April 2021
April 20, 2021
感謝-2
コロナ禍でなかなか会えない人たちからもお祝いメールを頂いた。
オンライン講義だテレワークだと勤務態様に大きい変化を来たしている状況にあっても、それぞれ元気でいることが分かる嬉しく思うメールであった。
そんな中、大阪市内の飲食関係の仕事は昨年から引き続くコロナ対策で店舗の営業継続が大変に厳しい状況にあることや、病院・薬剤などに職のある者らは日常行動でも私たちが感心するほどに自己規制を徹底していることが分かった。
以前にも紹介したことがある日本料理『靭本町がく』から色んな料理に加えて日本酒が送られてきた。
新型コロナ感染症拡大のさ中、私が一人で易々と移動できないこともあって大阪市内へ出かけることが稀(皆無に近い)な現況でプロが作る美味しい料理が飛んできてくれたというのは実に嬉しく幸せなことであった。
『靭本町がく』は昨年の秋に訪れて以来なので、今川氏の料理はほぼ半年ぶりに頂くということに。
送られてきた箱には、挨拶の言葉とそれぞれの料理の名前、素材、食べ方などが記された用せんが添えられていた。
この度も私の記念日に料理が届くよう K子さんが手配してくれたのだ。いつも細やかな気遣いを頂く K子さんには心よりの謝意をここに記しておきたい。
写真は全て『靭本町がく』の料理の一部。
《筍と若芽の煮物・山椒の花添え》
《からすみ》と日本酒《旭菊》
今年はタケノコが手に入らないと思っていたら、毎年頂いていた五條(奈良)や橋本(和歌山)ではイノシシと筍ドロに荒らされて無いのだと聞かされた。そんなわけで『靭本町がく』の若竹煮が初物となり、家内ともども美味しく頂いた。
《からすみ》は流石にプロの作品と感服。塩加減については私よりも少し強めと感じたが、色合いや滑らかさについて、私の作品など比べものにならないことを実感。そもそもプロと比べること自体が無謀なのだが。
オンライン講義だテレワークだと勤務態様に大きい変化を来たしている状況にあっても、それぞれ元気でいることが分かる嬉しく思うメールであった。
そんな中、大阪市内の飲食関係の仕事は昨年から引き続くコロナ対策で店舗の営業継続が大変に厳しい状況にあることや、病院・薬剤などに職のある者らは日常行動でも私たちが感心するほどに自己規制を徹底していることが分かった。
以前にも紹介したことがある日本料理『靭本町がく』から色んな料理に加えて日本酒が送られてきた。
新型コロナ感染症拡大のさ中、私が一人で易々と移動できないこともあって大阪市内へ出かけることが稀(皆無に近い)な現況でプロが作る美味しい料理が飛んできてくれたというのは実に嬉しく幸せなことであった。
『靭本町がく』は昨年の秋に訪れて以来なので、今川氏の料理はほぼ半年ぶりに頂くということに。
送られてきた箱には、挨拶の言葉とそれぞれの料理の名前、素材、食べ方などが記された用せんが添えられていた。
この度も私の記念日に料理が届くよう K子さんが手配してくれたのだ。いつも細やかな気遣いを頂く K子さんには心よりの謝意をここに記しておきたい。
写真は全て『靭本町がく』の料理の一部。
《筍と若芽の煮物・山椒の花添え》
《からすみ》と日本酒《旭菊》
今年はタケノコが手に入らないと思っていたら、毎年頂いていた五條(奈良)や橋本(和歌山)ではイノシシと筍ドロに荒らされて無いのだと聞かされた。そんなわけで『靭本町がく』の若竹煮が初物となり、家内ともども美味しく頂いた。
《からすみ》は流石にプロの作品と感服。塩加減については私よりも少し強めと感じたが、色合いや滑らかさについて、私の作品など比べものにならないことを実感。そもそもプロと比べること自体が無謀なのだが。
