November 05, 2006
チェコ・プラハへ
中世の街並みをそのままに残すクラコフは私達にとっては安らぎを覚えるものであった。
どこへ運ばれてしまったのか分からなかった私達の2つの大きいラッゲージは、ホテル到着の日の夜中に宿泊していたホテルに無事届けられていた。
朝、外出するため、ホテルのレセプションにルームキーを預けた際に確認、ポーターに部屋まで運ぶように依頼しておいて出掛けた。
クラコフ空港で若い担当女性を叱り、行方不明となった私達のラッゲージを探すように電話をかけさせたり、パソコンを操作させたりと、私もイライラしていたのだが彼女も懸命に働いてくれた結果と喜び、安堵したものだった。
数日前にチェコ航空でミッシングに遭い、3日後になって荷物が届いたという話を聞いていたものだから、3日間も着替えも無く過ごさねばならないとすればと、その間の対策を考えるだけでも憂鬱だったのである。
クラコフではホテルでの朝食、夕食ともにポーランド料理を美味しく頂いた。
昼食と夕食には中央市場広場へ出掛け、広場周辺のレストランによく入った。
どのレストランも不味いと感じたことはなく、料金が安かったし、ウェイトレスはいずれも若く、注文料理の交渉が楽しかった。
英語を理解出来るお嬢さんもいたが、大概ポーランド語のみであった(多分)ために、身振り手振りを交えての交渉というのは実に楽しいものだったのだ。
料理の名前は分からない(ポーランド語で読めない)が、煮込み料理、揚げ物料理が主であったが、ワインもビールも良いものであった。
ただ、パンに関しては、日本のパンの方が断然ウマイ。
ヨーロッパは、どこのパンも余り美味しいとは言えん。
『ダ・ヴィンチ・コード』が話題になっていたからという訳でもないが、ダ・ヴィンチの『白貂(はくテン)を抱く貴婦人』という作品があるというのでチャルトリスキ美術館へ行った。
ところが、あるべき場所に美術館が無い。
実際にはあったのだが、見付けられなかったというわけ。
私が想像する美術館のイメージは建物の規模が大きく、外観もそれなりの飾りがあったりで風格のあるものを想像していたものだから、このチャルトリスキ美術館の前を行き来しながら見落としていたのである。
つまり外観だけで言うなら、並んでいる建物と何ら変わりの無い4~5階建ての民家なのである。
ヨーロッパの旧市街にはよく見られる建物で、長屋のように建っており、隣の家との境界となる空間が無いのである。
しかも門構えといったものも無く、建物のドアが入口になっているのである。
場所はフロリアンスカ門から直ぐの所だったのだが、ここだけは迷ってしまった。
元はアパートというか、住居であったものを展示室に改造したような感じを受けたが、収蔵品は絵画だけではなく、武具などもあり、年代的にも幅広く集め展示されており見応えのあるものであった。
オシフィエンチムへの慰霊と見学を終え、古都・クラコフをのんびりと楽しんだ私達はロマンさんのベンツで空港へ送ってもらい、チェコへ向かうことにした。
チェコ航空双発旅客機で1時間のフライト
どこへ運ばれてしまったのか分からなかった私達の2つの大きいラッゲージは、ホテル到着の日の夜中に宿泊していたホテルに無事届けられていた。
朝、外出するため、ホテルのレセプションにルームキーを預けた際に確認、ポーターに部屋まで運ぶように依頼しておいて出掛けた。
クラコフ空港で若い担当女性を叱り、行方不明となった私達のラッゲージを探すように電話をかけさせたり、パソコンを操作させたりと、私もイライラしていたのだが彼女も懸命に働いてくれた結果と喜び、安堵したものだった。
数日前にチェコ航空でミッシングに遭い、3日後になって荷物が届いたという話を聞いていたものだから、3日間も着替えも無く過ごさねばならないとすればと、その間の対策を考えるだけでも憂鬱だったのである。
クラコフではホテルでの朝食、夕食ともにポーランド料理を美味しく頂いた。
昼食と夕食には中央市場広場へ出掛け、広場周辺のレストランによく入った。
どのレストランも不味いと感じたことはなく、料金が安かったし、ウェイトレスはいずれも若く、注文料理の交渉が楽しかった。
英語を理解出来るお嬢さんもいたが、大概ポーランド語のみであった(多分)ために、身振り手振りを交えての交渉というのは実に楽しいものだったのだ。
料理の名前は分からない(ポーランド語で読めない)が、煮込み料理、揚げ物料理が主であったが、ワインもビールも良いものであった。
ただ、パンに関しては、日本のパンの方が断然ウマイ。
ヨーロッパは、どこのパンも余り美味しいとは言えん。
『ダ・ヴィンチ・コード』が話題になっていたからという訳でもないが、ダ・ヴィンチの『白貂(はくテン)を抱く貴婦人』という作品があるというのでチャルトリスキ美術館へ行った。
ところが、あるべき場所に美術館が無い。
実際にはあったのだが、見付けられなかったというわけ。
私が想像する美術館のイメージは建物の規模が大きく、外観もそれなりの飾りがあったりで風格のあるものを想像していたものだから、このチャルトリスキ美術館の前を行き来しながら見落としていたのである。
つまり外観だけで言うなら、並んでいる建物と何ら変わりの無い4~5階建ての民家なのである。
ヨーロッパの旧市街にはよく見られる建物で、長屋のように建っており、隣の家との境界となる空間が無いのである。
しかも門構えといったものも無く、建物のドアが入口になっているのである。
場所はフロリアンスカ門から直ぐの所だったのだが、ここだけは迷ってしまった。
元はアパートというか、住居であったものを展示室に改造したような感じを受けたが、収蔵品は絵画だけではなく、武具などもあり、年代的にも幅広く集め展示されており見応えのあるものであった。
オシフィエンチムへの慰霊と見学を終え、古都・クラコフをのんびりと楽しんだ私達はロマンさんのベンツで空港へ送ってもらい、チェコへ向かうことにした。
チェコ航空双発旅客機で1時間のフライト
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