October 16, 2006
ポーランド ・ クラコフ
前回、クラコフ空港でのラッゲージ受取りに関するトラブルについて書いた。
オーストリア航空のズサンさや職員の接客態度の悪さ、勿論、全てが悪いわけでは無いであろう。
実際、赤いオーストリア航空の制服を着たアフリカ系黒人の地上アテンダントの女性の対応は、日本の航空会社各社の職員にも学んでもらいたいほどのあたたかさ溢れる対応であった。
しかし、『信用』とか『信頼』、これは企業が事業を行う上で最低限保持しなければならない基礎的基本的なことであると同時に、人として生きていく上で身に付けなければならない最も大切なことでもある。
これらは実績として、業務上の結果という形で目に見える場合もあるが、感情的なものとして表には表れず、人々の『思い』という観念として定着してしまうことも多い。
『一事が万事』という俚諺がある。
また『ホトケの顔も三度』という俚諺もある。
オーストリア航空は、しっかりと自戒してもらいたいものと思う。
クラコフ空港におけるバッゲージ・クレームで時間を取られてしまった私達は暗澹とした気分のまま手荷物だけで小さな空港を出た。
空港前にはレンタカーがズラリと並べられてあり、タクシーが数台、青色のリムジン・バスが1台停車し、離着陸便が少ないのか行き交う人の数は僅かであった。
私達はホテルまでタクシーに乗るつもりでいたが、大きいラッゲージも無いのでリムジン・バスを利用することにし、バスの運転手に料金について訊ねたのだが、この運転手、全く英語を解さないため、バスに乗って良いのかどうかも分からず、沈み込んでいた気持ちが一層落ち込んでいった。
途方に暮れていたところ、このバスに乗り込んでいた老婦人が運転席横まで来てくれ、どうしたの?と英語で尋ねてくれた。
ホッとした私が、クラコフの町まで行きたいことを伝えると、このバスに乗れば良い、バス代を払う必要はないと教えてくれた。
え?と不思議に思いつつも、私達は、このバスに乗り込んだ。
乗客は、私達も含めて7人のみ。
やがてバスが発車し、林間の道をほんの少し走ったところでバスが停車。
運転手も私達以外の客も降りていった。
しかし、そこは町らしい雰囲気など全く無い野原の真ん中のような所。
不思議に思って座っていた私達に、先ほどの老婦人が、「ここで降りて鉄道に乗り換えるのよ。」と教えに来てくれた。
よく分からないままに私達が降り立った所は、野原に少し盛り土をしたようなプラットホームであった。
バスの乗客の他、一般の人が2人、それに6人のポーランド兵士がプラットホームに立って列車が来るのを待った。
リムジン・バスというのは、空港と都会(町)の中心部を結ぶものだと思っていた私の頭は混乱し、荷物が行方不明で暗澹とした気持ちになっているのに、更に英語も通じない国にやってきたということに完全に打ちのめされた気分になってしまっていた。
一体、この先、どうなるの?
オーストリア航空のズサンさや職員の接客態度の悪さ、勿論、全てが悪いわけでは無いであろう。
実際、赤いオーストリア航空の制服を着たアフリカ系黒人の地上アテンダントの女性の対応は、日本の航空会社各社の職員にも学んでもらいたいほどのあたたかさ溢れる対応であった。
しかし、『信用』とか『信頼』、これは企業が事業を行う上で最低限保持しなければならない基礎的基本的なことであると同時に、人として生きていく上で身に付けなければならない最も大切なことでもある。
これらは実績として、業務上の結果という形で目に見える場合もあるが、感情的なものとして表には表れず、人々の『思い』という観念として定着してしまうことも多い。
『一事が万事』という俚諺がある。
また『ホトケの顔も三度』という俚諺もある。
オーストリア航空は、しっかりと自戒してもらいたいものと思う。
クラコフ空港におけるバッゲージ・クレームで時間を取られてしまった私達は暗澹とした気分のまま手荷物だけで小さな空港を出た。
空港前にはレンタカーがズラリと並べられてあり、タクシーが数台、青色のリムジン・バスが1台停車し、離着陸便が少ないのか行き交う人の数は僅かであった。
私達はホテルまでタクシーに乗るつもりでいたが、大きいラッゲージも無いのでリムジン・バスを利用することにし、バスの運転手に料金について訊ねたのだが、この運転手、全く英語を解さないため、バスに乗って良いのかどうかも分からず、沈み込んでいた気持ちが一層落ち込んでいった。
途方に暮れていたところ、このバスに乗り込んでいた老婦人が運転席横まで来てくれ、どうしたの?と英語で尋ねてくれた。
ホッとした私が、クラコフの町まで行きたいことを伝えると、このバスに乗れば良い、バス代を払う必要はないと教えてくれた。
え?と不思議に思いつつも、私達は、このバスに乗り込んだ。
乗客は、私達も含めて7人のみ。
やがてバスが発車し、林間の道をほんの少し走ったところでバスが停車。
運転手も私達以外の客も降りていった。
しかし、そこは町らしい雰囲気など全く無い野原の真ん中のような所。
不思議に思って座っていた私達に、先ほどの老婦人が、「ここで降りて鉄道に乗り換えるのよ。」と教えに来てくれた。
よく分からないままに私達が降り立った所は、野原に少し盛り土をしたようなプラットホームであった。
バスの乗客の他、一般の人が2人、それに6人のポーランド兵士がプラットホームに立って列車が来るのを待った。
リムジン・バスというのは、空港と都会(町)の中心部を結ぶものだと思っていた私の頭は混乱し、荷物が行方不明で暗澹とした気持ちになっているのに、更に英語も通じない国にやってきたということに完全に打ちのめされた気分になってしまっていた。
一体、この先、どうなるの?
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