日本酒《旭菊》は久留米(福岡)の酒で冷酒とぬる燗で頂いた。食中酒としてちびりちびりとフツウに頂いた。久留米は博多の友人らと焼き鳥を食べに訪れたことがある。町じゅう至る所に焼き鳥店があったが《旭菊》を飲んだのは此度が初めてであった。
masatukamoto at 21:00|Permalink│Comments(0)│
April 19, 2021
感謝
日々有難いと感謝することは多い。
年に一度、今年も感謝すべき日と感謝すべき多くの言葉や物をあたたかい心と共に頂戴した。
心よりの感謝をここに記し表しておきたい。
寿司屋の大将I氏が、私の好むお造りとお寿司を持って我が家を訪ねてくれたのが誕生旬間の幕開けであった。別途I氏からのメールには、今年も齢を重ねる日を迎えることが出来た私を祝う言葉を綴って頂いていた。お寿司は勿論私の好きなバッテラと家内の好きな細巻きが包まれていた。そしてお造りにはハモの焼き霜、マグロの赤身、タコ、剣先イカなどが・・・
ハモについては私にとって今年初めて食にするモノ。まさに初物であり『初鱧』と言えるものだった。
※ 食い意地が先にたって写真撮影は完全に失念していた。
《写真は参考。感謝については続く》
年に一度、今年も感謝すべき日と感謝すべき多くの言葉や物をあたたかい心と共に頂戴した。
心よりの感謝をここに記し表しておきたい。
寿司屋の大将I氏が、私の好むお造りとお寿司を持って我が家を訪ねてくれたのが誕生旬間の幕開けであった。別途I氏からのメールには、今年も齢を重ねる日を迎えることが出来た私を祝う言葉を綴って頂いていた。お寿司は勿論私の好きなバッテラと家内の好きな細巻きが包まれていた。そしてお造りにはハモの焼き霜、マグロの赤身、タコ、剣先イカなどが・・・
ハモについては私にとって今年初めて食にするモノ。まさに初物であり『初鱧』と言えるものだった。
※ 食い意地が先にたって写真撮影は完全に失念していた。
《写真は参考。感謝については続く》
masatukamoto at 10:40|Permalink│Comments(0)│
April 18, 2021
タコ天・愛
当ブログ『揚げ物(2)[April 28, 2018]』で思い出すままに書いたが、私は『タコのぶつ切り天ぷら』が好きなのだ。
その『タコのぶつ切り天ぷら』を初めて食べたのが1969年のこと。もう52年も昔のことだ。
タコを薄切りにした天ぷらは何度も食べているが、ぶつ切りの天ぷらを食べる機会に恵まれなかったということだ。
それが、我が町の料理屋で思いがけず口にすることが出来、まさに「やったー!」という思いで食べたのだった。
52年も前に食べていたものとは違うが、ぶつ切りであるという、このことだけでも嬉しく思えたのだ。
その『タコのぶつ切り天ぷら』を初めて食べたのが1969年のこと。もう52年も昔のことだ。
子どもの頃からタコは食べていたが、我が家では酢の物(タコとキュウリ)として食べていたように記憶している。そのわけは、3人家族でタコを1匹も買う必要が無かったことや、公設市場の魚屋さんでは生のタコではなく茹でタコしか売っていなかったからだ。付け加えれば保存技術や需要、それに流通など現代とは大きく異なる社会状況だったこともある。
思い出すままに書けば、ソースを刷毛で塗ったタコ焼きを食べたのが1957年(昭和32年)頃のことで、タコを美味しいと感じたものだったし、当ブログ『記憶の広がり《つづき》の続きの続き[September 01,2017]』で書いた梅田の『蛸の壺』で食べた明石焼きと呼ばれるタコ焼きは大好物の玉子とも相俟って、タコ大好きの私がタコの美味しさに改めて気付かされた時であった。
話が少々飛んでしまったが、『タコのぶつ切り天ぷら』を食べていた屋台がビル建設のために無くなり、以後同じようなものを食べたいと願ってきたが果たせずにきた。
タコを薄切りにした天ぷらは何度も食べているが、ぶつ切りの天ぷらを食べる機会に恵まれなかったということだ。
