November 12, 2005

広島あれこれ

あれこれと言うほど書くだけのものを持ち合わせているわけではない。

広島での滞在で最も長かったのが1週間。
あとは4日間(3泊4日)、3日間(2泊3日)であり、1泊もしくは日帰りというものもあった。

初めて広島を訪れたのは昭和32年だったか33年だったか。
当時、京都・同志社大学柔道部のキャプテンをしていた従兄弟に連れて来てもらった。

たしか大阪から汽車で7~8時間かかって到着したように記憶している。

その頃大きな駅のプラットホームには必ず幾槽かの洗面台を連ねて設置してあった。

広島を訪れた時は暑いあつい夏であり、汗をかいた顔や首筋には数え切れないほどの黒い粉塵がくっついていた。

蒸気機関車が噴き出す煙に混じる石炭のススである。

客車からプラットホームに降り立った人々が最初にすることは、ホームの洗面所で手を洗い顔を洗うことである。
時にはシャツを脱いで体を拭くこともある。
そうしなければ、砂粒程度の石炭のススがザラザラと肌に擦れて気色悪いのである。

広島駅頭に立ってみての第一印象は、『何と赤茶けた田舎の町なんだろう。』というものだった。
駅前にはバラックのような2階建ての木造の建物が並び、随分前に大阪で走っていた茶色っぽい市電の古い型のチンチン電車が走っていたから、そのように思ったのであろう。

今ではどのようなコースをたどったのか記憶にはないが、石造りの新聞社の入り口の石段のところで、『原爆が爆発した時の光熱のため一瞬にして人の影が黒く石段の石に焼き付けられたものだ。』との説明を受けたことを今でも鮮明に記憶している。

当時の私には原爆に関する予備知識が全く無かった。

それだけに、一瞬にして焼き付けられた人影と赤茶けた無残な姿を晒していた原爆ドームを見ることだけで、原子爆弾というものが如何に恐ろしい兵器であるのか、中学生といえども深く心に悟るものがあった。

以後、大学生になってから再訪し、仕事に就いてからは職務上度々訪問することとなった。

広島は訪れる度に変貌しており、初めて訪れた時と比較すれば将に雲泥の差を感じるのである。

今夏は60回目の原爆忌であった。

多くの戦争犠牲者を出して、既に半世紀を過ぎ、終戦60年目に至っている。

にも拘らず世界には紛争地域を抱え、我が国内においてもキナ臭い蠢きがあるのは何故なんだろうか。

広島を訪れる度に平和への思いを一層新たにするのである。

at 10:42│
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