではない。
全方位という言葉からの連鎖で学生時代の出来事を書いたが、私が高校・大学に通っていた頃が私の青年期であり思春期であり、全方位に向けて興味・関心を持ち、また実践した(させてもらった)時期であったと懐かしさも込めて思い出すのだ。
赤短
ついこの間のこと書斎整理をしていたら記章バッジの類いが沢山出てきたことを書いた。それらの殆どが私の青年・思春期に関わるものだった。
下の写真は大阪ユースホステル協会主催で一定距離を歩こうという行事のメダル。そのコースは協会が設定していた。完走ならぬ完歩した人にメダルを与え、写真は15kmのコースと20kmのコースをs-2020-04-28_063318完歩した時のものだ。
30kmコースのメダルが見当たらなかったのだが、私には寝屋川市駅(京阪電鉄)付近から大利川を遡り、淀川堤を歩いて枚方から京都へ歩いた記憶があるのだ。つまり仮に寝屋川市駅から京都駅までなら30kmあるので証となるバッジが出てきて当然なのだが。
s-2020-04-28_064320
ピンク短
当時の私はワンダーフォーゲル運動に傾倒していた頃で野外活動に関わることを『全方位』的に行っていたのだ。
横長のキスリングザックに飯盒やラジュースを詰め、行程に泊まりが加わる時にはテントやシュラフザックを積み、後にカニ族と呼ばれる格好で出かけていた。
国鉄・紀伊由良駅を出発点に国鉄・新宮駅まで徒歩旅行を遂行したのもこの時期だった。
s-2020-04-28_0641072枚の写真は友人と何度か登った金剛山の登山記念のバッジ。
登山回数によって色が変わっていくのだが、私の場合は10回未満であったため青色のバッジだ。
冬場の金剛山は雪が氷化すめため鉄製のアイゼンを付けて登ったものだが、温暖化が叫ばれている昨今、どうなっているだろうか。




masatukamoto at 12:00|PermalinkComments(0)
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