それが、我が町の料理屋で思いがけず口にすることが出来、まさに「やったー!」という思いで食べたのだった。
52年も前に食べていたものとは違うが、ぶつ切りであるという、このことだけでも嬉しく思えたのだ。
masatukamoto at 11:30|Permalink│Comments(0)│
April 16, 2021
独善専制
瞬間的に判断行動しなければならないことは人が生きていく上で沢山ある。
こと人の命が危険に直面している時、これは言を俟たない。
しかし即決即時断行が常に必要と言っているわけではない。むしろ熟慮断行することが大事だと私は思っている。
現代は以前にも書いているが、過程(プロセス)を無視して結果のみを重視、或いは無視せずとも結果を求めることを急ぐという風潮が当然と言うが如くに広がっている。そして結果が良いか悪いかどちらかを明確にし、グレーな中間的結果を認めない傾向がますます強くなっているように私は感じている。
もう20年ほど以前になるだろうか。国政上、衆議院で認められても参議院で否決されるという『ねじれ』状態が起き、『決められない政治』という言葉がマスメディアを通して広まり、結果として自民党が力を得て、そこへ公明党が加わることで『ねじれ国会』が解消していくことになった。
2012年(平成24年)末に自民党・第二次安倍政権がスタート。これ以後安倍首相は経済再生、成長戦略などの政策を実現する一方、内閣人事局を設置することで各省庁の人事権を掌握するなど、権力の集中化を進めてきた。
そうした中央集権体制の強化は内閣、それも総理大臣集権体制とも言える状態となり、官僚や与党国会議員は勿論のこと地方各級首長・議員に至るまで『総理大臣は神様』と祭り上げられる存在となっていったのだ。
『総理案件』『総理のご意向』と言いさえすれば何でも通る。思い浮かぶのは「下にい~、下にい~」と歩む将軍の行列に対し、道路わきに只々平伏している一般民衆の映像だ。
駕籠の中には祭り上げられた裸の王様(総理大臣)。駕籠の周りを固め警護するのは官房長官を頭に内閣府の政務・諜報(警察軍事)など側近たち。行列を構成するのは各省庁の大臣と官僚、それに国会で多数を占める自民・公明の議員たちだ。
これは私が想像する安倍・菅政権の階層構造(ヒエラルヒー)である。
総理大臣にあらゆる権力が集中する。この構造に『ねじれ』は無いので総理大臣(内閣府)が口にしたことは上意下達で指示・命令となり、政策は与党多数の国会で立法化されて実施される。
選挙で選ばれた者たちが反対意見はあれど一応審議した形を採っているのだから民主主義のルールを逸脱しているとは言えない。しかし総理大臣の意のままに政治が進められる状況は専制的であり独裁的とも言える。
こうした状況に人間世界の欲が混じり、相手の心情を思いやる忖度といった清浄高潔なることではなく、自己中心で我欲を求めるゴマすりが横行することになるのだ。
一方、『親方日の丸』の如くに『親方総理大臣』と親方(の名前)を嵩に偉そうぶり、言うたもん勝ち、やったもん勝ちとヤリタイ放題なのが政権中枢の姿だ。
法律すれすれ触法ギリギリまでヤル。バレないようにヤル。バレそうになれば証拠・証人を隠す。隠して隠して隠し通す。それでもダメなら証拠は消滅(焼却)するか捏造する。いよいよ、どうにもダメなら部分的に認め謝る。
こと人の命が危険に直面している時、これは言を俟たない。
しかし即決即時断行が常に必要と言っているわけではない。むしろ熟慮断行することが大事だと私は思っている。
現代は以前にも書いているが、過程(プロセス)を無視して結果のみを重視、或いは無視せずとも結果を求めることを急ぐという風潮が当然と言うが如くに広がっている。そして結果が良いか悪いかどちらかを明確にし、グレーな中間的結果を認めない傾向がますます強くなっているように私は感じている。
もう20年ほど以前になるだろうか。国政上、衆議院で認められても参議院で否決されるという『ねじれ』状態が起き、『決められない政治』という言葉がマスメディアを通して広まり、結果として自民党が力を得て、そこへ公明党が加わることで『ねじれ国会』が解消していくことになった。
2012年(平成24年)末に自民党・第二次安倍政権がスタート。これ以後安倍首相は経済再生、成長戦略などの政策を実現する一方、内閣人事局を設置することで各省庁の人事権を掌握するなど、権力の集中化を進めてきた。
そうした中央集権体制の強化は内閣、それも総理大臣集権体制とも言える状態となり、官僚や与党国会議員は勿論のこと地方各級首長・議員に至るまで『総理大臣は神様』と祭り上げられる存在となっていったのだ。
『総理案件』『総理のご意向』と言いさえすれば何でも通る。思い浮かぶのは「下にい~、下にい~」と歩む将軍の行列に対し、道路わきに只々平伏している一般民衆の映像だ。
駕籠の中には祭り上げられた裸の王様(総理大臣)。駕籠の周りを固め警護するのは官房長官を頭に内閣府の政務・諜報(警察軍事)など側近たち。行列を構成するのは各省庁の大臣と官僚、それに国会で多数を占める自民・公明の議員たちだ。
これは私が想像する安倍・菅政権の階層構造(ヒエラルヒー)である。
総理大臣にあらゆる権力が集中する。この構造に『ねじれ』は無いので総理大臣(内閣府)が口にしたことは上意下達で指示・命令となり、政策は与党多数の国会で立法化されて実施される。
選挙で選ばれた者たちが反対意見はあれど一応審議した形を採っているのだから民主主義のルールを逸脱しているとは言えない。しかし総理大臣の意のままに政治が進められる状況は専制的であり独裁的とも言える。
一方、『親方日の丸』の如くに『親方総理大臣』と親方(の名前)を嵩に偉そうぶり、言うたもん勝ち、やったもん勝ちとヤリタイ放題なのが政権中枢の姿だ。
法律すれすれ触法ギリギリまでヤル。バレないようにヤル。バレそうになれば証拠・証人を隠す。隠して隠して隠し通す。それでもダメなら証拠は消滅(焼却)するか捏造する。いよいよ、どうにもダメなら部分的に認め謝る。
こんな姿を安倍政権で10年近く、菅政権で半年ばかりだが沢山見せられてきた。
『仏の』と冠せられてきた私が怒ることが多くなった期間でもある。
安保法制の解釈改憲、森友学園に加計学園に関わる公文書改ざん、官僚人事では佐川氏を国税庁長官にしたことや黒川氏を検事総長にとの思惑、桜を見る会でのウソ答弁の連発等々数え上げればキリがないほどある。菅氏の問題は既に彼の長男の件が明らかになっているが、人事、利権など既に臭い煙が燻りかけているように私には思えるのだ。
国民すべてが知り、いまだにオカシイと思われている事に限って挙げたが、権力が集中するというのは怖い恐ろしいことなのだ。
ところが次々とクッサイ問題が続くものだからクッサイ臭いが当たり前のようになり、人々が臭くて恐ろしいと感じにくくなってきているのではと私は思っているのだ。
『仏の』と冠せられてきた私が怒ることが多くなった期間でもある。
安保法制の解釈改憲、森友学園に加計学園に関わる公文書改ざん、官僚人事では佐川氏を国税庁長官にしたことや黒川氏を検事総長にとの思惑、桜を見る会でのウソ答弁の連発等々数え上げればキリがないほどある。菅氏の問題は既に彼の長男の件が明らかになっているが、人事、利権など既に臭い煙が燻りかけているように私には思えるのだ。
国民すべてが知り、いまだにオカシイと思われている事に限って挙げたが、権力が集中するというのは怖い恐ろしいことなのだ。
ところが次々とクッサイ問題が続くものだからクッサイ臭いが当たり前のようになり、人々が臭くて恐ろしいと感じにくくなってきているのではと私は思っているのだ。
masatukamoto at 14:30|Permalink│Comments(0)│
April 15, 2021
ワクチン注射
今月に入って市役所からコロナ感染症のワクチン接種に関する書類(接種券、予診表・説明書)が郵送されてきた。
出来ることなら注射は受けないでいたい。しかし入院していた時や検査のための採血はドラキュラのような看護師の注射針を諦めの思いで受けてきた。
だからインフルエンザや肺炎球菌のワクチンなど、打つか打たないかは個人の自由というものについては私は拒否してきた。
しかし産後の療養期間を我が家で過ごす息子の家族、とりわけ新生児に病気をうつさないため半ば仕方なしにインフルエンザワクチンを昨年の晩秋に打った。
接種対象高齢者数が3万数千人のところ、国から供給されたワクチンが 900人分あまり、つまり約3%分しか無かったと言うのだ。
ワクチンについてもそうだが、いかなる注射も受けることが私は嫌いなのだ。
出来ることなら注射は受けないでいたい。しかし入院していた時や検査のための採血はドラキュラのような看護師の注射針を諦めの思いで受けてきた。
だからインフルエンザや肺炎球菌のワクチンなど、打つか打たないかは個人の自由というものについては私は拒否してきた。
しかし産後の療養期間を我が家で過ごす息子の家族、とりわけ新生児に病気をうつさないため半ば仕方なしにインフルエンザワクチンを昨年の晩秋に打った。
私にすれば飛行機に乗った時のような気分。つまり飛行機には乗りたくない、出来ることなら乗らずにいたいのだが外国へ行くには仕方がない。それでも飛行機が離陸のために滑走路へ移動するまでは乗りたくないという気持ちのままだ。それがいよいよアカンと諦めの気持ちになるのは飛行機が轟音を発して滑走路を走り始めた瞬間だ。消毒用アルコール綿で拭かれ、いよいよ注射針を刺されるという時になって漸く諦めの気持ちになるのだ。
さて、冒頭のコロナワクチン接種だが、高齢者の接種申し込みを22日に開始すると書かれていたので接種場所を選ぶため市のホームページを見たところ、22日開始を延期し、方法など再検討の上で再度郵送通知すると書いてあった。
接種対象高齢者数が3万数千人のところ、国から供給されたワクチンが 900人分あまり、つまり約3%分しか無かったと言うのだ。
そのため再度通知する郵便代金もバカにならないし、私のワクチン接種に対する覚悟もぶらぶらとブランコのように揺れまくりイライラしている。
それら積み重ねた知力を政府は真剣に行政面で生かすことが喫緊の課題であり国民の生命を守ることが行政の本務なのだ。
感染症の専門家らを都合良く使っているだけで、実のところ彼らの大切な意見を聞くフリをしているだけのように私には見える。
医療従事者を第一にと優先接種することが決められているが、私が知る医療従事者は未だ接種出来ていない。コロナ感染症が我が国で広まり始めて既に1年以上が経過し、当初は未知のウイルス相手ということで対応・対策法が分からなかったのも無理のないことと理解していた。しかし1年の間にウイルスの特質など相当部分が見え、防御や治療などについてもかなり明確になってきているのだ。
それら積み重ねた知力を政府は真剣に行政面で生かすことが喫緊の課題であり国民の生命を守ることが行政の本務なのだ。
安倍政権は何事も政府主導と問答無用的に政治を行ってきた。そんな傲慢姿勢を受け継いだ菅政権がコロナ感染拡大に立ち向かっているかのような恰好をしているが、実のところ地方行政任せで何もしていないように私は感じている。
感染症の専門家らを都合良く使っているだけで、実のところ彼らの大切な意見を聞くフリをしているだけのように私には見える。
masatukamoto at 19:30|Permalink│Comments(0)│